猫はお客さんを連れてくる 上
丘の上は涼しい。
太陽に近いから暑そうな気もするのだが、住宅街に比べると確実に気温が二度以上低い。
地面をアスファルトやコンクリートで覆われていないことと住宅街にありがちなエアコンの廃熱がないこと、そしてなにより風通しのよさが影響していると思う。
その恩恵に与って、わが家は電子機器を使用する仕事場以外では、夏場でも殆どエアコンを使わずにすむ。
と、自慢したところ、真希に避暑地代わりにつかわせろとロックオンされた。
平日の午後、毎日のように子供達を連れてきては、勝手に庭で遊んだり、涼しい縁側で昼寝したりしている。
俺は仕事優先で仕事場に籠もり放っておいたのだが、気が付くと庭にはビーチパラソルや大きめのビニールプール、デッキチェアなどが置かれていて、本当に避暑地みたいになっていた。
「いつの間にプールまで……。水道代払え」
「なに言ってんのよ。この家、水道は地下水を汲み上げて使ってるんでしょ? 払うんだったら電気代でしょうに」
文句を言う俺に、真希が偉そうに威張る。
住宅街から一軒だけ離れた場所にあるから、わが家は水道が通っていないのだ。
汲み上げた地下水は上水道とは違って、夏でもひんやり冷たい。
プールで遊ぶ子供達は冷たい水が気持ちいいと大喜びだ。
俺の仕事中、大さんはいつも俺の足元で眠っているのだが、真希達が遊んでいる間は子供達の側にいる。
大さんは、子供好きなのだ。
真希の子供達も、もちろん大さんが大好きだ。
一石は、「大さん、勝負だ!」と大さんに正面から突っ込んで行っては、ウエイトの差で簡単に押し負けてころんと転がされている。
まんま、ぶつかり稽古だ。
大さんも楽しいらしく、一石と遊んでいるときはふっさふさのしましま尻尾をばっさばっさと振っている。
まあ、大さんも楽しそうなので、水道代と言うか、電気代は特別にただにしてやることにした。
決して真希の偉そうな態度に負けたわけではない。
その頃の俺は、とある陶磁器メーカーから皿の絵付けを依頼されていた。
五枚ワンセットの二十センチ程度の皿だ。
メーカー側としては俺に可愛らしいキャラクターを描いてもらいたかったようなのだが、俺としては気がすすまなかった。
飾りとして使うならともかく、日常的に使う皿にキャラクターを描いたのでは使い勝手が悪そうだし、いずれ飽きられるような気がしたからだ。
なので、勝手に花の模様を描かせてもらった。
タンポポにハルシオン、ヤグルマギクにクロッカスにマリーゴールド。
小さくチマチマと沢山の花を描き込んだ。
クライアントの希望を完全に無視する訳にはいかないので、小さな花よりもっと小さな花の妖精のキャラを、一見するとわからないよう、沢山の花の中にこっそり描き込んでおいた。
意外にも、このこっそり隠れた妖精がクライアントのツボにはまったらしく、一発OKを貰えた。
この妖精をメインにマグカップも作りたいと言われたので、そっちはちゃんと花の妖精キャラを花よりも大きく描かせてもらった。
見本ができるのを今から楽しみにしている。
◇ ◆ ◇
――悲しい事故が繰り返されないよう、私達にできることをしなくては。
朝食のとき、何気なくつけたローカルニュースの中で、近隣の学校のPTA役員だという女性が話していた。
春に国道を渡ろうとした小学校一年生の男の子が交通事故で亡くなったのだそうだ。
事故現場は、細い道路と国道が交差している場所で信号がなく、以前から危険だと言われていた場所だった。
その悲劇に、近隣の小中学校や幼稚園の父兄達が立ち上がり信号設置の要望書を出すと同時に、早期実現を希望する署名活動もして、この度めでたく信号が設置されたようだ。
「あー、こういうの、真希も関わってそうだなぁ」
事故現場は家からもけっこう近かった。
それなのに俺が今まで知らずにいたのは、事故が起きたときにちょうど東京に出張していたからか。
「……小学一年生か」
ちょうど俺が両親を亡くした歳だ。
親を亡くすのと、子を亡くすのと、どちらが辛いんだろう?
比べていい話じゃないが、そんなことをふと思った。
「親は辛いだろうなぁ」
この子の両親はたぶん俺と同世代だろう。
俺に子供はいないが、それでも最近毎日のように一石と鈴ちゃんを見ているせいもあって、親の気持ちが想像できてしまってなんだか辛くなった。
失う辛さは誰よりも知っているつもりだから……。
「なー?」
「ん? ああ、大丈夫だ。ちょっと、さっきのニュースの、事故死した子供の親の気持ちを想像しちゃってさ。悲しいだろうなぁって……。俺も両親を亡くして悲しかったけど、逆じゃなくて良かったのかもしれないなってさ」
今のところ相手もいないし予定もないが、もしも自分に子供がいたら、自分の命と引き換えにしてでも子供の命を助けたいと考えてしまうような気がした。
架空の我が子の生死を考えただけでも辛いのだから、実際の親御さんの気持ちはいかばかりか……。
どうやら俺は、よっぽど悲しげな顔をしていたんだろう。
その後、心配した大さんにしばらくの間ぴったり寄り添われた。
……うん。大さんの毛皮、手触りも良くて最高だけど、さすがに夏場はちょっと暑いかな。
その日の午後、仕事に一段落ついた俺は、ふと足元に大さんがいないことに気づいた。
「あー、また真希達がきてるのか」
仕事に集中してたから、車の音に気づかなかったらしい。
時間帯的にもちょうどいいし、買ってきてあったスイカでも切ってやろうかと、縁側に出て真希達を捜した。
が、どこにも居ない。
「あれ? 今日は来てないのか」
ちょっと気になって、縁側から直接庭に出て玄関先の駐車場へと向かった。
そこにあるのは俺の車だけで、やはり真希達は来ていないようだ。
だったら、大さんはどこにいるんだろう?
「大さーん、どこだー」
不思議に思った俺は家中を探し回った。
茶の間に台所、寝室に普段は使っていないいくつかの部屋と納戸も見て回ったが、大さんの姿はない。
「透明猫になってるのか? おーい、大さーん」
返事がない。
透明猫になっていても返事だけはするはずだから、どうやら家の中にはいないらしい。
だったら庭かと、また外に出た。
裏庭の方も捜し、念のために祖父が仕事で使っていた離れも覗いたがやはり見当たらない。
俺は、ぞっとした。
――大さんがいない。
こんな風に完全に気配まで消えるのは、大さんが一時的に姿を消した高校の時以来だ。
あの時は、俺的には不本意ながらも姿を消す理由があったが、今はなにもないはずだ。
「なんで……なんでいないんだ?」
神社にも何度か行ったし、大さんがこの丘から外に出られることは知っている。
一時的に散歩にでも行っただけかもしれないと、俺は無理矢理に自分を落ち着かせた。
でも、なぜ急にひとりで外に出ていかなきゃならないんだ?
今まではそんなことしなかったのに。
いてもたってもいられなくなって、俺は家を飛び出した。
とりあえず大さんを捜そうと、私道に出て丘を降りかけたところで、ふっと大さんが目の前に姿を現した。
ちょうど公道から私道に入ったあたりに、いきなり出現したのだ。
まるで、瞬間移動を見ているようだ。
「うおっ、びっくりしたあ!」
透明猫状態から、通常の大さんに戻る瞬間をはじめて見た俺は思わず仰け反ってしまった。
そんな俺に歩み寄ってきた大さんが、俺の顔を見あげてくる。
「なんだよ、大さん。散歩に行ってたのか?」
「うなー」
「違うのか? よくわからないが、とにかく帰って来てくれて嬉しいよ。――そうだ。スイカ食う?」
「なー」
「よしよし、じゃ、家に戻ろうな」
とりあえず大さんが戻ってきてほっとした俺は、いつもの日常に戻ろうと家に帰ってスイカを切った。
皮付きだと大さんが食べづらいから、スーパーで売られているようなカットスイカ状に切り分ける。
真希達がいつ来てもいいように、いま食べない分はタッパに入れておく。
スイカの乗った皿を縁側に運んだ後で台所に戻り、ついでに麦茶も用意した。
俺の分は涼しげな夏用のグラスで、大さんの分は深めの平皿だ。
「よし、大さん、食おうぜ」
グラスの絵付けもやってみたいなぁなんて考えながら、麦茶を手に縁側に戻る。
と、大さんが変な動きを見せた。
鼻先で、スイカの入った皿をすいっと脇に寄せたのだ。
「……大さん、スイカ、食わねぇの?」
「うなー」
「食うんだ」
だったら、なんで皿を寄せたんだ? と聞こうとして口を開いた俺は、その後の大さんの動きを見て、パクッと口を閉ざした。
大さんの視線は、寄せた皿のちょうど上のほうに向いている。
そして、なにもない空間を見上げている大さんが、くいっと可愛らしく首を傾げて「なー」と鳴いた。
そう、まるで、そこに誰かが存在しているかのように……。
いや、そんなはずない。
あるわけ無い。
俺は気づいてしまった可能性を必死に否定した。
だってこの丘には、俺の目に見えないものは入ってこれないはずだ。
大さんが結界を張っているのだから……。
あ、でも、祖母ちゃんの心残りは、この家の中にずっといたんだっけか。
とすると、悪いものじゃなければ、見えないものも入って来れてしまうんだろうか?
そもそも、さっき大さんは、なぜひとりで外に出て行ったんだ?
意味もなく、出て行ったりはしないよな。
考えているうちに、ものっ凄く怖い考えが浮かんできてしまった。
「なー」
そんな俺の考えを裏付けるかのように、大さんがなにもない空間を見上げたまま鳴いて、目を細める。
嫌だけど、ものっ凄く嫌だけど、俺はとりあえず大さんに確認することにした。
「……あー、……あのさ、大さん。えーっと……もしかして、お客さん連れてきた? そこに……誰かいたりする?」
「なー」
大さんは、そうだよ、とふっかふかのしましま尻尾をばっさばっさと振った。
「……マジか」
ざわっと鳥肌が立つ。
さて、これからどうしようか。
悪いものじゃなくても、怖いものは怖い。
大さんが連れてきたんだから、いつものように、助けて、大さん、とは言えないし……。
俺は震える手で、尻のポケットに突っ込んでいたスマホを取り出していた。




