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昔の話 4

「祖父が焼け跡を訪れたのは四十九日が過ぎてからだったそうよ。取り残されている者がいるかもしれないと気にかかったんですって」


 そして、焼け跡の中、ひとりうずくまり慟哭している彼を見つけた。


――取り返しのつかないことを……。ああ、ああ、俺はなんてことを……。


 髪を掻きむしり、地面に額を擦りつけて泣き続ける男。

 その姿を見ただけでも、火事の原因は明らかだった。


「……それが、俺の曾祖父ちゃん?」

「そうね。その日は、あまりにも嘆きが深すぎて、祖父の声は届かなかったんですって。祖父はそれから毎日焼け跡に通って、一ヶ月かけてなんとか会話できる状態まで宥めたそうよ」


――子供が……男の子が産まれたと知らせが来たんだ。だから俺は、あの子の為に祟りなんぞなくしてしまおうと思って……。


 父親になった喜びに、彼は有頂天になり気も大きくなっていた。

 日中ならば危ないこともない、自分ならば祟りに心を狂わされることもないと高をくくり、『入らずの丘』にひとりで足を踏み入れてしまったのだ。


「拝み屋を雇うにしても、とりあえず現状がどうなっているのか確認しなくてはと考えたらしいの」


――『入らずの丘』に入ったところまでは覚えてる。だが、その後の記憶がない。……ないんだ。


 気がついたら、相馬家の屋敷の中で、すでに自分の身体にも火がついている状態だった。

 そして、彼の足元には石油の缶が転がり、手にはマッチが握られていた。


――俺が……俺が燃やしてしまったのか? 親父もお袋も……妻も……息子も……。


 彼は獣のような呻き声を上げ、髪を掻きむしった。


「曾祖父ちゃんは、祖父ちゃんが屋敷にいなかったことを知らなかったのか」

「『入らずの丘』に入った後の記憶がないと言っていたそうだから、火事の晩に親族全てを集めていたことさえ知らなかったんでしょうね。それに、ショックと嘆きがあまりにも深すぎて、死を迎えた瞬間のまま、心と感情が固定されてしまっていたそうなの」


 美代さんの祖父は、そんな彼に火事の晩、なにがあったのかをすべて教えた。

 彼の両親だけじゃなく、招かれていた親族も亡くなったこと。

 そして彼の妻子が、妻の実家にいて難を逃れたことも……。


――俺は、なんてことを……。でも、ああ、生きているのか。……そうか、そうか……。ああ、よかった……。


 悔やみ、嘆き、そして喜びながら、彼の姿はすうっと消えてしまった。

 固定されていた心が解け、行くべき場所に向かったのだろうと、美代さんの祖父は言っていたそうだ。


「その話、祖父ちゃんは知ってたのかな?」

「知ってたわ」


 火事の後、生き残った相馬家の親族は、みな遠縁や知人を頼って遠い地へ引っ越して行ってしまったのだそうだ。

 あの火事が『入らずの丘』に手を出そうとした相馬家への祟りだったのだとしたら、自分達にまで障りがくるのではないかと恐れたのだ。

 地元に残ったのは祖父とその母親だけだったという。

 その母親も、ショックからか産後の肥立ちが悪く長生きはできなかった。

 そして祖父は、母方の祖父母に育てられたのだ。


「師匠ね、『相馬家の坊ちゃん』って呼ばれていたらしいわよ」

「祖父ちゃんも俺と同じで、坊ちゃん呼ばわりされてたか……」


 地域の人々は、自分達が相馬家を焚き付けたせいで、祟られて火事が起きたのではないかと罪悪感を覚えていた。

 だからこそ、相馬家の火事に関しては口を噤んだし、相馬家の生き残りである祖父を気遣ってくれていた。


 祖父は、火事で祖父母と父親が死んだことは知っていても、その原因が『入らずの丘』の祟りかもしれないということを知らされないまま育った。

 そして、なぜ自分が周囲の人達からまるで腫れ物に触るような扱いをされているのか、その理由を知りたいと、働くようになった頃、地域のまとめ役でもあった美代さんの祖父に事情を聞きに行ったのだとか。


「そのときにね、祖父が全て話したそうなの」


 地域の人達の恐れと後悔と罪悪感を。

 そして、美代さんの祖父が、彼の持つギフトで『見て』『聞いた』真実を……。


「そして、『入らずの丘』には決して手を出すなと、師匠に言いきかせたそうよ」


 今は無理だが、いずれ『入らずの丘』をなんとかできる拝み屋を必ず見つけるから、それまで我慢してくれと。


「祖父ちゃんは、なんて返事したんだろう」

「黙って頷いて、そして感謝したそうよ」


――父を救っていただいてありがとうございました。地域の皆さんにも感謝しないと……。ああ、でも感謝してもいけないんですよね。俺は、知らないことになってるんだから……。


 深々とお辞儀して、その後は『入らずの丘』には今まで通り関わらずに生きた。




 祖父はいったいどんな気持ちで生きてきたんだろう?


 たとえ祟りが原因だったとしても、屋敷に火をつけて相馬家の親族を死なせてしまったのは、祖父の父親なのだ。

 そのせいで沢山の人の命が失われ、自分の人生も歪んでしまった。


 そして、祖父の父親が『入らずの丘』に入るような愚行を犯した原因は、産まれてきた我が子に余計な重荷を与えたくなかったからだった。

 我が子を思うが故の悲しい結末だ。


 俺の両親も、俺の為に雨の中、車を走らせて事故にあった。

 俺と祖父は、その生い立ちが少し似ていたのかもしれない。



――悲しませたかったわけじゃないんだよ。誰のせいでもない。ただ、ほんのちょっと運の巡りが悪かっただけだ。よかれと思ってやったことで息子が苦しんでいると知ったら、パパとママはきっと悲しむだろう。



 昔、祖父にそう言われて、慰められたことを思い出す。


 事実に蓋をされ、腫れ物に触るように大事にされ続けて育った祖父が事実を知ったとき、同じように祖父を慰めてくれる人はいたんだろうか?

 その後、日々を生きる中で癒してくれる人は?


「美代さん達が『入らずの丘』に入ったときって、祖父ちゃん何歳ぐらいだったんだ?」

「二十代半ばくらいかしら。まだ三十にはなってなかったと思うわ」

「もう祖母ちゃんとは結婚してた?」

「いいえ。まだつき合ってもいなかったはずよ」

「その頃、大さんは?」

「まだ居なかったわね」

「そっか」


 では、その頃になっても、まだ祖父はひとりだったのか。


 『入らずの丘』には手を出すこともできず、もちろん誰かに話すこともできず。

 なにもかもひとりで背負い込んで、怒りも悲しみも隠したまま、祖父は相馬家のたったひとりの生き残りとして生きてきた。



 俺だったら無理だ。

 きっと、全て捨ててこの地から逃げ出していたに違いない。

 

 今の俺と当時の祖父は同じ年頃だというのに、なんて違うんだろう。

 無理だ駄目だと、弱いままでいることを自分に許している自分が心底情けない。



「祖父ちゃんは強い人だったんだな」

「そうね。――だから、『入らずの丘』に入っても正気のままでいられたのかもしれないわね」

「祖父ちゃんも入ったのか」

「ええ。健作さん達を置いて、ひとりで『入らずの丘』に自転車で向かった後にね」



     ◇



 時は少し遡る。

 ここからは、美代さんが、当時宮司だった祖父から聞いた話だ。

 

 作爺と克江さんを追い返した後、宮司はお祓いができるよう身形を整え、美代さんの両親を伴って『入らずの丘』に向かったのだそうだ。

 ほぼ同じ頃に、源爺と拓三さんの家の人達も集まってきていた。


 そして皆、『入らずの丘』の手前で呆然と立ち尽くすことになる。


「まだ明るい時間帯だったのに、『入らずの丘』の中は光も差し込まずに暗闇に包まれていたそうよ」


 明らかな異変に、集まった人々は最悪の結末を予感して震えたそうだ。

 それでも、我が子等を思い、なんとか助けに行こうとしたが、どうしても闇の中に入ることができなかった。


「闇に近づくと、心がざわついたんですって」

「ざわつくって?」

「不安や恐怖が一気に膨れあがったり、側にいる人に対して敵意を抱いてしまったり……」


 お前の子供が入ろうと言い出したせいで、家の子まで。

 あんたの子が唆したんじゃないのか。そうに決まってる。

 なんだと!

 

 子供達を助けに行くよりも、目の前にいる相手への憎しみを向け、殴り合いをはじめた。

 これはいけないと慌てて宮司が祝詞を唱えたら、すうっと怒りが収まりみんな正気に返ったそうだ。

 それでも、闇は凝ったまま、祝詞には一切反応しない。


 触れただけでこれなら、中に入ったらいったいどうなってしまうのか。

 これが『入らずの丘』の祟りかと、みな恐れおののいた。


「子供達を助けに行くより先に、自分達が殺し合いをはじめかねない状態に陥ってしまうから、助けに行くのは無理だと諦めるしかなかったそうよ」


 誰かひとりが中に入ることも考えたそうだが、それではいざ子供達を見つけたときに我が子以外の子供を傷つけかねない。

 手の出しようがなかった。


 今まで『入らずの丘』の祟りにあった者達は、ある程度の時間が経つと自分で外へと出てきたと聞いている。

 だから今回も、子供達が自分の足で出てきてくれるのを待つしかなさそうだった。


 それでもなにもしないよりはマシだと、宮司は祝詞を唱え続けた。

 闇を祓う力は無いが、ここにいる自分達の正気を繋ぎ止める役には立つだろうからと。



 やがて日が暮れ、灯り代わりのたき火を焚き始めた頃、祖父がひとりで自転車に乗ってやってきた。


『子供達は?』

『まだ中だ』


 助けに行きたくても行けない事情を説明すると、祖父は『だったら、俺が行きます』と唐突に宣言した。

 馬鹿を言うなとみなで止めたそうだが、祖父は聞かなかったそうだ。


『俺なら大丈夫です。俺の怒りも憎しみも『入らずの丘』にだけ向けられている。絶対に子供達に危害を加えたりしない!』



――これ以上、奪われてたまるかっ!!



 祖父は叫び、引き止めようとする人達の手を振り払って、ひとり『入らずの丘』に入って行ってしまった。



     ◇



「美代さん達も闇の中にいたんだよな? 大丈夫だった?」

「ええ、そういう意味では無事だったわ。たぶん、闇の中でずっと寄り添ってくれていたあの毛皮の主が、私達の心も守ってくれていたのね」


 その後、作爺達も『入らずの丘』に到着した。


「健作さんも克江ちゃんも、私達が出てくるまでここに居ると言い張ったそうだけど、連絡を受けてやってきたご両親に担ぎ上げられて家に連れ戻されたんですって」

「……祖父ちゃんは?」


 もちろん、祖父は無事に戻ってきたはずだ。

 でなければ、俺の父親は産まれていないし、俺だって祖父に育ててもらえなかった。


 その結末がわかっていても、さすがにこの先を聞くのは怖い。

 怖いが、子供の頃のように目を閉じ耳を塞いで頭を抱えて丸くなって逃げるわけにはいかない。


 俺がこの話を聞くのは祖父の望みだ。

 だからこそ、俺はこの話を最後まで聞かなければならない。


 情けないが今の俺には、祖父のように黙って真実を受けとめるだけの強さの持ち合わせはない。

 それでも、駄目だ無理だと逃げずにここに踏ん張っていることぐらいならできる。


 ……今なら、大さんが側にいるしな。


 助けて、大さん、と心の中で呟きながら、俺はそっと手を伸ばして大さんの背中をもふった。

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