猫はお客さんを連れてくる 下
俺と真希が茶の間に戻ったら、そこにもう子供達の姿はなかった。
とっくにスイカを食べ終え、庭に降りて遊んでいたのだ。
きっと最初から服の中に着こんできたのだろう。二人とも水着姿になって、まだ水が貯まりきっていないプールの中に入って遊んでいる。
一石の手にはでっかい本格的な水鉄砲が握られていて、大さんを狙って連射しているが、素早くかわされたり、尻尾で弾かれては悔しがっていた。
……大さん、子供相手に本気過ぎないか?
「水鉄砲まで持ち込んでたのかよ。好き勝手やってるなぁ」
「別にいいでしょ。あの子も楽しそうだし」
「……あの子って、大輝くん?」
「うん。……そうだ! どうせなら、もっと夏休みらしいことしない?」
「スイカ食って、プール入って。充分夏休みらしいと思うけどな」
「馬鹿ね。花火が足りてないでしょ」
真希はさっそく堅司に電話を掛けた。
大さんが招いたお客さんの話をして、臆病な俺の為に家に堅司がしばらく泊まり込むことと、こっちに来るついでに花火を沢山買い込んでくるようにと頼んでいる。
「今日はこっちで夕ご飯食べるわ。材料ある? なかったら、堅司にピザでも買って来てもらおうか?」
東京だったらピザは配達を頼むところだが、こちらではそうじゃない。
車社会なので、自分達で直接取りに行くほうが主流なのだ。
「いや、大丈夫。昨日買い物したばっかりだから、色々あるよ。あー、でも、どうせならケーキでも買ってきてやったら? 子供ってさ、ホールのケーキとか好きだろ?」
「いいわね。頼んでおくわ」
堅司と携帯で話している真希を置いて、俺はキッチンに向かった。
子供の好きそうなメニューを考えて、まず真っ先に浮かんだのはお子様ランチだ。
大きな皿に、ケチャップライスにエビフライ、ミートボールとフライドポテトにナポリタン、ミニグラタンもいいかな。
一日だけのことだし、栄養のことは考えず子供の好きそうなメニューを少しずつ沢山盛りつけてやろう。
もちろん、爪楊枝を利用して手書きの旗を作るのも忘れちゃいけない。
あとは唐揚げとフルーツの缶詰を使ったヨーグルトサラダぐらいでいいか。ケーキもあるしな。
この手のプレート料理は、ナッチの為によく作っていたから得意だ。
休日のブランチは大抵これだったしな。
――んーっ、やっぱりカッチのご飯が一番美味しい。愛だね!
そうだな。愛だ。
俺は、心の中で響く懐かしい声に答える。
あの頃の俺は、ナッチに美味しく食べて喜んで欲しかったから料理に手間暇を惜しまなかった。
大さんのお客さん、大輝くんは愛情が籠もった料理を食べさせてもらったことがあるのだろうか?
その答えは考えるまでもなくわかるような気がした。
だからこそ、せめて今だけでも喜んでもらえるよう、大輝くん用のプレートも用意してあげよう。
赤の他人のアラサーのお兄さん(おっさんではない)の愛情入りでも、ないよりはマシだろうし。
「特別に手伝ってあげるわ」
「一石と鈴ちゃん見てなくて良いのか?」
「大さんがいるから大丈夫。大さん以上の子守りはいないしね」
確かに。そういうことなら手伝ってもらうか。
とはいえ、以前お裾分けしてもらったメンチカツの出来からして、真希はその大雑把な性格が災いしたのか料理の腕はいまいちのはず。とりあえず、下ごしらえメインで手伝ってもらうことにしよう。
「なあ、大輝くんの母親、今どうしてるんだ?」
もしも、少しでも大輝くんのことを後悔してくれていたのなら、なんて甘っちょろいことを考えた俺が手を動かしながら聞くと、真希はダンッと包丁をまな板に叩きつけた。
「……もうここにはいないわ。事故の後、すぐに引っ越していったの」
大輝くんへの酷い扱いは周囲の知るところだった。
だから、金が入るとすぐに、都会に引っ越して行ってしまったのだという。
「金って……。慰謝料的な?」
「そうよ。その金で若い恋人と豪遊してたらしいわ」
そして彼らは、その様子を何気なくSNSに発信してしまったらしい。
大輝くんのことを知っていた人達がそれを見て、いっせいにバッシングして炎上し、それにマスコミが目をつけ……とまあ、ありがちなパターンで彼らは追い詰められていったようだ。
「その後、また逃げるようにどこかに引っ越していったみたいよ。その引っ越し先もネットで流れてるらしいけど……」
もうあんな人達のことなんて見たくも知りたくもない、と真希が言う。
そうだな。同感だ。
俺の考えが甘すぎた。
大輝くんの母親はちょっと酷すぎる。親になる資格がない人間だったんだろう。
ああ、くそ。むかつく。
「今日はうんと美味しいものつくるぞ! ……ってか、大輝くんって味とかわかるのかな?」
「……さあ。死んだことないからわからないわ。でも、お供えを美味しそうに食べている魂なら見たことあるわね」
「じゃ、頑張るか」
その後、俺達は頑張って料理を作った。
味はもちろんのこと、見た目も子供が喜ぶように工夫して……。
途中で真希は子供達をプールから上げる為に庭に戻っていったが、俺はせっせと料理を作り続けた。
一段落ついた頃には、もう夕焼けの時間帯になっていた。
縁側に行くと、真希と子供達がシャボン玉で遊んでいた。
ふうっと一石が一吹きするごとに、小さなシャボン玉がたくさん空へと飛んでいく。
まるでじゃれつくように、大さんがシャボン玉に手を伸ばし、鈴ちゃんがきゃっきゃと笑う。
「よかった。楽しそう」
真希のほっとしたような声が大輝くんも一緒に遊んでいることを教えてくれて、俺も少し安心した。
◇ ◆ ◇
完全に日が暮れる前に、仕事を終えた堅司が花火とケーキを持ってやって来た。
「いただきます!!」
みんなでちゃんと手を合わせてから夕食だ。
大人用のプレートが三つで、子供用のプレートが四つ。
とりあえず今回、大さんは子供扱いにしておいた。
大輝くんが見えない一石には、真希がちゃんと説明してくれたようだ。
一石は鈴ちゃんのギフトのことも知っているからか、一つ余分な子供用のプレートがあることをすんなり受け入れてくれた。
みんなで賑やかに食事した後、ホールのケーキを七等分にするという難事業に取り組まされた。
いや、これ絶対に無理だろう。どう頑張っても大きさが不揃いになるに決まってる。
実際に不揃いになって、責任を取れと、一番小さなケーキを食べさせられた。
……罠かよ。酷すぎる。
大輝くんの分はプレートもケーキも、最後に大さんがぺろりと片付けてくれた。
食べるのも処分するのもなんとなく抵抗があったから、正直助かった。
その後は、真希達が後片づけをしている間に風呂に入らせてもらった。
ちなみに、一番風呂は堅司だ。
肉体労働者なので、夏場は風呂に入ってから夕食というパターンらしく、家でもそうしてもらったのだ。
風呂が冷めるまえに入っちゃいなさいよと真希に言われて、お言葉に甘えさせてもらった。
「大さん、一緒に風呂入ろうぜ。……よかったら、大輝くんもおいで」
見えないが、とりあえず声を掛けてから風呂に入った。
怖くないわけじゃないが、相手は子供だし、大さんもいるし……まあ、なんとか頑張ってみたのだ。
いつものように先に大さんを泡立てて洗ってから風呂に入れる。
次いで自分の身体も洗いつつ、こっそり大さんを眺めていたが、不自然に目を細めたり、耳をぴぴぴっと動かしたり、「なー」と鳴いたりしていたので、きっと大輝くんも一緒に入っていたんだろう。
よかったよかった。
風呂から上がると、本命の花火だ。
満月が近いのか、月が明るい夜だった。
源爺が洒落で石灯籠に仕込んでくれたほのかなLED照明器(これが本物の蝋燭のように灯りが揺らいで、なかなか風情があるのだ)の灯りだけで充分なぐらいだ。
俺達は広い裏庭で花火を楽しんだ。
「ちょっと一石! 花火は上に上げないの。鈴が真似するでしょ」
「わかった!」
花火を両手に持ったまま一石が、ぶーんと庭を走る。
きゃっきゃと笑う鈴ちゃんと大さんが、楽しげにその後を追っている。
色の変わる花火や、火花がパチパチ大きく弾けるもの、拳銃の形をした花火やUFO花火にネズミ花火、地面に置いて楽しむ噴き出し花火。
堅司が奮発してくれたようで、色んな種類の花火がある。
しばらくそれらで一緒に遊んだが、湯上がりで少し怠かった俺は、ちょっと休憩してくると線香花火を手にひとり腰掛け石に座った。
「こういう地味なのもいいよな」
ライターで線香花火に火をつける。
炎が燃え上がって大きな火の玉へと変わり、やがてパチパチと大きな火花が松葉のように広がる。
子供の頃はこの大きな火花でさえ火傷しそうで怖くて、火花の中心、火の玉を落とさないようにじっとしているのが苦手だったが、今は平気でゆっくり楽しめる。
松葉が徐々に小さくなり、そろそろ消えるかなと思っていると、大さんが近づいて来た。
「大さん、大輝くんも一緒か?」
「なー」
「線香花火、最初から見るか?」
「なー」
大さんが、いちいち誰もいない空間を見上げながら返事をするのがちょっと怖い。
でも今日一日で随分馴れたような気もする。
これなら、夜にだけ堅司がいてくれれば、俺と大さんと大輝くんの三人で共同生活もできそうだ。
「線香花火は、火をつけた直後が難しいんだ。ここで動かすと、この火の玉が落ちちゃうんだよ」
見えない大輝くんに線香花火で遊ぶコツを教えながら、もう一本火をつけてパチパチと弾ける火花を楽しんだ。
もう一本やるかと聞いたが、大さんが「うなー」と答えるので線香花火は終了にして、噴き出し花火や打ち上げ花火で遊んでいる堅司達一家を眺めていた。
お父さんとお母さんとお兄ちゃんと妹。
幸せそうな家族の姿に、自然とため息がこぼれる。
「ああいうの、いいよなあ」
何気ない独り言のつもりだったのに、大さんが「なー」と鳴いた。
大さんの視線の先は、やっぱり誰もいない空間に向けられている。
そっか。大輝くんもそう思うんだな。
「俺さ、君と同じ歳の頃に、両親を亡くしたんだ。だから子供の頃は親が居る友達がちょっと羨ましかったな」
今は人生のパートナーがいる奴らが羨ましいけどな。
なにげない愚痴のつもりだったのに、またしても「なー」と大さんが答えた。
大輝くんも羨ましいか。そりゃそうだよな。
つーか、俺はよりによってこんな子供の前でなに愚痴ってるんだろうな。
なにかもっと気の利いたことを言ってやりたいのに、なんて声を掛けていいかわからない。
この子の人生はもう終わっていて、もうじき神社につれて行って行くべき場所に送り出すことになっている。
行くべき場所に行った後はどうなるんだろう?
ずっとそこにいるのか?
それとも輪廻転生というか、生まれ変わりみたいなことができるのか?
なんとなく怖くて死後のことははっきり聞かずにいたから、そこら辺のことがよくわからない。
わかっていたとしても、きっとなにも言えないんだろう。
次に生まれ変わったら、今度はもっと良い親の元に産まれてこいよ、とか。
もっと良い人生を送れればいいな、とか。
そんな風に、不幸だっただろう大輝くんのこれまでの人生を、過去のものとしてあっさり流してしまうことはできない。
見えない存在になってしまっても、大輝くんの心は生きていた頃のまま、まだここにある。
彼の不幸はまだ終わっていないのだから……。
「見えたらいいのになあ」
両親を失った後、俺は怖くて泣いてばかりいた。
耳を塞ぎ目を閉じ頭を抱えて、もうなにも見たくない聞きたくないと怯えてばかりいた。
あのとき、見えないものが見えていたら、少しは違ったんじゃないだろうか。
もちろん幽霊が見えたりしたら逆効果だ。
そうじゃなく、心配してくれる人の気持ちというか、心みたいなものが見えていたらと思う。
同じ悲しみを感じてくれている人や心配して労ってくれている人の気持ち。
悲しみに寄り添おうとしてくれる心がこの目に見えていたら、あんな風になにもかもを拒絶する勢いで泣いたりはしなかったんじゃないかと思うのだ。
なにもかも終わってから知っても、今さらと思うかもしれない。
それでも、確かに大輝くんを気にかけてくれていた人はいた。
心配する人もいた。
その死に後悔して嘆くばかりじゃなく、少しでもその死を無駄にしないようにしなければと考えた人もいた。
自己満足に過ぎないのかもしれない。
それでも、その中には確かに彼のことを純粋に思う気持ちが少しはあったはずだ。
そんな気持ちが大輝くんの目に見えていたら、少しは慰めになったかもしれないのに……。
「……ごめんな」
無力な自分が情けない。
かといって、見えないものが見えてしまうギフトは怖いから欲しくない。
情けなくてうなだれていると、大さんがすりっと大きな頭ですり寄ってきた。
「ありがとな、大さん。俺は大丈夫だから、大輝くんの面倒みてやってくれな」
「なー」
しましま尻尾をばっさばっさと振る大さんの頭を撫でていると、「おい、最後に二十連発の打ち上げ花火やるぞ」と堅司に呼ばれた。
「おう! 大さんと大輝くんもおいで」
「なー」
一緒に堅司一家に歩み寄り、次々に打ち上がる花火に、おーと歓声をあげる。
市販のものにしてはなかなか迫力のある花火に満足して、さあ後片づけをしようとしたところで、真希がきょろきょろと周囲を見渡した。
「どした?」
「大輝くんがいないの。大さん、どこ行ったかわかる?」
大さんは丸い顔をクイッと傾げた後で、さっきまで花火が上がっていた空を見上げた。
「……逝っちゃったのか?」
「なー」
「そっか。……もう少し遊んでいってもよかったのにな」
花火と一緒に空に上がってしまったのか。
でも、そうだな。
花火は綺麗だが、終わった後が少し寂しい。
大輝くんはもう充分寂しい思いを味わった。
だから一番綺麗な花火と一緒に、賑やかに空に上がったのなら良かったのかもしれない。
こんな考えもまた、自己満足に過ぎないのかも知れないけれど……。
少ししんみりした気持ちでそんなことを考えていると、大さんに思いっきりすり寄られて、その衝撃で膝かっくんしてその場に崩れ落ちた。
「カッチ、大さんに負けてやんの」
きゃははと一石と鈴ちゃんが笑う。
子供の明るい笑い声に、少しだけ慰められた気分だ。
……転んだ膝は痛いけどな。