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ただ君の星だけを見ていた  作者: 早海和里
ただ君の星だけを見ていた
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第10話 帰路

「あの竜達を何とかして欲しい」

「竜?」

 蓬莱は劉飛の示した方を見て、数頭の砂竜が彼らを取り巻いているのを、その緋色の瞳に映した。


「なんや、どうも魔力が充実してる思ったら、羅刹幻鏡の結界ん中やんか。こんな所で、何してましたのん?」

「八卦師に閉じ込められたんだよ」

「八卦師?そりゃ、けったいやな。こんな珍しい術使うんは、羅刹の者以外おらんのに。まっ、ええわ」


 蓬莱は両手を掲げると指先で印を結び、一頭の竜に向かって呪文を唱えた。すると、他の竜達の姿が空気に溶けていくように、次第に薄くなった。やがて、それがすべて消えてしまうと、新たに別の印を結び直す。最後に残った竜の体が崩れ始めると、一羽の羅刹鳥がその中から姿を見せた。さっきまで巨大だったその体躯は、今ではもう、大きめではあるが普通の鳥と変わりない。


「……すげぇ。これって八卦なのか」 

「おいでっ」

 感心する星海の前で蓬莱が呼ぶと、羅刹鳥ははばたきをして蓬莱の肩に静かに止まった。


「お前、雷雅らいがやな。冥府の羅刹王様のとこにおったんやないのか?こんな所でどうしたんや?」

 蓬莱の言葉を解すように、羅刹鳥は彼女の顔に嘴を擦り寄せた。


「意外と大人しいんだな、そいつ」

 その様子を見ていた星海が、驚いたように言う。

「雷雅は人見知りやからな。そもそも、地上は羅刹鳥には明るすぎるんや。こんなとこに引き出されて、機嫌悪かったんやと思うわ」


 言いながら、蓬莱は指で空中に何かを書くような仕種をした。するとそこに、小さな黒い穴が開いた。蓬莱が指を更に数回、円を描くようにくるくると回すと、穴は人が通れるほどに大きくなった。


「さっ、雷雅。お前の世界へお帰り」

 蓬莱が羅刹鳥を肩から腕に移し、その腕を半ば穴の中に差し入れるように伸ばした。羅刹鳥は軽くはばたきしたものの、飛ぼうという様子がない。蓬莱のほうに顔を向け、その様子を覗うかのように、小さな目をしきりに動かしている。

「あたしは、冥界にはまだ戻れんもん。……伽羅からと一緒やないと。きっと、後から行くから、お前は先にお帰り」

 蓬莱がそう言って、腕を軽く振ると、羅刹鳥は大きくはばたきをして、穴の中に吸い込まれるようにして消えた。


「あれは、お前の鳥だったのか?」

 そう聞いた劉飛に、蓬莱は軽く頷いた。

「……あたしが卵から育てて、術を仕込んだんや。雷雅は冥界一の羅刹鳥やった。……さてと、こんな所にいつ迄も長居は無用や。この剣、ちょっと借りるで」

 蓬莱が手を伸ばして、劉飛の腰の剣を抜いた。

「何をするんだ?」

「心配しなさんな。結界を壊すのに使うだけやから」

 蓬莱は剣先で砂の上に円を描き、その円内の何か所かに記号のようなものを書き入れた。


「この中に入るんや……線を踏まんようにな」

 三人が円内に入ったのを確認して、蓬莱は円の中心に剣を突き立てた。

「羅刹王羅綺らきの名において命じる。鏡破魔気隠滅!結界消滅!我が身を地上へ」


 円の外側の砂が壁のように盛り上がり、視界を遮った。同時に、体が左右に引っ張られるような感覚に襲われ、息苦しさを感じた。それを何とかしようとして、星海が大きく呼吸しようとした、その瞬間。唐突に目に木々の緑色が飛び込んできて、耳に馬のいななきが聞こえた。四人は揃って街道にたたずんでいた。




「戻った……」

 星海がほっとしたように呟いた。

「劉飛様は、剣技は優れておいでの様やけど、も少し八卦術の方も会得されるべきやわ」

 蓬莱が、劉飛の剣をその鞘に戻しながら言った。

「俺が?八卦を?」

「剣術の達人に勝とう思ったら、八卦を使うんが、手っ取り早いやろ。武人にあらぬものは、特にそういう手を使いたがるもんや」

「そうか?」

「そうですわ」

「ふむ……考えとくよ」

「じゃ、また御用の折には、呼んでくださいな」

 蓬莱は、にこやかにそう言うと姿を消した。


「呼んでくださいか……参ったな」

 半ば強引に押し付けられた主従関係を思って、劉飛は溜め息を吐いた。蓬莱のはっきりした物言いも、劉飛には疲れるものがある。

「かといって、ずっと封魔球に閉じ込めておくわけにもいかないしな。全く、封魔球なんか、軽々しく使うんじゃなかったよ」

 劉飛のそんなぼやき声に、優慶の声が重なった。

「華梨っ!どうしたのだこの様な所へ」

「……華梨殿?」

 劉飛がそちらへ目を遣ると、そこに宮廷の女官の衣装を纏った華梨の姿があった。



「何故、この様な所へ……ですか?そのお言葉、そのままそちらへお返しいたしますわ。優慶様」

 そこに立っている華梨の姿は半透明で、その体を通して向こう側の景色が見える。

「八卦術……か」

「いますぐ、燎宛宮にお戻り頂きます。この様な事が、大后様のお耳に入ったらいかがなされるおつもりですか。お忍びにも、限度というものがございますよ」

「華梨……」

「しばし、その場所をお動きになられませぬ様」

 そう言って、華梨が印を結んだ。

「ちょっと待て。華梨、私はまだ……」

「空間変換術っ!」

 華梨の声と共に、優慶の姿がふっと消えた。


「優慶様っ?」

「今頃は、きっともう燎宛宮だよ、兄さん。あの術あっという間なんだから」

「ああ、そう。八卦、ね」

「劉飛様……」

 華梨が、今度は劉飛を呼んだ。


「はい?」

「このたびの事、私と、今ここにいる梗琳しか知らぬ事。口外するつもりはございませんが、今後は身を慎しんで下さいね。奔放なのは結構ですが、ご自身が周囲に与えられる影響というものを、もう少しお考え下さい」

「ご諌言、この身にしかと刻みこんでおきます。此度こたびのこと、誠に軽率でございました」

 そう言って、劉飛が余りにもすんなりと頭を下げたので、華梨は少し驚いた顔をした。その後で、口元に笑みを浮かべて微笑していたから、華梨もまた、劉飛の人柄に好印象を持ったのだろう。星海にはそう思えた。このお兄さんは、何といっても稀代の人たらしだ。


「……いずれまた、燎宛宮でお会いすることもございましょう。あなた様には、お話ししたい事もございますから」

「話?」

「それでは、御前失礼いたします」

 劉飛の疑問には堪えずに、華梨は優雅に一礼して、そのまま姿を消した。




 星海は雪妃の背に揺られながら、彼の前方で黙り込んだまま駒を進めている劉飛の背中を眺めていた。

「ねえ、劉飛兄さん」

「どうした?傷でも痛むのか?」

 そう訊いて来た声の様子が、そう機嫌の悪いものではなかったので、星海は雪妃の鐙を軽く蹴って、驪驥と駒を並べた。その星海を、劉飛が横目で見て、静かに言った。


「……雪妃は、気難しい馬で、今まで、周翼以外の人間を乗せた事はないんだ。周翼がいなくなってから、馬屋に繋がれっぱなしだった。引退させるには早いし……新しいあるじが決まって良かったよ」

「主って……俺が?」

「お前以外に、誰がいるんだ?……結局、そういうことなのかもしれないな。誰かが居なくなっても、別の誰かがその穴を埋める。そうやって、色んなものが時を越えて受け継がれていくんだろうな」

「……でも、兄さん。雪妃に乗ることが出来ても、俺は、周翼兄さんの代わりは出来ないし……劉飛兄さんが居なくなったって、同じ事だ。誰もその代わりは出来ないよ。だから、優慶様だって、兄さんを連れ戻しに来たんだろ?」

「……そうだな」

「……あんなに想われて、兄さんは幸せ者だよ」


「陛下は、ご自分の感情を素直に表わしすぎる。皇帝陛下が特別な寵臣をお持ちになるのは、あまり良い事とは言えないよ、星海。人の上に立つものは、常に平等と公平を心掛け、感情を露にするべきではないんだ」

「けど、優慶様は……」

「陛下も御年七つ。そろそろ大人になっていただかなくては。それから、星海。陛下を御名でお呼びするのは、無礼だぞ。慎めよ」

「……」

 劉飛と話していると、優慶がとても遠い存在の様に思える。


 多分それは、劉飛が優慶という存在を、自分とは距離をおいて考えているせいなのだろう。劉飛にとって、優慶とは忠節をもって仕える皇帝であり、それ以外の何ものでもないのだ。


 でも、俺にとっての優慶様は――


 星海は自分の中の優慶という存在を、確認するように心に思い浮かべた。

 星海にとっては、優慶は出会ったときから優慶であり、皇帝などという身分は後から付け足されたものに過ぎない。もともと、宮廷の階級世界とは無縁の所で育った星海である。今後、彼が優慶を陛下と呼ぶようになっても、その思いは変わらない様に思われた。



 華煌京の南大路門が暮色に染まっていた。

 その夕陽の色の中に、梗琳が立っていた。


 その姿を見て初めて、星海は今日一日がとても長かったと思った。そして、傷を負った肩が急に重く感じられて、星海は手綱を確認するように軽く握り直した。




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