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基本大人は尊敬できない、なぜならば、世界が完璧ではないからである、出来上がっていないからである、不具合が多いからである、そこまで至ってないからである、とかなんとか、いやまあ、議論の余地はあるとは思う。
自分にもできないこと、できなかったことを、どうにかして欲しいと素直に子供に頼むのであるならば、まあ、百歩譲って良いかなとか思うけど、その失敗を素直に認めないで、旧態依然のやり方で学習させようとするのはどうかな?とは思う。
まずは謝っってほしい。我々は失敗した、さらには今も失敗し続けている、なのでこれからはもっとマシな方向へ進んでいただきたいので、そう育ってほしいし、そう育てたい。
とか、まあ、少なくとも謙虚にやっていく必要があるのではなかろうか?
いやまあ、それでは子供が調子に乗るのかな?だけれども、こう、偉そうに言われるのは違うとは思うのだよなぁ、だってできていないじゃないか、少なくとも平和な世界というものは、嘘がない平等な世界というものは、愛溢れて助け合う世界というものは。
いや、言いたいことはわかる、それでも最悪からは脱してきたとか、最善ではないけれどもマシな世界になるようにしてきたとか、精一杯努力はしてきたんだ、とか、まあ、それは、そうだとは思う。
だけどもそれはダメだったんじゃないか、世の中には嘘つきがかなりいて、怠け者も多くて、自分だけが良ければそれでいいとか、身勝手で、自分勝手で、そもそも先のことをあまり考えてなくて、刹那的に楽しんでいる、人間が結構いるんじゃないかなぁと。
なのに、小さな人々、若い人々、幼い人々、まだ学習が進んでいない人々には、それを求める、一方的にそうしろというならば、まずは、自らが改めるべきではないかなとかは思う。
いやまあ、学習とか教育とかをさせるには、そう指導する方に敬意を払うとか尊敬させる途か、少なくともバカにはしないようにさせる、話すことを聞いてもらう必要があるということは、わかるのだけれども、ただ偉ぶるだけではやはり、興醒めではある。
難しいのではあるだろうけれども、誠実な人を作りたいならば、まずは手本を見せてもらわなければならないのではないか、とは思う。
いやまあ、正直者が損をすることが当たり前である社会であるならば、そもそも誠実であることは不利に働くのであるから、これはまあ、社会が変わってもらわなければどうしようもないのでは、とは思うということなのかな?
基本大人のいうことは疑ってかかるという、小さな人ができるだけではあるのかなぁ、まあそこまではみな考えないか?
今日はここまで。