猫はお客さんを連れてくる 中
子供の虐待を仄めかすシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
俺はこの異常事態に、見えないものを見ることができるギフト持ちの真希に連絡を取った。
美代さんも同じギフト持ちだが、この暑い盛りに高齢の美代さんを呼び出すのはちょっと躊躇われたのだ。
「あー、もしもし、真希さん? ちょっとお時間よろしいでしょうか?」
『なによ、そのしゃべり方。気持ち悪いわね。なにやらかしたのよ?』
「俺じゃない。やらかしたのは、大さんだ」
俺はかいつまんで事情を話した。
が、真希は信じない。
『あんたの勘違いじゃないの? 幽霊の正体見たり枯れ尾花ってね。昔っから、よく勘違いしてたし』
「違うって、今度は本当だ。いいから、ちょっと家に来てくれよ」
『えー。今日はいつもより早い時間帯に鈴が昼寝しちゃったから、そっちに行くのは止めようと思ってたのに』
いつもは呼ばなくても来るくせに、こういうときに限って渋るとは。
真希はごねまくったが、俺がしつこく頼むと、仕方ないわねぇと恩着せがましく言って来てくれることになった。
そんなやり取りをしている脇では、大さんがやっとスイカを食べ始めている。
これはあれか?
見えないお客さんにスイカのエキスを食べさせてから、残ったのを自分が食べたって感じなのだろうか?
優しいな、大さん。
三十分ほどして、やっと真希が来た。
車のエンジン音でそれに気づいた俺は、急いで駐車場まで迎えに行った。
「まったくもう、勘違いだったら承知しないわよ」
「カッチ、来てやったぞ!」
「おう、助かる。一石もよく来たな。――とにかく、縁側にいるから、ちょっと見てくれよ」
真希達は、いつものように玄関を素通りして縁側へと回り込んでいく。
大さんもさっきからずっと縁側で寝そべったまま動かずにいるので、ちょうどいい。
「大さんの視線の動きからして、どうも隣りに座ってるみたいなんだ。……見えるか?」
俺は聞きながら真希の顔を見た。
真希は驚いたように大きく目を見開いて、大さんの隣りを見ている。
その表情を見ただけで、答えは明らかだった。
「やっぱりそうだ。いるんだな?」
「…………っ」
真希は答えない。
見開いたままのその目が、じわりと滲み、やがてぼろっと涙が頬を伝って落ちた。
「えっ、ちょっ、真希!? どした?」
これもまた異常事態だ。
鈴ちゃんの手を引きながら大さんの元へと向かいかけていた一石が、狼狽えた俺の声を聞きつけて振り返ると、そのまま俺に向かって突っ走ってきた。
「カッチ! 母ちゃん苛めるな!」
「苛めてない! 濡れ衣だ!!」
一石が小さな身体で俺にぶつかってくる。
大さんとのぶつかり稽古の成果か、なかなかの衝撃でもうちょっとで転ばされるところだ。
「嘘つけ! 泣いてるじゃないか!」
「だから俺じゃないって。――とりあえず、一石、おまえ母ちゃんを慰めてやれ」
俺には泣いてる女を慰めるなんて器用なことはできない。
なので、ぐいぐいと一石の背中を押した。
「……母ちゃん、どっか痛いのか?」
泣いたまま大さんとその隣りに居るであろうお客さんを呆然と見つめていた真希は、一石が手をつかんで揺さぶると、我に返ったようだった。
「……痛くないわ。……一石、心配してくれてありがとね」
その場に膝をつき、心配そうな一石をぎゅうっと抱き締める。
抱き締められた一石は、照れ臭そうな顔でジッと真希の胸に顔を埋めていた。
とりあえず、これで真希の涙は止まりそうだ。
落ち着いたら、お客さんがどんな人なのか、真希の目に見えたことを教えてもらおう。
そんなことを考えながら、親子の抱擁を眺めていていた俺は、ここにもうひとり、見えないお客さんを見ることが出来るギフトを持っている者がいることを思いだした。
鈴ちゃんだ。
「やばっ」
さっき鈴ちゃんは、一石と一緒に大さんに向かってよたよた歩いていた。
慌てて視線を向けると、大さんのいる縁側に手をついて立ったまま、きゃっきゃと笑っている鈴ちゃんの姿が見えた。
笑っている鈴ちゃんの視線の先は、大さんの隣り、見えないお客さんに向いている。
「……なんだ。そっか」
あそこに居るのは、小さな子供をあやして笑わせることができる人らしい。
そりゃそうだ。
大さんが招き入れたのだから、心優しい人に決まってる。
臆病者なので見えないものが怖いのはしょうがない。
それでも、怯える必要はないらしい。
「麦茶とスイカあるから。落ち着いたら茶の間に来てくれ」
ほっとした俺は、一足先に茶の間に戻って、お茶の準備をした。
真希達はスイカで良いとしても、見えないお客さんはどうだろう?
さっきスイカを食べたばかりだし、違うものがいいかな。
ちょっと気をつかって、大さん用の水ようかんを切って、スイカと一緒に皿に盛りつけてみた。
そうこうしているうちに真希も落ち着いたようで、子供達を連れて茶の間に上がってくる。
もちろん、大さんも一緒だ。
「いただきます! 鈴も食べるよな?」
「うん」
一石が、いつの間にか家に置いてあった子供用のフォークにカットスイカを刺して、鈴ちゃんに渡してあげている。
普段から面倒をよくみているのだろう。馴れたものだ。
「で、なにが見えた?」
「……ここでは言えない。――大さん、一石。お母さんちょっと向こうに行ってるから、鈴の面倒見てあげてね」
「わかった!」
「なー」
「あんたはこっちに来て」
俺は真希に追い立てられるように仕事場に向かった。
◇ ◆ ◇
「ここならきっとあの子にも聞こえないわ」
「一石に聞かせたくない話か?」
「いいえ、違う。大さんのお客さんに聞かせたくない話よ」
「……あの子ってことは、見えないお客さんは子供か」
「ええ。小学一年生の男の子よ。名前は、手島大輝くん」
「大輝くん? あれ? その名前って……あれか? 朝のニュースの子か?」
「ニュースって?」
朝に見たニュースの中で語られていた事故死した子供の名前が、確か大輝くんだった。
俺がその話をすると、真希はそれでかと納得したように頷いた。
「あんたが気にかけてたから、大さんがあの子を迎えに行ってくれたのね」
「……俺のせい?」
「そうよ。大さんは、あんたがあの子のことで悲しんだから、あの子を迎えに行ってあげたんでしょう。あんた絡みでなきゃ、この丘を離れたりしないでしょうしね。――ああ、でも、よかった。……本当によかった」
真希は、よかったとしみじみ繰り返す。
その目がまた潤んできて、俺は慌てた。
「あー、あのさ。つまり、いま大さんと一緒にいるのは、その大輝くんの心残り?」
「いいえ、違うわ。大輝くん本人よ」
「え、でも、事故ったの春だよな? 四十九日は過ぎてるだろ。まだこっちにいるもんなのか?」
「……普通は四十九日よりももっと早く逝くべき場所に行くものらしいわ。でも、あの子は行けなかったの」
事故死した大輝くんは、即死だったそうだ。
あっけない人生の幕切れ、事故の衝撃にびっくりして戸惑った状態のまま、その場に留まり続けてしまっていたのだと真希が言う。
「事故にあった瞬間のまま、感情が固定されてたってことか?」
美代さんが話してくれた昔話の中の、曾祖父ちゃんのように……。
「ああ、うん。そんな感じ……」
真希には、以前からそんな大輝くんの姿が見えていたが、見えるだけでなにもできずにいた。
見える以外の力を持たないからだ。
子供だけに、このままあの場所に留まり続けていれば、いずれ恨みつらみを持った強い魂に騙されて取り込まれかねない。
美代さんに相談して、花を手向け話しかけて、何度か神社につれて行こうとしてみたが徒労に終わった。
「お祖母ちゃんの知り合いの拝み屋さんに来てもらおうかって話をしていたところなの」
だが、その人達も万能じゃない。
無理に場から引きはがそうとすれば子供の柔らかな魂を損ねかねない。どうしたものかと決めかねていたらしい。
「すんなり連れてくるなんて、さすが大さんね」
「そうだな。……うん、さすがだ」
心残りじゃなく魂そのものってことは、本物の幽霊か。
うわー、怖い、マジ怖い。
怖いが、小さな子供が死んだ後に悪い魂に取り込まれて苦しむようなことにならずに済んでよかった。
「じゃあ、この後はどうしたらいいんだ? 親御さんに連絡してみたほうがいのかな?」
――実は、お宅のお子さんの幽霊が家にいるんですが……。
なんて電話をかけても、信用されないだろうなあ。
下手をすると警察に通報されるんじゃなかろうか?
どうしたもんかと思って聞いた俺に、真希は急に真顔になって答えた。
「駄目よ。あんな人達に連絡しても、ろくなことにならないわ。普通に愛情持ってる親だったら、大輝くんがあそこから動けなくなったりしなかったかもしれないんだから」
「どんな親なんだ?」
「……去年の秋、幼稚園の壁に絵を描いたときのこと覚えてる?」
「え、ああ、うん。……もしかして、絵を描くのに協力してくれた父兄の中に親御さんがいたのか?」
「そっちじゃないの。私が、あの絵を描いて欲しいと思った理由のほう」
「理由って……。ちょっと困った父兄がいるから、環境から明るくしたいって……」
あの時、確か真希は、新しくできた大型マンションの住人の中には、ちょっと困った人もいると話していた。
――お迎えの時間になっても迎えに来ないとか、着替えを用意してくれないとか、まあ色々ね。幼稚園の方で善意で対応してくれてるみたいだけど、中にはそれに甘えて余計に酷くなる人もいるんだって。
そう、確か、児相に連絡したほうがよさそうな案件もあると……。
「もしかして……大輝くんが、お迎えが来ないって言ってた子なのか?」
「そうよ。あの後、小学校に入学したから、私は大輝くんと直接会う機会がなくなっちゃってたんだけど……」
小学校に入って、大輝くんの扱いが悪化したらしい。
幼稚園ならば、親が迎えに来なければ帰れないが、小学生はそうじゃない。
同じマンションに暮らす子供達と集団下校していたようなのだが、大輝くんは家には帰らず、そのままひとりで国道を越えたところにある大型商業施設に向かっていたのだそうだ。
「……家に帰ってくるなって言われてたみたいなの」
家には大輝くんとは血の繋がりのない、母親の年若い恋人がいた。
普段から、母親は子供よりその男を優先していた。
真希ははっきり言わなかったが、どうやら大輝くんはその男や母親から虐待を受けていたらしい。
だから大輝くんは商業施設で時間を潰していた。
そして、あの事故は、商業施設に向かう途中で起きたのだ。
「商業施設のほうでも、毎日のように試食に来る子がいるって児相に連絡してくれていたようなのよ。私達も電話したけど、実の親からなかなか引き離せなくって……」
手をこまねいている内に、あの事故が起きた。
大輝くんのことを気遣っていた人々は、事故の知らせにどれほど衝撃を受け、後悔したか……。
信号機の設置を急がせる活動も、その後悔に背中を押されてのことだったのかもしれない。
「……死んでまで、あんなところにひとりで取り残されるなんて、あんまりだって……」
じわっとまた涙が盛り上がってくる。
「ちょっ、真希?」
「ごめん……。なにもかも手遅れで、あの子を助けられなかった私に、泣く資格なんかないのにね」
そんなことはない、とは言えなかった。
自分が真希の立場だったら、きっと俺も同じように考えるだろうから。
大さんを一度失ったときのように、あとほんの少し手を伸ばしていたら届いていたかもしれないと、きっとずっと悔やむだろうから……。
だが大輝くんの立場だったら、どうだろう?
小学校一年生って、子供のようでいて、けっこう周囲が見えているものだ。
俺も、こっちに来たばかりの頃のことは、けっこうよく覚えてる。
シクシクと泣いてばかりで内に籠もろうとする俺を、祖父母は根気よく宥めて外の世界に向かわせてくれた。
ふたりの幼馴染み達は、俺の手を引き、背中を押して、新しい世界に飛び込ませてくれた。
放って置いて欲しいと思ったこともあったが、あの苦しい時期を乗り越えたとき、側にいてくれる人達の存在を有り難いと思ったのも事実だ。
「手遅れだったとしても、見えないものが見える真希だからこそ、あの子の為に今できることはあるんじゃないか? 俺には見えないんだからさ。なにをしたらいいのか教えてくれよ」
「……そうね。……勝矢の癖に、たまにはいいこというじゃない」
真希は、ぐいっと手の甲で涙をぬぐった。
「とりあえず、あの子が行くべき場所に行けるようにしてあげなきゃね。――大さんに頼めば、すぐにでも神社に連れてってもらえるだろうけど、少しだけ大さんに預けていてもいい?」
無垢な子供の魂だから、神社につれていけば神域の力で自然に行くべき場所へ行けるだろう。
でもその前に、少しだけ楽しい時間を与えてあげたいと真希が言う。
「大さんの側にいるあの子、楽しそうに笑ってるのよ。あんな顔、はじめて見たわ。あんたは怖いかもしれないけど、ちょっとだけ我慢してくれない?」
「……堅司を貸し出してくれるんなら我慢する。さすがに夜、三人(?)だけにされるのは勘弁してくれ」
「仕方ないわね。特別に私の旦那さまを貸してあげるわ」
真希は偉そうに威張って頷いた。