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昔の話 2

 丘に踏み込んですぐ、ザワザワと周囲の木々が不自然にざわめいた。


「とっても暑い日でね、風なんて吹いてなかったのよ。祖父の言葉を信じてなかったわけじゃないけど、実際に不自然な現象を見てしまうとやっぱり足が竦んだわ」


 それでも勇気を振り絞って、小学生だった美代さんは走った。

 その甲斐あって、そう奥に進まないうちに源爺達の姿を見つけた。

 どうやら拓三さんが転んでしまったようで、地べたに座っている拓三さんに源爺がしゃがんで話しかけているようだった。


「ああ、よかったと、ほっとしたわ。これで帰れる。今なら、まだ大丈夫だって。それで声を掛けようとしたら、今度は、ドンって地面が揺れてねぇ」


 まるで直下型の地震のようだった。

 一瞬、どんっと突き上げるように揺れて、身体がふわっと浮いた。

 思わず尻餅をついてしまったが、地面はそれ以上揺れることはなかった。

 揺れた際に、きゃっと声を出したことで、源爺達も美代さんに気づいた。


『なんでお前まで来たんだよ。早く逃げろっ!』

『一人で逃げられるわけないでしょ! あなたたちも早くっ」


 さっと立ち上がった美代さんが、早く逃げようと促したが、拓三さんは立ち上がらなかった。

 いや、立ち上がれなかったのだ。

 風のざわめく音に驚いて逃げようとした時に、うっかり木の根に足を引っかけて転び、思いっきり足をねじってしまったらしい。

 美代さんも怪我の具合を確かめる為に近づいて見てみたが、怪我したばかりだというのに拓三さんの足首は赤く腫れ上がり、とてもじゃないがひとりでは立ち上がれそうになかった。


 ふたりで両側から肩を貸して拓三さんを立ち上がらせて、なんとか出口に向かおうとしていると、徐々に辺りが薄暗くなってきた。


「午後三時くらいだったから、まだ日暮れの時間じゃなかったの。それなのに、すうっと周囲が暗くなってきたのよ」


『く、曇ってきたのか?』


 源爺は不安そうに空を見上げたが、木々の間から垣間見える空は晴れたまま。

 そのとき、美代さんの目には、源爺とは違うものが見えていた。


「『負の心残り』が集まってきていたの。それらが闇を呼んでいたのよ」


 まるで黒い濃霧のようだった。

 闇はその濃さをじわじわと増していき、あっという間に視界が闇に覆われて、一寸先も見えなくなった。


『出口、どっちだったっけ?』

『わ、わかんないよ』

『待って、下手に動いて奥に入り込んだら助からなくなるわ』


 目が見えないのならばと、耳をすましてみたが、ざわざわと木々が揺れる音が聞こえるばかりで出口のヒントになるような音は聞こえない。

 濃密な闇の中、三人は身を寄せ合って立ちすくむことしかできなかった。



     ◇



「真っ暗だからって、方向までわかんなくなるかな。丘なんだから下れば外に出れたんじゃない?」

「あの時はわからなかったの。たぶん、方向感覚が狂わされてたのね。地面が揺れた直後に、出口に向かってもっと早く移動できてたら脱出できたと思うけど、拓三さんが重くって」

「拓三さんって、子供の頃から丸かったんだ」

「そうなのよ。もっと軽かったら逃げられたかもしれないのにねぇ」


 拓三さんは比較的早くに亡くなったので、俺は直接会ったことは無い。

 写真の中の拓三さんは、まん丸の顔と腹をしていて、まるで恵比寿さんのように福々しい顔で笑っていた。

 亡くなるまでに、結婚して信さんという子供を残したのだから、この昔話の中で死んだり、取り返しのつかない目にあったりはしなかったのだろう。


 それがわかるから、臆病者の俺でもなんとか話を聞いていられる。



     ◇



「源二さん達の目には、闇しか見えてなかったからまだ楽だったんでしょうけど、私はもう生きた心地がしなかったわ」


 暗闇の中でも、『負の心残り』がすぐ側に迫っていることがわかる。

 この濃密な闇は、彼らの触手のようなものだ。

 このまま囚われて、彼らを操っている恨みつらみを持った魂の元までつれて行かれてしまうかもしれない。


「怖くて怖くて、身体がぶるぶる震えちゃってね」


 それが伝わったのか、源爺と拓三さんも震えだして、やがて三人は身を寄せ合ったままその場にへたり込んでしまった。


 作爺と克江さんが助けを呼びに行ってくれたが、今すぐに来てくれる筈もない。

 そもそも助けが来たとしても、この闇の中にまで入ってこられるとも思えない。


 きっと、もう助からない。

 このままここで悪い魂に捕まって、心を食い荒らされてしまうんだ。


 気がつくと三人とも、しゃくり上げて泣いていた。

 だから、それが近づいてきていることに気づいていなかった。


 すりっと柔らかな毛皮にすり寄られてはじめて、自分達以外にも闇の中に息づいている命があることに気づいた。


「いきなりだったから、もうびっくりして、声も出なかったわ」


 美代さんはびっくりして固まった。

 拓三さんはびっくりして、ぎゃーっと叫んだ。

 そして、源爺はびっくりして、ひとりで走り出した。


 その途端、毛皮の主は弾かれたように源爺を追った。


『こ、こっち来んな! わっ、ひぃっ!!』


 闇の中、なにが起こっているのかわからなかったが、ドサッと源爺の倒れた音が聞こえた。

 そして、ずるずると重いものを引きずる音が近づいてくる。


『な、なに? なんなんだよっ! 離せっ、離せよ!!』

『げ、源ちゃん?』


 源爺の声のする方に必死に手を伸ばしていると、まるで放り投げられたように源爺がどさっと降ってきた。 

 引き寄せて、また三人ぎゅっと身を寄せ合う。


『……なんか、でっかい犬? みたいなのがいる。俺、そいつに体当たりされて、引きずられた』

『噛まれたの?』

『か、噛まれてない。服を引っ張られただけ。――こいつ、なに?』

『野犬かなぁ』

『野犬がいるなんて聞いたことないけど……』


 身を寄せ合ってぶるぶる震えていると、一歩一歩なにかが近づいてくる音がした。


「今から思うと、あの時の私達、まるで小さい頃の勝矢くんみたいだったわね」


 うふふ、と美代さんが笑う。


 目を開いていてもどうせなにも見えない。

 近づいてくる足音は恐怖心を煽るだけ。

 だから、ぎゅっと目を閉じ耳を塞いで、三人ともしゃくり上げながら、ぎゅっと身を寄せ合うことしかできなかった。


 やがて足音はすぐ側で止まった。

 まるでためらっているかのような気配の後で、また動きだして、最初のときと同じようにすりっと柔らかな毛皮をすり寄せてくる。


『ヒッ』


 今度は、三人とも小さな悲鳴をあげるだけで身動きもできなかった。


 柔らかな毛皮の主は、三人に身を寄せたまま、その場に伏せた。

 そして、そのままジッとしていた。


 犬にしては大きいと思った。

 そして、その柔らかな毛皮は温かかった。

 温かいと感じてはじめて、真夏の筈なのに、この場所が凍えるほどに寒くなっていたことに三人は気づいた。


『……?』


 噛み殺されるかもしれないという怯えが、その温かさのせいで徐々に消えていく。

 美代さんは、恐る恐る目を開けた。

 そして気づいたのだ。


 暗闇の中でも見えていた『負の心残り』が、さっきよりずっと離れた場所にいて、こちらに近づけずにいることに……。


『もしかして……守ってくれてるの?』


 恐る恐る聞くと、ぐるぐると喉を鳴らす音が聞こえた。

 その音は、敵意はないよと伝えているようだった。


「ほっとしたわ。助かったわけじゃなかったけど、でも寄り添ってくれる存在がいるってだけでも心強かった」


 三人は柔らかな毛皮に身を寄せて、その温もりにすがりついた。



     ◇



「……それ、大さんだよな?」

「それがねぇ、わからないのよ。真っ暗で全然見えなかったし」

「大きさとか、手触りで分かるんじゃないの?」

「大さんより大きかったと思うの。触った感じもちょっと違ったのよねぇ」


 美代さんは、俺に寄り添っている大さんを眺めて、首を傾げる。


「あの時、寄り添ってくれていた存在は、大さんよりもっと毛が長かったのよね。耳の形も違ったし」

「違うって、どんな風に?」

「もっと肉厚な感じで小さかったように思うのよ」

「じゃあ違うのか」


 そこのところどうなんだと大さんに聞いてみたが、大さんはクイッと可愛らしく首を傾げるばかりで答えない。

 まん丸の目でとぼけやがって。……可愛いなぁ。


「で、その後は?」

「その後は、三人でず~っとしりとりをしてたわ」

「……呑気だな」

「そうでもないわよ。これでも必死だったの」


 側にいる大きな犬(?)は味方らしいが、まだ助かったわけじゃない。

 真っ暗な中、身動きできない状態のままだったからだ。


 そのまま黙っていると泣いてしまいそうだった。

 だから、しりとりをして気を紛らわせていた。


「夜道では、しりとりが魔除けになることがあるって祖父に聞いたことがあったのよ」

「へえ。――で、その後は?」

「しりとりをず~っと続けて、まず最初に源二さんが寝ちゃったの。なんだかんだ言って、あの人、図太いのよねぇ」


 腹が立つったらないわ、と美代さんが軽く眉間に皺を寄せる。



     ◇



 やがて、拓三さんも寝てしまった。

 とはいえ、これは足の捻挫のせいで熱が上がり、体力が落ちていたせいだったと思われる。


 ひとり起きていた美代さんも、寄りそう毛皮の主の温もりに包まれているうちにうとうとしてしまっていた。


「そのときにね、ふっと、光を感じて目が覚めたの」


 現れる瞬間は見ていなかったから、どこからそれが現れたのかはわからない。

 まるで蛍のような淡く小さな光が、ふわっと目の前に浮いていた。


「その光は、やがて、ふ~っと遠ざかっていったわ」


 それと同時に、寄り添ってくれていた毛皮の主も立ち上がり、光を追って去って行ってしまった。



    ◇



「それで?」

「それでお終い」

「え?」


 唐突な終了宣言に俺は唖然とした。



 寄り添っていた毛皮の主が居なくなり、源爺と拓三さんは目を覚ました。

 しばらくの間、三人は身を寄せ合って怯えていたそうだ。


 そして、しばらく経つと、横合いから濃密な闇を追い払うかのように光が差し込んできた。

 朝日だった。


「しばらくして、私達を呼ぶ祖父達の声が聞こえてきたの。私達は無事に家に帰ることができたわ」

「……そっか」


 俺は心底ほっとした。

 もっと怖い話になると思っていたからだ。


 蓋を開けてみたら、一晩暗闇に包まれてたってだけの話じゃないか。

 それぐらいなら、まあ、たいしたことがない。

 そもそも、このお話に出ていた子供達は、みんな無事に大人になっているのだから、最初からそう怖がる必要もなかったのだ。


「そんな怖くなかったな」

「馬鹿ね。臆病な勝矢くんの為に、怖くないように話してあげたのよ」


 余裕の表情で強がりをいう俺を、美代さんは呆れた顔で見る。


「暗闇の中で『負の心残り』に囲まれて一晩過ごすなんて、子供の身には充分怖い体験だったんだから……。それに、ここまでは私が経験したお話よ。まだ、作治さんと克江ちゃんが経験した話が残ってるんですからね」



 ここからが本番なんだから、気を緩めないでと、美代さんが言う。

 俺は渋々頷いた。


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