025_20230922
どうせ最後には全部無くなるのであるならば、一切合切が無駄ではなかろうかという発想はあるよ、まあ、現実逃避しているなという指摘には、抗わないけれど、真理とか言われるものの一つではあるんじゃないかなとは思う、あれだよあれ、色即是空空即是色、とかいうお題目?言葉?格言みたいなやつ。
いつかは死んでしまうのであるから今生きる意味はあるのか?とか、文明やら種族やらは必ず絶滅するのであるなら、必死に維持する必要があるのか?とかまあ、そういうセンシティブな?繊細な?もしくは結構強烈な思考の流れは、結構普通に出てくるもんじゃないかな?とは思う。
不安なので宗教を利用するということをやったりしてきたんだろうなぁとは思うし、今でも熱心にそれを信心するというのは、そういうふうな、未来に対してのそこはかとない絶望をどうにかしようという、精神的なケアなものがあるんじゃないかとは、まあ思うよね。
小さな人がね、そういう不安を口にすると、そんなことは言うものじゃありませんという否定から入ってくるんだよね、大体の大人はそうなんじゃないかな?そういう先の不安は考えなくて良いので今を夢中になって真剣になって頑張って生きなさいとか、今できることを一所懸命やりなさいとか、そんな感じ?
まあ、それは大人でも持て余すような感情ではあるし、悩みでもあるので、簡単に答えは帰ってこないものではあるよなぁというふうに納得はしてる、と思う。
いやまあ、シンプルに考えるなら、別に遠い未来の話であるので気にしてもしょうがないんじゃないのか、というそれよりも今楽しいことを考えよう、限りがあるならば時間が勿体無いじゃぁないか、という割り切り方もまた大切に思えるわけではあるけれども。
それじゃ、どうせ終わるなら、今苦労して色々やることはないじゃないか、具体的には対人関係の構築とか、勉強とか?
時間が限られているのであるなら、楽しいことしかしてはいけないんじゃないかな?とかそういう反論はありそうだし、実際にしてみたりもするけれども、それは結構とんでもない話であるという感じで受け止められてしまう、否定されてしまうだよなぁ。
個人でここで終わってしまうなら、こう、子孫のことを考えないで、好き勝手に楽しんでしまっても良いのではないか?という思想はかなり危険ではある、という感じではあるんだとは思った。
どう危険なのか、とか言われると、なんとなく説明?言語化はできそうではあるかなぁ、いや、同じように悩んで答えを出した小説のキャラがいたりするので。
今日はここまで。




