醜いドタバタと交渉と決断 下
「加藤専務、席を外してもらえるか?」
部屋に入るなり副社長が告げた。
その言葉に驚いた専務が、自分は責任者だと訴えていたが、「君のやり方では駄目だ」とさっくり却下される。
専務達が出て行った後で、副社長は俺に対して頭を下げた。
「相馬さん、先程の佐倉のこと、本当に申し訳なかった。外に待機していた者達から佐倉を話し合いに同席させていると聞いて、正直呆れたよ。あのように自己保身しか考えられないような男とではまともな話し合いができるはずがない。それをわかっていながら同席させた加藤専務がなにを考えていたか、想像に難くない。実に恥ずかしい話だ。本当に申し訳なかった」
「頭を上げてください。この程度の茶番、気にしてはいませんから」
甲坂さんは、むしろ楽しかったと言わんばかりのわざとらしい笑みを浮かべた。
俺はと言えば、『旗』なので黙ってはいたが、思いがけない副社長の謝罪にほっと胸を撫で下ろしていた。
不安になって損した。この人となら話し合いもスムーズにいくんじゃないか?
そんな気持ちのまま隣りを見たら、なに馬鹿なこと考えてるっすかと言わんばかりの眇めた目で竜也が俺を見ている。
あれ? いい人だと思ったのは勘違い? もしかして、飴と鞭作戦で二段構えなのか?
俺よりも確実にこの手の話し合いに長けて居るだろう竜也の反応に、俺も慌てて再び気を引き締める。
「さて、相馬さん。加藤専務がどんな風に説明したのか私にはわかりかねるが、今回の一件、君の訴えが正しかったことはすでに調査済みだ。ねつ造されたセクハラ疑惑で君を解雇に追いやったこと、本当に申し訳なく思っている。我が社は、かねてより君の能力を買っていた。だからこそ、独立する為に辞めるのだという報告を聞いて、さもありなんと惜しみながらも君の選択に納得もした。だが、それらすべてが佐倉と人事部長の嘘だった。それがわかった今、私はもう一度君に戻ってきてもらいたいと思っているんだ」
「そうは言っても、相馬さんはすでに独立されておりますが?」
「もちろん、それは承知している。だが、最初からそのつもりだったわけではないのだろう? 不安定な個人業者であるよりも、戻ってきたほうがなにかと得だと思わないか? 君ならば、佐倉の穴を埋めることもできる。個人業者では手が出ないような大きな仕事を手がけてみたいとは思わないか?」
副社長は戻ってくれるのならばと、かなりいい条件を次々に提示していく。
「もちろん、君のアシスタントである桐生くんも共に戻ってきて欲しいと思っている。どうしても今さら勤め人に戻るのは嫌だというのならば、ソーマ企画として我が社と専属契約を結んでもらう方向で考えてもらえないだろうか?」
検討して欲しい、と副社長が俺を――俺だけをまっすぐ見つめる。
ぶっちゃけ、弁護士は余計な口を挟むなとその態度で示しているわけだ。
俺、『旗』だしなぁ。
どうしようかと、甲坂さんを見たら、肩をすくめながらも頷いていた。
この手の人生に関わる決断は自分でどうぞということだろうか?
さて、どうしようか。なんて、考える必要もない。
確かに勤め人の安定感は魅力だが、今回の話し合いでのやり口を見てしまった今となっては、もうその安定感ですら信用できない。いつ手の平を返されて潰されるかわからないしな。首に紐を付けられたことで、今回の一件もなあなあで誤魔化されそうな気もする。
同じ理由で、ソーマ企画として契約するのもなしだ。
決して、俺が、大さんの居る家を離れたくないからではない。
そんなことを言ったら、拳骨を握りしめた祖母が、この馬鹿たれと枕元に立ちそうな気がするし……。
「お気持ちはありがたいのですが、お断りします」
「そうか。残念だ」
はっきりと断ると、予想していたのか副社長はあっさり頷いた。
そして、すぐに次の提案をしてくる。
「それでは、示談に応じてくれないだろうか?」
副社長の提案はこうだ。
ネット炎上しているとはいえ、今だ盗作疑惑は疑惑のままだ。
これをこのまま真実にはしたくない。
真実だと認めれば、会社側の損害は恐ろしいものになるから。
「君も猫ストラップ制作に関わっていたことにしてもらえないだろうか?」
佐倉のチームの一員として企画段階で協力し、その後退職したことにすればつじつまは合う。
佐倉監修デザインということになるわけだ。
まあ、この業界ではよくある幕引きのひとつではある。
示談に応じてくれるのなら、これだけの金額を用意できると、副社長の秘書がスマホ画面で数字を提示した。
都心の高級マンションを余裕で買えるぐらいの金額だ。
随分と張り込んだな。
示談金の額についてはあまり考えないようにしていたが、これは破格だよな。
ここで頷けば、また甲坂さんのわざとらしく輝く笑顔が見られるかもしれない。
「正直言って、今回の件が表沙汰になれば、その影響は深刻だ。倒産まではいかなくとも、かなりの社員に出向という形で外部会社に移動してもらうことになるだろう」
この会社でいうところの出向は、退職勧告と思っていい。次の職場を用意してやるからもう戻ってくるなと言われたも同然なのだ。
実際、条件の悪い会社に大人しく出向するよりはと、そのまま退職する者の方が多い。
俺は、かつて自分のチームにいた部下達を思った。
新しいチームにバラされて配属された彼らは、うまく今のチームに馴染めているだろうか?
新参者だけに真っ先に出向要員にリストアップされてしまいそうな気がする。
まだ若い奴ならなんとかなるだろうが、家庭持ちで家のローンを抱えている奴にとって出向話はキツいだろう。
そもそも小心者の俺は、今回の盗作騒動をあまり大騒ぎにならないよう、なるべく静かに収束させたいと思っていた。
これは、願ったり叶ったりの申し出なんじゃないだろうか?
半ば心を決めて、深く息を吐く。
改めて副社長に目線を合わせようとして顔を上げ、ふと視界の端に猫のぬいぐるみが入ってきた。
――俺がこの示談を認めたら、あの大さんぬいぐるみも佐倉のデザインってことになるのか?
それを思った途端、ざわっと嫌悪感で鳥肌が立った。
自分の子供の命を駆け引きの道具にできるような男に、大さんを任せられるものか。
今回の盗作の件を示談で誤魔化しても、佐倉が表舞台に立つことはもうないだろう。
佐倉の汚名と共に、俺のキャラクター達も臭い物には蓋とばかりに闇に封じられてしまうことになる。
キャンペーングッズなんて所詮は一過性のものだ。
だが、忘れられるのと封じられるのとでは意味が違う。
あの猫達をそんな風に扱わせてしまってもいいのか?
かつて、俺が中学の先生にあの猫達のデータを渡したのは、あの先生が猫達を可愛い奴らだと気に入ってくれたからだ。
だが、佐倉には渡したくない。
あいつにだけは絶対に嫌だ。
――あの猫達は、俺のキャラクターだ。
「お断りします」
そう答えた途端、バシッと背中を叩かれた。
え、なんだ? まずかったか?
小心者の俺がびびって振り向くと、竜也がわざとらしく輝く笑顔で頷いていた。
反対側を見ると、甲坂さんも苦笑しつつも頷いてくれている。
どうやら、これで正解だったようだ。
俺はほっとして、いつの間にか力が入っていた肩から力を抜いた。
◇ ◆ ◇
そして、会社との示談交渉は次回持ち越しとなった。
今後は盗作を認めた上での示談をしっかり協議してもらうことになる。
そして、あくまでも示談の窓口は会社だ。
佐倉ではなく、会社が受けた仕事で、会社の社員がやらかした盗作なのだから。
佐倉と京香への処罰は社内でやればいい。
俺は、京香からしっかり金を回収できたし、佐倉にはぐぬぬっと言わせることができたのでもういい。
甲坂さんから民事で訴えてはと勧められたが、佐倉にはこれからさとみさんへの慰謝料や養育費をたっぷり払ってもらうほうを優先させたいので、こっちは遠慮することにした。
このことは、さとみさんの弁護士に伝えてもらった。弁護士さんには、赤ちゃんの為にも頑張って一括でどかんと養育費をぶんどってもらいたいものである。
そんな俺に、竜也は甘いっすよと文句を言うが、今回の決断は喜んでくれているようだ。
「デザイナーとしてのプライドを守ったんすから上出来っすよ」
「あの示談金は、ちょっと惜しかったけどねぇ」
甲坂さんは苦笑しているが、この先、まだまだがっつりむしり取る機会がありそうだから、期待して欲しいとわざとらしい笑顔で言われた。
成功報酬なので、むしり取った金額で弁護士費用も変わるからやる気満々だ。
このわざとらしい笑顔だが、どうやら世間の人達には爽やかな笑顔に見えているらしい。
その証拠に、今も通りかかった喫茶店のウェイトレスが、甲坂さんのわざとらしい笑顔にぽやんと見とれている。
……イケメン一族滅べ。
とにかく、俺の個人的な目的は達成された。
後のことは竜也と甲坂さんに任せておけばいいそうなので、これでやっと家に帰れる。
「もう少し、こっちに居てもいいっすよ」
「嫌だ。ホテル代馬鹿にならないし。早く大さんに会いたいしな」
俺は、竜也が約束通りゲットしてきてくれた大さんぬいぐるみを膝の上で可愛がりながら、明日は朝からお土産を買いまくって、なんとか夕方には地元に戻りたいと考えていた。