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ただ君の星だけを見ていた  作者: 早海和里
ただ君の星だけを見ていた
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第18話 皇帝という場所

 星見の宮で彼らを出迎えたのは、白銀の髪をした羅刹の娘だった。

「華梨様にお客やで」

 その声に、奥から今度は黄金の髪の羅刹娘が顔を出した。蓬莱である。


伽羅から、華梨様は今、手が離せんわ。術を使っとる最中やもん。……おやま、誰や思ったら、宰相はんとこの坊やな。何や、怪我しとるんか?」

 呆気に取られている梗琳に愛想よくそう言うと、蓬莱は星海の顔を覗きこんだ。



 蓬莱が星海の手当を済ませて、少年を部屋の隅の長椅子に寝かせた所で、華梨が奥から姿を見せた。

 優慶は星海の傍らに腰掛けて、その青白い顔を眺めていた。梗琳は椅子に腰掛けていたが、華梨に気付いて腰を浮かせて立ち上がりかけた。

「そのままで……」

 華梨が制止したので、梗琳は黙礼だけして腰を落ち着けた。


 二人の羅刹娘が並んで梗琳の向かい側に座った。双子という訳ではないが、一対というのがぴったりとくる様な二人を興味深そうにほんの少し眺めて、梗琳は視線を華梨に戻した。


「……お待たせしてすみません」

 華梨が星海に気を使ってか、静かな声で言った。

「顔色がすぐれませんね」

 華梨が、少し疲れた様な顔をしているのに気づいて、梗琳が心配そうに言った。

「余計な事かもしれませんが、あまり八卦をお使いにならない方がいい。あなたは、八卦師ではないのだから……」

「ええ、そうね。なまじ、星見などかじってしまったから……つまらない性分だわ。何かせずにはいられないのよ。時代が動き始めたのが伝わってくるの。でも、大丈夫。自分の力の限界は心得てますわ」

「それなら、構いませんが……」

 梗琳は華梨の顔を見てそう言っただけで、その先の言葉はそのまま飲み込んだ。


 時折、自分に無理をさせているのが、華梨には自覚が無いのだ。だから、梗琳がそうだと言っても、彼女の事だから、かえって強がってしまうに違いない。透き通るように白い顔に、儚げな笑みを浮かべた少女を見て、梗琳は河南へ去った周翼に対して、腹立たしさを覚えた。


 華梨という娘は、人前で泣くような娘ではない。だからと言って、彼女が強いのだという訳では、決してないのだ。周翼には、一体それが分かっているのか……


「ご心配いただいて、ありがとうございます。それで、外は、どんな様子ですか?」

「収まりつつはありますが、今少し時間が掛かりそうですね」

「そうですか。でも、夜までには、きっと劉飛様が片を着けてくださいますわ」

「劉飛様……ああ、皇宮警備隊にいらっしゃったんでしたね」

 相槌を打ちながら、梗琳は華梨がどこか落ち着かない様子であることに気が付いた。


「……その……奥に、どなたかいらっしゃるのですか?」

 梗琳が鎌をかけてそう言うと、華梨の表情に微かに反応があった。

「いえ……ここには、私達だけ……」

「以前に、天海様から河南の鬼姫の話をお聞きしたことがあります。……真紅の鎧に身を固め、金と銀の羅刹を従えて、その姿はまるで神話の軍神の如く……」

 梗琳が話の途中で言葉を切った。その梗琳の瞳の中に映った人影を見て、華梨は慌てて振り向いた。



「麗妃様……」

 まさに天海が語ったままの、真紅の鎧を纏った少女が、そこに佇んでいた。


「お待ち下さい、麗妃様。ご短慮はなりません。どうか、先程のお約束を……」

「華梨、お前の言い分は分かるし、正しいのも認める。だが……それならば、私はこの思いをどこに向ければいいのだ?楊蘭様の御無念を思うと……何も出来ない自分が、はがゆくて……気がおかしくなりそうな程なのに」

 麗妃がそう言って、部屋の隅にいる優慶を睨みつけた。その鋭い視線に驚いて、優慶が立ち上がる。


「麗妃……お前が、河南公の……叔父上の娘か」

「ええ、そう。お前に滅ぼされた大公家の、最後の生き残りよ。皆、いなくなってしまったわ。お前が居なければ、皇帝になどならなければ……失う事はなかった。河南も父も……楊蘭様も」

「河南公が……亡くなられた?ご病気だとは聞いていたが……亡くなられたとは。それに、広陵公まで?」

 初めてその事実を知った様な優慶の口振りに、麗妃は怒りを押さえ切れずに大きな声を上げた。


「楊蘭様は、お前の刺客に殺されたのだぞ!」

 敵意と怒気を含んた麗妃の言葉の激しさに、優慶はただ呆然としてそこに立ち尽くすばかりである。

「私の……何……?」

 優慶は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。ややあって、皇帝の名において何が行われたのかを悟り、そして言葉を失った。



「……お前が……お前がそんなだから……国が乱れる。いつまでたっても、戦が収まらない。自分で守り切れない帝位なら、今すぐ退位なさい。誰が皇帝になったって、お前よりはましなはずよ」

 麗妃の怒りを帯びた言葉に、優慶はどうしていいのか分からずに、その視線は宙をさ迷った。華梨も梗琳も、何も言ってはくれなかった。


「……私は。物心ついたときから、皇帝だった」

 優慶が俯いたまま、独り言のようにぽつりぽつりと言葉を紡ぐ――


「私がもっと幼かった時、皆が私を『陛下』と呼ぶので、私は自分の名前が陛下なのだと……そう思っていた時期もあったのだ。皇帝という位に即く者が、どれほどの力を持つものなのか……大公達が、どれほどこの位を欲しがっていたのか、何も知らなかった。気付いたときには、帝国はすでに戦の嵐の只中だった。宰相のしていることが、本当は私のすべきことなのだと分かっても、私には何も出来なかった。私は名前を与えられただけで、力を与えられてはいなかったのだから……飾り物の……名ばかりの皇帝で、本当の権力を持つものの盾として……ただ、それだけの為に存在していた」

 優慶はそこまで言うと、小さく息をついて顔を上げた。


 麗妃は、黙ったまま優慶を見詰めている。優慶は、再びその視線から逃げるように目を伏せて口を開く。


「だからといって、私の名において成されたことに対して、責任がないとは言わない。皇帝の名というのは、それだけの重みを持つものだからだ。その償いはするつもりだ。麗妃……私は、どうすれば良い?この帝国の混乱を収めるには……譲位か?それとも私の命なのか……?」


 優慶の消え入るような声が途切れた時、室内は静まり返っていた。問い掛けるように顔を上げた優慶の、雷将帝の視線を、今度は麗妃の方が反らして俯いた。


 雷将帝が大后の権力の隠蓑である事は、麗妃も承知していた。この小さな皇帝を責めてみても、それは単なる愚痴にすぎないのだという事も分かっていた。ただ、皇帝という絶対的な力を持てる立場にある雷将帝が、無力なお飾りに甘んじている事が麗妃には許せなかったのだ。



「……恐れながら、陛下に申し上げます」

 戸口の方から、はっきりとした口調でそう言う声がして、一同の視線がそちらに集まった。

「劉飛……」

「陛下。この帝国の乱れを収めるには、何をおいても、陛下のお力が必要です。もし今、仮に陛下がご譲位あそばされれば、混乱は更に大きなものとなりましょう」

「ならば私はっ、どうすればいいのだ」


 何も出来ないままで、前に進むことも、後に退くことも、全てを終わらせることすら許されないのだとしたら……そう考えると、絶望感に苛まれ、涙が込み上げる。しかし、優慶のそんな不安に揺れる心を、劉飛の明確で力強い言葉が掬い上げた。


「陛下。名実共に雷将帝とおなり下さい。それ以外に、この帝国を救う道はございません。此度の内乱はもう間もなく、片が着きましょう。そして、河南との和平も成りましょう……しかし、次にまた、この様な戦が起これば、帝国は間違いなく崩壊いたします。何があっても、戦は避けねばなりません。その為には、陛下にもっと強くなっていただかなくてはなりません」


「……分かった。それが、皇帝としての責任を果たす事になるのだな」

「はい。陛下は、お一人ではありません。陛下には、我々が付いておりますから」

 劉飛の言葉に、優慶は部屋の中にいる者の顔を確かめるように見て、そして最後に、麗妃に目を止めた。その瞳に応えて、麗妃がようやく口を開いた。


「楊蘭様は、真に帝国の安定を願っていらっしゃいました。私の父が帝位など欲しなければ、あの様に亡くなる事もなかった。皇帝の力が弱ければ父の様に、その位を狙う者がまた現われるでしょう。もう、あの様に馬鹿げた戦はたくさん……一体、どれ程の人の命が、戦いの中で消えていった事か。陛下、陛下は戦の後の戦場を御覧になったことは、無いでしょう?想像がつきますか……?地平まで続く屍の山。屍に群がる烏達が、空を埋め尽くすほど黒く……」

 麗妃は声を震わせて言葉を切った。それで優慶は、彼女が泣いているのだと分かった。



 大公の娘として生まれた麗妃は、平和な時であれば、剣を取って戦場に立つことなどなかったはずである。

 劉飛も、華梨も、梗琳も、そして、星海も。皆、この時代に生まれたというだけで、多くのものを失っていた。親兄弟、友人、恋人……心に傷を負いながら、皆、幾つの別離に出会ってきたのだろう。


 その心の傷を癒せるような、平和で穏やかな時代を創ることが、自分の皇帝としての務めなのだと思った。


――私が皇帝なのだから。それが、私の負った宿命なのだから。


 優慶は、自分の心にそう言い聞かせた。


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