第6話 彼女の真実
星海を乗せた雪妃は、城門の衛兵の制止を振切って、城下へと飛び出していった。
雪妃は元々、重い鎧を纏った武将の乗る軍馬であるから、小柄な星海が一人乗っている程度では、何も乗せていないのと同じなのであろう。疾風の如く、という言葉がまさにぴったりとくるような軽快な足取りで、都大路を南へ走っていた。雪妃は大路の人々が驚いて道を開けるその間を、器用に擦り抜けていく。
「雪妃、雪妃っ……頼むから、止まってくれよ」
星海は雪妃にしがみついている手に力を入れ直して、その耳元でささやいた。すると、星海の言葉が分かったのか、雪妃が唐突にその足を止めた。
「ここは……」
雪妃が止まったのは、劉飛の屋敷の前だった。
「ああ、そっか。お前、劉飛兄さんの驪驥に会いたかったのか……」
星海がそう言うと、雪妃が返事をするようにいなないた。
「お前も、周翼兄さんに置いてかれた口だもんなぁ。寂しいよな」
星海は雪妃から下りると、その手綱を引いて裏口へ回った。勝手の分かっている屋敷であるから、下人を呼ばずにそのまま裏口から庭へ抜けて、その奥の馬屋へ向かった。馬屋には、十数頭の馬が繋がれていたが、その中に彼の捜す一頭はいなかった。
「……あっれ、おっかしいな。驪驥は劉飛兄さんしか乗せない馬なのに、どこに行ったんだろう」
ふいに、星海は驪驥がここにいない理由を思い付いて、慌てて劉飛の部屋へ向かった。
劉飛の部屋の窓は開いたままだった。星海はその窓から部屋へ入りこんだ。室内はしんとして、人の気配はない。
「まさか、本当に居なくなっちゃったのか?嘘だろ……謹慎中だっていうのに」
星海は状況が良く飲み込めずに、その場に立ち尽くしてしまった。
文机の上の、書き掛けの手紙が、風に吹かれてひらひらとたなびいている。それに気付いて星海がその手紙を覗き込むと、そこにはただ、宛名だけが書かれていた。だが、星海はそれを見て、劉飛がどこへ行ったのか、分かったような気がした。それは、周翼に宛てて書かれるはずのものであったからだ。
「河南の……周翼兄さんのとこ行っちゃったのか……」
劉飛もまた、周翼のようにもう戻って来ないのだろうか。
そんなのは嫌だ。この都にたった一人で置いていかれるなんて――
馬屋に戻りながら、星海は考える。
姫君を探すという目的もさることながら、劉飛や周翼と共にいたいと思ったから……彼らがいたから、自分は元の生活を捨てたのだ。本当に兄の様に慕っていた。彼らのいないこの先の暮らしなど、想像も出来なかった。
「天海様はいい人だけど、やっぱ俺じゃ、あの方の息子は務まりそうにないしな」
馬屋で雪妃の姿を見ながらそう呟き、星海は都を出る決心を自身の心に確認した。
――これから、どうしようか。都を出て河南へ行くか、それとも……
「南の方はまだ危なそうだよな」
南では、恐らくまだ戦の混乱が続いている。
「……西畔て……遠いのかな」
街道の西の果てだと、前に占い婆に聞いたことがある。西畔に行けば、優慶に会えるかも知れない。星海が遙かな西の街へ思いを馳せていた時、ふいに馬屋の外から彼を呼ぶ声がして、星海は現実に引き戻された。
「星海様?こちらですか……?」
星海を追ってきた梗琳の声であった。
――やっべ。
星海は反射的に身を隠す場所を捜した。
ここで梗琳に見つかれば、きっと屋敷に連れ戻されてしまうに決まっているのだ。星海がきょろきょろと辺りを見回して、何気無しに視線を馬屋の屋根裏に向けた時、上から様子を伺っていたらしい人物と視線が合った。
星海と視線が合ってしまったことに驚いて、屋根裏の人物は慌てて藁の山に身を隠した様である。だが、星海にはそれが誰であるのかすぐに分かってしまった。
「あの……優慶様っ?」
名を呼ばれて、優慶がしぶしぶ藁の中から顔を出した。
「星海様っ!」
ちょうどその時、ようやく星海を探し当てた梗琳が、背後で彼の名を呼んだ。それに気を取られて、星海がそちらのほうを見た一瞬の間のことである。
甲高い馬のいななきがして、驚いた星海が再び振り向いた時には、優慶の姿は黒馬の馬上にあった。
恐らく屋根裏から、馬の背へ飛び降りたのであろう。優慶は暴れる馬の手綱を上手にとって、そのまま構わずに鐙を蹴った。
「行くぞ!騏驥」
そんな掛け声を残し、優慶は勢い良く馬屋を飛び出して行く。
「優慶様っ!」
「雷将帝陛下っ?!」
瞬間、星海と梗琳の声が重なった。
「えっ?」
梗琳は今、彼女を何と呼んだのか……?
「梗琳、今、雷将帝陛下って……」
「一体、あなたはっ、何をやってるんですかっ?よくもまあ、こう次から次へと問題を起こしてくれる」
「ごめんっ。お説教は帰ってきてから聞くからっ」
「星海様っ!」
梗琳の声を置き去りにして、星海は雪妃に飛び乗ると優慶の後を追った。
今見失ったら、今度こそもう彼女に会えないようなそんな気がする。そんな予感に駆られ、星海は一心に優慶の後ろ姿を追いかけた。
華煌京の南大路門を出て、街道を南へ。
優慶は速度を落とす素振りも見せずに、ひたすら走り続けている。
「この道は、河南に向かう……」
優慶はもしかして、劉飛を追っているのではないか。彼女の後ろ姿を追いながら、そう思い当たって、星海は何と無く華梨が彼に嘘を言った訳が分かったような気がした。
優慶は、多分劉飛が好きなのだ。
女の身でありながら、そして皇帝という身でありながら、失踪してしまった劉飛を自ら探しに行ってしまう程に――
「そりゃ、劉飛兄さんは強いし、かっこいいし。俺だって好きだけどさ……」
いつか、劉飛のようになりたい。劉飛は星海のあこがれで、理想である。その理想の人が、自分の恋敵だというのも、案外、皮肉な話ではある。
「でもこの勝負、負けるわけにはいかないから」
優慶を思う気持ちは誰にも負けない――星海は自分にそう言い聞かせて、雪妃の鐙を蹴った。
梗琳は自分が止める間もなく星海が飛び出していったのを、ただ呆気に取られて見送っていた。
「劉飛殿の比じゃないな……あの無鉄砲さは」
あまりのことに怒る気も失せて、梗琳は星海にさんざん振り回されている自分が、ふいに滑稽なものに思えて笑った。これまで天家の管財人として、それなりに信頼も得ていたものを、星海の教育係となってから、彼の調子は狂いっぱなしである。
「さてさて、どうしたものか。天翔馬である雪妃や騏驥を、今から追いかけて追い付くでもなし。陛下の事もあるし……あの人に……また会わなくてはならないのか……」
梗琳は軽い溜め息と共に独り言を落とし、燎宛宮に向かって、もと来た道を戻っていった。