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お土産とカレー蕎麦と末路 上


 予定通りに地元の最寄り駅に到着した俺は、駅の駐車場に停めていた車で家路についた。


 その途中、お土産を渡すために堅司達の家に寄った。ケーキの賞味期限が気になったのだ。


「これ、お土産とさとみさんの件で世話になったお礼。こっちが真希に頼まれたザッハトルテ、それと同じ店のチョコレートの詰め合わせ、こっちは堅司に向こうで飲んで美味しかった喫茶店の珈琲豆。あと、日本酒とつまみも。源爺達と飲んで」

「ありがとー。これ前から一度食べてみたかったのよ」

「俺にまで悪いな。竜也から話は聞いてるが、お前は話し合いの結果に満足してるんだな?」

「もちろん。俺の名誉はばっちり守れたし」

「それなら良かった」


 大喜びでお土産を受け取った真希に、どうせなら一緒に夕食を食べていかないかと誘われたが、断った。一刻も早く大さんに会いたかったのだ。


「だったら、ちょっと待ってなさい。今から夕食の支度するのも面倒でしょ? 家のおかず分けてあげるわ」


 真希がばたばたとキッチンに駆けていく。

 残った堅司がちょっと心配そうな顔で話しかけてきた。


「大さんだが、まだ戻ってないらしい」

「透明猫のままってことか?」

「そうだ。真希達に言わせると気配はあるらしいんだが」

「そっか。それなら大丈夫だ。きっと大さん、省エネモード中なんだろ」


 不思議と不安はない。

 自分でもなぜかわからないが、俺には大さんがちゃんと家で待っていてくれるという確信があった。


 その後、真希からメンチカツと煮物を貰ってから、再び車に乗り込む。


 家の玄関の引き戸を開ければ、きっとそこに大さんは居るはずだ。

 前足をきちんと揃えて座り、ふっさふさのしましま尻尾をばっさばっさと嬉しそうに振って出迎えてくれるはずだと信じて車を走らせた。


 やがて、家のある丘が見えてくる。

 私道に入って丘を登り、駐車場に車を停めたところで、俺は予想が外れたことを知った。


 大さんは、玄関の引き戸の中ではなく、外で俺を待っていたのだ。

 透明猫になれるぐらいだから、戸締まりしてようが、鍵がかかってようが関係ないのか。便利だな。


「大さん、ただいま」

「なー」


 車を降りて声を掛けると、大さんが尻尾を振りつつ駆け寄ってくる。

 屈んで大さんを撫でようとした俺は、大さんの力強い体当たりに負けて駐車場に尻餅をついた。な、情けない。


 大さん、顔を舐めてくれるのは嬉しいけど、砂利が尻に刺さって地味に痛いよ……。






 真希から分けてもらったおかずとお土産の羊羹で、大さんとふたり(ひとりと一匹?)で晩酌としゃれこんだ。

 本当は消費期限の早いザッハトルテのほうを先に出したかったのだが、大さんがじーっと羊羹を見つめ続けて離れなかったので根負けしたのだ。


「とりあえず、俺的には一段落ついたお祝いで乾杯な」


 俺はビール、大さんにはお土産の日本酒の封を開けて乾杯の真似事をした。

 つき合いのいい大さんは、俺の乾杯の音頭に合わせて、尻尾を振りつつ「なー」と鳴いてくれた。賢いなぁ。


 真希の手作りだろう、妙に固いが味はいいメンチカツでビールを飲みつつ、大さんに上京していた間の出来事を話した。


「会社との交渉はまだまだかかるみたいだけど、俺の目的は達成したから。もうしばらくしたら、大さんをモデルにしたこのぬいぐるみも、俺のデザインだって世間に公表される予定だ」

「なー」


 日本酒を舐める大さんの隣りに、大さんぬいぐるみを置いてみる。

 うん、やっぱりいい。最高の組み合わせだ。嬉しくて、にやにやが止まらない。


「……でもなぁ、公表されたら大騒ぎになるだろうな。こっちにまで報道関係の人間がこなきゃいいけど……」


 猫達の権利を守れたのはよかったが、それが公表された後のことを思うと、やっぱりちょっと憂鬱だ。

 だが示談に応じて、猫達を売り渡したらきっと一生後悔することになっていた。それぐらいなら、一時的に騒動に巻き込まれて迷惑するほうが全然マシだ。ここは我慢するしかない。


「まあ、とにかくこれですっきりしたよ。長いこと留守にしてごめんな」

「なー」

「さとみさんのことも守ってくれてありがとな。美代さんにも改めてお礼しなきゃ。……お土産もあるし」


 あらかじめ頼まれた分だけじゃなく、それ以外にも色々お土産を買い込んできてしまった。

 増えた荷物にうんざりしつつも、お土産を買いたがっている自分を自覚して、妙にくすぐったい気持ちにもなった。


「引っ越してきたときは、なんも買ってこなかったもんなぁ」


 持ってきたのは引っ越し荷物だけ。

 帰郷の挨拶の品もなかった。

 そもそも、挨拶しようとも思っていなかった。


 堅司に指摘されたように、俺はただ逃げてきたのだ。

 あの時の俺にとって、この家は逃げ出すのに都合の良い場所だったから。


 だが、今回は違った。

 これで帰れると思ってすぐ、お土産のことを思い出した。

 そして、お土産を渡したい人達の顔が脳裏に思い浮かんだ。


 それが、とても嬉しいことに思えた。




――あんたが帰ってきたら、いつだって昨日別れたばかりだって顔で出迎えてあげる。あんたの居場所はちゃんと空けておくから。勝手にひとりになった気にならないで……。


 昔、真希にそう言われて泣かれたことがある。


 あの時、俺はその言葉の意味を理解したつもりだったが、今になって本当にはわかっていなかったんだと思えるようになった。


 待っていてくれる人がいてくれれば、ひとりじゃないのだと思っていた。

 甘やかされたお坊ちゃんだった頃のままに、いつだって迎え入れられて、受け入れられることばかりを望んでいた。


 だがそれには、迎え入れてもらえなかったら、受け入れてもらえなかったらという不安がどうしてもつきまとう。

 頼って甘えてばかりの、一方通行の関係だから……。


「ひとりになった気にならないで……か」


 あの頃の俺は孤独に怯えていた。

 受け入れてもらえなかったらという不安に勝つ強さがなかった。だから真希は俺に居場所を作ってくれようとしたんだろう。


「いい加減、ひとりで立てるようにならないと」


 大学でナッチと出会って、ナッチと一緒に暮らすようになって、俺は孤独から解放された。

 ナッチを守るためなら強くなれたし、ナッチに愛されているという満足感に酔いしれて、ふたりだけの世界に浸りきっていたようにも思う。


 だから気づかなかった。

 自分が、上京した頃からまったく成長していないことに……。


 いざナッチに別離を告げられて、止めることもできずに見送ったのは怖かったからだ。

 行くなと止めた上で拒絶されて、はっきり別れを告げられるのが怖かった。


 だから、別れ話もしないまま、黙って見送ることしかできなかった。

 堅司達が言うように、俺達はちゃんと別れることができないままにただ離れてしまった。


 もしもあの時、ナッチに待っているからと告げることができていたら、今の状況だってなにか変わっていたかもしれない。

 だが、俺にはそれすら言えなかった。

 待つというのは、一時の別れを認めることだ。

 ひとりになるのが怖かった俺には、そんな一時の別れですら認められないことだった。


 それで結局本当にひとりになって、淋しさのあまり京香のような女に引っかかって、こんな面倒事にまで巻き込まれてしまったのだからお笑いだ。


 馬鹿だ馬鹿だと散々いわれ続けて来たが、本当に俺は馬鹿だったんだろう。


 ……認めるよ、畜生。


 だからこそ、もっとしっかりしなきゃと思う。

 誰かに寄りかかるんじゃなく、自分の足でしっかり立って、自分の人生をもっと大切にしなきゃと思う。


 依存ではなく共存。

 こちらからも手を差し伸べることができるように、俺自身が人を受け入れる余裕を持たなくては。


 つまりは、自立した大人にならなきゃってことだ。


「……アラサーなんだけどなぁ」

「なー?」


 我が身の至らなさが、さすがに恥ずかしい。

 ひとりで赤くなる俺を、大さんのくりっと丸い黒い目が不思議そうに見つめていた。





     ◇  ◆  ◇




 翌日は、神社にお土産を届けた。

 ご祈祷の予約が入っているとかでゆっくり話をする時間はなかったが、とりあえず俺の目的は果たしたことだけはちゃんと伝えておいた。


「それならよかったわ。そうそう。さとみさんね、陣痛がはじまったんですって」


 さとみさんとメル友になったのよと自慢する美代さんが教えてくれた。

 初産は時間がかかるそうで、産まれるのは日付が変わった頃になるかもしれないとのこと。

 彼女との別れ際、生き霊対策に堅司が作ったあの曲玉のネックレスも渡したそうだ。

 無事に産まれますようにと、とりあえず神社にお参りしておいた。




 その後、少し遅い昼食がてら百合庵にも足を運んだ。


「これ、東京のお土産。酒のつまみに良さそうだと思って」

「おう、佃煮か。ありがとよ」


 店主の信さんは嬉しそうに受け取ってくれた。


「東京になんて、なにしに行ったんだ?」

「以前勤めてた会社で色々と後始末……みたいな?」

「なんだそりゃ。まあいいや。今日はなに食べる?」

「あー、そうだな。……カレー蕎麦を食べてみようかな」


 以前真希がけっこう評判がいいらしいと言っていた百合庵の新メニューを思い出して注文すると、信さんはいきなり不機嫌そうに口をへの字に曲げた。


「カレー蕎麦なんざ、邪道だ」

「邪道って……。だったらなんでメニューに載せてるんだよ?」

「……色々事情があるんだ」


 ちょっと待ってなと信さんが厨房に消えた。

 しばらくして、不機嫌な顔のまま、無言で俺専用メニューのちくわの天ぷらだけ届けて、また厨房へ戻っていく。


「……なんなんだ?」


 いつも愛想がいい信さんとは思えないおかしな態度に首を傾げる。

 態度はおかしくても、いつも通りちくわの天ぷらは美味かった。

 サクッとした衣を楽しむべく、まずはそのままで一口囓る。その後、大根おろしにちょっと醤油を垂らしたものを載せてまた一口。

 熱々の衣と冷たい大根おろし、ちくわの旨みと油の甘みが引き立ってこれまた美味い。

 車じゃなかったらビールを頼むところなんだけどなあ。

 しみじみ味わっていると、目の前に丼が置かれた。


「はい、カレー蕎麦。お待たせ」

「あれ? 優太だ。お前もこっちに帰ってたのか」


 優太は信さんの息子で、俺の二歳下になる。

 大学には進学せずに、和食の店に修業に出たと聞いていたのだが……。


「いつ戻ったんだ?」

「一年とちょっと前ぐらいになるかな。いつも厨房に引っ込んでるから、勝兄とは顔を合わせる機会がなかったんだ。話は後。蕎麦が伸びる前に食べてよ」

「お、そうだな。じゃ、いただきます」


 まずは味見だと、木製の和風レンゲでスープをすくって飲んでみた。


「へえ、昆布出汁が利いてる。ちゃんと和風なんだな」


 どれどれと今度は蕎麦をすすった。……あれ? 美味い?


 一口食べて、びっくりした俺は優太を見た。


「このカレー蕎麦、美味いぞ」

「だろ? 美味しいうちに食べちゃってよ」

「わかった」


 なるほど。

 信さんの不機嫌の理由がわかった気がするぞ。


 俺は美味いカレー蕎麦を夢中ですすった。


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