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そして、縁側でひとやすみ


 (りん)は、物心つく前から奇妙なものが見えていた。


 それらは幽霊とか生き霊とか残留思念とか言われるもので、普通の人には見えないものだ。

 だから鈴も、いつもは見えていないふりをしている。

 見えていることが友達に知られると、はじめは面白がられるけど、次第に鈴自身が怖がられるようになってしまうから……。


 それに、見えていることがわかるとつきまとってくる幽霊もいるのだ。

 鈴には、父親や兄が持たせてくれるお守り石があるから、つきまとわれるだけで実害はない。

 でも、目の前で憎々しげな顔をしてずっと睨みつけられるのは、やっぱり怖い。

 悲しそうに泣きながら何事かをずっと語りかけてくる幽霊を無視するのは、地味に心が削れる。


 鈴は見えるだけ。

 幽霊達の声は聞こえないし、行くべき所に送ってあげられるような力もない。


 小学四年になったばかりの頃、学校で流行っていたコックリさんを見て、ふと思いついた。

 文字盤を指差してもらえれば、悲しそうな幽霊の言っていることも分かるのではないかと。

 思いついたまますぐに実行して……やるんじゃなかったと後悔した。


――さみしい おねがい いっしょにきて


 その悲しげな幽霊が、自分をどこに誘っているのか考えるまでもなかった。

 鈴は恐怖で泣きながら、絶対安全圏にダッシュで逃げ込んだ。

 連絡を受けて駆けつけた両親と兄にはガッツリ叱られたし、鈴と同じ力を持つ母方の曾祖母には悲しい顔をされた。

 仲の良かった曾祖父を亡くしたばかりで気落ちしていた曾祖母を悲しませたことが申し訳なく、辛かった。


「生前どんなに優しい人でも、逝くべき時に行くべき場所に行けないと歪んでしまうものなのよ」


 肉体というくびきから解き放たれ、人間社会との繋がりも絶たれて彷徨う魂は、やがて変質してしまうのだと曾祖母は言った。

 良識や理性を失った彼らは、ときに狡猾で攻撃的でとても危険なのだと……。


 それ以来、鈴は見えないもの達に出会っても、以前にも増して気づかないふりをしている。

 うっかり見えていることに気づかれてもガン無視だ。

 たまに、本当に悲しそうで途方に暮れている雰囲気の幽霊に遭った時にだけ、神社に行くようにと助言する。

 自分にはそちらの声は聞こえないし、なんの力もない。でも神社の神域に居れば、時間はかかるかもしれないがいずれ行くべき場所に上がって行けるからと。

 まだ良識が残っている幽霊は、鈴の言葉に頷いて神社に向かってくれる。

 そうじゃなかった時は、聞こえないと言っているのにしつこくつきまとって話しかけてくる。


 今もそうだ。


 中学生になった鈴は自転車を飛ばして、通い慣れた道を爆走していた。

 目的地の丘の上の家に向かう私道に入り、絶対安全圏に辿りついたところで自転車を停めて振り返ると、ここ三日ほど悲しげな顔でつきまとっていた女性の幽霊が、公道と私道の境目の当たりで足止めされて、こちらを憎々しげに睨みつけていた。


「……あの悲しそうな顔、やっぱり嘘だったんだ」


 若い女性だから、つい同情して話しかけたのが悪かった。

 あの表情からして、間違いなく鈴に害意を持っていたようだ。


「しばらくこっちの家のお世話になるしかないか……」


 この丘の上の家に長時間滞在すると、この地に絶対安全圏たる結界を張っている存在の加護の影響からか、結界の外に出ても害意ある存在が近づけなくなるのだ。

 永続的な加護じゃないが、学校に通っている間ぐらいならばあの女の幽霊も近づけない。

 影響を及ぼせないとわかれば、自然に鈴から離れて行くだろう。それまでの辛抱だ。

 

「家にも大さんがいてくれればなぁ」


 この絶対安全圏たる結界を張ってくれている存在が、大さんだ。

 大きな猫の姿の不思議な存在。

 この丘を守る土地神様みたいな存在だと思ってくれればいいよと丘の上の家の主である勝矢が言うけれど、鈴は違うと思っている。


 大さんが守っているのは土地じゃ無い。勝矢おじさんだ。


 どうしてそう思うのかと聞かれても答えられない。

 ただの勘のようなもの、そうなんだろうという確信があるだけだ。


 大さんは、勝矢おじさんと、勝矢おじさんの大事なものを守ってるんだ。


 自分や他の人達は絶対安全圏から離れてしばらく経つと大さんの加護が薄れるが、勝矢だけはそのままだ。

 勝矢は、東京で働いていた若い頃、人の悪意に晒されて都落ちしてきたんだと笑っていたが、それもたぶん違うと鈴は思う。


 大さんが守っていたから、悪意から無事に逃げてこられたんだ。


 鈴がそう言うと、そこらあたりの事情を知っているらしい両親は、そういうことになるのか? と真剣に考え込んでいた。


「そういえば、一度はあの女の罠に落ちたのに、あいつらの言いなりになって働かされるようなヘマをしないままで、こっちに帰ってこれたのよねぇ」

「会社を辞めさせられた時もただクビになっただけで、経歴に傷がつくようなことにはならなかったしな」

「ラスボスって、あれだけの力のある生き霊を放ってた相手だったし……」


 鈴にはよくわからないが、自分の考えは間違ってないと思っている。

 だから、勝矢が羨ましかった。

 鈴も大さんのような守護者が欲しい。


――勝矢おじさん、鈴に大さんをちょうだい。


 小学校低学年の頃、勝矢にそんなお願いをしたことがある。

 勝矢はちょっと困った顔で笑って、鈴の頭を撫でた。


――大さんの代わりに、鈴ちゃんのお父さんを俺にくれるならいいよ。


 それは駄目だ。

 父親が家からいなくなったら母親が悲しむし、兄の一石だって鈴だって悲しい。


――大さんは俺の家族なんだ。家族がいなくなったら、鈴ちゃんだって嫌だよね?


 その説明に鈴はすんなり納得して、それ以降同じ我が儘を言わなくなった。

 ちなみに、家に帰ってその話をしたら母親が物凄く怒った。


――なんでお父さんなのよ。こういうとき引き合いに出すべきは私じゃないの?


 勝矢の癖に生意気だと母親は怒り、父親は満足そうにこっそりガッツポーズをしていた。


 鈴は、同じ力を持つ曾祖母や母よりも見る力が強いようだった。

 それに妙に勘がいいところもあって、この先、神社の神域や大さんの結界のあるこの地を離れ、理解者も居ない場所で生きるのは難しいのではないかと思っている。

 母方の実家が神社なのだが、宮司である母の兄夫婦には子供が居ないこともあって、跡継ぎにならないかと言われている。

 強制はしない。選択肢のひとつに入れておいて欲しいと……。

 両親からは、焦って決めなくていいと言われている。

 他の人にはない力を持ったことで、すでにリスクを背負っているようなもの。ゆっくり大人になって自分の道を捜せばいい。それまでは自分達が守ってあげるからと……。

 両親の言葉に甘えて、鈴もそうしようと思っている。





「鈴姉ちゃん、今日泊まってくれるの?」


 玄関を通らず庭を進んで直接縁側に向かうと、庭で縄跳びをして遊んでいた愛華が嬉しそうに駆け寄ってきた。

 愛華はこの家の長女で、小学三年生だ。


「うん、そのつもり」

「やったあ。あのね、ママに新しいビーズ細工の作り方を習ったの」

「じゃあ、後で教えてくれる?」

「うん!」


 じゃれついてくる愛華と手を繋ぎ、ふと縁側を見ると、日当たりの良い場所に寝そべっている大さんと、大さんのお腹に顔を埋めている小さな男の子が見えた。

 愛華の弟で一樹、幼稚園児だ。


「一樹どうしたの?」

「わかんない。さっきからずっとああして泣いてるの」

「相変わらず泣き虫ね」


 一樹はちょっとしたことですぐ泣く。

 男の子なのにもうちょっとなんとかならないかと鈴は少し腹立たしく思うが、一樹の父親である勝矢は「あれでも俺の子供の頃よりはマシだし、大目に見てやってよ」と笑って言うのだ。

 子供の頃の勝矢は、もっとずっと悪質な泣き虫だったらしい。


――俺は慰めてもらおうって気が皆無で、ただひたすら内に籠もって泣いてるだけだったからなぁ。一樹は、ああして大さんに泣きつけるだけマシだよ。


 一樹には理由を聞いたり、慰める余地もあるしと、勝矢が笑って言う。

 確かに泣いている理由も訴えず、ただひたすら泣き続けられるのは面倒だし、鬱陶しいかもしれないなと鈴も思う。


「あら、鈴ちゃん。お帰りなさい」


 家の奥から勝矢の妻である夏美が顔を出した。

 手に汚れた作業着を持っているから、裏庭にある離れの作業場から、母屋へと繋がっている回廊を通って戻ってきたところなんだろう。

 夏美はそれなりに評価の高い彫刻家で、若い頃には仕事で海外に行くこともあったようだが、子供が出来てからはずっとここの地にいる。

 今は仕事より子育てが面白いのだそうだ。

 子供達が成長したらまたあちこち行くつもりと本人は笑って言っていた。


「ただいま~。なっちゃん、今日泊まっていい?」

「もちろん。ちょうどよかった。今日、カッチパパが帰って来るから、美味しいご飯が食べられるよ」

「やった、嬉しい」


 丘の上の家の家事全般を受け持っている勝矢は、人気のデザイナー兼イラストレーターで、たまに仕事で家をあけることがある。

 そういうときに泊まりにくると、一か八かの夏美の料理に一喜一憂しなくてはならない。

 もちろん、そうやって皆できゃあきゃあ騒ぐのもけっこう楽しいのだけれど。


「一樹、どうしたの?」


 夏美が大さんに泣きついたままの一樹に声を掛けると、一樹はもぞもぞと身じろぎした。


「わ……ちゃった。……ママのたからもの……ごめ……なさい」


 しゃくり上げながらの、か細い声が聞こえる。


「一樹ったら、ママの牡丹のお皿割っちゃったの?」


 たいへ~んと愛華が騒ぎ、一樹が声を上げて泣き出した。

 牡丹の皿なら、鈴も知っている。

 結婚前に勝矢が夏美の為に描いたという、一点物のとても綺麗な絵皿だ。


「ああ、ほらほら。泣かないのよ。怒ってないからね。怪我しなかった?」


 夏美が一樹を抱き上げてゆらゆらと揺らすと、一樹が小さく頷いた。


「わざとじゃないのよね?」

「……うん」

「それならいいの」


 夏美が一樹をあやしている間、鈴は愛華と一緒に、一樹の涙で濡れた大さんを拭いていた。


「ほら、綺麗になった」

「なー」


 嬉しそうにふっさふさのしましま尻尾を振っていた大さんが、ふとのっそり立ち上がる。


「大さん、パパが帰って来たの?」

「なー」


 庭に降りた大さんが玄関へと向かうのを、皆でぞろぞろ追いかける。

 やがて、丘の上の家の私道を見慣れた車が昇ってきた。


「みんな、ただいま。変わりなかったか」


 車から降りてきたのは、この家の主、勝矢だ。


「カッチパパ、おかえりなさい」

「なー」

「あのね、パパ。一樹がママの宝物のお皿割っちゃったんだって。でもわざとじゃないのよ」

「そっかあ。わざとじゃないのか」


 それならしょうがないなと、勝矢が夏美の腕から一樹を受け取って抱き上げる。


「じゃあ、新しいお皿を作らないとな。夏休みになったら、旅行がてらみんなで絵皿を描きに行こうか?」

「みんなで?」

「そうだ。パパもママも愛華も一樹も、自分でお皿に絵を描くんだ」

「……ぼ……ぼくの……かいた……お皿、ママにあげる」

「それなら、愛華のはパパにあげるね」

「素敵ね」

「ありがとな」


 鈴がなんとなくにやにやしながら仲の良い四人家族を眺めていると、勝矢がこっちを見て言った。


「鈴ちゃんも一緒に行くか? 堅司達と休みあわせて二家族一緒にさ」

「いいの?」

「もちろん。そのほうが楽しいからな」

「やったぁ。鈴姉ちゃんも一緒だ。ねえ、パパ。竜也おじさん達は?」

「あー、そうだな。あいつにも声かけるか。でないと、後でうるさそうだし」

「みーんな一緒」

「そうだね。楽しみ」


 勝矢が一緒なら、大さんの守りも強くなる。

 旅行先で怖い目に遭うこともないだろう。

 久しぶりになんの心配もなく旅行を楽しめる。

 鈴は、はしゃいでじゃれついてくる愛華と手を繋いで、一緒に喜んだ。





     ◇  ◆  ◇





 仲良く家に戻っていく愛しい者達の後を追って、それ(・・)も家に戻り、いつものように縁側に寝そべった。


 それ(・・)は、かつて巨木であった。

 やがて狛犬の根付けに変じて、今は猫の姿を取っている。


 大さん、と呼ばれるようになって久しい。


 名を呼ばれ、温かな手の平で毛皮を撫でられる度に、身の内にその温もりが染みていく。

 その温もりこそが、人間達が幸せと呼ぶものの正体なのではないかと、最近の大さんは思うようになった。


 かつて巨木であったとき、大さんはただ人間の営みを眺めているだけだった。

 狛犬の根付けに変じてからも、やはり薬師の一族をただ眺めていた。


 決してこちらから手を貸すことはなかった。

 

 生も死も、喜びも悲しみも、すべてが人の営みのうち。

 人ならざる身の自分が手を貸すべきではないと考えていた。


 だが遙か昔、狛犬の根付けを握りしめて必死に祈りながら死んだ女の願いをかなえたいと思ったことがある。


 女の祈りはひとりの男にだけ向けられていた。

 その男もかつて、その女の無事だけをひたすら狛犬の根付けに祈っていた。


 互いを想うその心の間に挟まれて、大さんの心も揺さぶられてしまったのだ。


 初めて自分から動いてみたが、不馴れなこともあって、けっきょく大さんにはふたりの本当の願いをかなえることはできなかった。

 かなえたのは、ひょろりと背の高い、どこかとぼけた雰囲気のある青年だった。


 そして、青年は大さんを誘った。


――あんたはここでずっとひとりで戦っていたんだろう? 俺があんたの為に、広い庭と明るい家を用意してやるよ。いずれ俺が寿命を迎えたら、あのふたりの居るところに一緒に連れてってやる。それまで、ここでのんびり、ひとやすみしていかないか?


 ずっと寄り添っていたふたりの魂を見失い、途方にくれていた大さんはこの誘いに頷いた。


 そして与えられた家の縁側に寝そべりながら、ただひとりの友となった青年の人生をのんびり眺めていた。

 いずれ、そのときが来たら、約束通りにあのふたりのところにつれて行ってもらうために……。


 だが、またしても大さんの心を揺さぶる存在が現れた。

 かつて、この家で育つのを大さんが見守り続けた友の息子、その忘れ形見である、友の孫だ。


 小さなその子は、酷い泣き虫だった。

 悲しい、怖い、辛い、嫌だと、ぎゅっと小さくなってただただひとりで泣いていた。

 両親を一度に失い、激変した環境に怯え、自分の殻に閉じこもって泣き続ける小さな子供が哀れだった。

 そして愛しくてならなかった。


 大さんは、その小さな子供にほんの少しずつ手助けするようになった。

 小さな子供は、友やその周囲の人達の助けもあって少しずつ生きる気力を取り戻し、元気に成長していった。

 そして今、無事に伴侶を得て、子もふたり成した。

 下の子は、小さな子供にそっくりで泣き虫だ。

 かつて大さんが結界内に招いたことのある迷い子の魂が、まっさらになって戻ってきた存在でもある。

 この子がこの新たな人生で、どんな風に育ち生きて行くのか、最近の大さんは気になってしかたがない。


――駄目だよ、大さん。


 ふと、身の内から友の声がする。


 友は寿命を迎え、既に故人となっている。

 身の内にあるのは、その友の想いの欠片のようなものだ。


――過ぎた愛情は毒にもなるからね。


 そう。そうだった。

 かつて巨木だった大さんを、空から降り注ぐ雨と陽の光が大きく育んでくれた。

 だが、降り注ぐ雨が勢いを増した時、濁流となって巨木の根を洗い地に引き倒したのだ。


 我が身の愛が、愛しい者を傷つける刃となってはいけない。

 引き際はわきまえなければ。


――勝矢の愛情も少々深すぎる。その時が来ても、家族から離れたがらないかもしれない。だから、わし等があの子を連れて行ってやらなくてはな。


 あの子の両親も、そして京子さんも心配して待っているだろうからと、友が身の内で語る。


 子供の頃に泣き虫だったあの子は、大人になって、また泣き虫になった。

 ふたりで縁側で晩酌しているときなど、月を見上げてよく涙を流すのだ。


 なんて幸せなんだろう、と……。


 あれでは、いざ愛する家族との別れが来た時、旅立つ踏ん切りをつけられないかもしれない。

 愛しい子供が道に迷わないよう、ちゃんと自分が守ってあげなければ……。


――そうだな。一緒に勝矢の幸せを見守っていこう。


 そう、いつか、この地に別れを告げる時がくるまで。


 その時が来るまで、愛しい者達の営みを見守り続けよう。


 この温かな日差しが降り注ぐ縁側で、この身の内に幸せを蓄えながら、のんびりと、ひとやすみ……。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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