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ただ君の星だけを見ていた  作者: 早海和里
ただ君の星だけを見ていた
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第1話 少年のささやかな願い

 冷たい秋の雨が、庭の木々の葉を濡らし、音もなくその上に降り注いでいた。

 宰相の息子、蒼炎そうえんの謀反事件が起こったのは、五日前のことである。それによって、宰相蒼羽(そうう)が失脚。その姉姫は皇帝付きの女官位を辞し、宮中より退いたという。


 そしてここにもまた、そのとばっちりを受け、謹慎中の若者がいた。


 その若者、劉飛りゅうひは帝国三元帥の一人、車騎兵軍しゃきへいぐん元帥璋翔(しょうしょう)の養子で、まだ十八であったが、これも三元帥の一人である、皇騎兵軍こうきへいぐん元帥天海(てんかい)の主席幕僚を務めていた。


 武人としての技量は言うまでもなく、その性質は大らかで配下の兵達の人望も厚い。帝国が現在三大公の乱という内乱の最中の混乱期にあるということもあって、彼は士官してわずか三年のうちに多くの武勲を立て、今では皇騎兵軍准将と呼ばれるまでになっていた。皇帝軍内では、将来を有望視されている武人で、いずれは、元帥に……とも噂されている若者であった。


 その劉飛が、恐らく士官以来、初めてぶつかった災難が今度の事件であった。



「……河南かなんも雨だろうか」

 劉飛がぼんやりと、雨模様を眺めながら呟く。

「あんまり考え込まない方がいいよ。……兄ちゃんが、悪い訳じゃないんだし……」

 傍に居た星海せいかいが、劉飛の心中を察して慰めるように言った。


「たぶん……周翼しゅうよくのことだから、何か事情があっての事だろうと思う。でも、何も話してくれないんじゃ……訳が……分からないじゃないか……」

 劉飛が独り言のように静かに話すのを、星海はただ聞いている。

「ずっと、信じていたいのに、これじゃ……俺だって自信がない」

「兄ちゃん……」

「どうして……もっと早く気付かなかったんだろう。……俺、あいつの事、こんなにも、何も知らないって……」

 頭を抱え込んで絶句した劉飛の憔悴ぶりを目の当りに見て、星海は、彼をどうやって元気付けてやったらいいのか、分からない自分を情けなく思った。




 皇帝暗殺に失敗した蒼炎は、華煌京かこうきょうから逃亡した。そして、その捕縛を命じられたのが劉飛だった。劉飛は蒼炎を湖北こほくという村まで追い詰めたが、結局、彼を捕えることはできなかった。蒼炎は天河てんがを渡り、宮廷に敵対する大公の領地である河南へ、まんまと逃げおおせてしまった。そして、あろうことか、その逃亡の手助けをしたのが劉飛の無二の友であったはずの周翼だったのだ。



 劉飛が初めて周翼に出会ったのは、八年程前のことらしい。

 劉飛より二才年下であった周翼は、劉飛の剣の師であった鴻麟こうりんという人物の甥たったという。


 初めて彼の剣技を見た時、軽やかながらも標的を確実に捉える精緻で鋭い刃の美しさに圧倒された。剣を交えてみたい。猛烈にそんな気にさせられて、逸る気を宥めながら挑んた初戦は、完敗だった。以来、劉飛は周翼のその卓越した剣技に惚れ込み、ずっと兄弟のように共に過ごしてきた。そして、今日自分が准将などという位にあるのも、周翼あればこそのことだと思っているのだと、いつだったか話してもらった事がある。



 勇の劉飛、智の周翼――

 二人の後見人である璋翔元帥が、彼らをこう評して皇帝軍最強の一対と太鼓判を押したという彼ら。その二人の現在を、一体誰が想像できただろう……


 絶え間なく降り注ぐ銀糸のような雨は、まるで今の劉飛の心情を映しているようだ。星海は元気のない義兄の隣で小さく溜息を漏らした。

 暮れ方になり、義父天海の使いの者が星海を捜しに来た。星海は一向に浮上してこない劉飛の様子に後ろ髪を引かれながらも、仕方なく屋敷へ戻った。





「やはり、劉飛様のもとでしたか。当てが外れなくて良かったです」

 屋敷に着くなり、星海を出迎えた梗琳こうりんが、にっこりしてそう言ったのを聞いて、星海は思わず眉をひそめた。

「……義父上ちちうえの御用じゃないのか?」

「お館様は、まだ燎宛宮りょうえんきゅうよりお戻りではございません」

「じゃぁ……」

「史家の先生がお待ちです。お急ぎを」

 事務的な口調でそう言った梗琳の様子を見て、星海は屋敷を抜け出した自分を捕まえるために、梗琳がニセの使いをよこしたのだと気付いて、大仰に溜息をついてみせる。


「こんな時に、勉強だなんて……」

「星海様、天海様はこの度、宰相になられました」

「さいしょう?……へぇ、すごいや。宰相って、皇帝の次に偉い人なんだろう?」

「そのように、他人事のように」

 全く無邪気な様子の星海に、梗琳は苦笑した。

「いいですか。一夜明ければ、あなたは宰相閣下のご子息。宮廷でのお役も、相応に重くなりましょうに」

「……難しくて、よくわかんないけど。何か大変そうだな」

「武芸の鍛練や学問等々、覚えていただかなければならない事が山程ありますのに、こうふらふらと出歩かれては、身に付くものも身に付きませんよ」

「分かった、分かったから……」

 梗琳の小言が始まったと見て、星海は慌てて返事をすると、先生を待たせてある部屋へ走っていった。




 星海はこの年十一才。

――彼にとってこの年は、人生の分岐点となった年だった。




 星海は海州地方の漁師の子であったが、度重なる戦の中で、五つの年に両親と死に別れた。そうして流れ着いた都で、餓死しかかっていた所を占い婆に拾われ、婆の裏稼業である盗賊業の手伝いをしていたのだ。


 それが、ひと月ほど前、暴漢に襲われた姫君を助けたことから、劉飛と出会い、そして皇騎兵軍元帥であった天海に気に入られ、その養子になっていた。


 星海にとって、貴族という身分も贅沢な暮らしも、それほど魅力のあるものではなかった。日々、食べるものと寝るところに困らない。それはいいとしても、梗琳の様な口うるさい教育係に、四六時中側にいられるのは、今まで自由奔放に生きてきた星海にとっては、鬱陶しい事この上なかった。

 以前の彼なら、こんな所はとうに飛び出して元の気儘な暮らしに戻っていたはずである。それが、どうにか我慢してここに留まっているのには、それなりの訳があった。


 あの時の姫君に、もう一度会いたい――

 それが、少年のささやかな願いだった。


 まだ恋という言葉の意味も知らなかったけれど、たった一度会っただけの姫君の、彼女を守る役は自分がやりたい、星海はそう思ったのだ。


 星海がそう決心した時にはまだ知る由もなかったことだが、その時のお姫様が、実はこの国の皇帝陛下だったせいで、彼は否応なしに、大きな歴史の渦の中に一歩足を踏み入れる事になったのだった。



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