012_20230909
泥棒は嘘つきの成れの果てとかいうのでしょうかね?というかどこかで聞いたなこのセリフ。兎角嘘というものは嫌われる、忌避される、嫌がれる、否定される、良いようには言われない、けれどもまあ、良い嘘もありますね、という物語も結構多かったりするわけで。
本当のことを言ってはいないけれども、嘘ではないという言い方もあるわけで、こう、ソシャゲのアプリとか、漫画の閲覧数とか、リセマラをした回数もカウントしたり、広告からうっかり踏んで閲覧してもカウントしたり、いやまあ、嘘ではないですけれども、実質内容で選んだものではないという、誇大広告に近いというかそのままなやつもまあ、多いのであろうなぁとか。
小学生とか中学生とかの学力テストも、熱心なところは予習をしたり過去問を解かせたり、対策を練ったりするわけで、それはなんというか、実際の実力を測るという、狙いからは外れてしまっているのであるのだろうなぁという、なんだかなぁという気持ちはあったりする。
まあ、学力を計りますよ、と言われて対策を丁寧にとる学校の方が、とらない学校よりも学業を重要視しているので好ましい、つまりは、学力を計る指針にはなるのであるという言い方もできそうではあるのか。
ただただ流されているだけではなくて、それをきっかけにして学習意欲を増そうとする学校組織がどれだけあるか調べることができる、という意味では、確かに有用なのであろうかなと、ならそのようなことも調査対象でありますよと公言しておくべきなのではないかな?とか。
いやまあ、その手のテスト対策がそのまま学力増強に繋がるのか?というとちょっとわからないわけではありますが、こう、決まったパターンの反応が鍛えられるくらいになるのかな?とか。
学習する癖はつけることが出来るのであるかな、競争意識を高めることもできそうではあるか、冷めている児童とかにとってはどうでも良いかな、とか面倒臭いなぁとか、とかの感想が強くなって、意欲を減退させる可能性もあるかな?
この辺り、調査とか観察とかをしてみて、有効性を確認してみると面白そうではあるけれども。
あとは、競争意識が激化してしまうと、それはそれでしんどいことになりそうではあるかな、そもそもテストに向いていない、小さな人も多いだろうなぁ、それを切り捨ててしまうには、まあ、勿体無いというか、そんな余裕は人数的にないだろうなぁ。
自分、テストは適度に流します、あまり点数に興味はないので。
面白い問題が出たら楽しいな、という感じでしょうかね?
今日はここまで。




