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五話

 フウルの街並みはどこも変わらない。

 駐屯区付近はそもそも人が寄り付かないために例外とせざるを得ないけれど、他は似たようなものだ。家々は増築と改築を繰り返す。移民は、どうやら日に日に増えているらしい。アラステア教国の縮図だろうか。

 ともあれ、日々増える住人のために、家も増えていく。

 移民の建築業者の間で受け継がれてきた増改築技術は内地からの同業他社を締め出せるほどらしく、初等科の頃からそうした現場を出入りして顔を売る男子もそう珍しいものではない。

 そのうちの一人だったのだろう。

「テッサねーちゃんだっ!」

 今まさに足場を組み立てていた工事現場から、小さな男の子が飛び出してきた。

「すげぇ、ホンモノだ!」

 まだ十になるかならないかという少年の言葉には驚かされる。カリエの偽物なんてどこに需要があるのか……。

「ふふふっ、本当にそうかな?」

 そして、それに応じられるカリエの頭の軽……懐の深さにも驚かされた。

「テッサ・カリエールは人気者だからねぇ。影武者の一人や二人、いや第二第三のテッサだっているかもしれないよっ!?」

「なっ……ニセモノだったのかっ!?」

「ふっ。運が良いな、少年よ。あたしこそ、そう、天下に名を轟かせるテッサ・カリエールその人であ――」

「うっせえぞいい加減にしろ。じ、しょ、う、美少女さんよ」

 仲良くはしゃぐ二人にベルティが割って入ると、カリエは不満げに頬を膨らませ、少年は新たな登場人物――といっても、僕もベルティもずっとここに立っているのだけれど――に目を輝かせている。

「おい、チビスケ! 何やってんだ」

 と、そこへ、今度こそ新たな登場人物が現れた。

 足場を組んでいた向こうからやってきたのは、いかにもといった風体の男。同級生よりは筋肉があるベルティと比べても、その腕の太さは倍以上だ。

「あ、おっちゃん! ほら、テッサだよ! テッサ!」

「はぁ? 誰だ、それ」

 言いながら、おっちゃんが僕たちを睨むように見回す。ぺこぺこと頭を下げると、おっちゃんもよく分かっていないような顔のまま会釈してくれた。

「よく分からんが、学生か? 今日はなんかあるんか? こんなぞろぞろと来るのは珍しいが……」

「へ? 何かやってるの?」

「僕たちが聞かれてるんだよ、カリエ。あと敬語」

 僕とカリエで再びぺこぺこしている間に、ふむ、と思案顔だったベルティが会話に割り込む。

「もしかして、俺たちより前に誰かが?」

「ん? あぁ。……つうか、何かあるんじゃないのか?」

「それはそちらの方が詳しいはずでは? もう何日もここで仕事されているんでしょうから」

 それもそうだが……、と頷くおっちゃんに、もう話は終わったとばかりに黙りこくるベルティ。僕ももう終わりかと思っていたけれど、これでは終われない少女がここにいるのだった。

「ねぇ、おっちゃん! どんな人だったの? その、あたしたちの前に来た学生って」

 そんなことを聞いてどうなるのか分からないけど、まぁ、大した意味などないのだろう。ただ話すことが目的で、そこに少しでも面白そうな色があればいいのだ。

 元々ろくに目的もなく歩いていたようなものだし、話の流れ次第ではこの辺りの美味しい料理屋でも聞けるかもしれないと僕も何気なしに頷いておく。

「や、誰かって聞かれても……。上から見て学生じゃねえかって話してただけだからなぁ」

 まぁ、それもそうか。移民には片親だったり両親が共働きだったりする子供も多く、託児所代わりになってくれる学校にはほとんどの子供が通う。だから子供はそのまま学生を意味していると言ってもいい。

 あれは学生だ、なんて言葉は、まだ成人しない子供だ、と言っているに等しいのだ。新しく二階を作るための作業中らしいおっちゃんでもそのくらいは分かるだろう。

「まぁ、ただ――」

 もしかしたら知り合いかもしれないけど、とさして気にもしていなかったおっちゃんの言葉。

 けれど、それは――。

「銀の髪だったのは覚えてる。染めたんじゃあ、あそこまで綺麗にならないからな。珍しくて印象に残ってたんだ」

 心を揺さぶるほどの衝撃を伴うものだった。

「その人ッ!」

 我知らず声を上げていた。

 少年がびっくりしている。どうやら叫んでしまったらしい。しかし、そんなことを気にしている余裕もなくて、僕は息継ぎも曖昧に言葉を続けた。

「その人、瞳は――。瞳は、(あか)かったですか!?」

 いつも眺めていた彼女の髪は、長い銀だった。そして、あの時だけは僕のことを見てくれていた紅の瞳を思い出す。

「あのな、だから、上から見てたんだって。目なんて分からねえよ」

「そりゃそうだよねぇ。……で、ベアはどうしたのさ」

 些かの不安が滲む声とともに顔を覗かれ、さっと目を逸らしてしまう。

 いつでも明るく、いつも僕といてくれたカリエ。何故だか、そんなカリエに、今だけは顔を見られたくなかった。

「ううん……。よく分かんないけどさ、それって翼の君だよね?」

 カリエの声が、痛みを伴って耳の奥へと潜っていく。

 どうしたんだろう、僕は。分からない。

「えっ、あれがっ!?」

「なんだなんだ、少年。学校に通ってるくせに翼の君も知らなかったのか?」

「知ってたけど! でも! ホンモノ見たのは初めてだった!」

「……君、説教の時は寝てるな?」

「…………えっと」

「チビスケ、ちょっと後で話あるからな」

 心中の疑問符を押し流すように、三人の声が生まれては消える。

「大丈夫か」

 まだ何かわいわいと話している声に紛れ、彼は僕のすぐ横で囁いた。

「何がさ」

「らしくなかったからな。別に、嫌なら聞かねえけど」

「いいよ、聞いてくれても」

 僕は、多分、笑った。笑ったつもりだ。

 ベルティはどこか諦めるような目で僕を見て、小さく首を振る。笑えてはいなかったのかもしれないし、笑みの奥を見透かされたのかもしれない。

「分からないんだよ。僕は、僕のことが。……だから、聞いてくれてもいいけれどね、答えることはできないんだ」


 その日は、結局、それ以上東へと行くことはなかった。

 カリエは翼の君――、エリノアらしき人物を探したいと言ったけれど、探したって何があるわけでもないし、闇雲に探そうと思えば駐屯区に近付くことになる。ベルティの反対もあって、カリエの望みは却下された。

 お昼ご飯は太陽が傾きかけた頃に馴染みの店で済ませ、それぞれが帰路に着く。空の端が橙色になる時分には僕も家に着いた。部屋に入って、そのまま寝た。

 朝になって、何も約束していなかった日曜日はだらだらと寝て過ごして、そしてまた朝が来る。

 月曜日、説教の日だ。

 前の日を寝て過ごしたせいか、その朝はやけに早く起きてしまって、早く学校に着いてしまうのだった。

 まだ人もまばらな広場で、僕の隣に誰かが座る。

「よう、ベアトリーチェ」

 男の声が。

 流し屋のアンブレが紡いだ言葉が、僕の一日をその瞬間で止めてしまうようだった。

「あの騎士と結婚するそうだ、翼の君が」


   ×××


 亜人。

 人のように二つの腕と二つの足を持ち、主に二足歩行で生活する亜族、怪の物。アラステア教の聖書では、人間になるはずだった魂が卑しさや粗暴さに蝕まれてしまった成れの果てだと伝えられている。

 不遜なる亜人はその中の一種だ。

 二つの腕と二つの足は人間に似ているけれど、口は長く突き出て、全身は鱗に覆われ、腰からは尾が生えているという。実物は見たことがないものの、アラステア教国の領土に最も多く棲息する亜人だ。

 そんな彼らの魂は、思い上がった傲慢さに蝕まれているとされる。

 自分たちを竜の子孫とし、牛や豚はおろか、時には人間さえも先祖への供え物として攫っていくのだ。

 成り立ちから竜と密接に関わっているアラステア教としては、その不遜な者どもを捨て置くことなどできない。棲息数や分布域の問題から、小競り合いが戦争に発展することも多く、教国や騎士からすれば因縁の相手だ。

 とある若手の騎士は、そんな不遜なる亜人の族長を討ち取った。

 リース・アディ。

 三十になったばかりだという騎士は、遠征の帰り道で遭遇してしまった不遜なる亜人の群れに対し、果敢にも一騎打ちを申し込んだ。遠征の際に団長が怪我をしていたらしい。

 不遜と言われるだけあって、彼らは一騎打ちを好む傾向がある。群れの長は申し出に応じ、他の不遜なる亜人たちにも結果を受け入れるよう命じた。

 そうした背景があっての偉業だ。

 若手騎士のリースは単独で――それも負傷した上官を守るべく身を挺す形で――不遜なる亜人の族長を討ち取った。

 一つ一つの騎士団でも数十から数百の騎士がおり、更に騎士団は数十とある。その中でも一握りの騎士にのみ与えられる『高位』の称号。まさにその称号が相応しいのではないかと囁かれるまで、そう時間は要さなかった。

 紛れもない偉業に、国民の称賛、騎士団長の推薦。

 それらの事実を、教国のお偉方は無視することができない。そもそもが誤魔化し誤魔化しで走る老骨の馬車なのだ。国民の声を蔑ろにすれば、それだけで崩壊しかねない。

 しかし、一方で問題もあった。

 リースは、若すぎたのだ。

 三十というのは経験こそが命綱の騎士としては若い部類に入るし、伝統や権威を重んじる教国の感情としてはかなり若い。

 加えて、彼は教国の騎士学校には通っていなかった。多くの騎士は、騎士の育成のために設けられた学校を卒業して騎士団に招かれる。リースはそうではなかったらしく、それどころか大陸の反対側にある王国の学校に留学していたという話だった。

 年齢と、経歴。

 アラステア教の重鎮や、高位に手が届かなかった騎士からすれば、その二つはあまりに目障りで、そして分かりやすい弱点だった。

 教国のしがらみに嫌というほど縛られた実務の面々は、けれども妙手を探し当てる。

「ちょうどよかったんだろうさ」

 流し屋のアンブレはそう呟いた。

「移民は教国民だ。だが、薄汚い余所者としても扱える。国民には綺麗な少女を娶るのだと吹聴し、一方のお偉方には余所者をあてがってやったと笑う。奴ららしい汚いやり方だ」

 高位騎士。

 騎士にとってはこれ以上ないと言われるほどの名誉だ。どこの騎士団に配属されても無条件である程度以上の指揮権を与えられ、作戦行動中の独断さえもある程度認められる。

 何より、未婚の高位騎士には、国が結婚相手をあてがう風習があった。元は未婚では示しがつかないからというものだったらしい。

 そんな風習が現代になっても廃れずに残り続けてきた結果が、今回の一件を招いている。

「でも――ッ。……でも、まだ一ヶ月も経ってないじゃないか。そんなに短い時間で、一人の人生を…………」

 始まりから既に理解の埒外にあるのだ。

 結婚は恋愛の果てにあるものだろうし、そうでなくとも、――少なくとも、他人が勝手に決められるようなことじゃない。それを高位騎士になったからとか、風習だからとか、そんな理由で押し付けるのは間違っている。

「いいや、これでも遅すぎた」

 けれども。

 分かりきっていたことでもある。アラステアという曲がりなりにも僕たちが住むこの国は、もうどうしようもないほどに歪んでしまっているのだ。

「高位騎士ってのは名誉だ。常人が到達できる最高の。……その嫁となれば、どうだ」

 アンブレは、唾棄するように乾いた声を吐く。

「『箔がつく』」

 何かからの引用だった。恐らくは女目当てでやってきたどこぞの坊っちゃんか誰かの、酒の席での言葉だろう。

「高位騎士の嫁に娘を出したとなれば、その親は、家は、それだけで名誉の分前を貰えるんだろうさ」

「反吐が出るね」

「同意するよ」

 つまりは順番待ちしているらしい。

 今回は事情が事情だったために、時間がかかった。一ヶ月足らずでも長すぎた、一つの人生の岐路だ。

「そんなおままごとみたいな下らない理由で、彼女は嫁に連れていかれるのか」

「……不幸だな」

 アンブレの僅かな沈黙の意味くらい分かる。

「そうだね、フウルじゃ珍しくもない類いの不幸だ」

 笑うしかなかった。

 僕とエリノアの間には、何があったというわけでもない。ずっと眺めていた、そして憧れていたのであろう相手と、ほんの一時だけ言葉を交わすことができた。それだけのことだ。

 なのに。

 なのに……。

「知ってるのかな、彼女は」

「知らないはずがない。土曜――件の話はベルティから聞いたさ――駐屯区へ入っていったと確かな筋から伝わってきている」

 駐屯区。そこは家よりも背が高い鉄の扉で遮られた、移民区であって移民区でない場所らしい。

 移民は誰しもが西の検問所を通ってフウルへ辿り着くけれど、駐屯区へと抜けていく者は多くはなかっただろう。投獄されるほどの罪を犯すか、子ネズミを献上するか。どちらにせよ、反吐が出る。それでも、まだ、エリノアよりはマシだ。

「なぁ……、ベアトリーチェ」

 アンブレは僕の名を呼んだきり黙り込んでしまった。

 ちらりと目を向ければ、そこには躊躇う瞳が見える。目と目が合って、相手のほうから逃げた。

「ベアトリーチェ、あんたは、ひょっとして…………」

「なんだい? そんなに言いにくそうに」

 それは助け舟の姿をした拒絶だった。アンブレの後悔の表情を見て、ようやく自覚する。

「すまない、口が滑った」

 男は恥じる様子もなく頭を下げた。まぁ、噂で小遣いを稼ぐ流し屋が喋りすぎてしまうのは良くない。

 考えながらポケットに手を伸ばすと、アンブレは笑っていつもの表情を作った。

「これはベルティからの頼みだ。あんたからは貰えない」

 僕に最悪の噂を届けてくれた流し屋は、そうして去っていった。

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