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昔は夏休み、九月一日まであったらしい、ずるいなぁ。
本当に嫌なら学校は休んでも良いですよというスタンスなわけではあるけれども、これは家庭の話であり、教育現場全体の流れではあるみたいですが、まあ、無理して登校させようとして、心を病んで自殺とかされたら面倒臭いという、理由があるのかなとか、思うわけではあります。
というかその理屈だと、全く学校に行く気持ちがなるなるわけではあるのだよね、なぜなら私は書痴だから。本さえ読んでいれば満足であるのに、それ以外のことをしなければならないし、そもそも移動が面倒臭いし、さらには暑い。
この炎天下で徒歩で移動とか、絶対に健康に悪いとは思うのだよね、そこのところどう思っているのでありましょうか、先生とか親とか、つまりは大人とか?スクールバスとか送り迎えをしてもらったほうが良いのではとは思うけれども、お金がないのかな?
この辺り便利にすれば、児童も学校に行きやすくなるし、精神的な余裕も生まれて、大人しくなったり、都合よく動いてくれたり、何より安全性が増すので、ロスが生まれにくくなるんじゃないかぁ、で結果としてお安く済むのではとか、思うわけだけど、まあ、今までそうだったから、集団登校は無くならないのだろうなぁ、諦めよう、そうしよう、なので引きこもりたい。
一応、小学五年生でも対人関係とかは気にしなければならない、らしいから、全く学校に行かないのはどうかな?とは思うけれど。正直ずるいと言われても休みたいという気持ちは大きいのだよね、というか、私に友達はいないし。せいぜい知り合い程度なのだよね、一緒にどこかで遊ぶという行動が、すっぽり抜けている?
ぼっちゆうな、いや、まあ、ぼっちではあるけど、
ロックではないぞ?
友達はいた方が良いよというアドバイスは、まあ、最もかなぁとは思うわけではある、それこそ、物語の中では友情物とかも読んでいるし、いいなぁという気持ちがないわけではないし、ただ、まあ。
物語の中で経験できるから、現実にはいらないかなぁという、気持ちもまたあったりするんだよな。ここで大体の友情体験はできるし、むしろ、かなり深いところまで踏み込んで、それこそ命をかけてまで、いろいろとやってしまっている、読めてしまっているから。
現実がつまらない、といいうわけではなくて、どうなのだろう?面倒臭いというのが一番ではあるけれども、本の中なら安全というのもあるのかな?臆病ではあるのだろうなぁ、いやまあ、人間関係を断絶させても、怖くないという感覚があるから、ある意味、勇敢であるのか?
想像力が足りていないという可能性はあるなぁ、いや、逆に十分想像できるから、すでに満足してしまっているのであろうか?
できるだけ波風を立てたくない、厄介ごとに関わりたくない、何かをしたくない、働きたくない、仕事をしたくない、その時間を読書に当てたい、というのが、本心であるのであろうなぁ。
ちょっと、もしくはかなり変であるということは自覚している。
今日はここまで。