思い出の光景と知らない昔 下
鳴り続けるラインの着信音を消さなかったのは、着信音が鳴るたび既読にしておかないと竜也からいちいち電話がかかってくるからだ。
『電車の中、先輩の絵だらけっすよ。夢みたいな光景っす』
実際、早朝になり続ける着信音がうっとうしくてシカトしていたら、リアルでひゃっほうと叫びだしそうな勢いで浮かれている竜也から電話がかかってきた。
今日があの本の発売日と言うことで出版社も気合い入れまくりで、車内全て同じ田所先生の新刊の広告を貼っている車両もあったらしい。
『今日は一日、東京中を歩き回って、先輩の絵が入った広告を撮りまくってくるっす。先輩も楽しんでくださいっす!』
いやいや、俺は別にそんな楽しくないし。
つーか、おまえ、ホントに俺の絵、好きだなぁ。
そんなわけで、竜也は本当に一日中、俺が作った田所先生の新刊の広告類を探して東京都内の駅構内やビル、書店等を歩き回っていた。
で、見つける度に写メを何枚も撮ってはラインに流しまくって、強制的に俺にも見せてくれた。
とはいっても、広告の種類自体はそう多くない。
サイズの大小に違いはあるが、大別すれば四種類程度のものだ。
それを場所やビル、シチュエーションなどが違うと注釈を入れては、いちいち同じ広告の写メをラインで送ってくる。
独自にポップ書きを加えたりして広告を加工し平積みされた新刊を目立たせようとしている書店もあって、おっと思ったりもしたが、それでもいい加減飽きてくる。
このライン攻撃に、堅司と真希も巻き込まれていたのだが、あいつ等はそれなりに楽しんでいるようで、ひと言返信やラインスタンプで反応を返してくれていた。
えらいなぁ。俺はもうお腹いっぱいでご馳走様なんだけど……。
早朝からはじまったライン攻撃が止んだのは、完全に日が暮れた後だった。
日中にも撮影していたビルの壁面に貼られた巨大ポスターがライトアップされた処を、どうしても俺に見てもらいたかったらしい。
ここまでやられてしまうと、さすがに有り難いような気分になって、とりあえず電話して直接お礼を言った。
「ありがとなー。一日中堪能させてもらったよ」
『どういたしまして。これからも俺、頑張るっす』
竜也は素で照れながら決意表明していた。
そして竜也は、本当に物凄く頑張った。
田所先生のファンタジー小説は、今のところ三作目まで出版が確約されているらしく、当然のように俺にも装丁やイラストの仕事が回ってくることになっていた。
この表紙を手がけたことで、良い意味で注目されて、メジャー処の良い仕事も取れるようになった。
児童書関連のイラストや新作お菓子のCMに使うイメージキャラクター、クラシックCDシリーズのジャケット等、イラストレーター的な仕事ばかりだったが……。
そのことを竜也に指摘すると、あっさり言われた。
『だって先輩、イラスト描くの好きっすよね? せっかく自分達で会社作ったんすから、好きなことやらなきゃ損っすよ』
できる後輩は、先回りして色々と考えてくれているらしい。有り難いことだ。
ふたりで作った会社なんだから、おまえも自分の好きなこともやれよと先輩ぶって言ってみたら、もうやってると返事がきた。
『だから、こういう仕事取ってきてるんすよ。一番最初に先輩の絵を見られるだけでもう充分楽しいっす』
そうなのか?
小心者だけに、そこまで好かれるとちょっと重いというか、びびってしまったりもするんだが。
これが香耶ちゃんが言ってたような、winwinの関係ってことなんだろうか?
まあ、せっかく会社が軌道に乗りつつあるんだから、この調子で頑張ろう。
仕事の面で自信がついたら、まだ駄目だまだ無理だと、停滞している私的な問題に取り組む気力も湧いてくるかもしれないし……。
なんてことを考えてしまっているうちは、きっと動けないままだ。
それは、わかってるんだけどなあ。
「助けて、大さん」
最近すっかり口癖になってきた言葉を呟くと、大さんは返事もせずにふっさふさのしましま尻尾を面倒くさそうに一度だけ振った。
◇ ◆ ◇
忙しく仕事をしているうちに、季節は過ぎていく。
気がつくと、梅雨があけ、もう初夏になっていた。
「あー、日曜日だし、道路掃除でもすっかな」
賃貸マンション暮らしだった頃とは違って、持ち家は維持するだけでもけっこうな手間がかかるものだ。
家中の掃除はもちろんのこと、敷地内全てに手を入れなきゃならない。
とりあえず広すぎる庭の手入れは源爺とそのシルバー仲間に仕事として請け負ってもらっているが、丘の上の家まで続く私道の掃除に関しては、昔ながらの竹箒を手に自力でやっていた。
じりじりとした強い日差しにうんざりしつつ、首にタオルを巻き、頭には麦わら帽子を被って、せっせと道路を掃いていく。
さすがにもう昔ながらの掃除法はやめて、次からは風の力でゴミや落ち葉を吹き飛ばす送風機みたいな奴を買って楽しようと誓いながら、竹箒を動かしつつゆっくりと丘を下っていくと、ちょうど私道の入り口のところに車が一台停まった。
知人だったら、丘の上の駐車場まで上がってくるはずだ。
もしかして、アポ無しでソーマ企画の本部を訪ねてきたんだろうか?
作業を続けながら、それとなく眺めていると、車から大学生らしき若者達が三人ほど降りてきた。
彼らは、手に持ったファイルを眺めながら、周囲の風景をぐるっと見渡している。
最終的に若者達の視線は、丘の上に建つ俺の家に注がれた。
「ここっぽくね?」
「う~ん、でもあの家、けっこう古いし……」
「いや、でも住所的にはここだって」
人の家を見て、なにを言ってるんだ、こいつら?
なんだか凄く嫌な予感がしたが、無視することもできず、俺は丘を下って声をかけた。
「俺の家になにか?」
「あ、すんません。俺達、Ο大のオカルト研の者なんですけど」
「……オカルト研?」
臆病な俺にとって、物凄くお近づきになりたくない人種だ。
あからさまに警戒する俺に、若者達は学生証を見せた。
「あの……これも見て貰えますか?」
次いで見せられたのは、彼らが手にしたファイルで、中には古い白黒の写真をプリントアウトしたものが綴ってあった。
「これ、百年ぐらい前の写真なんだそうです」
それは鬱蒼と茂った木々に覆われた、小山のようにも見える丘の写真だった。丘の周囲にはぐるっとしめ縄が巻かれ、人が入れないようになっている。
さらにその周りは一面が畑になっているようで、人家は見当たらない。
「この写真、『入らずの丘』ってタイトルで、あるサイトに上がっていたんです」
若者達が言うには、それはオカルト系のサイトなのだそうだ。
古い家や廃墟、山の写真等、いわゆるオカルトスポットを掲載し、その場所に関するオカルト話をまことしやかに載せているらしい。
彼らは、その情報の真偽を確かめるべく、全国を回っているのだとか。
「この写真の場所がここだって言いたいのか……」
「地名的にも周囲の山の形から見ても、それっぽいかなぁと」
言われてみると、確かにその通りで、山の稜線はそっくりそのままだ。
認めたくなくて、何度も何度も写真と見比べてみたが、やっぱり同じにしか見えない。
「それであの……。あの家はいつお建てになったものなんでしょうか?」
「祖父が結婚前に建てたって聞いてるな」
「なにか、いわくとか聞いてませんか? あの家に住んでて、変なことがあったりとか?」
大さんという不思議猫ならいるが、変なことなんてなにもない! ないったらない!
それに、人が住んでいる家に対して、なんて失礼なことを聞くんだ。
俺はムッとした。
「……子供の頃から住んでるが、特になにも……。ちなみに、そのサイトには、どういういわくがあるって書いてるんだ?」
「昔、お家騒動で追われた若様が追い詰められて、従者と共にこの丘の上で死んだそうなんです。その若様の怨念が今も残っていて、この丘の中に入ったものは、みな若様の祟りで気が触れると」
彼はファイルを捲って、そのサイトをそのままプリントアウトしたものを見せてくれた。
内容を読んだが、昔この地に住んでいた古老から聞いた話として、確かに同じようなことが書いてある。
「なんだよ、これ。ふざけたこと書いてやがるな」
っていうか、怖い。
内心の動揺を隠そうとしたせいで、軽く顔がひきつる。
緊張感と恐怖心から、竹箒をぎゅっと握っていた両手がブルッと震える。
そんな俺の態度は、若者達の目には物凄く怒っているように見えたようだった。
「す、すみません。今までもいくつか回ったんですが、地元で本当に噂になっている場所もあったけど、まるっきり普通の民家だったこともあって……。偽情報だった場合、サイトに忠告して取り下げてもらってるんです。ここもそうしたほうがいいですか?」
「そうだな。是非そうしてくれ。長くここで暮らしてるが、若様の祟りだなんて一度も聞いたことないからな」
「はい。わかりました」
俺が深く頷くと、若者達は慌てて車に乗り込んで走り去った。
そのあまりの素早さに、俺はぽかんと見送る。
なんだか過剰反応にも思えるが、もしかしたら今まで回った中で、そこの住人からこっぴどく怒られたことでもあったのかもしれない。
「……まあ、普通怒るよな」
自分が暮らしている場所がオカルトスポット扱いされていたら……。
ちなみに俺は怒ったんじゃなく、怖かっただけだけどな。
嫌なことはさっさと忘れようと、俺は掃除を黙々と続けた。
が、こんな怖い話、忘れられるわけがない。
「あー、くそっ!」
掃除を中断して家に戻り、真希に電話を掛ける。
これこれこういうことがあったのだと真希に話して、相変わらず臆病者ね。そんなの気にするなんて馬鹿じゃないのと、いつもの偉そうな口調で笑い飛ばしてもらいたかったのだ。
が、真希の返事は思いがけないものだった。
『あ、とうとうバレちゃった?』
え、あの……。
……どういうこと?
『昔の噂を知ったら、臆病なあんたがここで暮らせなくなるからって、師匠達が内緒にしてくれってみんなに頼んでいたのよ』
普通だったら、どこかから話が漏れそうなものだが、子供の頃の俺が尋常じゃない泣き虫だったせいもあって、バレたら真面目にヤバイと思ったらしくみんな協力的だったらしい。
そのせいで、その噂は今まで俺の耳にかすりもしなかったようだ。
『『入らずの丘』って、あんたが引っ越してくるまでは、ここらでけっこう有名な昔話だったのよ。でも、あんたの為にみんな口にしなくなったからか、私達より下の年代はもう知らないみたいね』
「……ってことは、本当の話なのか?」
嘘だよな。嘘だと言ってくれ。
『さあ? 私が知ってるのはそういう噂があったってことだけ。それ以上のことは知らないわ。具体的な話を知りたかったら、お祖母ちゃんに聞いて。あ、実家のお祖母ちゃんよ』
元宮司の美代さんのほうか。
見えないものが見えてしまう人だけに、本当になにか知っているんだとしたら怖すぎる。
うわー、聞きたくねー。
聞きたくないが、ここまで来ると聞かないのも怖い。
子供の頃だったら、耳と目を塞いで、なにも知らない知りたくないと泣きじゃくっているところなのだが……。
「助けて、大さん」
思わず口癖になっているセリフを呟いたら、大さんはすっくと立ち上がって玄関へ向かった。
戻って来ると、なぜかその口には前に買い与えた大さんの外出用の首輪とリードを咥えていた。
「……まさか、その首輪を付けて、一緒に神社に行ってくれるって?」
「なー」
床にリードを置いた大さんが、そうだよ、と鳴く。
確かに、ひとりで聞きに行くよりはマシかもしれないが……。
「いや、でも俺、行きたくないんだけど……」
「うなー」
駄目だよと、大さんが鳴く。
断ることはできそうになかった。