021_20230918
けいろーのひ、敬老の日ですね、まあ、休日が多いのは良いです。お爺さんお婆さんも嫌いではないけれど、それほど大切にしなければならないという気持ちには普段はならないです。その辺りドライなんだろうかなと、お年玉とかお誕生日の時にお金をくれるのでそこは嬉しいという、現金だよね。
ご先祖様がいなければ自分が存在していなかったことに対しては、ある程度の敬意を払う必要があるのかなとは思うけれども、もう結果として私がいるので今更どうというものでもないのではとは、とか、うん、ピンときませんね。
ただ、元気な孫が優しくしてくれると喜ぶのであろうなぁという予想はできるので、そう振る舞うことくらいはするわけで、単純ではあるのかな、人に喜んでもらえると単純に嬉しいという気持ちがあるのだろうなぁと、そんなもんであるのかな、大体の小さな人の感想としては?
干渉してくることが鬱陶しいと感じることもまた多いわけではあるね、距離の取り方が難しいのであろうなぁと、認識が古いというか、価値観が合わないことは確かなのであるかな?
急激に情報力が変化したので、話が合わないということはあるよねと、良いことと悪いことが変わってきているというのもあるし、孤独を愛するというか、そもそも対話が最低限の方が心地よく、それを良しとする風潮を理解できないという話でもあるのかなぁと。
別に憎んでいるわけでもなく、普通に、好きなところも嫌いなところもある関係ではあるのだけど、悪意はわずかでも伝わるのに好意は一生懸命に表現しなければ伝わらないという性質があるのかなと、そんな感触がある。
自分の失敗を若いものにさせたくないので、口うるさくなるという傾向はあるのかなと、根底に善意があるとは思うけど、善意であると思い込んでいる悪意の場合もあるんだなぁと、そこが分かっていない、とかいうと、可愛くないとか話が拗れるので、愛想笑いでごまかしてしまう、のかなぁと。
子供らしくないと言われるわけではありますね、いやまあ、あまり気にならないし、むしろ褒め言葉では?とか思ってしまうわけではあります。
だから昔に聞いた、小さな人という表現が好きなのですよね、私は子供というものではなく、人なのである、ただ小さいだけであるという認識、しっかりとした考えがある、ただ、知らないことが多いだけである、そんなものであるという、ことを知った上で、付き合ってほしいものであるかな?と。
今日はここまで。




