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ただ君の星だけを見ていた  作者: 早海和里
幻の都~天祥三十一歳
39/43

皇帝の密使

 海州の街に二人の男が姿を現した。巧みに飛空術という八卦の技を用い、人知れず移動している所を見ると、共に八卦師の様である。彼らは、そこに抱えた使命を果たす為に、美水城へ向かっていた。



 海州は、帝国の南東部に位置する小都である。

 ここは、帝国三軍の一つ、帝国水軍の拠点となっている地である。そのお陰もあり、海にせり出した形で築かれている美水びすい城から、陸地に掛けて伸びる美しい街並みには、人の行き来も多く、商用の港を中心に、大いに賑わっている様が窺えた。



 海州の先の海には、大小数百を数えるという島々に、帝国の朝貢国である小国がいくつか存在する。

 海州の港では主に、これらの国々との貿易が行われていた。よって、この海域では、物資や金が頻繁に行き来する。そこに、そんな美味しい匂いに敏感な海賊が姿を見せ始め、やがてその数が目に余って増え始めると、それに対抗する為に、この地に自警船団が設けられた。これが、海州水軍の始まりであったと伝えられている。


 又、年に数度というぐらいの割合ではあるが、大陸の西側から、大型の商船を操って、困難を伴う南海の荒海越えを果たし、この東の果ての帝国にまで商いをしに来る、海竜族と呼ばれる人々の存在が、この地に異国の香りをもたらし、ここを更に魅惑的な街にしていた。




 現在、帝国水軍元帥を務めているのは、梗之騎こうしきという老練な武将である。

 歳は六十だと言うが、日焼けして浅黒い艶を放つ、その逞しく鍛え上げられた体躯は、到底そうは見えない。十を若く言っても、十分に通る体つきである。


 その梗之騎は、美水城の自室で机上に大きく地図を広げながら、この所、中央で不審な動きを見せている皇騎兵軍の動きを吟味する様に、そこに視線を落としていた。



「一体、何を考えている、姫英の奴めは……」

 近衛が強化されたとは言え、燎宛宮の守備の要は、皇騎兵軍である。その皇騎兵軍を無駄に動かし、戦力を消耗している様にも思える。そもそもそれは、宰相である劉飛の思惑なのであろうが、軍を預かる者として、筋の通らない命令は承諾すべきではないと考える。帝国三軍とは、この帝国の利益を、そして皇帝を守るべきものなのだ。政治的な思惑で、その行動が左右される様では困るのだ。


 燎宛宮の動きが、今ひとつはっきりと伝わって来ない、という辺りも、梗之騎にとっては、歯がゆかった。これで又、有事にでもなれば兵を出せと言われるのだろう。その様に、毎度、便利な道具の如きに扱われていると、その忠誠心にも少なからず影を落とす。



 海州という地に住む者は、良くも悪くも、自立した意識を持つのだ。かつて、この沿岸に住む漁民が自警船団を組織し、勢力を伸ばし始めた事で、その力を欲した始皇帝によって帝国に吸収される事になったのだが、彼らは、その後も、自分達は騎馬の民にはない能力を持っているという自負の元、意識的にはあくまで対等であった。

 それに、帝国の一地方となっても、帝国との繋がりと、外部との繋がりの比重は変わる事は無く、彼らの中では、天秤の両方が丁度釣り合う様に等しく同じであったのだ。 外との貿易や塩の専売で、彼らがもたらす莫大な富は、河南の穀物生産と並び、今や帝国経済を支える大きな柱となっている。


 極端な話をすれば、帝国にとって、海州は欠く事の出来ない存在であったが、その逆もまたそうなのかと言えば、必ずしもそうではなかった。


 過去の皇家の政争に、この海州があまり関わって来なかったというのも、詰まる所、その自立心の現れなのだろう。

 誰が皇帝になろうが、帝国が生きようが死のうが、この海州という存在の意味は変わることなく、海州はただ、海州として存在し続ける。彼らの思考の中心には、常にそんな思いがあったのである。




 扉を叩く音がして、梗之騎は顔を上げた。

「叔父上様は、こちらにおいででいらっしゃいますか?」

 問うた声に応えを返すと、扉が開いて、海州領官である彼の甥が姿を見せた。


 その海州領官の名は、梗琳こうりんという。

 かつて、天家の管財人をしていた梗琳、その人である。


 梗琳は、天家断絶の後、失意のまま都を後にし、海州の、この叔父の元に身を寄せた。やがて、その能力を買われ、水軍の資材調達役を任される様になった。その後、この地の領官が病没したのに伴い、叔父の推挙により、海州領官に収まったのだ。



「どうした?」

「はい、実は……」

 梗琳が難しい顔をして、そこで声を落とした。

「……都から、皇帝陛下の使者だと申す者が、極秘に参っておるのですが」

「陛下からの密使だと?それは又、大仰な事になって来たな。一体、燎宛宮の奴らは、何を遊んでいるのだ」


 ようやく平穏を取り戻した帝国に、また、何の波風を立てようと言うのか。生真面目だけが取り柄の様な劉飛が宰相となり、このまま何事も無く時が過ぎて行けば、この海州もつつがなく世代交代をし、自分は気楽な隠居の身となれたのであろうに。


 どんな人物でも、燎宛宮に長く身を置けば、その淀みに足を取られ、身を黒く染めて行くものか。かつての陽気な劉飛の姿を思い浮かべ、梗之騎は嘆息した。




 梗之騎が、海の見渡せる広間に姿を見せると、そこには二人の男が平伏し、彼を待っていた。文箱を携えている方が使者で、その少し後方に控えている者はその護衛といった所か。一瞥でそう判じると、梗之騎は上座の位置にある椅子に座った。その傍らに、彼の後を付いて来た梗琳が立つ。


「梗元帥のお出ましである。面を上げよ」

 梗琳がそう告げると、使者がゆっくりと顔を上げた。


 夏の終わりに吹く、沿海地方特有の冷気を含んだ潮風が、まるで間合いを測った様に、その場に吹き込んだ。その風が、梗琳の頬を掠め、髪を揺らした。その瞬間に、梗琳の背筋を冷たいものが走った。


「天……祥……っ」


 梗琳の呟きを耳に止めた梗之騎は、甥が驚愕に目を見開いて、固まっている様を見て、訝しげな顔をしつつ、口を開く。

「そなたが、陛下の密使か?」

「左様にございます」

「では、その書状をこちらへ貰おうか」

「はっ」

 天祥が文箱を捧げながら、うやうやしく梗之騎に歩み寄り、それを差し出した。

 梗之騎が箱を開き、その書状を読む間も、梗琳は目の前にいる天祥から目が離せない。しばしの間、その場は、城壁に打ち寄せる波の音が聞こえる程の静寂に包まれていた。



 やがて、書状に目を通し終えた梗之騎にその名を呼ばれるまで、梗琳の心は千々に乱れ、真実を問い質したいという思いに翻弄されていた。


「……梗琳、梗琳」

「あ、はい」

 呼ばれて我に返った梗琳に、梗之騎が、彼が知りたかった答えを告げた。

「この者は、陛下の影、なのだそうだ」

「影……?」

 頷いて梗之騎は、天祥に話し掛ける。

「そう言われれば、燎宛宮で何度か拝謁させて頂いておりますな?その面差しには、覚えがありますぞ。その方、名は?」

「はい。私は、陛下にお仕えいたしております八卦師で、祥と申します」

「それが、天家を捨ててまで選んだ、そなたの道という事か。全く、忠義に篤い事だな。だがそういう愚直さは、嫌いではないぞ」

 梗之騎が好意的な笑みを見せる。

「恐れ入ります」

「では……やはり、あなたは天祥様なのですか」

 梗琳に、これ以上ないという程の真剣な目で問われて、天祥はやや気まずそうにして頷いた。


「……ご無事……だったのですね……」

 梗琳が、力が抜けたという様に、その場に膝を付いた。

「全く……あなたというお方は……」

「お前には、本当に済まない事をしたと思っていた。いつか、会う事があったなら、謝りたいとずっと……」

 梗琳の瞳から、はらはらと涙が零れ落ちていた。それに気付いて天祥は言葉を切る。

「本当に……よくご無事で……本当に……」

 感極まった様にそう言うと、梗琳は勢い良く天祥を抱き寄せて、その存在を確かめる様に強く抱きしめた。

「梗琳……痛いって。お互い、もういい歳をした大人なんだから、こういうのは……」

「何を言われるのです」

 天祥の抗議に、梗琳が顔を上げて、懐かしい口調で言う。

「こういう事をされるだけの事を、あなたはしでかしたのですからね」

「参ったな」

 天祥が苦笑した所で、梗之騎が何気ない風に言葉を挟んだ。


「成程。宰相閣下は中々、ツボを押さえた人選をなさる。これで、この海州を丸め込もうというお心積もりなのですかな」

「丸め……込む?」

 梗琳が、梗之騎の言葉の意味が呑み込めないという様に、聞き返した。

「例えば、この天祥がお前に何事か頼み事をして来たとしたら、お前には拒めないのだろう?宰相閣下はそれを見越して、天祥をお前の元に寄越したのだ」

「それは、どういう……」

 梗琳の視線が、戸惑う様に天祥と梗之騎の間を何度も往復する。

「つまり、天祥はお前に重大なお願い事があって、あの世から舞い戻って来た、という訳だ」

 梗之騎が、陛下の書状を梗琳に渡した。それを読み進む内に、梗琳の表情が強張って行く。

「あなたというお方は……この上……一体、何をなさろうと言うのです……」


 天祥は無言のまま立ち上がり、数歩、二人から離れる様に歩を進める。そこで踵を返すと、二人を見据え、はっきりとした声で言った。

「そこに書かれている事が全てだ。この帝国を終わらせる。それが、雷将帝陛下のご意志だ」

 お互いに、その真意を探る様に、視線を交わし合う。

「陛下のご意志、ですか」

 梗之騎が納得し切れないという様に呟く。

「それで、この私に、叛徒となり、都の皇騎兵軍を討てと?」


 今、都に残っている皇騎兵軍は、全体の半数だ。残りは、河南に留め置かれたままなのだ。水軍が上陸作戦を用いて戦うとしたら、成程、それで丁度互角という事になる。と、すれば、皇騎兵軍の分割は、この為の布石だったという事か。しかし、如何に勅命であろうとも、本来味方である筈の皇騎兵軍に刃を向け、己が手で燎宛宮を蹂躙するという事に、自らの信義が拒否反応を示す。


「……馬鹿な……例え、それが陛下のお望みなのだとしても、この私に燎宛宮に刃を向ける事など出来はせぬ」

「それでも、あなたには、やって頂かなくてはなりません。この先、戦によって奪われるであろう多くの命を救う為に……そして、この華煌の皇家の血を守る為に」

「皇家の血を……」

「あなたが守りたいのは、どちらなのです?この帝国、即ち燎宛宮ですか、それとも陛下のお命ですか?その忠誠心は、どこに捧げられたものなのですか?」

「それは……燎宛宮は最早、陛下の存在と同じものでは無くなっている、という事か」

「……もう、あの場所には、真の意味での、皇帝陛下はいらっしゃらない……あそこは空虚な入れ物に過ぎないのです。しかし、雷将帝陛下は、あの場所に殉じる事をお考えです。それが、為政者としての責務だと思っていらっしゃる。でも、私は……それでも私は、陛下をお救いしたいのです。その為になら私は、自分の愛する者たちを守る為なら……例え、どんな無茶な事でもやってみせます」

「……」

 天祥の気迫に満ちた目に、梗之騎は難しい顔をして押し黙る。

 その沈黙を破る様に、風に乗り、静かな声が広間に響いた。



「……天に、闇星の輝煌あり。そは、紅炎の輝きと共に、この大地の全てを焼き尽くす……」


本編29-(3)、(4)


<登場人物メモ>

こう 之騎しき(60)…帝国水軍元帥。

こう りん(40)…海州領官。梗之騎の甥。


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