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昔の話 5

 美代さんは、その後の祖父がどうなったのかを話してくれた。


「師匠は、そのまま朝までずっと『入らずの丘』の中にいたそうよ」

「朝まで?」

「そうよ」


 『入らずの丘』の入り口で待っていた宮司や親達は、朝日が差し込むと同時に異変に気づいた。

 丘を覆っていたあの恐ろしい闇がいつの間にか消えていたのだ。


 親達は、子供達の名を呼びながら、我先にと『入らずの丘』に飛び込んでいった。

 子供達がその声に答える。

 親子はやがて合流し、互いに無事を喜び合って涙を流した。


「それで、さあ帰ろうってことになったの」


 美代さんと源爺はちょっと寝不足なだけで元気だったが、拓三さんはぐったりしていてすぐに医者に連れて行く必要があった。

 子供達を背負った親が丘を降りかけたところで、宮司が周囲を見渡しながら、祖父はいないのかと聞いてきた。


「突然、師匠のことを聞かれてびっくりしたわ」


 キョトンとする子供達を見て、大人達は祖父がここには来なかったことを悟った。

 そして宮司とその息子だけがこの場に残り、祖父を捜すことにしたのだそうだ。


「師匠はね、ちょうど今、あなたの家が建っている辺りに倒れていたそうよ」


 ぼろぼろのヨレヨレでまさに満身創痍。

 万が一のことを考え、警戒しながら揺り起こしたが、祖父は正気だった。

 その後、病院につれて行った結果、鎖骨と肋骨が合計四本ほど折れ、足と手の指の骨にはヒビが、打ち身に切り傷は数え切れないほどだったそうだ。


「一ヶ月も入院したのよ」

「祖父ちゃんはなんでそんな酷い怪我したんだ?」

「転んだんですって」

「……は?」

「だから、転んだんですって。私達を捜して闇の中を走り回っているときに、木に激突したり、転んで坂を転げ落ちたりしてぼろぼろになったんですって」

「……マジで?」

「まさか」


 間違いなく嘘でしょうねと、美代さんは溜め息交じりに言った。


「そんなこと、みんなわかってたわ。でも、師匠は転んだんだって言い張ったの」


 そしてもうひとつ、祖父は断言したそうだ。



――あの丘は、もう『入らずの丘』じゃない。



 もう二度と誰かが祟られることはない。

 安全な場所になったと断言した。

 そして退院するとすぐ、自分のその言葉を証明するかのように、丘の上に家を建てはじめたのだ。


 『入らずの丘』の話を知っている近隣の業者からは軒並み断られたが、他県の業者を雇って丘に鬱蒼と茂っていた木々を伐採してもらい、丘の上の土地を整地した。

 大工もやはり近隣の業者には断られたが、噂を聞きつけた剛毅な性分の大工が俺に任せろと自ら手をあげてくれた。


「その大工が、この間改築に来てくれた人のお祖父さんか」

「そうね」


――この家で暮らして、なにかおかしなことはなかったですかね?


 大工さんから、そんな質問をされたことを覚えている。

 おかしなことはなかったですか、なんてそれこそおかしな質問だと思ったものだ。普通、不具合はなかったですかと聞くもんだろうに。

 つまりは、あの人もあの丘の由来を知っていたってことなんだろう。

 知っていて来てくれたのだ。有り難い。



 その後、祖父は、相続した相馬家の財産を全て使い切る勢いで、あの丘を人の住める場所へと作り替えた。


 そして、家を建て終え、無事に引っ越しを終えた頃には、その家には祖父だけじゃなく祖母と大さんがいた。

 大さんは、当時から祖父母と美代さん達の前以外では透明猫になっていたようだが。


「あのふたり、誰も知らないうちに結婚してたのよ。もうびっくりしちゃった」


 その頃には育ててくれた祖父母も無くなり、祖父はひとり暮らしだった。

 なにかと不自由だろうと、一緒に事件に巻き込まれた祖母が入院中からなにくれとなく世話を焼き続けている間に、いつの間にかそういうことになってしまったらしい。


「でも、あれは絶対に押しかけ女房よ。京子先生ったら、実家と大げんかしてバッグひとつで師匠の家に乗り込んだらしいもの」


 普通に出入りできるようになったとは言え、『入らずの丘』の祟りに触れた相馬の家と縁続きになることは、やはり地元の人達にとって禁忌だったらしい。

 両親から結婚するなら縁を切ると言われた祖母は、上等だと自分から縁をぶった切って祖父の元に走ったらしい。

 ちなみに祖父は、その後長い時間をかけて、両親と仲直りするようにと祖母を説得したとか。


「祖母ちゃん、若い頃からああだったんだ」

「そうね。怖い先生だったわよ」


 うふふっと、美代さんが楽しそうに笑う。


「さすがに結婚式をしないのは駄目だろうと、私達の親が支度を調えて神社で神前式をしたのよ」


 『入らずの丘』で一晩過ごすことになった三人の子供達の親は、子供達の命の恩人だと祖父に深く感謝していた。

 その後も、親族を失った若いふたりの親族代わりになって、親しいつき合いを続けて来たのだという。


 その三家が神社に石屋、そして百合庵だ。


 未だに彼らは、親戚代わりとなってなにくれとなく俺を助けてくれている。

 相次いで祖父母を亡くした高校時代、彼らが支えてくれなかったら俺はきっと立ち上がれないまま、大さんにしがみついて家に引きこもっていただろう。

 有り難い話だ。


「あー、でもさ、命の恩人とか言ったって、祖父ちゃんはなにも言わなかったんだろ?」

「言わなかったわね。『入らずの丘』の核になっていた魂をどうやって祓ったのかも、大さんのことも……。大さんは、あの夜の温かい毛皮の主なんでしょうと何度も聞いたけど、教えてくれなかったわ。これに関しては、大さんも共犯よ。幾ら聞いてもとぼけるんですもの」

「……そこら辺、どうなんだ? 大さん」


 大さんは、まん丸い目で俺を見上げると、答えずに、くいっと首を傾げた。

 丸顔の茶トラ猫のその可愛い仕草に、ついつい笑みが浮かんでしまう。……でかいけどな!


「とぼけてるなぁ」

「でしょ? もうず~っとこうなのよ。あの事件の後、三十年ぐらいはことあるごとに聞き続けてきたけど、もうずっととぼけられちゃって」

「三十年って、凄い執念だな」

「あら、私はまだましよ。源二さんなんて師匠が亡くなる間際まで聞き続けてたわよ」


 それはそれで凄い。


「この歳になって、師匠が最後まで口を閉ざし続けた理由がやっとわかったような気がするの。――師匠はね、きっと言い伝え(・・・・)残したくなかった(・・・・・・・・)のよ」

「えーっと、それって、どういう意味?」

「この地域にかつて『入らずの丘』の言い伝えが残っていたことは話したわよね?」

「ああ」

「私達の子供時代のあの事件が、新たな言い伝えになることを師匠は恐れたんだと思うわ」



 恐れられていた『入らずの丘』に子供達が迷い込み、そこに、かつてその祟りで親族全てを失った男が乗り込み、祟りを打ち払って子供達を救い出す。



 なんとも華々しい武勇伝だ。

 もしもこの話が人々に伝わっていたら、『入らずの丘』の怪異性もあって、きっとこの地域で長く語り継がれていただろう。


「師匠自身、『入らずの丘』に親族を奪われ、周囲から必要以上に気を遣われて育ってきているでしょう? 自分の子供達に同じ思いをさせたくなかったんじゃないかしら」

「俺達の為?」

「そうね。聡志くん……勝矢くんのお父さんの世代ではまだ少し『入らずの丘』の言い伝えが残っていたけど、今はもう殆ど知る人はいないわ。あなたの子供の世代になれば、もっと知る人は少なくなるでしょう。師匠はそれを望んでいたんじゃないのかしら」


 それまで真面目な顔で話していた美代さんが、突然、ふふっと思い出し笑いをした。


「言い伝えが急激に廃れたのは、勝矢くんが泣き虫だったお陰でもあるわね。あなたの泣きっぷりは尋常じゃなかったから」


 俺の両親が事故死したことを知った地元の人々の中には『入らずの丘』の言い伝えを思い出し、今ごろになって祟りがおこったのではないかと言い出した人もいたらしい。

 だが、その後、両親を亡くして引き取られた孫息子の俺を見て、ピタッと口を閉ざした。


――この子の耳にうっかり変なことを吹き込んだりしたら、それこそ死ぬまで泣き続けるんじゃないか?


 俺の壮絶な泣きっぷりを、周囲の人々がそんな風に恐れていたと、美代さんが笑う。


 はいはい、その通り、壮絶な泣き虫でしたよ。くそう。



「あれ? つまり『入らずの丘』の事件の詳細はうやむやにするのが祖父ちゃんの望みだったんだよな?」

「そうね」

「だったら、俺がこの話を聞く意味あった?」


 わざわざ怖い思いをしてまで聞かなくても良かったんじゃないのか?


 俺がそう言うと、美代さんは呆れたようにため息をついた。


「もう、勝矢くんったら、家長としての自覚が全然ないのね。今はもう障りはないとしても、かつて自分の家が経つ丘にはそういう謂われがあったってことぐらい知っておくべきでしょ」

「えー」

「えー、じゃないわよ。もう、しょうがない子ね。――師匠に頼まれたからこの話をしてるんだって言ったでしょ? 師匠に頼まれたことはまだ残ってるのよ」

「あー、じゃあ聞くけど、なに?」


 俺は露骨に嫌な顔をして聞いた。


「大さんのことよ」

「大さん? ああ、それならちゃんと聞く」

「もう、あからさまに態度変えちゃって……。――これはね、元々は、師匠と私達との約束だったの。土地神様の祠を作ったときのことよ」


――いずれ俺の人生が終わったら、土地神様の祠を壊して、その中身を棺に一緒に入れて欲しい。その日がくるまで、この扉は決して開けないようにね。


 土地神様の祠の鍵を捨てた日に、祖父がそう言ったのだそうだ。


「え、だって、祖父ちゃんは死んだけど、土地神様の祠は壊されてないよな?」

「ええ。その頼みは延期されたのよ。大さんが拒んだんですって」

「大さんが?」

「なー」


 驚いて顔を覗き込むと、そうだよ、と大さんが鳴いた。


「前に、大さんは付喪神のようなものだと言ったことがあったでしょう? あの祠の中にはね、大さんの核になっているものが入っているんだと思うのよ」

「思うのよって、はっきりしないんだな」

「だって、中を見たことがないんですもの」

「美代さん、前に話を聞いたとき、大さんは土地神様の眷属みたいなものだっていってなかったっけ?」

「あら、そうだったかしら?」


 うふふっと、誤魔化し笑いだ。


「しょうがないでしょ。なんて説明したらいいのかわからなかったのよ。私だって大さんの本当の正体は知らないんだから。でも、あの丘に清浄な結界を張っているのが大さんなのは確かよ。だから、これからは大さんが土地神様だったってことでよろしくね」

「よろしくねって……。まあ、いいけど……。――で、なんで祖父ちゃんは大さんの核を燃やそうなんて思ってたんだ」

「それが大さんとの約束だったんですって。自分の人生が終わるときに一緒に逝こうって」

「でも、大さんは拒んだ?」

「ええ。……あなたがいたから」

「俺?」

「そうよ。師匠が言ってたの」


――どうやら大さんは、家の泣き虫が心配でしかたないらしい。あの子の人生を見守り続けたいんだそうだ。


 祖父の亡骸と共に大さんの核を燃やすという約束は破棄され、そして俺に大さんの願いを伝えて欲しいという新たな願いを託されたのだと、美代さんが言う。


「……大さん、俺の為に残ってくれたのか?」

「なー」


 そうだよ、と大さんがふっかふかのしましま尻尾を振って鳴く。


「そっか。……ありがとな」


 祖父と同時に大さんを失っていたら、きっと俺はがっくり落ち込んで立ち直れず、祖母を困らせていたに違いない。


「だからね、勝矢くん。いずれ、あなたがその人生を全うした時、師匠の代わりにあなたが大さんを連れて行ってね」

「……連れて行くって……。大さんも一緒に死ぬってことだろ? そんなことする必要があるのかな。ずっとあの丘を守ってもらってればいいんじゃないか?」

「うなー」


 嫌だよ、と大さんが鳴く。


「嫌なのか? でも、俺と一緒に大さんも死ぬなんて……」


 それは嫌だ。

 未だに俺は『死』が恐ろしい。

 いずれ自分にも『死』が訪れるのは理解しているし覚悟もしている。

 だが、それに大さんを巻き込みたくない。


「勝矢くん、大さんは死なないわ(・・・・・)。そもそも生きてもいない。私達とは違う存在なのよ」


 余所の人が来ると透明猫になる大さん。

 いくらブラッシングしても抜け毛が出ない不思議猫。

 この世の理から外れた存在。


「大さんの核は、大さんをこの土地に縛りつける碇のようなものなんだと思うわ。大さんは変わらない存在のまま、あなたと一緒に旅立つの。怖がりのあなたのために、黄泉路を一緒に歩いてくれるのよ。それが大さんの願い。――大さん、そうよね?」

「なー」


 そうだよ、と大さんが鳴く。


「そっか。そっか……。ありがとな」

「なー」


 嬉しいような申し訳ないようななんとも複雑な気分で胸が詰まる。

 目の前にいる不思議猫の存在は、ずっと俺にとって救いだった。

 その救いが、この先もずっと一緒に居てあげると言ってくれている。


 言葉を持たず、温かな毛皮で癒してくれる優しい存在。


「じゃあ、約束する。俺が大さんをあの土地から解放するよ。いつか一緒に行こうな」


 大さんと共に行く先には、両親と祖父母が待っているのだろう。

 そう思えば、『死』もさほど怖くはない。


 ただし、真っ当な生涯を送らなければ、この馬鹿たれと祖母の鉄拳制裁を受ける羽目になりそうだが……。


 目頭が熱くなってきた俺は、美代さんに気づかれないよう顔をそらし、両手で大さんの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

 大さんはぴぴぴっと耳を動かしながら、嬉しそうに目を細める。可愛いなぁ、もう。




     ◇  ◆  ◇





「で、大さんは昔話の中に出てきた温かい毛皮の主なんだよな?」


 帰り道、それとなく不意打ちで聞いてみた。

 大さんは引っかからずに、くいっと可愛らしく首を傾げてとぼけていた。 


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