昔の話 1
俺は極めて往生際が悪い。
なので、一緒に神社に行ってあげるという大さんの有り難い申し出(?)を断ることはできなくても、とりあえず延期してみた。
「なー」
「うん、だから大さん、今日中にこの仕事やらなきゃならないんだ。神社はまた今度な?」
「うなー」
首輪とリードを咥えた大さんに追いかけ回されても、頭突きで膝カックンされても、俺はあーだこーだ言い訳して逃げ回った。
自分が育った場所がオカルトスポットだったかもしれないだなんて、そんな恐ろしいこと知りたくない。
真希が美代さんに聞けと言った段階で、たぶんそれが事実なんだろうなとわかっているが、知りたくないものは知りたくないのだ。
運良く俺には大さんがいる。
過去がどうあれ、大さんさえいてくれれば、この家の敷地内に怖いものは入ってこれないのだ。
わざわざ怖い話を聞きに行く必要なんてない。ないったらない! ないのだっ!!
と、思っていたのだが。
『勝矢くん、真希から話を聞いたわよ。ちょうど今日はお客さんも来ないから、大さんと一緒にお話を聞きにいらっしゃい』
以前と同じように美代さんから電話がきて、直接神社にお招きを受けてしまった。
こうなってはもう延期できない。
「あー、行きたくねー」
「なー」
俺は往生際悪くぶつくさ言いながら、行こうよ、と促す大さんに首輪を付けて車に乗せ、美代さんの元を訪れた。
「やっときたわね」
どうやら俺が数日間じたばたと往生際悪くしていたこともすべてお見通しのようだ。
うふふっと可愛らしく笑いながら、美代さんは麦茶と水ようかんを出してくれた。
餡子好きの大さんは、大喜びでふっさふさのしましま尻尾を振っている。
「怖い話が大好きな大学生達が訪ねて来たんですって?」
「オカルト研って言ってたな」
「そう。いつか話さなきゃならないことだったから、ちょうどいい機会になったわ」
「いや……聞きたくないんですけど……」
「もう、勝矢くんったら相変わらず臆病なのね。でも、聞いてもらうわ。これは、師匠からの頼みでもあるのよ」
「祖父ちゃんの?」
「そう」
祖父が病気によって余命宣告された頃、俺は高校生で今よりもっとビビリだった。
だから祖父は、俺に直接真実を話すことを諦め、その役目を美代さん達に託したのだと言う。
「あなたに家族ができて地に足がついたら話そうと思っていたのだけれど、今のところその予定はないみたいだし……。いつ話したらいいものか、みんな悩んでたのよ」
「みんなって、源爺と作爺に、克江さん?」
「そうよ。……私達もいい歳だから、あなたの準備が整わなくても、最後のひとりになったら話をしようって決めてはいたのよ」
「最後のひとりだなんて、縁起でもない」
「あら、ひ孫だっている歳なのよ。いつお迎えがきても不思議じゃないわ」
それは確かにそうなのかもしれない。
それでも、大事な人達がそう遠くない未来に失われるかもしれないだなんて、聞きたくないし認めたくない。
「なんて顔してるの。もう、しょうがない子ね。天寿を全うして召されるのは自然の流れよ。その時がきたら、善く生きたと言祝いでちょうだい」
「……わかった」
「なー」
渋々頷いたら、大さんの尻尾が励ますようにばふっと背中を叩いた。
「さて、じゃあまず最初に、『入らずの丘』の話ね。訪ねてきた大学生達はなんて言ってたの?」
「あー、昔、お家騒動で追われた若様が、追っ手に追い詰められて、従者と共に丘の上で死んだって。で、若様の怨念が残ってて、『入らずの丘』に入ったものは、みんな祟りで気が狂うって」
「あら、意外にちゃんと伝わっているものなのね。情報提供者はきっとこの地域の出身者ね」
「……この昔話、事実だったんだ」
「さあ、知らないわ」
あっさり惚けられて、ガクッとなった。
「だって今、ちゃんと伝わってるって……」
「そうよ。これはただの言い伝えなの。古文書が残ってるわけじゃないから、どこまでが真実なのか、わからないのよね。少数派だけど、落ち武者が追い詰められて死んだって伝えている家もあるのよ」
「なんだ。作り話なのか」
「作り話じゃなく、言い伝えよ。だから、途中で歪んだり消えてしまった部分もあるんでしょう。――でもね、『入らずの丘』に入った人になんらかの祟りがあったのは事実よ」
ちょっとほっとした俺を、美代さんはあっさり突き落とした。
「……それも言い伝えじゃないの?」
「違うわ。だって、『入らずの丘』の最後の被害者は、私達だったんですもの」
「……マジで?」
「まじよ。――これは私達が本当に体験したお話なの」
美代さんは麦茶で喉を湿らせると、ゆっくりと昔の話をしてくれた。
◇ ◆ ◇
それは、美代さん達がまだ小学生だった頃のこと。
その頃、俺が暮らす家が建つあの丘は、『入らずの丘』と呼ばれ、入れば祟られて正気を失うと言われて本当に恐れられていたらしい。
そもそも森のように木々が鬱蒼と繁る丘は、足を踏み入れることすら難しい場所だった。
入ろうとすれば不自然に木々がざわめき、地面が揺れる。それでも無理に奥へ行こうとすれば、黒い影のようなものに取り巻かれて前後を見失い、気がつくと外に出てしまう。
薄気味の悪さもあって自然に人の足は遠のき、大人達は子供に決して『入らずの丘』には入るなと教え諭していたそうだ。
「でもね、いつの時代でも、入るなと言われると入りたがる馬鹿な子がいるものなのよ。私達のときは、源二さんだったわ」
美代さんは、微笑みを浮かべたまま、器用に眉間の皺を寄せた。
当時、美代さんは、源爺と作爺と克江さん、そして百合庵の信さんのお父さんである拓三さんの五人でよく遊んでいたのだそうだ。
ある夏の日、源爺が『入らずの丘』で肝試しをしようと言い出した。
もちろん、皆で止めた。
先生達も親も、決して入ってはいけないと言っていたから。
それに美代さんは、当時の宮司だった祖父から『入らずの丘』の真実の話を聞いていた。
ごく稀に、『入らずの丘』の奥深くまで入り込むことに成功してしまう人がいるのだと。
そして、中に入ってしまった人は、外に出てきたときは、それまでとはまるで別人のように凶暴になってしまっている。
あそこは本当に危険だから、決して入ってはいけないと祖父は言っていた。
◇
「……祟りは本当だったってことか」
「祟りと言えば祟りなんでしょうけど……。以前、堅司くんが神社に持ち込んでくる『臭い石』の話をしたわよね? この神社では浄化してあげられないものもあるってことも」
「あー、うん。覚えてる。浄化できない『臭い石』には、恨みつらみを持った魂が取り憑いてるって話だろ」
――憎い、恨めしいと負の感情を持った魂に、同じ負の感情を持った『心残り』が吸い寄せられて吸収されると、力を増してしまうものなのよ。そういう石が道路脇にあれば事故が増えるし、庭石になれば、その家の人達の精神状態は悪くなるし病気にもなりやすくなるわ。
以前、美代さんに聞いた話を思い出して、またしてもザワッと全身に鳥肌がたった。
「もしかして、『入らずの丘』の中にも、その『臭い石』があったとか?」
「そうじゃないの。『入らずの丘』が石そのものなのよ」
「あー、そういえば、恨みつらみを持った魂って、石だけじゃなく、他のものにも取り憑くんだっけ」
「そう。『入らずの丘』の場合は、あの丘そのものが核なのよ。あそこには、負の感情を持った『心残り』を集め続けている魂がいたの」
何百年もの間、恨みつらみを持ち続けた魂が、同じ負の感情を持った『心残り』を集め続けた場所。
それが『入らずの丘』。
臭い石や呪いの人形とは、あまりにもスケールが違う。
怖すぎて、俺は思わず大さんの背中をもふもふしていた。
「それって、本職の人に頼めばなんとかなるんだよな?」
神社ではどうにもならない『臭い石』は、本職の人に対処してもらっていると以前美代さんが言っていたことを思い出して聞いたが、美代さんは首を横に振った。
「無理だったの。私の祖父も見える人だったから、なんとかしようと知人を頼ってみたこともあったそうよ。でも、力のある行者に頼んでも、これは個人でどうこうできるレベルのものではないと断られたんですって。だから祖父は、決して『入らずの丘』には近寄るなと言ったのよ」
『入らずの丘』に長い時間を掛けて集められ、強く凝ってしまった『負の心残り』は、本来ならばそう簡単には寄りつけないはずの生きた人間の心にまで簡単に影響を及ぼしてしまう。
誰の心にもあるほんの些細な嫉妬や恨み、普段は心の中に隠しているそれらを増幅させ、表面上にまで押し出してしまうのだ。
憎い妬ましいと、周囲の人達に直接危害を加えてしまうほどに……。
「それが祟りの正体?」
「そうよ。祖父が言うには、一度『負の心残り』に心の中を荒らされるともう元には戻れないそうなの。心が食い荒らされてぼろぼろになってしまうのね」
◇
『入らずの丘』に入ろうとする源爺を、美代さんは必死に止めたのだそうだ。
だが、止めれば止めるほど、源爺はムキになる。
そうこうしているうちに、拓三さんまで源爺に乗せられ、一緒に行くと言い出した。
『臆病者。怖いんなら、おまえらはそこに居ればいいんだ』
そしてとうとう源爺は、『入らずの丘』に足を踏み入れてしまう。
拓三さんもその後を追った。
『警察じゃ駄目。すぐにお祖父ちゃんを呼んできて!』
美代さんは作爺と克江さんに後を頼んで、自分は源爺達を追った。
「怖かったわ。あんなに怖い思いをしたのは後にも先にもあのときだけよ。でも友達を放ってもおけなかった」
見えないものが見える美代さんの目には、『入らずの丘』に漂う『負の心残り』がはっきり見えていた。
それも普通の心残りじゃない。
もはや個の意識を無くし、『入らずの丘』の核となった恨みつらみを持った魂の傀儡となり果て、侵入者を取り込もうとしているのがわかる。
あれに捕まって、核となっている魂の元に連れて行かれたらおしまいだ。
でも、そこに行く前に戻ることができれば、さほど影響を受けずに済むかもしれない。
神社の宮司である祖父が、『負の心残り』を祓い落としてくれるかもしれない。
――早く、手遅れになる前に連れ戻さなきゃ。
美代さんは、震える手足を必死で動かして、源爺達の後を追いかけた。