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四話

 僕たち移民の第二の故郷には、王がいなければ軍もない。

 その代わりと言ってはなんだけれど、教皇と騎士団が国を治め守っている。

 さて、アラステア教国というものは、そもそもの成り立ちからして国教たるアラステア教とともにあったらしい。

 初代アレク教皇がまだ教皇ではなく傭兵であった頃に率いていた一団は、ある時厳かなる世界の覇者と相見えた。他国では神の権化とさえ呼ばれる怪の物、竜だ。

 足の一踏みで地を割り、腕の一振りは山を裂き、大顎門(おおあぎと)から吹き出す炎は湖をも焼き払う。

 そんな巨体は流石の竜であっても神話の中の話だけれど、初代アレクはそれほどの化物と遭遇してしまったのだという。彼ら騎士団は為す術なく巨竜の前に(たお)れるかと思われた。

 しかし、そこに救いの手を差し伸べたのが主アラステアだ。

 アラステアは竜を屠ろうとはしなかった。

 ただ竜と対話し、ほんの数分、アレクらが逃げ延びるだけの時間を稼いだのだという。

 それ以来、アレクは神に心酔し、傭兵団を神に仕える騎士団とし、その武力を人々と平和のためにのみ用いると決意した。彼のもとには決意をともにする者が集まり、始まりは一つの騎士団だったアラステア教が、遂には列強に居並ぶ大国にまで発展を遂げる。

 だから、まぁ、アラステア教国に軍人はいない。国家武力は騎士団の名で呼ばれるのが常だ。

「呆れたものだな」

 そう笑う声はいつも通りだった。

 ベルティが僕に紙切れを押し付けてくる。正規での輸入は禁じられた、けれど故郷に身内を残してきた者への仕送りの包み紙として重宝されている外紙の切れ端。そこに載っているのは、教国が見下している外の騎士の話らしかった。

「あのアディという騎士は確かに偉業を成し遂げた。だが、それにしても、なんだ、この体たらくは」

 苛立った声とともにため息をつくベルティ。

 この幼馴染がこうして新聞記事を見せてくるのは昔からの習慣だった。大抵の大人は外の騎士になんか興味を持つ暇がないし、僕と並んで親しい友人はよりによってカリエだ。この手の話の相手としては不向きにも程がある。

「すごいことはすごいこと、それでいいじゃない」

 僕としても特別好みというわけではないけれど、かといってお菓子作りについてベルティから語られても対処に困る。それに、好みではないにせよ、そう嫌いでもないのだ。

「それでいいんだが、妙に持ち上げるんでな。親父にいくつか当たってみてもらった結果が、これだよ」

「どれ?」

「それだ、それ」

 ベルティが指し示すのは僕が手にしている外紙。なるほど、それでか。

 今更すぎる気付きに、また今更ながら記事の中身に目を通していく。

「……ふむ」

 とはいえ、書かれていたのは、なんてことはない話だ。

 王国で名の売れた『騎士』が帝国、教国を訪れるらしいという、真偽不明の噂話。フウルの子供たちでもないのだから、と眉を顰めたくもなるけれど、お偉方が選んだ言葉だけを伝える内地の新聞よりはいいのかもしれない。

「これと騎士様の偉業と、何か関係あるの?」

 教国の騎士がいくら腐敗していようと、それは外から見た姿だ。内側から見た騎士とは尊敬の対象であって、外の騎士のほうは野蛮なる亜人にも例えられる傭兵たちと同列に扱われている。わざわざ内地が気にするとも思えない。

「そこに書いてあるのは二人組の騎士だ。騎士とはいうが、実際のところは分かりきっている。黒薔薇(くろばら)従騎士(じゅうきし)。今年に入って高位騎士になった新鋭だ」

 言い切るベルティに、けれど僕は首を傾げる。

「それで?」

「あのな、お前は――」

「ごっめ~んっ!」

 長くなりそうなベルティの小言を遮ってくれたのは、謝る時でさえも無駄に明るい自称美少女、テッサ・カリエール様である。

「遅刻」

「おせえぞ」

 まぁ、それはそれ、これはこれ。

 そもそもカリエが遅刻しなければ僕がベルティの長話に付き合わされることもなかったわけで……と睨んでみるものの、カリエはカリエだった。きょとんと可愛らしく微笑んでくる。

 その姿が昨日のエリノアと被ってみえて、僕は軽く頭を振った。可愛さに免じ、追及はしないでやろう。

「いやぁ、ごめんごめん。昨日の夜さぁ、なんか面白いことないかなぁってワクワクしちゃって眠れなかったんだよねぇ」

「起きるかどうかも分からないことに眠れないほどワクワクするって、やっぱりすごいね、カリエ」

「えっへん」

「今のは褒めてねえだろ」

 ベルティの切り替えも慣れたものだ。

「でさでさっ、なんの話してたのっ? 楽しいこと? 楽しいことだよねっ?」

 残念、違います。

 けれどこんな純真無垢な瞳を向けてくる少女に、どうして残酷な現実を突き付けられようか。

「昨日の夜、ベルティとしーちゃんはお楽しみだったらしいですよ、奥さん」

「――なっ、おまっ」

「なんですって!? 結婚ですか? 学生結婚ですか? お母さん許しませんよっ」

 くすくすにやにやと横目を向けると、そこにあったのは――。

「貴様ら――ッ!!」

 鬼の形相。

 ()(もの)亜族(あぞく)と呼ばれる異形の類いには鬼もいるらしいけれど、実際に目にしたことは無論ない。それを、今まさに見ているとも言える。

「なぁ、おい、ベアトリーチェ。お前、おい、どこから――」

「まぁまぁ、落ち着いて落ち着いて」

「落ち着けるかっ!」

 叫んだベルティは、しかしはっと周囲を見回し我に返った。持ち前の理性が怒りと焦りを抑え込んだらしく、十秒ほども深呼吸してから改めて口を開く。

「どこから見ていた」

「窓から」

「そうじゃない」

「……えっと、コートか何かを肩にかけ」

「最初からかッ!?」

 立ち上がったり座ったり忙しいことだ。

 本当なら九時には集合してどこか遊びに行こうと決めていた今日、土曜日。その午前中は、ベルティの背を優しく叩くことで過ぎ去っていくのだった。

「何もなかったんだ、本当に…………」

 青年の嘆きが何に由来するものなのか。

 気にはなったし、ほとんど明白なのだけれど、それでも僕とカリエは、心の内に仕舞い込んだ。


 しーちゃんは不幸だ。

 けれど、同時に幸運だ。

 フウルに流れ着いたのは不幸といえるけれど、一切の行き場を失って誰にも気付かれず息絶えることに比べれば幸運だろう。

 それに、あの容姿もある。しーちゃんは綺麗で、……僕やカリエと違って、とても魅力的だ。夜の仕事を選ぶしかないのは不幸でも、夜の仕事を選べて、更に待遇や客入りが良いというのは恵まれている部類に入る。

 男は、特に親のいない初等科生や中等科生などは、身体を壊しながら大人に混じって働くしかない。

 だから、不幸のどん底というわけではないのだ。

 不幸と不幸を並べて、どちらがまだマシかと比べ合う街。

 そんなフウルは、しかし治安の面では劣悪どころか良好だった。夜道を歩いていて襲われる、なんて話は存外に少ないのだ。……まぁ、夜道で捕まえるより仲介屋を訪ねた方が安上がりだという喜べない事情のお陰ではあるのだけれど。

 ともあれ、学生の、それも女子が休日に遊び歩く姿とて、さして珍しいものでもなかった。

 怪訝そうにこちらを眺めてきていた後輩に、カリエと一緒になって手を振る。相手は案の定カリエのことを知っていたようで、きゃいきゃいと姦しく声を上げながら寄ってきた。カリエもそちらに小走りしていく。

「ほーら、ベルティ。みんな見てるよ、恥ずかしいよ」

「昨日の俺以上に恥ずかしい俺などいるか」

「君限定なんだ……」

「普段のテッサよりはまだマシだろう。あんな騒がしいだけの女」

「きーこーえーてーまーすーよーっ!」

 意外と早く後輩たちと別れたらしいカリエが、のんびり歩きながら返してきた。声が大きい。

「むっ、ベアちゃん! 今なんか失礼なこと考えなかった?」

「いやぁ、カリエちゃんをこんなに早く帰しちゃうあの子たちはなんて勿体ないことするんだろうなぁ、ってさ」

「なんだなんだ、そういうことかねっ。なんか数量限定のランチを食べるとかで張り切ってましたよ」

「あー……、もうお昼時だもんねぇ」

 カリエの遅刻とベルティの嘆きのせいで何もしないままに時間だけが過ぎていた。とはいえ、元から何をするために集まったというわけでもないし、ベルティに関してはデリケートな部分に触れてしまった僕にも原因はある。カリエの遅刻理由は、……一旦棚の上に上げておいても誰も文句は言うまい。

「僕たちもどこかでお昼にしよっか」

 こういうタイミングで行き先を提案するのは大切なことだ。ベルティはベンチと新聞の切れ端があれば一日潰せるし、なんならカリエはベンチも新聞もなしで一日喋り通せる。

「えっ、もう?」

 どこかで目的を決めなければ、という僕の建設的な試みは、しかしそのカリエによって否定された。

「でも、そろそろお昼の時間じゃない?」

「そうだけどさぁ、あたしまだお腹減ってないかなぁって」

「……ええと?」

 そして、カリエにしては妙に歯切れの悪い言葉。いつもなら申し訳なさそうに装いつつも腹の中では全く気にしていないのに、今はどこか後ろめたそうだ。

「ねぇ、カリエ?」

 僕は、意を決して口にする。

「朝ご飯、何時に食べたの?」

「…………えっと、ね?」

「何時に食べたのかな?」

 一度棚に上げると決めた手前、僕にも心苦しさはある。でも、それはそれ、これはこれ。

「ずみませんっ! ごべんなさいっ! だってお母さんがパンケーキとか焼いてたんだもんっ! いっぱい! たくさん! 夢のようにッ!!」

 わざとらしく涙を滲ませた声も、張り上げるほどに嬉しそうになっていった。よほど幸せだったのだろう。瞳がきらきらと輝き、僕の心に訴えかけてくる。

「で、でもっ! それはそれっ、これはこれでっ――」

「だが、現実問題、飯屋に行ったところで何も食えないんじゃ冷やかしもいいところだ」

 と、僕の努力を今度はベルティが蹴飛ばした。いつの間に復活したのか、普段通りの、一見しただけでは冷たく思えてしまう視線をこちらに向けてきている。

「うぅ……。じゃあ、カリエ、罰として何か行き先を考えなさいっ」

「歩くっ!」

「だからどこにさ!」

「ふっ……、あたしらにはあるじゃないか。この、人生という長い旅路が」

「キメ顔してないで早く答えてください」

 冗談では誤魔化されてあげません、としっかり見据えてやった。

 それから、風呂屋で子供にするように、十から順番に数えていく。

「じゅーぅ、きゅーぅ、はーち、なーな……」

「どこかっ!」

「ろーく、ごーぉ、よーん――」

「行ったことないところにッ!」

 たらりと汗が垂れてきそうな必死の形相で言い放つカリエ。二人でしばし見つめ合って、どちらともなく笑いを零す。

「決まったか? どっち行くよ」

 と、ベルティも笑った。

「どっち?」

「西か北かってことでしょ?」

「そういうことだ」

 フウル移民区は治安が良く、遊び歩くにも向いている。しかし、物事には例外がつきものだ。

 貧民街に面した南側――正式な名前はなく、南区や裏区と呼ばれることが多い――はそもそも貧民が入り込んでいて治安が良くない上、その人気のなさを利用した裏の仕事が跋扈している。

 一方の東側は、治安こそ移民区で飛び抜けて良いものの、当の移民が南区以上に寄り付きたがらない界隈だった。

 そちらの方角には内地があり、内地と移民区とを隔てるのは騎士たちが駐屯する、通称『駐屯区』だ。そこに派遣された『駐屯騎士』は、内地から追いやられた鬱憤を移民にぶつける。わざわざ近寄るメリットもない。

――の、だけれど。

「じゃあ、ちょっと東のほう行ってみようよ」

 なんて提案する変わり者も、時にはいるのだ。何事にも例外はつきものか。

「嫌だね」

 秒の早さでベルティが一蹴する。

「誰が好き好んであんな奴らのところに行くか」

「もう、このこのぅ、騎士が好きなくせにぃ!」

 カリエはめげずに茶化して返した。そのまま、ベルティがイラッと眉間にシワを寄せる一瞬の隙をついて言葉を重ねる。

「まぁ、駐屯区まで行こうってわけじゃないんだけどね?」

 何かを言いかけていたベルティが言葉を失い、僕に視線を投げてきた。助け舟、ではなく、単純に意見を求めてきたのだろう。

「賛成かな」

 ベルティに視線で返し、カリエのほうも窺っておく。

「近付きすぎるのは賛成できないけど、それでもちょっと避けすぎてたしね。この際だから初めてのお店とか探してみてもいいし」

 移民区は決して狭くはないけれど、そう広いわけでもない。東の端まで行くわけでもなければ、ちょうどいい運動にもなる。太ってしまった自称美少女なんて見たくはないのだ。

「ま、ベアトリーチェが賛成するなら、俺が否を言っても無駄だな」

 同意の視線を投げ、ベルティが降参とばかりに両手を上げた。

「ぶーぶー、ベルちゃんはベアちゃんに甘くないですかぁ? しーちゃんに言いつけちゃいますようぅ、っだ!」

「俺がどっちにしようが、多数決で決まってんだろ? あと言ってみろ。シフネさん、元から勘違いしてやがるから関係ないぞ」

「えっ……?」

 思わず声が漏れてしまって、思いきり睨まれる。

「い、嫌なわけじゃないよ? 嫌なわけじゃっ」

「そっちの反応のほうが傷ついたわ、くそ」

 とかなんとか言いながら、さして気にした様子もなくカリエと何か言い合いを始めるベルティ。

 いや、ほんと、嫌なわけじゃなかったからね?

 そんな心の声はそっと仕舞って、早くも喧嘩腰になっている二人の手を引いていく。

 その休日はいつもと同じだった。

 何一つ変わらない、有り触れた、……そう、フウルの一日だった。

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