第15話 占い婆の予言
星海には、もちろん真っ直ぐに屋敷へ戻る気など更々ない。雪妃に乗ったまま市場を抜け、彼は占い婆の館へと向かっていた。
「お婆っ!」
扉を開けしな、星海はそう叫んで、部屋に飛び込んだ。
「やれやれ、相変わらずじゃな。星海」
懐かしい声が星海を出迎えた。
「……なんだ、もっと驚くかと思ったのに」
やや不服そうに星海が呟くと、婆はしわがれた声で、ほほっと笑った。
「お前が戻ってくるのは、分かっていたよ。そしてまた、すぐに行ってしまう事もな」
「お婆……俺、宰相様の息子になった。宰相様はとても良い方だ。だから……」
「分かっているとも。お前の事は皆、天の星様が教えてくれる」
「お婆の言った通りだったよ。俺、すっごい宝物、見つけたぞ」
「その宝、大切にの」
「うん。勿論だ」
「それは、他の誰でもない……お前にしか、守れぬものじゃ」
「俺にしか?でも、優慶様には……」
皇帝である優慶には、護衛のものが大勢ついているし、劉飛だっているのに。そう思って星海が首を傾げると、占い婆は優しい笑みを浮かべながら、子供に言い聞かせるように言った。
「時は流れ、時代は変わる。そして、時の支配を受けるものもな……人とて同じ事じゃ。人はその時代に合うように、自身を変えていく。時の流れに逆らう事は、自滅の危険を伴うでな。時代を生き抜くために、生きやすいように……そう、時代に添うように自らを変えていくのじゃ。皆変わる。お前もだよ、星海」
「俺も?」
「だから、守りたいものは、頑なに守っていかねば、守り切れぬ。お前のお守りする優慶様は、この時代の象徴……時代そのものといってもいい。この時代が変わる時、時代と共に滅びゆく定めを負ったお方なのじゃ」
「時代が変わる時って……」
――雷将帝陛下は、この華煌の最後の皇帝になる。帝国は遠からず滅びよう。
占い婆の言葉は、その一つ一つが鋭い刺を持って、星海の心に刺さっていった。
帝国が滅びる――その後に一体どんな時代が来るのか、星海には想像もつかなかった。
「……遠からずって、どのくらいだ?お婆」
「それは、分からん。お前達の努力次第で変わるものじゃからの。一年先か……十年先か……だが、滅亡は避けられぬ」
その言葉に、心臓がぎゅっと掴まれたように、寸暇息が止まった。これまで優慶が皇帝であるということを、殊更に意識したことはなかった。でも、自分は彼女の背負う運命の大きさから目を反らしてはいけないのだと気付かされる。そして今、星海は改めて彼女を守る決意をその心に刻み込んだ。
「分かった。でも、お婆。何があっても優慶様は、俺が必ず守る。そう決めたんだ。帝国が滅んでも、時代が変わっても、それは変わらないよ」
星海の強い意思を秘めた表情を、占い婆はしばらく眺めて後、分かったという様に頷いた。
「お前のお姫様が、この近くに来ているようじゃ。じきに嵐が来る。迎えに行っておやり」
「優慶様が?また、お忍びかな。でも、嵐って?お婆……」
窓の外の晴れ渡った青空に目をやって、星海が不思議そうに尋ねた。
「言葉は、表面通りの意味以外の事を表わすこともある。覚えておおき。嵐の意味はすぐに分かるよ。さぁ、早くお行き。あまり時間がない」
占い婆は急かすように、星海を戸口に追い遣った。
「お婆……また来るよ」
星海の言葉に婆は頷いた。
だが、この時の、薄暗い扉の中の、占い婆の姿が、星海が彼女を見た最後になった。
「……指極星。それは天の支配星――天極星を守護する定めの星。その星を守護星に持つお前なら、きっと陛下をお守りできよう…………これで、あなた様とのお約束は果たしましたぞ、炎雷帝陛下。さて、私の役もここ迄かの……」
その呟く様な声が消えたとき、薄闇の中に、すでに人の気配は無かった。
星海は大路に出たところで、街の様子が騒然としているのに気が付いた。人々は皆、手に荷物を抱え、南大路門を指して走っていく。
「何があったんだ?」
「大公軍の奇襲だ。北から、鬼姫が攻め込んできたんだ」
人込みから答えが返ってきた。鬼姫とは、河南公の娘で、大公軍の右将軍である楊麗妃の仇名であった。
「河南の大公軍が、北から?どうして……お婆の言ってた嵐って、この事か」
「星海っ!」
人込みの中から彼を呼ぶ声がして、星海がそちらを見ると、優慶がそこにいた。
「優慶様っ!」
星海は手を伸ばして、優慶を雪妃の上に引っ張り上げた。
「ちょうど良かった。すぐに、燎宛宮へ行ってくれ」
「しかし、大公軍が来たと……今、燎宛宮に戻られては、危険でございましょう。敵は陛下のお命を狙っているんですよ」
「私には、皇帝としての義務がある。例え、名ばかりの皇帝でもな……私が燎宛宮を守らねば、一体、誰が守るというのだ?」
「優慶様……」
その凛とした佇まいに、圧倒された。
自分より四つも年下の少女に、圧倒させられた。
そして、否応なしに惚れ直した。俺の皇帝陛下は、間違いなく文句なくカッコよくて可愛い――俺の宝物。だから俺は、絶対に彼女を守り抜く。そんな決意が心に湧き上がった。
戦の気配に、星海の気分はどこか高揚していた。そして、まだ戦場というものを知らない星海は、その残酷さをまだ知らなかった――
「星海?」
「……分かりました、お供致します」
星海は鐙を蹴って、都大路を北へ走り出した。
しばらくして、星海の腕の中で、優慶が思いついたように言った。
「私を名で呼ぶのは、華梨だけだったが……」
優慶にそう言われて、星海は今まで無意識に優慶を名前で呼んでしまっていた事に気が付いた。
「あ、ええと……申し訳ございません」
「いや、いいよ。別に咎めているわけではないんだ。そう呼んでくれて構わない。母上の前では困るけどな。お前は、特別の様だから……」
「え」
「いつも、私が困っている時に現れて、助けてくれる」
優慶が肩越しに振り返って、花の様な笑顔を見せた。
「私といると、母上に睨まれるから、皆、私には近付いて来ないのに、お前は変わっている」
「そう……でしょうか。自分ではよく分かりませんが」
「この雪妃は、私が周翼にやった馬だ。利口な馬だから、乗せるものをよく選ぶ。雪妃のお眼鏡に叶ったお前は、きっといい人間だな、星海」
「きょ、恐縮にございます……」
軽く頭を下げながら、優慶が自分という存在を認めてくれた事が、星海には嬉しかった。
名前を覚えてもらったという事もさることながら、何よりも、彼女が星海に対して良い印象を持ってくれた。そう思うと、星海の胸は感動で一杯になったのだった。
その同じ都大路を、やはり人の波に逆らい、北に行く者があった。
星海を迎えに来た梗琳である。
星海が衛斉の元をとっくに出たのだと知って、慌てて引き返して来た所で梗琳は、麗妃の燎宛宮奇襲を知った。そして、少しの逡巡の後、彼は馬を燎宛宮に、今まさに戦闘が繰り広げられているであろう場所に向けていた。
領地を追われた広陵公が、その兄である河南公を頼って河南へ行った事は聞いていたが、その後の消息は聞こえてこない。もしかしたら、兵の中に知っているものがいるかも知れない。そう考えてのことであった。




