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お土産とカレー蕎麦と末路 下

 百合庵の蕎麦は田舎蕎麦だ。

 黒っぽくごつごつとした太い麺で、蕎麦の香りも強く、つゆなしでも味わい深く食べられる。

 だからこそ、カレー蕎麦をメニューに加えたと聞いたとき、ちょっと疑問を感じたのだ。

 あの癖の強い蕎麦に、カレー味は合うんだろうかと。


 人気があると真希が言っていたから、カレーと田舎蕎麦とが奇跡的にうまくマッチしたのかと思っていたが、実際に食べてみてそうじゃないことがわかった。

 カレー蕎麦に使われているのは、いつもの百合庵の田舎蕎麦じゃない。

 普段のものより色が白っぽく香りも淡い、東京でよく食べていたものに近い味わいの蕎麦だった。


「このカレー蕎麦、蕎麦もつゆも優太が作ってるんだろう? 美味かったよ」

「ありがと。自信作なんだけどさ、親父がなかなか認めてくれなくて」

「もう認めてるだろ。でなきゃ、あの頑固親父がメニューに載せたりしないって」


 以前からずっとカレー蕎麦は邪道だと言い続けていたせいもあって、職人気質で頑固な信さんは素直に美味いと認めてやることができずにいるんだろう。

 あの不機嫌顔はきっとそのジレンマのせいだ。


「優太がこんな美味い蕎麦を作れるようになって、信さんも内心では喜んでるよ」

「そうかなぁ」

「そうだって。百合庵の跡継ぎが立派に育ってるんだから嬉しくないわけない。俺も美味い蕎麦がずっと食えそうで嬉しいよ」


 俺が本気でそう言うと、優太はちょっと困惑したように小首を傾げた。


「俺、ここで百合庵を続けてもいいのかな?」

「ん?」

「だって、ほら。いずれこの店の土地、勝兄に返さなきゃならないんだろ?」

「あー、信さん、まだそんなこと言ってるのか。前に言われたときに返さなくてもいいって言っといたのに」


 あの時は納得したように見えたのだが、後になってまた心配になってしまったのか?


「もしかして、俺がデザイン事務所を開いたせいかな? それでまた余計なこと考え出したか」

「そうかも。勝兄が事務所開いたときに、いずれ人も増えるだろうし、そうなったら自宅じゃなくこっちに事務所を移すつもりだろうなって親父が……」

「いやいや、移さないから。商店街の中心じゃ賑やかすぎて集中して仕事できないしさ。人を増やすとしたら、東京の事務所のほうだ。それと、所有者は俺でも、ここの土地は信さんのものだよ。そこのところは、死んだ祖父ちゃんからちゃんと申し伝えされてるんだ」


 祖父の残した書き置きに、この土地は永続的に百合庵に貸すことにすると約束してあるから、決して返却を求めてはいけないと明記されてあった。それに、ここに移転した当時は経営危機に陥っていた百合庵だが、いずれ経営が安定したら、土地の権利そのものを百合庵に売却することも考えてあげて欲しいとも。


「もしかしたら信さん、祖父ちゃんとの約束が俺にまで伝わってないと思ってるのかもな。でも、約束は有効だから。なんだったら、しっかりした契約書を作ってもいいぞ」

「そっか。よかったー」


 はふぅと息を吐いた優太から、肩の力が抜けたのがわかった。


「せっかくこっちに帰ってきたのに肝心の店が無くなっちゃったらどうしようかと思ったよ」

「よかったな。ところでさ、帰ってくるの早くないか? 十年は修業するって言ってなかったっけ?」

「言ってたけど、そういう訳にもいかなくなったんだよ。……って、もしかして勝兄知らなかった?」


 優太が言うには、信さんは病気で長く入院していたらしい。

 たぶん、俺が田舎に帰ってなかった二年間の話だろう。余計な心配はかけたくないから俺には知らせないようにと、信さんが真希達に口止めでもしていたのかもしれない。

 その間、母親と店員達だけでは店が維持できなくて、仕方なく優太が予定を早めて戻ってきたのだそうだ。

 だが帰って来ても、すぐに信さんと同じレベルの蕎麦を打てるようになるわけもなく、客足は減る一方。なんとかしなくてはと考えた優太は、自分の持つ技術を全てつぎ込んでカレー蕎麦を考案したのだそうだ。


「初耳だ。信さんの病気、完治したんだよな?」

「んー、病気は治ったけど、体力はなかなか戻らないみたい。今も蕎麦打ちは俺が半分以上やってるし」

「……そっか」


 信さん、体力が落ちたせいで、自分が引退するときのことを考えるようになったのか。

 息子に跡を継がせたくても、土地の所有者である俺に気兼ねして、もやもやしていたのかもしれない。

 これは早めにちゃんとした契約書を作っておいたほうがよさそうだ。


「この店、いずれもっとメニューを増やして居酒屋っぽくしたいんだ。蕎麦屋だけだとどうしても客の入りが限られるからさ。ほら、うちの商店街の酒屋の立ち飲みシステムみたいに、会社帰りのサラリーマンが軽く酒を飲んでいける感じで」

「ああ、それもいいかもな」


 優太が楽しそうに店の将来の展望を語る。

 メニューに関しても、地元の食材をメインにして、特色を出して行きたいのだとか。その為に、今から商店街の八百屋にリサーチもかけているらしい。


 家業を継ぐことに積極的な跡継ぎがいて、信さんも安心だ。

 俺専用メニューのちくわの天ぷらも引き継いでくれないかな。





     ◇  ◆  ◇





 子供の頃から蕎麦屋を経営する両親を見て育った優太は、蕎麦屋限定じゃなく食べ物屋になることが自分の夢になったのだそうだ。


 誰しもが夢を抱えて生きているわけじゃない。

 夢みた仕事に手が届かないことだってあるだろうし、届いても、その業界の端っこに生息するのが精一杯ってこともあるだろう。

 仕事に夢を抱かない人だっている。仕事は金を稼ぐ手段で、夢は別枠で趣味になっているとか。



 俺はといえば、趣味を仕事にしたような人間だ。

 そういう意味で言えば、俺は幸せなんだと思う。

 最初に勤めた会社はクビになったが、独立してもとりあえず仕事は入ってきている。

 そして、俺の好みを熟知している竜也は、基本的に俺向きの仕事しか取ってこない。

 好きな仕事を楽しくやれる。うん、これは確かに幸せだ。


 佐倉は仕事してて楽しかったんだろうか?


 ちまちまとラインスタンプ用のイラストを描きながら、ぼんやりそんなことを思う。


 他人のデザインを利用して仕事をしていたのだから、デザインの仕事自体を楽しいとは思ってなかっただろう。

 となると、評価されることが楽しかったのか?

 今回の作品は人気ですよとちやほやされて、取材されたり接待されたりするのがたまらなかったとか?

 とりあえず、金儲けが好きだったのは確実だな。



 東京で話し合いをしてから一ヶ月以上経った。


 

 すでに佐倉による盗作は公のものとなり、俺も時の人となってしまった。

 東京の事務所には、ソーマ企画のデザイナーであるソーマ氏(俺だ)への取材の申し込みがひっきりなしにきたし、俺の顔写真もワイドショーで使われた。

 だが、その騒動も結局は一時的なものですんだ。

 キャンペーングッズの盗作なんて、ワイドショーで長くひっぱるような話題ではなかったからだ。


 だが、佐倉道重の名はけっこう長く報道され続けた。


 盗作疑惑の発覚の後、会社の金を横領したことも公表されたからだ。

 さらにはその後、佐倉が今回の件だけじゃなく、以前から卑怯な手段で若手のデザイナー達を脅迫してそのデザインを奪い取っていたことや、学生相手のコンペの審査員をした際に、金を貰って審査に手心を加えたことも明らかになった。


 そのコンペの最優秀者が、新進気鋭の前衛デザイナーとしてちょうど話題になっていたことも、騒動に火を注いだ。


 ここら辺の情報をマスコミにリークしたのは、佐倉の腰巾着だった笠原だ。

 会社の金を横領した罪を笠原にも半分押しつけようと佐倉が画策したことが明らかになり、それに怒った笠原が自分が知っていること全てを公表してしまったのだ。

 それも、かなり事実より盛っていたようで、そのセンセーショナルな内容にワイドショーや週刊誌は大喜びで食いついた。

 自業自得とはいえ、衝撃的な週刊誌の見出しを見たときはさすがにちょっと気分が悪くなったものだ。


 甲坂さんに言わせると、これらの騒動には、佐倉をより悪者にして、自分達も被害者だったのだと意識誘導しようとする会社側の裏の意図を感じるらしい。


 最終的に、猫達のストラップのキャンペーンを展開した飲料メーカーと会社側の話し合いの結果がどうなったのかは知らない。

 とりあえず無事に俺の権利は認められたので、もうそれで充分だ。

 ちなみに、けっこうな金額をむしり取れたので、甲坂さんがわざとらしく輝く笑顔で大勝利を宣言していた。




 そして今、俺は竜也から仕事を干されている。


 大金をゲットして会社の資金に余裕もできたし、これも良い機会だから、よりいい仕事を選ぶことにするっすと竜也が勝手に宣言して以来、仕事が入ってこなくなったのだ。酷い。


 なので、今やっているラインのスタンプ描きは趣味の範疇だ。

 チマチマ描き溜めて、そのうち竜也に売り込もうと思っている。


「ほら、大さん。今度のはリリーベルちゃんのラインスタンプだぞ。挨拶がてら、商店街に売り込みに行こうかな」

「なー」


 プリントアウトしたイラストを、足元に寝転がっている大さんに見せる。

 大さんは、返事はしたものの興味はないらしく目をつぶったままだ。

 ちょっとぐらい構ってくれよ。


 今回の騒動では、商店街にも世話になった。

 ほとんどは東京の事務所で対応していたのだが、そこから零れた雑誌の記者が、俺の人となりを探るために地元に来たことがあった。

 そんな記者達が商店街でインタビューしたり、タクシーに乗ったりしたところを商店街の人達が掴まえて、俺の家に直接来る前にアポ無し取材はお断りだと追い返してくれたのだ。


 先生のところの坊ちゃんに迷惑をかける奴は敵だ、ということらしい。

 有り難いけど、記者の前で『坊ちゃん』呼ばわりは止めて欲しかったです。まじで勘弁して。


 今は記者達の襲来はなくなったが、その代わり、佐倉に対する警戒をしてくれているらしい。

 もしかしたら俺を逆恨みして襲撃してくるかもしれないからと、竜也が頼んでくれたのだ。

 俺としては、この佐倉への対策は、ちょっと大袈裟だったかなといずれ笑い話になればいいと思っている。




 まあ、そんなこんなで穏やかな日常が戻りつつあった頃、東京の竜也から電話があった。


『保釈中の佐倉が事故に遭ったっす。バイクに突っ込まれて重体、助かっても下半身不随になるだろうって話っす』

「事故って、そりゃ……運が悪かったな」


 両親のこともあって、事故の話はあまり得意じゃない。

 俺は喉の奥が詰まるような感じを覚えながら、声を絞り出すようにして返事をした。


『ただの事故じゃないっす。バイクを運転していたのは、佐倉が審査に手心を加えた新人デザイナーっす』

「な……んで、また……」

『逆恨みっすよ。佐倉がしくじったせいで、自分まで痛い目を見たことに対する……。ニュースとして報道される前に、先輩の耳に入れといた方が良いかと思ったっす』

「あー、うん。だな。助かる。……俺のほうの警戒、もう必要無くなっちゃったな」

『そうっすね。……先輩、大丈夫っすか?』


 竜也の気遣うような声に、俺は頷いた。


 事故に遭った佐倉と、佐倉を轢いた若いデザイナー。

 自分がやったことで誰かの人生が大きく変わるのは、やっぱり凄く怖い。


 だが、俺が盗作の件を示談で収めていればこんなことにはならなかった、とは思わない。

 というか、思えない。


 佐倉は色々と今までやりすぎた。

 俺の件がなくても――俺以外に対する盗作なり、横領なり、コンペの審査の件なり――どこかがほつれて、いずれ芋づる式で全てが明らかになっていたはずだ。


 若いデザイナー達は抱いていた夢を佐倉から汚い手段で奪い取られ、その代わりに仄暗い恨みつらみを抱くようになってしまった。

 人の人生そのものをねじ曲げた罪は重い。


 早く明らかになった分だけ、被害は少なかったはずだ……と思いたい。



「……大丈夫だ。ちょっと……しばらくは凹むかもしれないけど、まあ、そこら辺は俺の性格だから、もうしょうがないし……」

『先輩、小心者っすからね。……佐倉は自業自得っすよ。先輩が心を痛める価値はないっす』

「うん、だな。ありがとう」

『なるべく早く、先輩が元気になるような仕事を取ってくるっす。それまで、大さんをもふって癒されるっすよ』

「わかった。そうする。――最近暇過ぎてラインスタンプちょこちょこ描いてたんだ。データ送るから確認してみてくれ」

『そりゃ楽しみっす』


 心配そうな竜也の為に、元気そうな声を絞り出して通話を切った。

 まあ、どうせ凹んでるのはバレバレなんだけど、少しでも見栄を張りたいじゃないか。


「大さん、天気もいいし、ちょっと縁側でブラッシングしよっか?」

「なー」


 大さんに声をかけて、座布団とブラシを手に日当たりのいい縁側に出た。


 その後、俺は日差しのある間、ずっと大さんをブラッシングし続けた。

 大さんは、俺が凹んでいるのがわかるのか、たまに俺の手を舐めつつ、ずっとじっとしてつき合ってくれていた。


 大さんが抜け毛の無い不思議猫で良かったよ。

 でないと、しつこすぎるブラッシングのせいでハゲていたかもしれないからな。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

次回からは、大さん絡みでほんのりオカルトパートに入ります。暑くなってきましたし、オカルト風味も涼しげでいいんじゃないかなーと。

主人公が幸せになるまで越えなきゃならない山がまだもう少しあるので、お付き合いいただけると嬉しいです。頑張りますのでよろしくお願いします。

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