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ただ君の星だけを見ていた  作者: 早海和里
光に添う影のごとく~天祥十三歳
26/43

甘えてはいけない優しさ

 李炎を玉座に付けようという計画は、蒼羽が持ち出してきたものだった。自分があれ程に焦がれ、帰りたがっていた河南は、楊桂に蹂躙され、もう帰るべき場所ではなくなっていた。だが、もし李炎が帝位に付けば、この燎宛宮が河南になる。ここが私の帰るべき場所になる。そんな幻想を抱いたのだ。そしてそれは、いずれは叶うはずの夢だった。


 ところが、光華帝が思いがけぬ形で夭逝ようせいしてしまった。李炎をその後継にするための準備は、当然まだ整っていなかった。時を稼ぐ為に、偽りの皇太子である優慶を、皇帝にしなければならない。蒼羽がそう言い出した時、太后は反対した。優慶という存在は、間違いなく自分の罪の証。それを皇帝に据えるなど、そこまでの大罪を犯すことなど、許されるはずがないと思った。


 だが、ここで楊桂が皇帝になれば、間違いなく自分達は燎宛宮から遠ざけられる事になり、李炎を帝位を即けるという夢は手の届かぬものになる。だから、ここは優慶を仮初めにでも、皇帝にするしかないのだと、そう押し切られた。その時の本音を言えば、優慶は神託を受けられず、そこで命を落すと思っていた。その身を偽っている者を、神が認めるはずはないのだと。太后はそう確信していたのだ。だが、持って生まれた天極星という強大な星の力によって、優慶はその資格もないのに帝位を手に入れた。


 その星の力の強さに、運勢の強さに、言いようのない不条理なものを感じた。天暮という凶星に翻弄された自分の運命に比べ、その恵まれた運命は何なのか……という思いが生じた。


――そう、嫉妬していたのだ。強い星の下に生まれたというだけで、この様に運命を味方に付けているこの娘を……


 その幸運の証ともいうべき指極の少年の存在を否定し、消し去ろうとするかの様に、太后は一心に天祥に剣を振り下ろす。だが、その刃はことごとく弾き返され、少年に傷ひとつ付ける事は出来なかった。




 もはや正気とは言えない母と、天祥の斬り合いを、優慶は呆然としながら見ていた。これまで、ただ、恐ろしいとばかり思っていた母の姿は、今は妄執に取り付かれた悲しく哀れな女にしか見えない。そして天祥と剣を交えながら、次第に母のその姿が薄らいでいくのに気づく。

「……母上っ……」

 優慶の声が届くより先に、天祥の剣が太后を捕らえた。


 その声が届いたのかどうかは分からない。最後に母は、笑っていた様に見えた。だが、その真実を確かめる猶予も与えず、太后の体は光に転じて四散した。後には何も残さず、跡形もなく、その身は消滅した。

「……これが、八卦を使い尽くした者の末路か」

 隣にいた棋鶯子が、そう呟いたのを、呆然としながら優慶は聞いた。




「……申し訳ございません」

 気がつけば、天祥が優慶の前に控えて、頭を垂れていた。

「……謝る事はない。そなたは、自分の役目を果たしたのだから……よく……やってくれた……礼を……」

 優慶は溢れ出そうになる涙をこらえ、天を仰いだ。愛など欠片も与えてくれなかった母。それなのに、感じるこの喪失感は何なのだろう……


 いつかは分かりあえるかもしれないと、ずっと微かに抱き続けていた希望を、自分は永遠に失ってしまったのだ。娘として、母親に抱きしめてもらいたいという願いは、もう叶わない……その事実に、優慶の心は押しつぶされそうになる。


「陛下……」

 気遣うような天祥の声に励まされて、優慶は心に波立つ感情を押し殺した。

「……大丈夫だ。まだ、泣くわけにはいかない……こんなところで……」

 まだ何も終わっていないのだから。戦いはまだ続いているのに。優慶は、涙を止めるために、必死にその悲しみを押し殺した。

「蒼東の宮の火災の件は、どうなっている」

 優慶に問われて、天祥は答えに詰まった。

「……はい。殊のほか火の回りが早く、麗妃様とそのご子息様の安否は確認出来ず……」

「……そうか」

 優慶は沈痛な面持ちで黙り込んだ。





「皇帝陛下に申し上げます」

 皇帝の間にその声が響いた時、優慶は思わず玉座から立ち上がっていた。その隣にいた天祥も、兵に取次ぎもさせず、戸口に立つなりそう言った人物が誰であるか気づくと、安堵のため息を付いていた。その場にいた誰もが、彼の姿を見て、安堵の表情を浮かべる。


 その人物は、大またで皇帝の間を横切り、優慶の前に跪くと、明瞭な声で告げた。

「皇騎兵軍元帥、劉飛、ただいま、帰還いたしました」

「劉飛、よく戻ってくれた」

 優慶は目に涙を浮かべながら、その存在を確かめる様に劉飛の肩を抱いた。その温もりを感じると、心の不安が消えていく気がした。優慶は縋る様に、劉飛の肩に顔を押し付けた。堪えていた涙が、また溢れだした。


 そんな優慶の様子を、天祥は少し複雑な気持ちで見ていた。隣にいるのが自分だけでは、優慶は不安だったのだ。そう思うと、やはり力不足を痛感する。肩書きこそ副隊長ではあるが、自分はまだ、それに相応しい力を得ていないのだと感じた。天祥自身、劉飛の姿を見ただけで、一瞬にして、心の不安を払拭された。その存在を、こんなにも頼もしく思う。優慶の気持ちも分からなくはなかった。


 天祥がそんな事を考えていると、気が緩んで涙が止まらないといった風の優慶を宥めていた劉飛と目が合った。そこに天祥の姿を見つけて、劉飛の目に困惑の色が浮かぶ。


「……天祥。どうしてお前がここにいる」

 そう問われて、天祥は顔を強張らせた。

「俺は……」

「蒼東の宮は……」

 劉飛の声を聞き止めて、優慶が顔を上げた。

「……宮から火が出たのだ」

 優慶が震える声でそう告げた。

「麗妃は……」

 劉飛の顔に緊張が走る。天祥が意を決して真実を告げた。

「火の勢いは、未だ衰えず……麗妃様の安否はまだ……」

「何だと……」

 その知らせに、劉飛は信じられないという面持ちをして、立ち上がる。

「……失礼いたします、陛下」

 優慶をそこに立たせると、劉飛は踵を返し、そのまま皇帝の間から立ち去っていく。その足が、麗妃の元へ向かっているのだと言う事は、誰の目にも明らかだった。


 もう、自分は劉飛が一番に守りたいものではないのだ。その後ろ姿を見て、優慶の胸を、ふとそんな思いが掠めた。優慶は思わず頭を振る。


――こんな時に、何を考えているのだ、私は……


 そんな不謹慎な事を考えている自分が、情けなかった。

 皇帝である自分を守る為に、流された多くの血。倒れていった兵たち。自分が座っている玉座は、その屍の上にあるのだ。その思いに報いる為に自分は、皇帝として、間違いなくその責務を果たさねばならない。何を失っても、どんなに傷ついても、どんなに怖くても、もう逃げる訳にはいかないのだ。それは頭では理解している。だが、そうは思っても、立ち去る劉飛の姿が小さくなっていくにつれて、不安が膨らんでいるのを押さえることは、出来なかった。

 そして……優慶は、無意識にその手を掴んでいた。


「……陛下?」

 声を掛けられて、優慶は自分が天祥の手を掴んでいる事に気づいた。不意に手を掴まれて、天祥が驚いた顔をしていた。

「すまぬ」

 優慶は慌ててその手を引く。が、その手が離れる前に、天祥は手を繋ぎ直して自分の元に引き寄せた。

「天祥……?」

 戸惑う声を上げた優慶の、その手を握る天祥の手に僅かに力がこもる。

「大丈夫です。私はいつもお側にいますから」

 そう言って顔を覗きこまれ、優慶は胸のあたりに、訳の判らない痛みを感じる。その息苦しさから逃れたくて、その手を意識して少し強く引いた。すると、天祥の手は、今度はあっけなく離れていく。息苦しい。そんなことを思いながら玉座に戻ろうとした時、優慶は軽い眩暈を感じてよろめいた。それを、すかさず天祥の手が支える。

「……大丈夫だ」

 その手を振り払う様にして、優慶は玉座に座りなおす。


――どうして……いつも……

 この者は、自分を助けてくれるのだろう……


 そう考えると、また息苦しさを覚えた。その理由を考える間もなく、また新たな伝令が来る。黄王こうおうの宮にいる、崔涼さいりょうからの伝令だった。


 その伝令は、宮内の河南軍は、ほぼ制圧したと告げた。それを聞いて、皇帝の間に、歓喜の声が上がる。その歓声の中、ただ一人、優慶だけが納まらぬ動悸に、困惑した表情を浮かべていた。


 安堵して緩んだ心が、疲労を感じ始めたのか、何だか気分がすぐれなかった。ただ何となく、その事を隣にいる天祥にその事を悟られたくなかった。具合が悪いと言えば、間違いなく天祥が介抱してくれるのだろう。でも、その優しさに甘えてはいけない様な気がするのだ。そんな資格が自分にはあるのかと思う。


――ただ、皇帝だというだけで……私に、そんな資格があるのか……


 何かが違う様な気がした。

 だが、それが何なのかが良く分からない。


――この落ち着かない感じは、何だ……


「少し、お休みになられては、いかがですか。お顔の色が……」

 天祥が言い掛けたのを、優慶は慌てて遮った。

「大丈夫だ。何も問題はないから……もう大丈夫……だからっ」

 声が変に上ずって、優慶は顔を赤らめる。


――だから……何をしているんだ私はっ……


 疲労のせいだと思いたかった。感情の波が妙な波形を描いて、思考を翻弄している。感情の制御が上手く出来ない。そう、この感覚には覚えがある。それは好意と言う名の……

「陛下?」

 その言葉を思い出すと、そこに一つの答えが落ちてきた。


――つまりそれは……天祥が自分に向けているのは、忠誠ではなく、好意だということではないのか……


 自分はそれに気付いて、動揺しているのだ。そう思い至って、優慶は、思わず天祥の顔をまじまじと見る。

「いかがなさいました、陛下?」

 だから、その思いに応えるつもりがないのなら、その好意は受け取ってはいけないものなのだ。それなのに、自分は今まで、その好意の心地良さに、ただ甘えていた。


「……たった今、自分の愚かさに、幻滅していた所だ」

「……愚かさに……幻滅……ですか?」

「済まない。少し一人にしてくれ。考えなくてはならない事がある」


 そう言われて、天祥はそれ以上は何も言わず、玉座の側から遠ざかった。それでも、天祥の瞳は、それを見守っているというごとくに、優慶をその視界に捕らえたままだ。


 困惑混じりに優慶は、そんな天祥の姿を見据えていた。ただ、忠義を尽くせというのは簡単だ。自分は皇帝なのだから、それでも許される。自分が天祥を好きではないのなら……そうして距離き、臣下として遇すればいい。でも、それを心苦しく思うという事は、もしかして自分は天祥に好意を持っているという事ではないのか。


――私は、天祥が好きなのか?……


 天祥を見ていても、劉飛を思う様な、胸を焦がす様な気持ちの高まりを感じたことはない。というか……劉飛は、別格なのだ。あれは、特別。後にも先にも、あんな熱を帯びた思いを抱いたことは、劉飛以外のものにはなかった。


――よく……分からない……


 優慶がため息を漏らした所に、皇騎兵の本隊が都に帰還したという知らせが届いて、その問題は先送りにせざるを得なかった。


本編18-(3)、(5)


<登場人物メモ>

*蒼羽…前宰相。北境に流刑中。

*楊桂…河南公。先帝の弟。

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