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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

闘えば戦わずに済むと聞いて 〜世界救いまくった息抜きにやりこみ要素を攻略する〜







―――WP.D2J9【災星】ポルトフュノス、滅びる。


 今から2週間ほど前、地球から3億世界ほど離れた銀河内を、そのニュースが席巻した。


―――【地の主】デストル、消滅す。


 その4日後、地球より《1つレベルが上の世界》のとある星にて、大陸を揺るがす一報が入った。


―――ズナク邪神教団の生き残り、日本で捕まる。


 ついでその3日後、ひっそりととある部にそんな報告書が届けられた。


―――【泥酔の神】アイルカン=マリナスダーリア、逮捕される。


 そしてその1週間後、神の住む天上世界(ゲナウガルド)で、そんなスキャンダルが報じられた。



 ◇ ◇ ◇



 70億の人が住む星、地球。

 その片隅の島国のどこか、昏日待(こいくら)町。ちなみになぜこの地名がそう読むのか、誰も知らない。


 小さな町の、とある高校。その3階にノックの音が2回響く。


「お疲れ様で〜す、頼まれてた仕事、全部終わらせてきたよ〜」


 現れた少女は、日に当たると明るく輝く茶髪をポニーテールにした、制服姿の女子高生だ。

 彼女は、目の前の書斎机に置いてある団扇を認めるとすぐさまひょいと拾い上げ、これが一番早いと思います、と言いながらソファに座る。


「お疲れ様。流石に高難易度のを3つ続けてだと2週間はかかるか。茜も人間だったんだな」


「人間だよ! むしろなんだと思ってたの!?」


 ぴょんこ、と跳ねるポニーテール、と女子高校生。そしてそれに目もくれず怪しい図形を作図し続ける男子高校生。


「お、なにそれ、魔法陣?」


「ああ、俺は夏休み明けの学祭のお化け屋敷で、これをフラッシュ代わりにした演出を加えようと思ってる」


「へ〜」


 彼女と彼は、昏日待(こいくら)高校の「世界救済部」の部員。

 ついでに、2年ほど前日本を揺るがした大ニュースの、台風の目にいた人物たちでもある。


「てかお前、そこらの特撮ヒーローより強いんだから、学園祭で魔王のコスプレしろよ。似合うと思うぜ」


「えぇ~」


「こないだお前宛にアクション映画の打診来てたしな。『日下茜ハ、スーパーヒーローデス!!』って絶賛されてたぜ」


「まじか~」


 日下( くさか )(あかね)。それがこの少女の名前である。2年前、地球より《2つレベルが上の世界》の英雄となり、超人になっただけの普通の女子高生だ。


「それにしても今日、あついね~。こんな暑さじゃやる気でないし、仕事終わったんだからあと1ヶ月は休暇ほしいな〜?」


「無理だ。俺たち「世界救済部」で1番強いの、お前なんだから」


 日下茜は、地球において文句無しの最強である。

 それこそ世界一のスタントマンになれるし、オリンピックに出ればほとんどの競技で金メダルが取れるだろう。なお、陸上の幅跳びは出たとして、跳びすぎて危ないから棄権になる模様。


「そんなぁ〜。今年はもう休むつもりでいたのにぃ」


 団扇をぶん、と仰ぐ茜。それだけで風の膜がぶわりと宙にできて、茜の顔に扇風機くらいの風が吹きつけた。

 それとともに、団扇の柄がぱきりと音を立てる。茜はそれを見て一筋汗を垂らすと、ぽいっと放り投げた。しーらないっ。


「確かに、私ならちょっと本気出すだけで救える世界ばっかなんだけどさ? どれだけ世界救ってもいつまでも終わらないよね〜……どうせまた案件溜まってるんでしょ?」


「ああ、実は60万ほど隣の世界から救援信号が届いてる。敵の数がすごく多いらしくて、ここには美香が向かってる。あとは《レベル4》のとこと、地獄の西のほうと―――」


「ふへぇ〜。【急募】軽めの世界の危機〜」


 そんな茜は、実はかつて地球より《2つレベルが上の世界》でも世界最強に至っている。


 彼女は結局その世界の3大覇者、病魔の主、地底の守手、終の案内人を全てしばき、終の案内人に地球まで【案内】してもらった。なお、地底の守手だけくっそ弱かった。南無。

 そして地球―――のエイメリカ上空に帰ってくれば、やれ密入国だ、やれ国際問題だ、やれ宇宙人だと世界中に騒がれ注目され、流されるうちにいつの間にか幾つも世界を救ってきた。

―――取り返しのつかない犠牲を、出したりしながら。


 そして気づいたのだ。世界救うって、結構心労が凄い、と。


「ねぇ、私いったん休みたいの」


 茜は、ふと部長の机の上に目線を向ける。そこには、茜と、部長と、もう2人。


「お前、最近それよく言うよな。MINEでも送ってきてたし。なんか悩みでもあったか? 俺で良ければ話聞くけど?」


 茜はソファにごろんと寝転ぶと、座布団をひざ掛けにして目を瞑る。


「ん〜、なんて言えばいいかな。……私、まだまだだな〜って。」


 お前がまだまだだったら俺たちは何なんだよ、と部長は言い返しかけたが、それをぐっと我慢して先を促す。


「先週片付けてきた、災星ポルトフュノスっていたじゃん?サイに翼生やした見た目のやつ」


「あー。星を丸ごと食べる星サイズの怪物な。それが?」


「それ、【焦掌握(コゲパンチ)】5発で沈んだんだけどさ。そいつの体表に知的生命体が住んでたらしくて、ちょっと星間戦争に発展しちゃったんだよね。……始まってから3分で両軍制裁して話し合いに引き込んだけど」


「おぉう。まあ依頼してきたとこが銀河規模の国だったもんな、そういう話にもなるか。」


 茜の脳裏に浮かぶのは、目の前で散っていった巨大な宇宙戦闘船。


「私、ちょっとそれ見て疲れちゃって。この仕事、わざわざ世界超えて世界救っても、恨み買ったりするんだよ〜……。そりゃあ【地の主】デストルのときみたいに、ど〜ん! KO! 君が英雄だ! 飴ちゃん上げるね〜。みたいなこともあるけどさ。死者0とは行かないんだよ。ほら、部長も分かるでしょ? だから……ちょっと休憩。いいでしょ?」


 部長が思い出すのは、一昨年の『ミュトロガルド』。《レベル1》の世界など簡単に救えると高を括っていた、その余裕が招いた悲劇。

 寝ぼけたような声で茜は弱音を吐いた。その表情は伺えないが。なんたって寝顔である。


「うーん。」


 かつて茜に部長職を押し付けられた彼は考えた。モチベーションが下がったまま世界を救いに行かせても、それは健全な部活動ではない、と。

 そう、あくまでこれは部活なのだ。幸い、彼自身や日頃の他の部員たちの活躍もあり、緊急の依頼は片付いている。


「そうだな。じゃあお前、闘えば戦わなくていいぜ」


 部長は、日下茜に、闘い(バカンス)を提案した。




 ◇ ◇ ◇




 地球は、《レベル3》である。

 茜は、これまでの経験からそう分類していた。


 《レベル1》の世界は、世界の形が箱型なことが多い。神たちが干渉()()()()()()()世界群だ。

 宇宙が無い世界であり、神がちょっと触れるだけでビッグバンが起こる世界をここに分類している。ここにいる生物、知的生命体たちはみな物理的に弱い。地球産の赤ちゃんですら、《レベル1》の世界の最強の存在と互角に戦えると思う。

 そして、たいてい《レベル1》の世界は平穏だ。だからこそ、外の世界から来た異分子が世界ごと支配したりして、こういう案件が私たち世界救済部にもちょくちょく来る。

 こういう世界は、魔術が発達した《レベル4か5》の世界群が作った世界だったり、異世界の扉や鏡に繋がっていたりと何かと特殊だ。だからこそ、神が作った世界より脆いのだと茜は認識している。


 《レベル2》の世界はどれもこれも、ほぼ人の思い描く地獄そのものだ。神たちの干渉は無いといっていい。神にとってこの世界を見ることは、ゴミ箱の中を覗くようなことらしい。

 存在する命、魂、霊などの大抵が神に《レベル2》の強さになるよう枷をかけられ放置されている。そして、ここにいるありとあらゆる存在が、自分以外の存在と殺し合っている。この世界にいる存在は全て、前世の罰としてここに入れられたものたちだから、みな殺意や恨み辛みがすごい。

 偶に前世で悪逆の限りを尽くしすぎて神たちでも管理しきれてない存在がいたりして、それは《レベル3》どころか《レベル5》の領域に足を踏み入れていたりする。


 《レベル3》の世界も、神の干渉がほぼ無い。神が生み出したわけではなく、神たちにとってはなんか生まれてた世界だ。

 この『なんか生まれてた』という成り立ちから分かるように、世界の境界があやふやであり、実は世界間を渡りやすい。

 いわば、駅だ。私も、他の世界に行くときは必ず《レベル3》の地球からだし、世界救済の依頼を連続でこなすため幾つも世界を渡る時も、必ず《レベル3》の地球を介して移動するようにしている。

 この世界群はどれも、ビッグバンを発端としてできた世界だ。つまり地球と似て正しい物理法則が存在している。最も健全な世界の形を取っていると言えるだろう。


 《レベル4》は、神が生み出し運営している世界だ。

 神は、何をしてもいい。既存の世界を壊しに行く神もいれば、陶芸感覚で世界を纏めたりする神もいて、後者のように明確に神の手が加わっているのは《レベル4》、としている。

 シミュレーションゲームよろしく神の性格が出やすく、地獄より地獄な世界もあればクオリティーオブライフが上振れ極まってる天国もある。

 そして、ここに存在するものはいわば神の子なのだ。よってどいつもこいつも、《レベル3》の平均と比べると抜けて強い。


 《レベル5》。これは神が死んだことにより神力が溢れた世界だ。

 そして、神ではない存在が神に届きうるポテンシャルを持っている世界でもある。

 《レベル4》の世界の住人と、《レベル6》にあたる神たちの力量差は、覆らないほどではない。《レベル4》界で最強の存在が全力で武装してパーティを組めば、神の1人討つくらい出来る。

 他にも成り立ちはあるだろうが、《レベル5》の世界に共通するのは、その世界の中で神が死んだ、ということだ。

 すると、世界には神の持っていた力が行き渡り、満ちあふれる。その結果、《レベル4》より桁外れに強いが流石に《レベル6》の神には届かない、という塩梅の世界が出来上がる。

 神たちもこの世界群にはちょっと怯えているらしいが、このレベルになると単身で世界崩壊など起こせないためむしろ極力触れない、が神たちのスタンダードだ。

……好戦的な神はあえてちょっかい掛けに行ったり、こういう世界で大会を開いたりしているらしいが。




 そんなことを考えながら、日下茜は今から、全世界―――『世界の全て』の事ではなく、本当の意味での『全ての世界』だ―――唯一の《()()()()》の世界に行くこととなった。


 はて、《レベル7》とは? と、部長から見せられた依頼を見た日下茜もそう思った。


 部長は、『説明しよう!』とわざわざ【案内】を使ってどこからかメガネを引っ張り出し語ってくれた。


『茜に行ってもらうあの世界は、神が何人も集まり作り上げた世界なんだそうだ。正式オープンは明後日から。

 なんでも、一部の神たちは下々を見守るだけでは飽きたらしく、自分たちでストーリー性のある人生……神生を送りたくなったらしい。

 それでジムのような世界を創ろうと考え、ウン千京年、いやそれ以上掛かったらしいが、最終的にはどんな神でもひいこら言うレベルの……なんだ、魔物って言ったらいいのか、クリーチャーが跋扈する塔を中心とした箱型世界を作ったらしい。お前が神の御剣をもし使ったとしても苦戦する、そんなレベルに仕上がってるんだと。』


『その世界には神力が溢れすぎてて、《レベル5》以下の世界から《レベル7》に【世界移動】したら余波で世界が潰れるらしい。

 あと、《レベル7》の世界の真ん中にある塔とか周りの都市は神たちにとっても相当なオーパーツの塊らしくてな。

 塔内には神力を利用した自動神器製造機やら、世界の中で死んでも塔の入り口で蘇生されるシステムやら、塔の攻略を中断、再開できるテレポート魔法陣やら、現存する神たちには原理も理解できてない凄い物が溢れてるらしい。』


 そんな説明を聞いた茜は。


「そんな危険物みたいな世界の話を、なんで部長が知ってるの?」


「いや、普通にナミャニュマエル様から聞いた。あ、ちなみに横でリッカも聞いてた」


「なるほど。……しっかし、余波で世界崩壊する程の神力の溜まり場に、私を突っ込ませるとは。殺す気?」


 流石にソファから起きて、部長に拳を振りかぶる。


「いやいやまさか。休みたいんだろ? 折角なら、死んでも大丈夫らしい未知の世界で遊んでこいって話。……死ぬってどういう感じか、後で聞かせろなー」


「死なないもん! 2年前から引き時には気をつけようって決めてんのっ! あとその眼鏡ぜんぜん似合ってない!」


 なんて言い合いながら、茜はまず神の世界―――《レベル6》は全世界に1つ、天上世界しかない―――『ゲナウガルド』へ踏み入れることにする。


 カッターシャツの胸ポケットに入れた、押し花がされた栞のような紙。

 これは、2年前に【案内の神】から貰った護符だ。強奪(ゆす)ったともいう。いつも通りこれに行きたい場所を念じながら、ムッ、とした。


 と、目の前の何もない空間が、縦にすっと割れる。

 そしてその亀裂が茜の足元まで届くと、それは奥に引き始める。


「【世界移動(クロシングワールド)】、またの名を【真・案内】。技名によってかっこよさが全然違うよな」


「技名がいくらかっこよくても事実、ただの扉だけどね」


 茜は、その扉に消えていく。




ぐるり、とジャイアントスイングを食らうような、ジェットコースターに乗っているような浮遊感が腹部に走る。

 視界に映るのは、海の中、カクレクマノミ―――柴犬を撫でる若草色の髪の美少女―――地中、モグラのドアップ―――バンと音を立てて扉を開き部長に走っていくと眼鏡をひったくり―――どこかの岬、カモメの群れ―――かけ直す制服姿の文学少女―――

 一瞬ごとに光景が切り替わり、瞬く間にペロペロキャンディのようにぐるーりと視界が回り―――


 そして次の瞬間、なんと女々しい室内にいたのだ。

 これには茜もびっくり―――


「こんちは〜、ナミャニュマエル様」


―――しなかった。


 部屋にはエアコンだの冷蔵庫だの、地球産の物が色々置いてある。茜と知り合った頃にはこれらは既に揃っていたので、この神はかなりコアな地球のファンなのではないか、と茜は睨んでいた。


「いい加減さ、名前もっと言いやすいように改名しないの?」


「しないのです。神にとっては改名とは、己の神力を下げかねない行為なのですよ。それに、神は人と違って健康を保っていれば噛むことなどないのです。」


 茜の目の前にいたのは幸薄そうな美少女。

 流石は神というべきか、薄紫の髪は艶々、同色の目は潤いに満ち(?)、唇も瑞々しく、嫋やかな手足はすらりとして、肌こそ白いが小型犬までならタイマンして勝てそうな健康そうな雰囲気だ(?)。なおアホ毛はない。−150点。バーストである、何が?


「あ~。出会ってすぐの頃のナミャニュマエル様が滑舌怪しかったのはあれか、地球の食べ物食べすぎて不健康だったからか〜」


「むっ。あれは黒歴史なのですっ。神になって幾星霜、一度も太ることはなかったのですが、あのときは流石に太りかけたのです」


 茜はかつてのナミャニュマエ(略)の姿を思い出す。

 かつて彼女はクッキーに目を輝かせ、パフェを頬張り、茜の誕生日ケーキをつまみ食いし、暴食していた。うん、あれは太る。


「え、え〜と、今朝は、牢獄でずっと手続きしてたもんだから朝ごはん食べてないや。……そういや、なんで神様ってご飯いらないんだっけ?」


 これ以上つつくと辛いので、茜は話を逸らした。体重関連の話は巡り巡って自分にも効くのだ。ブーメランというやつである。


「神は神力により成り立っているのです。神力が現状より増えると元気になり、減ると虚弱になるのですよ」


「元気の対義語は病気と病弱だよ」


「あうっ。……つ、続けます。

 神は、下位世界や自らが管轄している世界から尊敬、信仰、畏怖、恐怖されると神力を得られます。それが実質ご飯となり、転じて神力が沢山ある神様は皆さんとてもお強いです。下位世界では神力のことを魔力と呼んだりもするそうですね」


 ナミャニュ(略)は、ぺかーと指先に光の玉を灯した。

 しれっとやっているが、これは《レベル4》以上の世界で鍛錬した存在にしか使えない魔術だ。


「なるほど、ははぁ~」


「わ、はわわぁ〜」


 あかねは ナミャ(略)を そんけいした!


 するとナ(略)はキラキラとした神々しい光に包まれながら、少し嬉しそうにでれでれとし始め、むにむにと指遊びを始めた。照れているらしい。


「……ちゃ、茶番は置いといてです。今日のようなよく晴れた日には冒険がうまくいくものですが、茜さんは何をしにここへ?」


「あ~、明後日に《レベル7》の世界が公開されるらしいじゃん。それに行ってみようかな〜って思って―――るっ!!??」


 茜が《レベル7》と口に出した瞬間、ナミャニュマエルはかっと目を見開いて驚き、言い切る前に後ろからタックルみたく鋭く抱きついた。


「《レベル7》! わわぁ、茜さん死んじゃいますぅ! そのまま行ったら死んじゃいますよ! お、落ちつ、落ち着いてですよ、落ち着いて、行くとしても、先に十分に準備を整えるのです。」


 かと思えば、えぇと塔のデータは……などと言いながら座布団に足を引っ掛けて転び、横にあったベッドの角に頭をぶつけて涙目になる彼女。

 慌ただしいその姿は、甘やかし、守ってあげたくなるくらい愛らしい。


「あ~、確かに部長は言ってたっけ、死んでも生き返れる、って。そんなにとんでもないとこなの?」


 残像が見えそうなほどに彼女は首を縦に振る。ヘッドバンギングもかくや、といった鬼気迫る首振り。世界獲れるよ。


「もちろんです! 実は、『プルスガルドの塔』は100年ほど前にも一度公開されていて、最初の1週間で300万ほどの神が参加して、全員が死んで帰ってきてます。かくいう私もその1神(ひとはしら)です。

 その後も何度か公開されたらしいんですが、結局【鍛冶の神】テレシア様に打ってもらった武器―――神器じゃないとまともに進めないという結論が出たのですよ。

 あげく時間圧縮の結界が世界にまるごと付与されることに決まったりしたのですけど、今もその難易度は据え置きだと思うのです。」


 う~ん。神が全員一度返り討ちにあったんでしょ? 死ぬつもりなんてなかったけど―――というか今もないけど、普通にどこぞの「配管工」とか「洞窟探検家」、もっと言えば「二足歩行猫」……それくらい簡単に死ねてしまう場所なのかもしれない。

 と、そんなことを考え、茜はニヤリと笑った。


「明後日に再び門戸が開かれたのはきっと、最近ようやくテレシア様が弟子たちを、塔に通用する武器を作れるまで鍛え上げたからなのです。それくらい、とんでもない塔なのです。」


「なるほど。そかぁ〜」


 よし、と茜は何かを確かめるように手を握り、開き、再び握る。


「面白そうじゃん。1回軽く挑んでこよっかな。死ぬのはふつ~に怖いけど。痛くないといいなぁ」


 死ぬのは自分だけだし。茜は、少し陰った顔でぼんやりと笑った。


「ええっ! 今の話聞いてたんです? 死にますよぉ! 死ぬと痛いんですよ。それに死んだ後も、生き返ってからも記憶には残るんですから」


「はいはいわかったわかった」


 ぞんざいな返事を返す茜は、既にナミャニュマエルの家の玄関に向かっており。


「む~。分かりましたよ、もう知りませんからね。1回ギッタンギッタンのグチャグチャになってくればいいんですよ。」


 つーん、と突き放したようなことを口では言いつつも、ナミャニュマエルは心配そうな顔で彼女の背をじっと見つめていた。




「さてと。《レベル7》に挑むには、まずは武器かな。んで久しぶりに《レベル5》の世界に装備取りに行って〜。そうだ、霊薬とかも持ってかないと」


 ナミャニュマエル宅を出て少し。

 茜は、その通りをまっすぐ進んでいた。地球から『ゲナウガルド』に来るときはいつもこの先の広場に転移先を決めているはずなのに、ナミャニュ(略)の手により歪められてしまう。なので今ではすっかりナミャ(略)宅の周りに詳しくなってしまったのだ。


「ここかな」


 ナミャニュ宅から歩いて5分。

『テレシア武器工房』と書かれた金属製の看板は、最近交換でもされたのか日の光でぴかぴかに輝いている。


「こんにちは~」


 上部に円形のステンドグラスがあしらわれた薄い扉を開くと、中は鉄に電気を流したような独特のにおい。


 左右の棚には剣だの槍だのが飾られていて、どれもこれも流し見しただけで十分に力を感じ取ることができる。

 これが、神器―――


「人間のお客さんかい、珍しいねえ。しかもべっぴんさんじゃないか。」


 はっ、と茜は横を向き身構えた。これほど完璧に気配を消せるのなら、間違いなく上位神だ。

 カウンターの上に腰掛けていたのは、煤を被った赤銅の髪の女性。体はそれほど筋肉質ではないが、力比べをしたらきっと勝てないだろう。脚の速さも、茜も自信があるとはいえ、勝てるかどうか。

 じょ、女子力では負けないけど! むんっ! 茜は見栄を張った。


 じ、と彼女も茜を見つめてくる。


「ふうん。あんた、軟らかいねえ。私じゃあんたに一撃入れるのも難しいだろうさ。それに勘も良さそうさね。今ヨーイドンでしかけても、なるほど逃げられちまう。こりゃ一流の戦士だ。人間にもこんなのがいるとは、本当面白いもんだよ。」


 ふっ、と工房内の緊張感が霧散する。どちらともなく構えを解いて、彼女は獰猛に笑った。


「さて、合格だ。予定は埋まってるが、割り込みで直ぐに作ってあげようじゃないか。武器は何にする?」




 ◇ ◇ ◇




 2日後。


「とうちゃ〜く!」


 背後の空間は、渦巻き状に捻れている。

 今日から、《レベル6》の世界『ゲナウガルド』、神たちの住む世界の中心に位置する広場には、この世界『プルスガルド』への転移門―――転移渦? が設置されていた。


「はえ〜すっごい」


 もし、神が空を3つに分けたら、こうなるのだろう。

 空、塔、空。そうとしか言いようのないほどに、びっくりするほど大きい、そんな塔。

 それが、もはや景色となって目に飛び込んでくる。


 今日の装いは、Tシャツに短パン。だが彼女は、その上から小手やらジャケットやらを着込んで、ほんのりミリタリー色に染まっている。被っているキャップは迷彩色。日本の町中で歩いたらコスプレと思われてしまうやもしれない。

 腰には、1本の長剣。これから塔に挑む茜が、塔の中で唯一信じられる、命を繋ぐための相棒だ。


 銘を、【(すすき)】。これから幾度となく登ることになるだろう塔でも、決して折れない生命力を表した、力強い名前が込められた。


「それじゃ、行きますか」


 茜はもう、塔しか目に入らないというふうに駆け出した。


「あれは【深海の神】や【病魔の神】を地獄に落とした人間、日下茜!」


「何っ! 日下茜といえば一昨年、ズナク邪神教団を壊滅させたやつの名前じゃないか!」


「亜麻色の髪の誰かが最近【泥酔の神】をボコって自白させたって噂になってたな……」


 他の神たちの畏怖と値踏みの目線を、全く気にしないまま。




「ね~ね~そこの神様、ここが塔の入り口?」


 塔の前まで来ると、妙に肌の表面に光沢が見て取れる大人な雰囲気の女性が佇んでいる。

 彼女の微動だにしない直立姿勢は軍人のように凛々しく、ともすれば神のように完成されているようにも思える。


 彼女はくるりと振り返ると、片足を小さく下げて洗練されたカーテシーを1つ。


(いいえ)、私は神ではありません。【機械の神】様により製造された機械人形(オートマタ)、「機﨑オオワリア」です。『プルスガルド』内で死亡した場合は、私の発行した認証コードを持っていれば蘇生が可能です。認証コードを発行いたしますか?』


 茜は、彼女の名前が雑すぎて一瞬硬直するものの、すぐに立て直す。

 なるほど、これが話に聞いていた死亡保障か。


「あ、お願いしま〜す」


『それではお手を拝借。指紋を確認、生体認証中……生体認証中……登録が完了しました。認証コードを発行します。』


 ペロリ、と彼女の胸元からレシートのような紙が出てくる。


『今回の認証コードが発動し蘇生が行われた場合、もう一度蘇生するためには再度認証コードの発行が必要ですのでご注意ください』


 それを渡されるや否や、茜は気になっていたことを聞いてみる。


「あの、機﨑オオワリア……さん。癖の強いネーミングだね?」


『【機械の神】様は識別番号を厭われておりますので、子には意味のある名前をお与えになるのです。……癖が強いのは否定いたしません。なお、私の直前に生まれた子の名前はオオワラワでした』


 今の今まで瞬き1つしなかった彼女は、儚げに伏せた目をぱちぱちと瞬かせ、涙をこらえるふりをしてのける。自分の見せ方を分かっている女優のような、感情を波立たせてくる演技だった。


「……もしかしてちょっと引きずってる? 大わらわとかいう名前にちょっと嫉妬してたりする?」


『これ以上の会話に意味はないと認識。話題を逸らします。いい空ですね。こういう日には冒険がうまくいくと、【機械の神】様は仰っておりました』


 オオワリアはピューピューと、2000年代に流行した西洋の5分アニメの劇中BGMを器用に吹いている。

 豪快な話題の逸らし方だな〜と思いつつ、茜は頬を掻く。


「貴女なりの応援、なのかな? ありがと~。私頑張るね。」


『いってらっしゃいませ。なお、私は『プルスガルドの塔』の情報収集のためにここに配属されました。塔内で特殊な状況が発生した場合は、ご報告いただけると幸いです。塔の内部の体験のご報告も、どんな些細な情報でも随時受け付けております。また、塔入り口横の「機械神印のデータバンク」にて、これまでに集積した階ごとの魔物の出現情報、目撃情報をご確認いただけます。』


「分かった、なんかあったら報告しに来るから。じゃ、お仕事頑張ってね~」


(はい)


 屈伸、伸脚、【芒】の素振り。

 昨日の早寝がうまいこと噛み合ったらしく、今日の茜は調子が良さそうだ。

 茜は、日向ぼっこする猫のような笑みを浮かべて深呼吸。


 息を吐ききったあと、そこに立っているのは、紛れもない英雄だ。


「いざ」


―――参る。


「……あり?オオワリアちゃん、入り口閉まってるよ?」


『そういうシステムです』


 ありゃ。目をバッテンにさせた茜は、なんだか締まらないな~と首を傾げた。




 【案内】とはまた違うシステムで転移した塔内、その第1階層は、森だ。


 地面は固い土に雑草が生え、木には苔が茂っている大森林であり、付近には魔物の気配はない。


「塔の中なのに、端っこの壁が見えないや。どうなってるんだろ」


 亜麻色の髪を一括りにし、迷彩色のキャップの後ろ穴に通したスポーティな茜は、依然いつでも抜剣できる姿勢のまま森を歩く。


 マッピングはしない。どうせ戦闘が始まったらどの方向にどれだけ進んだとか分からなくなるだろう、という確信があったからだ。


 ふと、ぱきりと音が鳴る。

 茜の立てた音ではない。ひゅう、と音を幻覚するほどにガラリと、あたりの空気が張り詰める。


「お、第一エンカウントは蛇だね。こりゃおっきい」


 茜が振り返ると同時に、蛇は、頭を擡げていた。


 自然界において、いちいち号砲は、鳴らない。しかしきっと、これが正式な試合だったとして―――音が、遅れた。


「ふっ」


 打撃でありながら、鎌よりも鋭い尾の一撃。茜も視界から外していなかったそれは、パラパラ漫画のコマを幾つも抜いたような速さで振り抜かれている。


 抜剣は、間に合っていた。

 あとは、相手の力を活かし、技によって剛を制す。《レベル3》世界でも小柄な彼女にとって、大型の相手は慣れっこだ。


―――神器、【芒】が閃いた。


 尾は、斬れなかった。


「わっ」


 振り戻しの一撃。莫大な遠心力のかかったそれを、蛇の柔軟な身体はスナップ1つで反転、振り下ろした。

 物理的に無駄の多い一撃、しかしこの蛇の筋量ならそれも十分に、致命の―――


 雑草が、落ち葉が、三角くじのように舞う。

 どこぞの神話に出てくる海割りの英雄が、もし地上でその御業を振るっても、こうはいかないだろう。それはまさに神の鉄槌に近かった。


「へ〜、災星くんよりは弱いじゃん。」


―――否。その程度で、【芒】は止まらない。


「でも、悪くないよ。続き、やろっか」


 蛇の尾は、2撃で裁断された。

 宙にうねるしなやかな尾、それも常人の目に追えない攻撃を掻い潜りながらそれに刃を通すのが、いかに難しいことかは想像に難くない。


 だが、そんな神業で以てして、それが何だと。そう、蛇が嗤った気がした。


 再び、尾が断ち切られる。


 茜はそれを視認していた。

 切ったそばから、間欠泉のように吹き出てくる何かがぐじゃりと言う音とともに固まり、再三尾が出来上がる、その光景を。


「はっは〜、ちょっとそれずるいかな〜?」


 蛇は、それを理解していなかった。

 己の尾が、2撃、2撃、遂には1撃で断ち切られる、その原理を。


 茜は、尾を断ち切ると同時に駆け出す。

 その一歩は茜の攻勢が始まった現れであり、であれば蛇もそれを察知する。


 背中側から尾による追撃、前からは丸太よりも太い蛇の縄。頭上には頭の影が乗っかっている。


「借りるよ」


 振り向かずして、槍よりもなお鋭い尾の追撃を半身で躱す。余波として吹き荒れた暴風は茜の細い身体を木の葉のように舞い上げんと迫ったが、それでも茜は微動だにしなかった。


「美香の物量と比べちゃうのは、ちょっと可哀想かな?」


 茜に、丸太よりもずっと太い大縄がぶつかる直前、茜はそれに抱き着くようにして飛びかかり、跳躍。

 傍から見れば、それはギャグ漫画によくいる、空に星と消えていく悪役のように見えただろう。


 茜はくるりと宙返り、十分に構えを深く溜めて、蛇を見た。


「うん、ま〜楽しかったよ」


 太陽の陰になりその笑顔は蛇にはよく見えなかっただろう。しかしその笑顔は確かに、蛇の強さを称えるものだった。


―――神器、【芒】が閃いた。


 蛇の首筋には切れ目がついて、そこから下にかけても輪切りになるように幾つも剣閃の跡が刻まれていた。


 そのすべての切れ目が、どれからともなく分かれていく。その1分にも満たない戦いの果てに、蛇はとうとう再生できない傷というものを体感した。


 凄惨な現場が、辺り一面に広がっている。そんな中で、彼女の亜麻色の髪は揺れる。

 その立ち姿は一見、いたって普通の女子高生で。一切血に濡れていない彼女は、今すぐ【世界移動(クロシングワールド)】で日本に降り立っても溶け込めてしまうだろう。


「この剣も凄いね~、あれだけ鱗を斬って刃こぼれ1つないんだもん」


 さて。足元は、蛇の血で濡れそぼっていた。茜はこの塔では何が起きてもおかしくないと思っていたので、最初の邂逅以外では蛇の視界の焦点に立たないようにしていたし、その血も身に浴びていない。


 周囲には、ひび割れた蛇鱗の残骸と、如何にもといった感じの凶悪な蛇の頭。鶏冠はない。視界の焦点に立っても大丈夫だったかこりゃ。


 そして遠くの茂みの向こうには、いつの間にかこちらを見ている―――ゴブリン?


「君も、そう思わない?」


 納剣は、まだまだ後になるだろう。


 血臭ただよう風が吹いた。

 茜の本能が、空気が、身体が闘争を求めていた。……ん?


 はて、あれは《レベル4》の世界でも引っ張りだこの魔物、ゴブリンではないか。何故か群青色の鎧を身に纏い、円盾を腕に通し、兜を被っているが。そんな装備で大丈夫ですか?……ん?


 しかしその見た目からはかけ離れた武を、茜は察していた。その佇まい、一振りの魔剣の如し。

 そう思っていると、ゴブリンは円盾を構えた。その佇まい、風化にも負けぬ大岩の如し。ついさっきと思ってること違うぞ、大丈夫か?


「第2ラウンドだね〜、ゴブリンくん。来なよ、私がこれまで何体ゴブリンを斬ってきたか教えてあげようか? これがまさかの0―――」


 ド、と地面が微かに鳴動する。体移動が完璧なら音は鳴らないはずだ、所詮はゴブリンか。


 否。ここに居るのは、《レベル7》のゴブリン。そこいらの知的生命体よりよほど知恵の回る、紛れもない強者である。


「ぐ―――っ」


 シールドバッシュ。側面に素早く回り込まなければ痛撃を免れないそれが、ゴブリンの小躯から繰り出される。


 茜はそれを避けられなかった。右手側に、弓手のゴブリン。矢が放たれるまで気づかなかった。


矢が茜の眼前を素通りし、地面に刺さると同時、正面から群青の物体が衝突、着弾する。


 膝と後ろへの跳躍を間に合わせ、身体を流し負担を軽減しはしたものの、面白いほどに地面を転がされる。


「あ~あ~折角今日朝風呂浴びてきたのに、結局泥塗れになるんだもんな。今日はヘアケア大変だ〜。やんなっちゃう」


 そう、茜は久々に戦いを楽しんでいた。自分の一時の命が懸かってはいるものの、それだけだ。するとどうだろう、背中に感じていたあれ程の重りが、今では嘘のようではないか。


 気づけば、頭上に螺旋を描いた巨岩。

 弓使いに気づいた時点で何となく察していたが、また別の―――


 巨岩は、宙空で爆散する。

 茜は剣を右手にぶら下げて、左手の握り拳を天に振り抜いていた。

 茜を取り巻く空気は一転、ゆらりと熱気がたちのぼり、ゴブリンたちはそれに当てられるように気色ばむ。


 背後には、腰蓑を巻いた斧持ちのゴブリン。都合4体の《レベル7》ゴブリンに囲まれた茜は、とっくにギアを上げていた。


 その場で高跳びのような跳躍を繰り出した茜は、反転した視界の中で、横薙ぎに斧を振るう彼の首を剣の持ち手で打ち据える。


 くるりと上下反転、元に戻る視界。着地と同時、鎧ゴブリンの盾を鞭のような足払いと手癖の悪さの連携で跳ね上げ、踊るように剣を振る。


 ゴブリンたちは確かに見た、彼女の剣が空中で火花を散らしたところを。


 するといつの間にか、斧と盾は持ち主を亡くし、地面にこぼれ落ちた。彼らの首には、深々と茜の剣戟の痕跡が刻まれている。


「しっかしこれ酷いな〜。ゴブリンくんさ、エロゲ並みに強いじゃんか。この分だとオークは手に負えないかもね」


―――ま、こいつらは別に、どうとでもなるんだけど。


 神器、【芒】が閃いた。




 ◇ ◇ ◇




 雫が垂れる音は、なんとも間抜けで心安らぐ。


 それが例えば、明るい自室のベッドに寝転んで漫画を読んでいるときのことであったなら、大抵みな首肯を返すだろう。


 しかし。


「デ、【て゛イ酔】」


「んぅ!? 誰だあぁ~へぇ~」


 その雫が、真っ赤に濡れたアイスピックから垂れた血で。場所は牢獄。時刻は昼なのにもかかわらず一切の光が届かない、薄暗い石造りの地下だったとしたらどうだろうか。


「アァ……痛イタィタイ―――。ァァアカ゛ネェェエ」


 それは紅顔の殺人鬼。復讐に拘泥する、泥酔した怪人が、神の世界の牢獄を抉じ開けた。




 ◇ ◇ ◇




「……犯人は、佐藤一郎。間違いない。」


 一方、その頃。部長は、読書片手に魔術を蒔き散らす眼鏡の文学少女の横で、必死に護衛を務めていた。


「なあ、眼鏡盗んだだけでここまで扱き使われるのおかしくねえ!? 俺今日、そんなに戦闘の心持ちじゃなかったんだけど!」


「……常在戦場。茜が言ってた」


 部長は激怒した。かの邪智暴虐(四字熟語)の邪智暴虐(比喩)を、除く……のは、無理だな???

 迫りくる、八手の怪物―――邪霊というらしい―――の波を、部長は右手に剣、左手に重厚な盾を構え、剛力をもって軍に穴空きを作り出す。

 まさに四面楚歌。既に周囲には敵しかいない。文学少女の500km後方には、味方がずらりと隊列を構えているようだが。


「……西、200km。すばしっこい。……多分あれが本隊」


「ん? それがどした」


 口数の少ないこの少女は、相変わらず手元の本から目を離さない。まるで、この程度の相手ならそれで十分と言わんばかりに。


「……行ってきて」


「え? 美香(みか)はどうすんだよ」


「……【散・一式】を撃つ」


 ようやく本から目を逸らした本の虫は、今度は瞬きと見紛うほど一瞬目を瞑った。その6秒後、普通に瞬きをした。少しドライアイなこの頃である。


「……ちなみにそれ、あと何秒後で?」


「……5秒」


「退避っ! 退避ーっ!」


 部長は足を、残像でぐるぐるうずまきに見える程に必死に動かした。これでも茜の機動力には程遠いのだから、笑えてくる。


 そして、5秒後に起きる惨状。これは引く。一周まわって笑えてくる。不謹慎だぞ。


 第三者視点(味方軍)からしてみれば、その光景は夜明けに思えただろう。

 波紋が広がるように、静かに、それでいて腹の底から湧き出てくる恐怖は止まないまま、邪霊創造機構(スポーナー)ごと―――これは部長の仕業―――万に届きそうだった敵軍が一網打尽になっていく。


「……ん。部長もいい仕事」


 待鳥美香は、少しだけ頬を緩めたあと、すんっと本を読み始めた。


「……佐藤一郎(スパイA)、思ったより動機が重かった」




 ◇ ◇ ◇




 その日の黄昏時になって、「世界救済部」のうち3人が集まった。

 『プルスガルドの塔』は、《レベル7》にふさわしい難度を誇る。それは、【武術の神】が再び放浪のたびに出て、【技術の神】が山籠りを始めるほどに凄まじいものだった。

 もちろん、茜もその塔の難度に苦戦した末に、取り敢えず第1階層を攻略し終えたところで中断の転移陣を踏むことに決めた。

 今や茜は、ゴブリンに上着ごとTシャツの裾を割かれたり、腕の怪我の包帯代わりに服の一部を斬ったりしたため、へそ出しの格好になっている。

 ちなみに、塔の中で死んで帰ってきた場合、神が作った服()再生されることを知った茜は、恐怖にうち震えた。死ねない。茜は戦場で家族を想う兵士のように、劇画調になりながらそう思った。


「ただいま~。あ、美香。敵の数すごい多いって聞いてたけど、終わったんだ?」


 部長が机に突っ伏している。茜の格好がちょっと目に毒だったのだろう、暫くは席を立てないデバフを負った。


「……ぶい。でも、ちょっとだけ、部長が手伝ってくれた。」


「へぇ~。部長がいれば、美香ちゃんは安心して色々ぶっぱ出来るもんね?」


 ちら、と茜は部長に流し目を向けた。机の上には団扇が充填されている。エイトトゥエルブの広告が貼ってあった。


「今日は【散・一式】を撃った。……まんぞく」


 美香の読んでいる本のタイトルは、「鯉登りの館殺人事件」だった。タイトルは普通なものの裏表紙に書かれているあらすじが余りにもぶっ飛んでいたので、茜は目を疑った。佑藤太郎(スパイ01)って明らかに犯人じゃん。


「……茜は? 私、今すごい捗ってる。同人誌宛てに写真送り付けたい」


 ソファに座りながらちらちらと茜を見てくる美香は、回復魔術を茜にかけている。身体の節々についたかすり傷、切り傷、内出血の痣が次々に癒えていくさまからは、《レベル5》で積んだ努力の数々をひしひしと感じさせる。ちらちらと見てくるのは魔術をかける為だと思いたい。


「や~、エロゲゴブリンが強くて強くて。麻痺毒食らって囲まれたときはほんと焦ったよ」


「エロゲゴブリンに麻痺毒とな? ……ごくり」


 美香はいよいよ、本ではなく茜を凝視し始めた。彼女は努めて表情を全く平時から変えないまま、こっそり生唾を飲んだ。


「お? エロゲゴブリンに興味あり? 一緒に塔潜っちゃう?」


「……ん〜、眺めるのはよき。でも実機プレイはちょっと……。そんなお年頃」


「お前らな、黙って聞いてれば……エロゲゴブリン連呼するなよ! これ以上その話続けるようなら俺出てくからな!?」


「はいは~い。あ、そだ、着替えるから部長出てって〜」


「……部長、女の子の話は弾むものなのよ」


「追い出された……それと美香は誰だよ」


 愚痴を言いながら、瞑想して立ち上がる部長。ちゃんと出て言ってくれて、かつ盗撮とか扉越しに盗聴とかしようとしないあたり、彼は部長の器である。



 ◇ ◇ ◇



 エロゲゴブリン談義がしばし室内で行われている間に、部長は昏日待(こいくら)高校の廊下をぶらつく。


 グラウンドでは、地球で最も人気なスポーツのうちの1つ、サッカーが行われていた。

 この高校のサッカー部は、県内ではかなりの強豪だ。

 それを示すように、ボールを持った男子は、右足と左足で卓球をしているかのようなドリブルで相手選手を1人置き去りにする。

 それに呼応するように両チームとも白熱していくが、繋がったパスがとうとう、横合いから走ってきた相手選手を躱して真ん中に上がる。

 荒いが、十分なセンタリング、相手陣を切り込むように上がってきた10番がヘディングで競り合い―――倒れた。

 

「は?」


 部長も、ぐらりと倒れ込む。

 目が回る。ふらふらする、とかいう次元じゃない。立てない、意識が白く霞む。


「ここか゛、チ、ヂキュウ。地キュヴ、地球―――」


「は、はは。地球に何の用だ?―――【泥酔の神】」


 それでも、茜とともに過ごしてきた日々に賭けて、ここは倒れていられない。


「ァァァアカネ゛ぇえ―――」


「っ。茜目当てか、そうかそうか……じゃあ尚更、ちょっと付き合ってもらうぜ?」


 部長は、無様でも立ち上がる。




 ◇ ◇ ◇




「じゃあ(こう)、掃除当番よろしくぅ! 俺塾あっから!」


「ごめんね日野くん、私も委員会で……」


「おう、任せろ」


 日野は、しっかり者だな。

 お前、応援団とか向いてるよ。


 そういう言葉を、何度も言われてきた。素直に嬉しかった。

 そして、これからもそう言われるような、立派な俺でいようと、勉強も部活も頑張った。


 小学5年から始めたサッカーは、高校1年になっても続けていた。


 中学では、かなりやれる方だと思っていた。市選抜にはよく選ばれたし、たまに県選抜に選ばれることもあった。


 俺はサッカーを5年ほど続けてきて、自分に才能がないことには気づいていた。

 俺は、努力の差でなんとか、県内の猛者たちの後ろにつけていただけの、凡人だった。


 高校に上がってすぐの頃のある黄昏時。

 同級生の、サッカー部でもなく帰宅部だという少女が飛び入りで試合に参加してきて、簡単に俺からボールを奪っていった。

 そいつは3本シュートを決めると友達に呼ばれ、颯爽と去っていった。嵐のような少女だった。

 その試合も影響し、俺は同じ学校のポジション争いにも負けた。


 幸い俺は色んなポジションの基礎がばっちり、という器用貧乏だった。凡人が天才に追いすがろうと思ったら、思考から追う必要があると思って、色んなポジションの動き、考えを覚えていたからだ。

 だから結局、補欠のゴールキーパーに落ち着いた。


 それから、俺はキーパーの練習に打ち込んだ。最初こそガタガタだったが、1週間ほどで、足を引っ張ることはなくなった。

 ある日の黄昏時、俺は河川敷にあるゴールで、友達とPKをやっていた。友達がもう帰ろうぜ、と言い出してもあと10本、と図々しく頼み込んだ。


「……いいや、俺もう帰っから。お前だりぃんだよ」


 これで、3人目。みんな最初の2日くらいは付き合ってくれたが、直ぐにこうして愛想を尽かして去っていく。


「じゃあな。練習なら、あそこの女子とかにでも呼んで蹴ってもらえばいいじゃん。あの茶髪の。」


―――へ? 私?


 そいつは、すごく耳が良かった。友達が指差しながら喋った声を、そんなに声量も大きくもなかったのに聞きつけてすぐさま飛んで来た。


「お前、ハットトリックの……」


 そいつは夕焼けで赤茶に見える髪を一括りにした、活発な女子高生だった。制服で分かる、同級生だ。

 何やかやあって友達は去っていき、そいつは俺に向き合った。


「で? なに〜?」


 少し照れくさそうに頭を掻きながら、少女は落ちていたサッカーボールをリフティングしだした。


 基礎も何もない、ただ感覚で続けるリフティング。

 他の技のためにこんな練習をすることもあるだろうが、それとも違う、ただ落とさない為のリフティング。変な所に飛んでいっても反射神経のゴリ押しで合わせ、そもそもボールを触る場所もぶれぶれ。

 でも、落ちない。


 天才だ、とぼんやりそれを眺めた。

 あのときの俺は、いつの間にか、それが口からこぼれ出た。


「俺の……」


「ん〜?」


 彼女の表情に少し怯む。俺が言いたいのは、そういうことじゃなくて……という申し訳無さと、言い始めたんだから言い切らないと、という義務感が1on1でせめぎ合う。

 何だこいつニマニマしやがって。


「俺、の練習、に付き合ってください!!」


 ガーン、といった様子で、彼女はボールを落とした。テンテンテン、とサッカーボールは転がり、俺の足元で止まった。




 そいつは、凄まじかった。


 だが、1、2割くらいは止められた。体感だが。


「ん〜! もっぽん! 5連続で決めるまで私、帰らないから!」


 同級生の彼女は、結構練習に付き合ってくれた。その日からずっと、俺は彼女と一緒に河川敷に向かい、毎日そこで日が暮れるまでPKやセーブの練習を続けた。


「ね~、そろそろ帰ろ? お茶、切れちゃった。」


「そう、だな。今日も付き合って貰っちゃって、ごめんな。」


「ん〜ん。だって私、蹴るだけだし。」


「だったらお前、俺も止めるだけじゃんかよ。」


「違うよ?」


 彼女は、夕方を背ににこりと笑った。


「君、私がどっから蹴るかとか、立ち位置とか、色々考えてるじゃんか。なんかノートも使って練習してるしさ。」


 あれ、ノート書いてるのバレてた? と尋ねると、うん。と返ってくる。なぜだ。


「私は言われたまま蹴るだけだから、そういうのはよく分かんないけどさ。それだけ努力できるのって、私、すごいと思うよ。」


 努力した。しっかり者だと言われた。

 努力した。応援団に向いてると言われた……なぜに。

 努力した。サッカーに向いてないと分かった。


 努力した。ポジション争いに負けた―――でも。

 諦めなかった。

 努力した。補欠でも、キーパーに選ばれた。

 努力した。同級生に褒められた。


 いつの間にやら、青色よりかは、夕やけ色とか茶色のほうが好きになっていた。


 努力した。正式に、キーパーに選ばれた。

 努力した。夏休みの地区予選を勝ち抜いた。




 ある日の黄昏時。


「茜、最後PK10本で。マーカー置いといたから」


「あり? 今日は早いね。いつもならもっとがっつくのに。」


「言ってただろ、明後日からIH(インハイ)だから」


「そかそか。私は見に行かないけど……う~し、そいじゃ〜洗礼を受けてけ? 8回目のパーフェクト狙うよ」


……うん。俺もキーパー上手くなったが、やつはもっと上手くなった。何度か10-0という悪夢が現実となった。


「うりゃっ」


 1−0。


「ていっ」


 3−2。良い感じだ。


「そ〜い」


 5−4。俺すげぇ、神か? 上手くなってる。


「はっ!」


「は!?」


 茜の蹴ったボールががゴールを割る……直前、物理的にゴールが割れた。

 ゲームのテクスチャ崩壊のような、現実がバグったような……混沌とした「無」が、そこに口を開いていて―――


 努力した。異世界に転移した……なぜに。




 ◇ ◇ ◇




「【案内】。よし、掛かってこいよ。茜が異変に気づくか、なんなら茜の下校まで粘りゃ、こっちの勝ちだ」


 部長―――「世界救済部の部長にして、サッカー部の名誉部長」日野(こう)は、異世界産の大盾を杖代わりに構える。


「ダ、ダレタ゛れれれ―――【泥酔】ハ効いテ゛いるハズ……ア゛ぁ~、足りナ゛イ、足゛リナイ、酔イが覚める……」


 アイスピックを構えた、ザンバラ頭の血濡れた男は、全身黒い服に所々鎖が巻き付いた奇抜な格好をしている。

 きっと最低限の拘束だけ引きちぎって逃げ出してきたのだろう。両の手首には手錠がついている。それをつなぐ鎖は、引きちぎられているが。

 そしてこの男、かなり背が高い。この身長なら、跳躍したら天井に頭をぶつけるだろう。つまり相手は、回避の択に「盾の上を飛び越す」はない―――そこまで考えて、そんなリスキーなことをするやつは茜くらいだ、と苦笑する。

 

「酔いが覚める、だ? こちとら初恋の相手のあられもない姿を見てちょっと落ち着かなかったのが一気に冷めちまったよ、責任は取ってもらうぜ?」


 鈍痛の響く頭をごまかすように横に振る。


 付近に、人の気配はない。斜め後ろ下―――1階下の教室に囲碁将棋部があるくらいだ。


 ぬらりと、血が廊下に滴り落ちる。


 その雫が垂れる音は、なんとも不気味で、身の毛のよだつものだった。


「ぉぉお゛ぇえ―――」


 軽く振り上げただけで部長の頭上に未来が定まるアイスピックが、凄まじい速度で振り下ろされる。


 部長は思った。


―――あぁ、良かった、と。


 こいつ()()()()()()()()()()


 まぁ、地球での戦闘において、基準が音速、と言うのはおかしな話だが。

 だって、音速を超えた物体は普通、頂点から円錐状の範囲に収まらなければ爆散してしまう。どこぞの大仏級の超人などモロに千々になるだろう、という話を聞いたことがある。


 なお、茜はかつて、地球で音速で動いても死ななかった。ソニックブームに耐える女、日下茜をどうぞよろしく。


 それは置いておいて、ソニックブームの次に来るのは校舎の心配だ。

 【泥酔の神】の踏み込みに奇跡的に耐えた床を称賛しつつ、このまま受けても躱しても、ど派手に床がぶっ壊れる未来しか見えない。


 茜なら、どうすんだろな。


 部長は、アイスピックを盾のど真ん中で受けながら吹き飛ぶ。ばき、と床の一部が陥没した。


「ア゛ァ……鬱陶しイ゛……あカネ、アカ、ァか゛ネカネ―――茜を、コロす……ァアア゛!【酒盛り】ぃィイ!」


「ぐっ……」


 叫びながらも、目の前の狂人の持つアイスピックは的確に部長を捉えている。


 吹き飛び、弾かれ、たまに押し返し。


 都合10の衝突。それはあまりに泥臭く、しかし盾職の手本のような受け流しの連続だった。


 11度めにして、【泥酔の神】アイルカン=マリナスダーリアは本気を出す。


―――神の御業の、更に上。神権解放―――【酒盛り】。


 さっきまでの慢性的な頭痛、吐き気、ふらつきや酩酊感とは別物。

 もはや死の苦しみに近いその効果が、部長を蝕み、盾が手から離れた。


 12度めの刺突。受け止めるのは、突き刺さったのは、部長の腹部。


 紛れもない神の握力が、そして牢獄の看守室にたまたま置いてあったアイスピックが、部長の身体に深々と突き刺さる。

 【泥酔】により前後不覚だった彼は、それまでの10度の交差が嘘だったかのように頭から後ろに倒れる。


「コ……こノ、こ゛の先、に。この先にアカ、アカネ゛ェェエ―――」


 【泥酔の神】は、弛緩した赤ら顔を嬉しそうに抑える。ベッタリと血のついたアイスピックが、頬を更に色づけた。


「―――まだ、だ」


 その声に、思わずと行った様子で【泥酔の神】も立ち止まる。


 そのふらつきは、貧血か【泥酔】の効果か。

 廊下を赤に染めたにも関わらず、まだ立ち上がる幽鬼のようなその姿に、さしもの【泥酔の神】アイルカン=マリナスダーリアも思わず気圧された。


 部長、日野(ひの)(こう)は、何度でも立ち上がる。


「ゲームセット、だ。知ってるか? 『朝虹は雨、夕虹は晴れ』って、よ。(ゆうがた)と、(にじ)で、晴れ、なんだぜ」


 口からトマトジュースを吐きながら、部長は何でもないような顔をして盾を構える。


 ああ、後ろから、仲間たちがやってくる。

 それだけで、日野虹は体がとても軽くなったような気がした。……あれ、それ死ぬ直前のやつなのでは?


 ばたり、と部長が倒れる。メディック!メディ〜ック!



 ◇ ◇ ◇



「え〜? 佑藤太郎じゃないの?」


 ミルク・オ・レをちゅ〜ちゅ〜する茜は、2年前まで旧倉庫、つまり空き部屋だった部室を出る。


「……そう。あれはスマホの着信の振動を使ったトリックでもあり、犯人役を押し付けるアリバイ工作。佐藤一郎の2日目は描写があまりされてなかったから、そこで怪しいと思わなきゃ駄目。」


 こと本の事になると饒舌になる待鳥美香は、ふっふーんと薄い胸を張って語りだした。


「美香すご〜。探偵さんみたい」


 おべっかではない、素の尊敬の言葉がかけられ、お花畑の空間が廊下に展開される。茜の情動は子供レベルで揺らぐのだ。


 そして少し歩いた先には、血みどろの空間が展開されている。


 流石はかつて異世界で生き抜いた2人。反応は即座に、行動は直後に。

 結果は一瞬で出た。


「ぶちょっ!!」


 胸に抱いていた本を投げ捨てて、美香は即座に【霊治癒(フェニクスヒール)】を発動する。

 良かったね部長。彼女の魔術は、死の淵からでも彼を舞い戻らせるほどに強力であった。


 それが邪魔されなかったのは、茜の素早いフォローのおかげだ。


「ァァァア゛ア゛ア゛茜ェェエ!! 【泥酔】!」


「煩いな〜、前の時より脳みそ腐ってない〜?」


 【泥酔の神】は、神の中では弱い部類に入る。神の御業と神権解放は途轍もなく強いが、それだけの神だ。


 触れるだけで千を越える病に蝕まれ、近づくだけで不浄の気により体調を崩しうる、三千世界の病魔を使い分ける【病魔の神】。

 多神教であれば大抵どの世界のどの神話にも、名を変え品を変えて登場し、神の御業で縦横無尽に瞬間移動し、1秒あれば世界すら越える【案内の神】。

 星を丸々1つ掌握し、神権解放で星規模の地震とともに数百m規模のゴーレムを量産できる【大地の神】。

 彼らなどに比べれば、甘い甘い。


 既に3合、アイスピックと【芒】が打ち合わさり、ポキリと音を立ててアイスピックが四散した。


「てか君、1回牢獄に突っ込んだよね? なんで出てきてんのさ。」


 腹部の傷が癒えていく部長を庇いながら、茜が前を張る。

 その剣には後悔と、怒りと、覚悟が込められている。


「茜、『ゲナウガルド』に引き込もう。これ以上校舎を壊すと倒壊する」


「部長、もうちょっと寝てなよ〜。死んだらやだよ?」


「……いや、大丈夫だ。それより誘導頼む」


 あぁ〜、心がぴょんぴょんするんじゃぁ〜。

 すでに手遅れかもな、と部長は思った。2つの意味で。


 校庭に面する窓はどれも罅割れ、床がところどころ陥没している。そして割れた蛍光灯に歪んだ教室扉……


 あぁ~へぇ~。部長は現実から目を背けた。


「りょ〜かい。んじゃ【世界移動(クロシングワールド)】っと。」


 ポケットから【案内】の護符を取り出し、一言。それだけで、ファンタジー然とした転移門が開かれる。


「……闇を照らすは灯明神。仔羊を導くは唯一神。理を破壊し、久遠を刹那に。……無貌の入り口を穿つは神の御業。其は門、其は終点。開け! 【世界移動(クロシングワールド)】!」


 美香は何を思ったか、アドリブで詠唱を紡いだ。この護符、詠唱は一言で済むよう出来ています。……もしかしたら【泥酔の神】の帯びる濃密な酒気に充てられて、酔っているのかもしれない。


「こんな時でも変わらないな、お前ら。ほんと頼もしいよ……【世界移動(クロシングワールド)】」


「でしょ〜?」


 ここで誰も【真・案内】と言わない辺り、彼女らもこっそりと横文字が好きだった。美香だけは、そのことを隠そうとすらしなかった。


 【泥酔の神】は依然、暴れている。右の拳を払い、左足で回し蹴りを放ち、両腕を組んで振り下ろす。


 茜は、それをひょいひょいと捌いていた。いつの間にか【芒】は納剣している。

 横からそっと手を触れて、拳をいなし、蹴りを躱し、腕を蹴り上げて迎え撃つ。真っ向から殴り合えば押し勝ち、夢幻と見紛うほど高度に体術を用い、柔よく剛を制す。


 そしてとうとう突き出された右拳をするりと掴むと足払いをかける。彼女の身体がくるりと翻ると、【泥酔の神】は宙を舞い、勢いよく地面に背中から落下した。


 その先には【案内】の門。いってらっしゃい、とばかりに茜は床に転がる【泥酔の神】を蹴り飛ばした。

 部長と練習した成果の出ている、力の乗った蹴りだった。


「そいや〜」


 ◇ ◇ ◇


 転移した先は、『ゲナウガルド』の中央広場。


 まろび出るように現れた、異質な外見の【泥酔の神】アイルカン=マリナスダーリアは獣のような4足姿勢で、『プルスガルド』のワープホールと噴水を盾にするような位置取りまで縺れた足で逃げる。


 それを追うように現れたのは、3人の少年少女。

 すなわち、血濡れたぼろぼろのカッターシャツを纏い、使い古された盾を掲げる部長、日野(こう)と。

 黒髪眼鏡女子高生、本の虫。地球から転移した先、《レベル5》の世界で世界最強の魔術師に至った少女、待鳥美香と。

 そして、今まで単独で数多の神を屠り、そして今、神を除く全世界の知的生命体の中で最強を誇る少女、日下茜である。なお、本人はそんなことはまだ知らない。


 それぞれが瞬く間に装備を整え、改めて臨戦態勢を取った。


「ァァァ痛イぃい゛―――」


―――そして、そこに追加でもう1人。


「あれあれぇ。折角脱獄に協力してあげたのにぃ、【泥酔の神】( アイル )くんってばボロ雑巾になっちゃってるのねぇ。もうぅ、ズナク邪神教団もいよいよ後が無くなってきちゃったわぁ」


 その神は、陰惨に笑った。


 広場奥の建物、その屋根の上に姿を見せたのは、黒い服に身を包んだ女神。胸元には茜が今まで何度も見つけては壊滅させてきた、敵対組織のエンブレム。


「ズナク邪神教団の幹部が1神、【割裂の神】ミケス=シャルペジアぁ。どぅぞよろしくぅ。」


「お前……っ!」


「あらぁ? あぁ、久々だわぁ、コウくんとアカネちゃぁん?」


 その手には、漆黒の大斧。柄だけで杖ほどの長さを誇る、明らかに彼女に見合わない武器。

 だが、それを軽視しないくらいには、かの神との戦闘はほぼ初見である美香も神との戦闘経験を積んでいる。


 新手の神の口が、不気味に()けたように見えた。

 三日月の口もとが、ニタリと弧を描く。


「またぁ、ワタシと遊んでくれるのねぇ?」


 それは、見る人を震わせる悍ましさをたっぷりと含んでいた。




 ◇ ◇ ◇




 2年前の冬。


「1件、依頼追加だ。《レベル1》の世界のだから、俺か美香が出れば十分だと思うが、どうする?」


 肉まんを頬張りながら喋る部長は、最近サッカー部を辞めたばかり。ちょっとルールじゃ追いつかないフィジカルになっちゃったからな、と苦笑していたのは更に2ヶ月前のこと。


 それはさておき、本日は冬休み初日。というか午前中は終業式だった。


 さて、先週土日に引き続き、今から再び世界救済部の活動が始まる。なお、茜にとっては部活動とは建前であり、もはや短めの旅行をする気分でいた。

 と、そんなミーティングの直前になって、『ミュトロガルド』なる《レベル1》の世界に異分子が入り込んだ、と一報が入ったのだ。


 これは、すでに救う世界の分担がおおよそ決まっている3人にとってちょっと面倒な話だった。

 なにせ、《レベル1》の世界は迅速に救わなければ手遅れになる。なにせ、中に住んでいる命はとてつもなく儚いので、1週間も放っておけば外敵が世界の内部を一掃してしまい、簡単に滅びてしまうのだ。


「ん〜、私は1時間後に【深海の神】戦が確定してるから、ちょっと他には手は回らないかも。ちゃちゃっと片付けて返ってくるつもりだけど、久々に神相手だからね〜。神の御剣も使っちゃうつもりだし」


 まずパスしたのは茜。何やらまたとんでもない強敵にかち合っているようである。強者は惹かれ合うというが、なんとも過酷な日常を送っておいでなのだ、この少女は。


「……【深海の神】とな……強そう。私も要る?」


「ん〜にゃ。やばかったら【ガイドドアー】で逃げればいいし。多分あれ、海水から出られないっぽいんだよね」


 すっと栞を取り出す茜は、美香の顔を見てびくぅっと跳ねる。彼女の眼鏡越しのジト目は鬼気迫るものがあった。我々の業界ではご褒美です、あんた誰?


「……それは【世界移動(クロシングワールド)】。多数決で、そう、決まった」


「そ、そか。分かったから、美香ちゃん、圧が凄い〜」


 世界救済部は、世界を救うにあたってそれほど気負わない。

 そもそも世界救済部に来る依頼は、「世界の危機に陥った世界を救ってほしい」というものだ。内乱だの社会問題だのには一切干渉しない。

 よって、ゆる〜く当たって一発で世界を救済してしまう。そんな実力者集団なのだ。


 今もソファの上でじゃれ合っている女子2人にため息を手向けつつ、部長は書斎机から立ち上がった。


「んじゃ、今回のこの件は俺が行くわ。一応確認だが、なにかあったら直ぐ連絡すること。戦闘に入るなら、その前に着拒しとくこと。これ徹底しろよ。」


「……ん。部長、いつもそんなこと言わない。何かあった?」


「先々週、茜が【会話の神】との戦闘中に電話を取ったせいで、最後っ屁を食らってな。茜と、ついでに巻き込まれた岡先生が聴覚と言語を丸1日喪失したんだよ。あー、美香はちょうどその時居なかったんだっけか。」


「……なんと」


 美香は、言語を喪った茜を想像した。ほわほわーん。


「……えっっっ」


「美香ちゃん!? なんで私から目を逸らすの!? ね〜、なんでそんな顔真っ赤にしてるの〜!?」


「あうあう〜、しか言わなくなった上に文字まで書けなくなってたからな。ほんとに治ってよかったぜ」


 更に燃料が投下され、美香は燃え上がった。うん、同人誌にダイレクトメールしよう。彼女はどこからかハガキを取り出した。


「あはは〜気をつけま〜す」


「……部長、後でその話KWSK(クワシク)


 今日も世界救済部は平常運転。それぞれが押し花で飾られた栞のような護符を虚空に翳し、扉を開いて別世界に消えていった。

……1人、新たな扉を開き脳内がピンクの別世界に飛んでいった子もいた。


 閑話休題。


「【案内】……よし、準備完了。んで、コホン。

 無謬の密室、既知の無知。朱に交われば赤くなる、無茶を通せば足跡と化す。名は力、神より給わりし神技―――【世界移動(クロシングワールド)】」


 1人になったらこういうこともしちゃうよね。部長は結構、こういうの好きだった。




 そして開かれた扉の先、見上げれば鈍色の雲の上に白の天井。

 左右に目を凝らせば、遥か彼方に壁のようなものも見えた。地球のようには地面も球状になっておらず、ただただ大きい直方体の内部をくり抜いた世界。

 しかしその大きさは、他の世界に比べればまさに豆粒のようなものだ。

 重力どうなってんだ、とは思うが、そこは別世界。ちゃんとそれらしい力が働き、地球と身体の感覚はさほど変わらなかった。


 辺りの地面は赤茶けて、木は枯れ、白い破片が散らばっていた。不気味な風景だが、滅びかけの世界の中で言えばそんなに酷い光景というわけでもなかった。


 こういう世界を救ってこそだろ、と部長は気合を入れて歩き出した。


「さて、まずはこの世界の情報収集と現地調査からだな。」


 《レベル5》の世界でもちょっとした英雄である彼は、神相手でさえなければどんな相手にも勝負できる猛者だった。


 《レベル1》の世界に訪れることができるのは、《レベル5》以下の存在のみ。神は世界に入ると結果的に死んでしまう。


 そんな世界で起こる世界の危機、その原因はどんな場合でも《レベル5》級の敵が最大。


―――そんな常識が、この日、破られた。


「あらぁ。今ぁ、丁度退屈してたところだったのよぉ。新手の子かしらぁ。いらっしゃぁいぃ」


 そこにいたのは、黒に茶のまだら模様の服をぬらぬらと光る赤で染め上げた、(バケモノ)だった。


「ワタシはズナク邪神教団の幹部が1人ぃ、【割裂の神】ミケス=アバター=シャルペジアぁ。あなたぁ、生贄にしてはぁ、ちょっと強いのねぇ?」


 その悪神は、右手に大斧の柄を握り、若草の髪の少女の首を左手で締め上げながら、にたぁと妖艶に微笑んだ。




 ◇ ◇ ◇




 活動レポート NO.25

 日付:1年目 12月23日

活動者:日野虹、日下茜、待鳥美香


 世界:『ミュトロガルド』 《レベル1》


 死 者 :不明。

 重症者 :1

 軽症者 :0

行方不明者:不明。


 経 費 :日下茜の服の補填、計2200円。

      チャレンジメニュー失敗、2300円。

      ↑経費で落ちないよ〜

 備 考 :生存者1名。世界は実質、壊滅。

 詳 細 :世界に、【割裂の神】の分け身とズナク邪神教団員が侵入。約半日でほぼ世界を掌握したと推測される。

 結 果 :救済失敗。

 日下茜により【割裂の神】の分け身を撃破。その他教団員多数、「丼屋かっぷく」の猛虎盛・ガッツカツレツ丼撃破(オンタイムにより無料)。

 日野虹により教団幹部1名を撃破。「丼屋かっぷく」の山盛りカツレツ丼撃破(タイムオーバーにより自腹)。

 待鳥美香により教団の拠点を1つ撃破。「丼屋かっぷく」の龍湖盛・ラブ鳥丼撃破(うち3/4を日野茜が撃破。オンタイムにより無料)。


 総 括 :部活創設以後、初の世界救済失敗といっていい。今日呑んだ涙と「丼屋かっぷく」の山盛りカツレツ丼の味は2度と忘れない。←私も〜

 改善点 :特に無し。←もっと、強くなる。部長をしごく。←……魔法陣、覚えさせる?


(ところどころ縒れていて読みにくい箇所がある)




 ◇ ◇ ◇




 ミケスは、一昨年にその分身と戦ったきり姿を現さなかった、因縁の相手であり大敵だ。

 邪神教団のトップ、上には現代に存在しない【邪の神】が位置するのみである巨悪の最上位である。


 今日は、彼女の黒の服はまだ血濡れていない。しかしどうしても、その姿からは、こびりついて消えない血の気配がした。


「このメンバーならぁ、確かにアイルくんには荷が重いかしらぁ。でもそうねぇ……とぉっても楽しそう。生身で楽しまないと損かもしれないわぁ。だからぁ―――今日で決着をつけましょ?」


 ふわりと屋根上から飛び降りた【割裂の神】ミケスは、身の毛のよだつ笑みを浮かべた。


「望むところだよ、前の分身と同じく転がしてやる〜!」


「神の御業―――」


 神の持つ特権の片方であり、神が冠する名をそのまま技名とする、無二の権能。世界の法則を無視し、その一時だけ理を新設する理不尽が顕現する。


「【割裂】」


 【割裂の神】と力量の変わらない分身体が、ずるりと神の体から脱皮するように這い出てきた。


 茜はそれと同時に、彼らの元へ駆ける。

 石畳の広場で、目の前には瀕死のアイルカンと、神の御業を使っている最中の無防備なミケスの2人だけ。

 野次馬の神はみな、ぎょっとした顔で背を向け逃げていく。この戦いに割り込もうとするほどの戦闘狂は、付近にはいないようだ。


 茜が【芒】を振りかぶると、ミケスは笑いながらアイルカンを蹴とばした。


「ア゛ッ、ァァアア゛茜ぇぁ゛―――」


「えっ」


 こちらに凭れてくる酒臭い敵に巻き込まれ、茜は一瞬怯む。

 アイルカンは呂律の回らない狂乱の顔つきで茜にそのままタックルを繰り出し、諸共『プルスガルド』へ吸い込まれにかかる。


「ごゆっくりぃ。」


「このっ、そっちは任せ―――」




 茜は、《レベル7》世界に出るや否や、組み付いてくるアイルカンを突き飛ばした。


 【病魔の神】は触れるだけで全身に激痛が走るほどに病魔に侵されることになるのだが、この神もそうなのだろう。

 【泥酔の神】に触れると、今まで神の御業を抵抗(レジスト)していた茜でさえ酔ってしまう。


「うぅ〜。なんか、気持ち悪い……ぇう。ぅぇう〜。」


 ぷるぷる、と頭を振る茜は、なんとか剣を構えると、なおも凄まじい剣戟を繰り出した。


ポニーテールが残像のように彼女の足跡を目に残してくれる。一瞬のうちに、彼女はアイルカンの首元に剣を突きつけ―――


「【酒盛り】ぃい゛」


―――ぐらり、と視界が歪み、手足が弛緩する。


 それは、神対人の戦いにおいて、あまりにも致命的すぎた。


 茜の頭は、そんな状況にあって走馬灯を流す。

 しかし錯乱した頭は、それを余り理解できず、思考がから回る。

 反射で腕が動く、が、遅い。


 血ノ、臭イ。

 折れたアイスピックから流れ出るその臭いは、乾いたはずなのに吐きそうなほど強烈だった。


 崩れた体勢を整える間もなく、胸元から背までアイスピックの柄が突き抜ける。


「ァア゛ハハヒャ゛ハははは―――」


 狂声が、《レベル7》の世界に虚しく響く。


 そして誰も、助けには来なかった。




 ◇ ◇ ◇




 新手との会敵直後、流れるような早さでアイルカンと茜は広場から退場していった。


 残ったのは、3人。

 部長と美香、ミケスとその分身だ。


「あらあらぁ。いっちばぁん強いアカネちゃん、いなくなっちゃったわねぇ?」


 5指を限界まで開き、右掌は下向き、左掌を上向きにする。神の持つ全力を振り絞ることで発動できる、神の持つ権能の極意―――


「それじゃあぁ早速ぅ神権解ほ―――」


「えーい、【不意打ちみたいな何か】っ!」


―――それを阻むのは、視界の一部を消しゴムで消したかのような強烈な発光を伴う一撃だった。


 若草色の髪の美少女が、広場に面する屋根の上でガチャリと再度、銃の狙いを定める。


 彼女は3人と1神がここに転移してきたときに、たまたまここに居合わせ、それを構えていた。


「ブチョさん、ミカちゃん、お疲れ様です! こいつ、2年前のあの神ですよね? リベンジマッチってことで、私も混ぜてくださーい!」


 手に持つのは、とある《レベル4》の世界で開発された極太の光線銃。


「旧・『ミリタヘイム』世界救済科、第2実働部隊員リッカの名にかけて! あ、ついでに世界救済部みたいな何かの一員の名にもかけて! 《レベル10》世界の前哨戦にしてやりますよっ!」


 どこから突っ込めばよいのだろう。ボケが、一文で渋滞した。


「……《レベル7》じゃなくて?」


「《レベルたくさん》の塔です!……覚えてません!」


 改めて、言い直そう。

 この場に残ったのは、3人と1神。

 部長と美香、ミケスとその分身、そしてこの若草の乙女。

 かつて『ミクロガルド』の世界救済のため、地球の世界救済部の3人よりいち早く現場に到着し、そして【割裂の神】の分身に勝つことが叶わなかった少女。


「あらぁ……あなた、《レベル1》の拠点で食べそこねた子じゃなぁ〜い。」


 分身は身を挺してミケスを突き飛ばし、光線は分身を消し炭に変えた。


 ミケスは関節の無くなったかのような動きで立ち上がると、ケタケタと笑い出す。


「【割裂】ぅ。あなたぁ、一昨年より可愛らしくなったわねぇ。お名前を聞いておきましょうかぁ」


「リッカです! たいようです!」


「……たいよろ、だと思う」


「どっちでもいいと思います! えーい、【狙撃みたいな何か】っ!」


「面白くなってきたわぁ。【割裂】ぅ。あぁ、お口が裂けちゃいそぉ」


 また、分身が撃ち抜かれる。

 するとミケスはまたも神の御業を発動する。

 すわ分身か、と身構えた美香は、自らの身体に魔力が無くなっていることに気づく。


「神の御業の使い方はぁ、1つだけじゃあないのよぉ。私の御業は、本来は分割や分離……これはすぐに抵抗(レジスト)されちゃうのだけどぉ。分裂なんてしてるいつもの使い方のほうが、ちょっとおかしかったりするのよぉ」


 ミケスは、5指を限界まで開き、右掌は下向き、左掌を上向きにした。


「こぉんなに楽しくなったんだものぉ。たっくさんの人数で遊びましょぉ? 神権解放―――」


 いけない、と部長と美香は攻勢に出る。しかし、相手もまた神だ。


 部長は分身に抑えられる。分身が、ミケスと同じ漆黒の斧を振り下ろしたのだ。その膂力は、ミケス本体の据え置きのままだった。


 リッカは部長の援護弾を放つ。部長はそれに合わせるように盾の角度を変えて、分身を純白の光線にぶつけると、ミケスの元へ向かう。


 美香も続くように幾つか高等魔術を打ち込もうとするが、体がついてこない。短時間で魔力を回復させる術はやってみるが、ミケスの邪魔は出来そうにない。1人だけ2年前に時が巻き戻ったような感覚だった。


 分身が灰と崩れ去り、部長が盾を鈍器に見立てて突き込んだ、その最中。


「あらぁ、一手足りなかったわねぇ、コウくん?―――【胡桃割り】」


 ワニの物真似のように開かれていた両腕が、ミケスの胸の前で合わさる。


「っ! 【集】っ!」


 その瞬間、鈍い水音が響いた。


 神の世界の建物は、地球のものと比べて遥かに頑強だ。《レベル6》の世界において、地球上での音速くらいはまま観測されるし、地球上での軽い地震くらいのエネルギーは個人が発することができる。その延長として、ここいらの建物も、地球から持ってきた爆弾ではおそらく傷一つつかないだろう。


 では、目の前の惨劇は、一体どれほどの力が加われば再現できるのだろうか。


 部長は、全身が歪な形に折れてしまっている。

 ミケスの正面にあったものは、数十m先まで放射状に倒壊し、嵐が通ったかのような惨状を見せていた。


「……ぐっ……【霊治癒(フェニクスヒール)】」


 ミケスは、腕を重ね合わせただけだった。それでこの威力。

 きっと、次元ごと裂くとかそういうインチキなんだろうと、美香は冷静に分析した。


 しかし、タネがなんとなく分かったとしても、美香には予備動作を見てから躱す素早さはない。


「……くまったくまった」


 美香は周囲の魔力を自分の体に引き込むことで瞬時に魔力を回復する禁術【集】を応用し、魔力の塊で【胡桃割り】とやらを相殺しにかかったのだが、それでもぐちゃぐちゃになった体を治癒する。


 追い打ちがなかったので、美香は十分に自身を回復させ、部長に回復魔術を掛けようとして……やめた。


「このっ! 【隠し玉みたいな何か】!」


 広場に面した、足場としてまだ生きている屋根の上には、五体満足なリッカの姿が。

 彼女は広範囲の次元を裂く一撃を直感に従い躱した後、美香が戦線復帰するまで光線を連射してくれていた。


 部長は放っておいていい。美香は彼の悪運に、呆れながらもほっとしていた。


「【試作3型・うんたらかんたら】!」


「わぁ、いろいろ持ってきてたのねぇ?……どれもこれも、ある程度使ったら爆発するのはぁ、直した方がいいわぁ」


「直さなくていいと思います! 今、役に立ってるので! 【弾切れした何か】!」


 屋根から放り捨てられた大型の筒型銃は、地面に接地すると衝撃で内部から炸裂する。

 それはかなりの威力で、先程からリッカのいる屋根に乗ろうとする分身体たちは爆風の余波に巻き込まれて消滅している。


「……手伝う。【御伽降槍(ファファロッキーズ)】」


 部長がいないから、美香は《レベル5》の世界では準禁術とされた魔法を連打する。

 鰯の群れのように宙を石の槍衾が泳ぎ、美香の周囲を放電する球が周り、地面から火の柱が予兆もなく立ち昇る。


 ミケスがそれらをやり過ごせば、美香は次の一撃を構えていた。


「【濁洪凝水(フローディング)】」


 魔術による水竜の息吹のような一撃は、滝を横にしてもこうはならないだろうという威力を秘めている。


「ミカちゃんだったかしらぁ? ワタシの神権解放をまともに受けたのに、まだ生きてるのねぇ。回復魔術かしら?」


 しかし、その神は眉を寄せながらも、飛沫の中を強引に掻き向かってくる。

 多少、ダメージは通っていた。


「2年前はワタシのお仲間を潰しに直ぐにいなくなっちゃったけど、すごい腕前ねぇ」


「……どうも」


 まさか準禁術が直撃して、多少の打撲で済んでいようとは。さっきちらっと見た部長くらいには、身体の隅々を骨折すると思っていた美香は、想定が甘かったことを悟った。


 美香は、じりじりと後ずさる。熊と遭遇したときの理想の逃げ方である。

……部長、たっけて、と美香はとうとう涙目になった。あいつ、さっさと戦線復帰しろよぅ。


 美香には確信があった。


……部長は死なない。なぜなら―――


「おいおい、無視は良くないな」


―――ある意味で、彼は私の弟子だから。


「ちょうど一昨日、作ったばっかの魔法陣があってな? まさか、こんなすぐに使うことになるとは―――【霊治癒(フェニクスヒール)】を」


 部長は、何度でも立ち上がる。天丼。


 忍び寄った部長は、ミケスともども洪水の中に飛び込んでいく。

 慌てて美香が魔術を解除すれば、たちまちミケスの大斧と部長の盾が衝突を始めた。


「……やはり不死身か? 部長」


 美香はその横でふむぅ、と唸っていた。

……部長はカッコつけれてズルい。私も一発、格好良く活躍したい。


……でも、これだけ部長とミケスが近いと、どでかい魔術は撃てない。


 美香はポソポソと横槍―――と言いつつも高等魔術である―――を入れながら、閃く。


「……指向性、威力、決め手……うん、【散・二式】しかない」


「撃つなよ!? 絶対撃つなよ!?」


 神と斬り合いは少し荷が重いのか、苦しげな表情の彼は、不穏な美香の言葉にすぐさま否定を返す。


……否定、なのだろうか。

 美香は、それが建前だと思いたかった。


「……え、いいの? やった」


「だから撃つなよ!」


 美香は、トリガーハッピーだった。


……うずうず。




 ◇ ◇ ◇




 目の前で、己の腕によって、日下茜は地に伏した。


 【泥酔の神】アイルカン=マリナスダーリアは、快哉の叫びをあげかけて、固まる。


 アイスピックの柄を握っている腕が、燃えていた。


 《レベル7》の世界、『プルスガルド』で、その歓喜の声は掠れ声へと変わる。

 それ程に、彼にとってそれは衝撃であり、歓喜であり、しかしどうしても拭えない本能の奥底では、それに恐怖していた。


「ぅ゛ァア、茜……?」


「お〜、いいの貰っちゃったよ〜。認証コードがあるからって、ちと焦りすぎたかな? 流石に神権解放を無警戒でいられるほど、私は強くないんだった」


 《レベル7》の世界の中で死んだ場合、【機械の神】の子であり機崎姓を持つ姉妹機たちの発行した認証コードを持っていれば、蘇生が可能だ。


「ァアア゛―――これデモ足りナ゛イ? ァァァ、満たサレナい、あァァ浴びルヨウナ酒ヲ、酒ヲ゛―――」


 それを知らなかったアイルカンは目を剥き、茜を指指して憤慨する。


 茜の酔わされた頭は、依然その窮地を本能として感じ取っている。だがしかし、彼女は一切、そのへらりとした余裕を崩さない。


「私、思ったんだ〜。神様には必殺技みたいな神の御業があって、更に奥の手みたいな神権解放があって、じゃあ私は? って。」


 いつから、人が弱いと錯覚していた?

 この少女は、神を除き全世界最強。そして当然、彼女は持っている。


「ってことで〜、第2形態です」


―――死んだら、強くなって蘇る。そんな、理不尽な性能を。


 茜は、乱暴に口元を拭うと神器【芒】を右手で構えたまま、左手を右の二の腕に添える。


「神の御剣(みつるぎ)―――」


 その奥の手は、人間の終着点であり、《レベル5》世界の太古の昔では神の御使いにのみ許されたという禁術。


「【焦熱の魔人】」


 神器を頼らずとも神に並べるのだと、茜は剣の切っ先をびたりと向ける。


 その両腕は、揺らめいていた。


 太古の昔において、神とは、自然だった。人間はそれを畏怖し、尊敬し、奉った。

 一方で、それに近づこうと試みるものがいた。人の身で空を飛ぼうと、人の身で海の底を知ろうと、人の身で炎と同化しようと。


 そして人はかつて、辿り着いた。


 茜の姿は、人のままだ。しかしその腕は、肘から下が火花を発している。


「あれ〜、私、酔ってたか。恥ず……でも君の神権解放、【焦熱の魔人】で抵抗(レジスト)出来ちゃったや」


 こうなった茜は、もはや止まらない。かつて数多の神が彼女の前で神権解放を使って、それでも今、日下茜はこの場に立っているのだ。


「耄碌した神様。さっさと掛かってきなよ。早く片して皆のところに戻らないとね〜」


 茜もまた、何度でも立ち上がる。


―――神器、【芒】が閃いた。


 一撃必倒。神は、人で言う心臓に当たる神核を破壊されれば、認証コードのような例外を無しにしては復活は能わない。


 【泥酔の神】は、泥のような眠りについた。その瞼は、二度と開かれることは無い。


「さてと、向こうはどうなってるかな〜?」


 残心も最小限に、茜はてて〜っと走ってワープホールに飛び込む。もう振り返りはしなかった。




 ◇ ◇ ◇




「【砕式盾術:城揺】!」


「【割裂】ぅ! ほんとぉ、死にかけるほど強くなるわねぇ、コウくん。」


 定期的に出現する分身は、徹底的にリッカと美香がキルポイントを掻っ攫っていく。

 【胡桃割り】を放つ暇はなく、他の切り札はもう存在しない。

 そして、神の御業は少し使いすぎて、一撃を放つごとに何かがごっそり抜け落ちていく気がする。


 しかし、それがどうしたと言えてしまうのがミケスなのだ。


 今、この瞬間、退屈が紛れればそれでいい。邪神が蘇って世界中の世界中が慌ただしくなれば、もっといいのだが。きっとそれだけで、千年は退屈せずに済むだろう。


「んふふぅ、【割裂ぅ】、【割裂】っ。か、【割裂】ぅ」


 ミケスは、とっくに壊れていた。神ゆえの退屈を拗らせて、歪な刹那主義へと走ってしまったのだ。


 美香の魔力が割裂され、部長の目の前の時空が歪み、爪が割れる。

 前者2つは、神の御業によるもの。後者は、近接戦闘の余波である。

 大斧の一撃は隙が多く大振りであるが、とても重い。神にも力で引けを取らない部長だが、その重い一撃一撃で、たびたび意識が霞む。


「【治癒(ヒール)】」


 美香も【集】を連発し、戦線復帰を瞬く間に済ませるが、いかんせん【割裂】による魔術阻害がしつこい。美香の回復魔術が途絶えてしまえばすぐに壊滅しうる危うい均衡は、美香にプレッシャーを募らせていく。


「【悪あがきみたいな何か】!」


 リッカに至っては、とうとう弾薬が尽きた。

 分身体の処理に計20発、神権解放の直後の時間稼ぎに試作品系統を全て、そして援護射撃に既に40発ほど。

 もともと『プルスガルドの塔』の内部では暗殺者のように華麗に進む予定だったため、準備は万端だったものの弾の数自体はそんなに持ってきていなかった。

 こんなことになるなら、とは思うが、それよりも今はやることがある。リッカは最後の爆発物―――銃本体をミケスに投げつけると、屋根から飛び降りた。


「この【お薬みたいな何か】、あげます! 使ってください!」


 腰につけた魔力回復薬を美香に渡すと、リッカは美香を抱きかかえる。


 今自分にできることはミカちゃんのアシストだと割り切ったその行動は、最後までこの戦いを見届けようとする意志の表れだった。


「……ありがと。【治癒(ヒール)】、【衛殿電光(オービッドパルス)】」


……何この魔力回復薬、甘っ。

 戦闘中なので口には出なかったものの、美香はリッカの住む『ミリタヘイム』の技術力に舌を巻いた。


 さて、戦況はまたも拮抗する。


 近接戦は押され気味、遠距離攻撃で分が生まれ、


「んふふぅ、【割裂】ぅ」


 分身体込みでイーブン以下だ。


 部長の回復が、間に合わなくなってきた。


「……でも、大丈夫」


―――世界救済部の最強が、舞い戻る。


「【焦掌握(コゲパンチ)】!」


 低い姿勢から伸び上がる一撃は、ミケスの腹部に深々と突き刺さる。


 それは、星を食らう怪物を、僅か5連撃で終へと導いたストレートな拳である。


 どうっ、と鈍く重い音がして、ミケスはゴロゴロと転がり、噴水に背を打ちつけた。


「んぁはぁ。やっと来たのねぇ。いいわぁ、始めましょ。」


 ミケスは、救えないくらいに狂っている。

 生誕してから70億年ほど経ち、今となっては記憶が焼ききれて、邪神教団に傾倒してしまっていた。


「私の神生の終わりはぁ、あなたとの時間にしたいって思ってたのぉ!」


 自分でも、自分が何をしたいのか分からなくなるときがある。

 しかし胸のうちには間違いなく、楽しければそれでいいと笑う自分がいた。

 そして彼女の神の御業名は、「割裂」。だからこそ根本のところで、心は「割裂」を、暴力を、崩壊を楽しいと思うようにできてしまっていた。


「【割裂】ぅ。」


 大斧が、神の御業により2分される。

 ただ2つに折れたわけでない。片手斧が2つ、という姿に生まれ変わったのだ。


 それは、小技であり悪あがきであり、しかして奥の手―――神権解放のことだ―――の為の、奥の手。


 彼女の神の御業は、どうしようが【破壊の神】に寄った使い方であるといえるだろう。しかし、分離、というより錬金術的なそれが、ミケスにとって唯一、【創造の神】の方に寄った使い方だった。


「神権解放―――」


 ミケスは、右の斧を上段に、左の斧を逆袈裟に構える。

 少し不合理な構え方かもしれないが、これが、彼女にとっての最高の一撃を生み出す構えである。


「神器擦銘―――」


 茜は、まだ神の御剣(みつるぎ)を発動中である。

 そしてそこに、まだ足せる力がある。


 銘を、【芒】。これから幾度となく挑むことになるだろう塔でも、決して折れない生命力を表した、力強い名前が込められた神器である。


 【鍛冶の神】手ずから創られた神器は、それ1つで神の御業に似た技を使える、とはテレシアの言だ。


『良いかい、構えはなんだっていい。何ならみねうちでも大丈夫さね。』


 じゃあ、お言葉に甘えて。


 茜は普段の素振りと何ら変わらない、正眼の構えを取る。


『その代わりに、その一撃と結果を、しっかりとイメージするんだよ。』


 想う。茜が【泥酔の神】を倒して戻るまで、粘ってくれた仲間たち、と……なんか付いてきた若草色みたいな何かを。

 この4人で、1つの世界救済部。ならば最後の一撃は、彼ら全員の期待に負けないようにせねば。


 あぁ、仲間の命が懸かっていて、背中は重いはずなのに、なぜだろう―――負ける気がしない。

 彼らの奮闘に、そして、狂乱し破壊に走った悪神の手向けに、ふさわしい一撃を。


『理想の一撃には、神の御業に通ずる権能が齎される筈だからね』


 私は、世界救済部の日下茜。ならば、理想は1つ―――


「【胡桃割り】」


「【(すすき)】」


 もしこれを例えるとしたら、ばきばきに割れた鏡に映ったような世界、だろうか。

 まさに、次元の異なる斬撃。世界を歪め、理を壊し、「割裂」を世界に貼り付けるような、理不尽な攻撃。


 それを迎え撃つ茜が放つのは、理想を込めた素直な一撃―――敵を浄化する、茜色の炎だった。




 あまりの炎熱に、部長も、美香も、リッカも思わず腕で目を庇う。

 空気が焦げ付くような熱はしかし、彼らには向かわなかった。


 さっきの、茜色の風景が夢だったかのように、時は経っていく。


「あぁ……楽しかったぁ―――」


 ただ、その広場に、笑顔で散っていく【割裂の神】がいたことを、忘れてはいけない。

 ミケスは、ぼろぼろになった広場に、割に合わない成果としてそのひとことを遺して、逝った。


「おやすみ〜」


 茜は、熱気をまとう腕を控えめに振る。


 ついで、納剣。剣を持ったまま手を振るのは、やめましょう。危ないから。


「生まれ変わったら、たくさんカツレツを食べて育つんだぞ〜。」


「……茜、茜。確かにミケスは【割裂の神】。でも、あんまりカツレツと関係ない、はず。」


「いや、そこは言い切れよ。絶対関係ないからな。俺がもし【カツレツの神】だとして、一緒くたにされたら泣くと思うぜ」


 世界救済部は、神との戦いがあってもいつも通り。

 彼らは一昨年から、これくらいの戦いは何度も経験しているのである。


「え!? ブチョさん【カツレツの神】だったんですか!? 泣かないでください!」


 そこに、一昨年の冬からリッカが加わって。


「泣かねえよ!? そもそも俺【カツレツの神】じゃないからな!?」


 部長がサッカー部の名誉部長になったりもした。


―――あぁ、なんだ。思ったより。


「えぇ〜? 神権解放して【カツレツ】作ってくれないの?」


「……なら、きっとその効果はDEF(防御力)にバフ。部長、なぜか死なないから……」


 美香は、奥歯を噛み締めて俯くと【案内】から本を取り出した。タイトルは「鯉登りの館の事件簿 FILE2.深淵のラピスラズリ編」。まさかのシリーズものである。裏表紙を読んだ限りでは、佑藤太郎は主人公に昇格している……。


「なんで悲しそうにするの!? え、なに、美香は俺に死んでほしいの!?」


「え、え〜と、ほら、今からミケスちゃん追悼会行こっ! 「丼屋かっぷく」のチャレンジメニュー! 今日は何にしよ〜かな〜」


「は!? お前、今から??」


「……確かに。晩ごはんまだ、食べてない。」


「え、皆さんご飯行くんですか! それなら、私もご一緒していいですか!?……あ、でも、そちらの世界のお金みたいな何か、持ってないです……!」


 お金みたいな何かとはなんだ失敬な。地球はそんな原始的じゃないぞ。


「大丈夫、大丈夫。あのお店は時間内に、全部食べきったら無料なんだよ〜!……無理でも部長が払うし」


「おーい、聞こえてっぞ? 誰が払うってー?」


―――思ったより、世界を救うのも、悪くない。


「部長〜! これからも、よろしくね〜!」


 びっくぅ。初恋は加速する。部長はもう居ても立っても居られなくなって……。


「―――お支払いっ!」


「台無しだなっ!!!!!!」


 それが、世界救済部。……なのかもしれない。


 ある日の夕暮れ時。

 神の世界『ゲナウガルド』で、世界救済部の笑い声が響くのだった。




 ◇ ◇ ◇




―――数日後。


 激戦を乗り越えた部長が、血濡れた制服で家に帰り騒動を起こしてから、数日。


 美香が、眼鏡が歪んだので最寄りの眼鏡店でフレームを直してもらったのも一昨日のこと。


 日下家に居候しているリッカが、銃の弾薬を専用のホルダーに詰めながら柴犬を撫でていたのは、今朝のことである。


「よーし、4人とも集まったな。それじゃ、今日のミーティングを始める」


 昏日待(こいくら)高校の3階。旧・倉庫、現・世界救済部の部室に、部員全員が揃った。


 なお、リッカは茜の家の柴犬も一員だと言い張っているが、それはさておき。


「ひゅ〜ひゅ〜」


「すぱすぱ!」


「……ぱふぱふ、だと思う」


「こーゆーのはノリですよ! ミカちゃん!」


 書斎に立てかけるように置かれた歴戦の大盾が、現代日本然とした学校の一室の中で明らかに目立っている。


「えー、まず、今届いてる世界救済の依頼だが、昨日までに茜が一掃したらしい。と、いうことで、今日は活動なし―――」


「違〜う! 違うでしょ〜部長。」


 茜は、書斎机から団扇を引っ掴むと、部長に向けて勢いよくそれを仰いだ。


 ぶおん、という風切り音、団扇の柄からぱきりという音が鳴り、部長は局所的にスカイダイビング中のような空気抵抗をモロに食らって、彼の頬肉が伸びる。


 ぽいっ、とゴミ箱に投函される柄と団扇の上半分。

 ジト目で美香がそれを見つめている。我々の業界ではそれはご褒美なんです、お前だれ?


「……あー、茜部員から、提案があったんだが、今日は―――」




 ◇ ◇ ◇




『私は【機械の神】様により製造された機械人形(オートマタ)、「機﨑オオワラワ」だヨー。『プルスガルド』内で死亡したときハ、私の発行した認証コードを持っていれば1UPが可能だヨー。認証コード、じゃんじゃん発行していケー?』


 日差しが地球よりは穏やかな、天上世界の更に格上。三千世界のやり込み要素『プルスガルド』の塔の前に立っている機械人形は、「木﨑オオワラワ」。

 ぬるっと現れたな〜。茜は突然の伏線回収にびっくりした。


「1UPって何なんでしょうか!?」


 銃の内部を点検していたリッカはぱっと顔をあげる。かつて異世界の軍部に所属していただけあって、彼女の所作はいちいちキレキレである。


「残りの命の数が+1ってことだろ。」


「じゃあブチョさんはニンショーコード要りませんね! 多分残りの命の数が10はあるでしょうし!」


「いや、俺も死ねばそのまま死ぬぜ?」


「……うそ」


「嘘だ〜」


「ブチョさん、嘘吐かないでいいですよ! 私たちを信じて打ち明けてください!」


 全否定である。仲間たちは、彼のことをどう思っているのだろう。

 リッカに関しては、本気(マジ)でそう思い込んでいそうだ。


『―――登録が完了したヨー。認証コードを発行するゾー。そーレ。』


 ペカー、と彼女の胸元からレシートのような紙が連なって出てくる。


「美香、美香。なんだか、映画のチケットみたいでワクワクするね〜」


「……しないかも。……茜の言うことが、たまにちょっと分からない」


 美香は、《レベル5》の世界の禁術、【集】を使って塔に向けての体調を整えていた。


 昔こそ茜に話しかけられて挙動不審になっていた美香は、今は【集】を使いながら茜と喋ることができている。

 一昨日、異世界の中で初めて知り合った2人は、今では下の名前を呼び捨てにしあう仲になっていた。


『いってらっしゃイー。あ、あト、塔の内でなんか起きたラ、教えてくれたら嬉しいナー。それと、塔攻略者ブロマイドキャンペーンが実施中だヨ。「日下茜のウォーミングアップ②、【芒】の素振り」ハ、最近の売れ筋みたいだネ。良かったネ茜チャン』


「そんな写真、いつの間にっ! 利益分配は、版権、それか著作権は〜!?」


「……応答が欲望にまみれてる」


「ち、ちなみにそれはどこで―――」


「部長〜……?」


「な、なーんてな。ははは……」


 茜はそんな写真が撮られていた事に驚きつつ、今度はそんな写真を撮られないよう警戒しながらも軽い準備運動を行う。


 屈伸、伸脚、【芒】の素振り。


 それは外見の普通の女子高生像からは見違えた、神事のように堂に入った動作だった。


 あ、あの機械人形(オートマタ)いま写真撮りやがった。

 茜の洞察力は神っていた。


「もう、いいや!……それじゃあ行こっか〜!」


 茜は、その追究を早々に諦めた。

 言っても既に売られてしまったブロマイドは回収できないだろうと気づいたのだ。SNSに一度上げた投稿が、永遠にネットから消えないのと同じである。


『しっかシ、これから死ぬというのに皆元気だネー』


「はは、それはもちろん、死ぬ気がないからだろ」


『なゼ? 君たちの戦力で5階に行けバ、90%以上の確率で全滅するのニ』


「なんで、か。なんでだろうなー。あいつらとなら、というか茜がいれば死なない。そんな感じがするんだよ」


『理解不能だヨー』


 機﨑オオワラワは、塔に歩いていく女子3人の後ろ姿を、訝しげな表情で見つめる。

 さてはこれ、ブロマイド用の写真を激写してるな? 部長の勘がそう言っていた。


 理解不能、か。

 部長は、体調を確かめるように、靴の片方を蹴り飛ばして今日の運勢を占うよう子供のように、盾をぶうんと流す。


 努力した、その日々を想起させるそれは。


「人間、こういうのは理屈じゃなくて、ノリなんだよ。」


 対大型魔物用の、受け流しの基本の型だった。


「だって茜は、俺が頼んだ世界は全部救ってきたんだぜ?」


 部長は、首だけ振り返ってニヤリと笑う。


「部長〜! なに話してんの〜?」


「あぁ、いや、なんでもない」


「……そういえば、エロゲゴブリン―――ふむ。」


「ん、ミカちゃん! どうかしましたか!?」


 世界救済部は、横並びでワープホールに飛び込んだ。




 ◇ ◇ ◇




 それを、塔の上から眺める神がいた。


 彼女がどのくらい前に生まれたのか知る者は、もう神の世界『ゲナウガルド』にも【全知の神】か、生きていれば【運命の神】くらいしかいないだろう。

 あの2人はどれだけ時が経とうと、道を違えなかった。


 彼女は遥か昔のそのまた昔に、《レベル3》の世界に「生沼愛」として生まれ、人としての限界を超えて、死んだ後に神と成った。


 この塔で、どれほどの時を過ごしただろうか。


 誰かが登ってくるのを待って、塔の内部をいたずらに弄って。いっそサルでも攻略できるほど簡単にしようとも思ったが、それは世界に漂う絶望的なまでに濃密な神気が阻んでくれた。


 最初に創った子の名前は覚えている。【豊穣の神】「生沼アア」だ。本当、適当な名前だな、と自分でも思った。

 でも、仕方ないだろう。もともと私は神の御業名からして、子をこれから無限に創るだろうことは分かっていたのだから。


 数千億年前には、「生沼」ナンバーの子を8000京年振りに創造した。三千世界を救済する一団を、その子―――【機械の神】「生沼エリ」に組織させたこともあった。


……「生沼エリ」は何故か、自らの名を「ナミャニュマエル」と勘違いしていたが。あれは面白かった。数十億年ぶりに笑ったのを覚えている。


 46億年前には、神気を一切使わずして世界を作ってみたりもした。

 私が作った世界のはずなのに、何故か《レベル3》相当の世界になったのは、少し気に食わなかった。


 「生沼」ナンバーで末っ子の【機械の神】ナミャニュマエルは、何かとこの星を気にしていたっけ。

 最近になって、あの世界の持つポテンシャルは計り知れないものがある、と気付かされたりもした。


 数年前、【深海の神】が精神崩壊したときは、本当に悲しんだ。泣きに泣き、味覚を共有したナミャニュマエルに自棄食いしてもらった。

 悠久の昔、かの神がまだ人間だった頃、一緒に飲んだミルクティーは美味しかった。


「私が遠い昔に生まれた、別の世界線の地球では、待ち焦がれることを『昏日待(こいくら)』というのです。

 こいくらこいくら、どれほど時が経ったでしょう。

 ある日、ようやくあなた達を見つけたのです。知ってました? 2年前の異世界転移、私が起こしたんですよ」


 虚空に向かって、そう訴える声は掠れている。久しぶりに独り言を喋った。

 彼女は、どうしようもなく孤独だった。


 【創造の神】―――名を、生沼(なまぬま)(あい)からもじった「ナマヌマーイ」は、そう言ってひとすじ、頬から涙をこぼした。


「ですから、ねえ。私に会いに来てください―――日下茜さん」


 塔の頂は、地上から遥か遠く。


 しかし、そこを踏む者は、きっと、すぐに現れることだろう。




 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 生沼さんの伏線、唐突すぎたかな? そして茜の第2の故郷の「レベル5」の世界は尺の都合で割愛……我ながら伏線回収しきれてません。

 それでも! 面白いと思って下さった方は、ぜひ広告下の☆☆☆☆☆で評価していってください!

 ★★★★★評価をいただけると、作者はこの作品を連載する―――かもしれません!また、今後書いていく作品の筆の潤滑油となりますので……!


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― 新着の感想 ―
[良い点] さらっと繰り広げられている常軌を逸した存在との戦闘とびっくりするほどに落ち着いた茜達の言動がまた独特の空気を生み出していて凄く楽しかったです。 人間ではなく神も含みますが、登場人物のネーミ…
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