こぶ
桜には毛虫がつく。食える実がなるわけでもない。ゴツゴツとした樹皮はまるで割れたアスファルトだ。そのくせ枝が折れただけで腐る。無遠慮に枝が伸びた枝がトラックの荷台を擦る。電線を巻き付ける。春のほんの数日だけ花が楽しめるからって、それがなんだ。
俺は桜が嫌いだ。
子供の頃からずっと嫌いだった。だから、小夜子が新居に桜を植えようとしたときも反対した。俺が馬車馬のように働いてやっと建てた家の庭だぞ。
「毎日見ていれば、きっと好きになる」
小夜子はつんと尖った鼻に小さく皺を寄せながら、ついに俺を言いくるめてしまった。植木屋が桜を植えつける様子を、俺は苦々しく眺めた。桜なんか、好きになるものか。
俺と小夜子がすれ違い始めたのは、そもそもこの桜のせいなのだ。
やがて花ぶりが近所で話題になり、わざわざ見に来る者まで現れた。なんでも突然変異で生まれたばかりの新種の桜なのだという。
確かに、紅がかった八重の花房が眼を引いた。桜が嫌いな俺ですら、その美しさは認めざるを得なかった。小夜子は頻繁に植木屋を呼び寄せては、品種名がどうのと浮かれていた。くだらない。
ある朝、俺は忘れ物をして自宅に引き返した。すると家の前に植木屋の軽トラックが停まっていた。
庭の手入れを頼む予定など聞いていない。玄関には鍵がかかっていて、呼び鈴を押しても小夜子の返事がない。嫌な予感がした俺は、裏口に回り、そっと庭を窺った。
満開を迎えた桜の下で、小夜子と植木屋が抱き合っている。
なるほど、この桜は穢れている。美しいが穢れているのだ。小夜子と同じように。
「あら、今晩は早いのね」
何食わぬ顔で出迎えた小夜子の首を、俺は両手で締めあげた。小夜子は俺の腕に爪をたて抵抗したが、やがて動かなくなった。
それから桜の根元を掘った。人間一人分の穴を掘るのは、予想外に大変な作業だった。太い根や石がシャベルにぶつかり手の皮が剥けた。あまり時間をかけると近所に気付かれるかもしれない。俺は噴き出す汗を拭いながら必死で作業を終えた。
その夜からまる五年が経過した。俺はもう庭の桜が嫌いではない、むしろ愛おしい。何故ならこの桜は小夜子そのものだからだ。
あの植木屋は使い続けた。何も知らぬまま手入れをする姿が滑稽で、憎しみは感じない。小夜子は俺だけのものになったのだから。
「今年も綺麗に咲くんだぞ」
俺は小夜子を埋めたちょうど真上に立ち、桜を見上げた。八重の蕾が膨らみかけた一朶に、今まで気づかなかった新梢がある。俺は眼を見張った。ほっそりとした枝の先端が五股に分かれ、何かをひっかくように内側に向けて丸まっている。
「何をするの」
小夜子の首に手をかけたときの悲鳴が甦った。あの枝は、あの指は、俺に爪を立てた小夜子のものではないか!
「ちくしょう」
俺は枝に足をかけてよじ登り、夢中でその枝を折りとった。こんなものが誰かに見られたら大変なことになる。そうだ、あの植木屋が見たらどう思うだろう……何か勘づくかもしれない。俺は折り取った小夜子の腕を細かく砕き、捨てた。これで一安心だ。
折り取った痕はこぶになった。そしてそのこぶは日を追うごとに膨らんできた。桜は弱い樹だから、病気になったのかもしれない。俺は毎日こぶを観察した。
こぶは楕円形をしていた。つるんとした表面に細々とした凹凸が生まれ、やがてつんと尖った鼻ができた。頬ができた。瞼ができた。こぶは小夜子の顔になった。削り落としても、次々と腕や顔が生えてくる。俺は無我夢中で削り続けるうちに足を滑らせ、骨を折った。
「あの桜は癌腫病で枝が脆くなっていたようです」
全治一ケ月と診断され入院していると、植木屋が見舞いに来た。
「地際にもこぶが出来ていましたから、根元周囲の土壌を掘り返せば――」
「必要ない!」
掘り返されてたまるか。俺は慌てた。
「そういえば、この病院にも何年か前にサヨザクラを植えたんですよ。ほら、この窓から花見できます。そっくりで、とても綺麗でしょう。お庭の桜と同じ頃に挿し木した株です。実はこの桜は僕の見つけた新種で、お世話になった小夜子さんの名前を付けさせていただいたんですよ」
挿し木だと。挿し木というのはクローンだ。つまり小夜子の……。俺は窓からその桜を見下ろした。
幹の上で、小夜子が微笑んでいた。
初めて書いた作品です。
稚拙ですが、読んでくださってありがとうございます。