醜いドタバタと交渉と決断 中
「相馬さんはなるべく口を開かないでくださいね」
会社に向かう前に、またしても甲坂さんから念を押された。
特に、竜也のおともだちから得た情報は、俺達が知っているはずのない情報だから、決して口にしてはいけないと念を押されまくった。
と言うわけで、今日も俺の役目は『旗』だ。
黙ってパタパタ風に吹かれてるだけでいいらしい。
ちょっと拗ねつつ、前回と同じメンバーで会社に向かうと、前回とは違う重役用の会議室に通された。
奥のテーブルに、今まで佐倉が手がけてきたグッズやCM関連のポスターなどがずらりと並べてあるところをみると、この部屋で連日会議を開いていたのだろう。
並べてあるグッズの中には、猫達のストラップと、応募者から抽選で当たることになっている大さんをモデルにした猫ぬいぐるみも並べてある。
――大さんだ! 欲しいっ!
大さん欠乏症にかかっていた俺は、思わずふらふらっと歩み寄ろうとしたが、竜也にガシッと腕をつかまれて止められた。
「先輩、我慢っす。後でこっそり貰ってあげるっすから」
――本当だな? 絶対だぞ!
竜也の言葉を信じることにした俺は、口を閉ざしたまま席に着く。
相手側は専務と秘書、そこに弁護士が増えていた。
お茶で喉を湿らせ、話し合いをしようかと言うところで、ドアが開いてもうひとり姿を現した。
佐倉だ。
俺がうっかり刺されないように顔を合わせない方向で話をつけていたんじゃなかったっけ?
びびる小心者の俺を宥めるように、『大丈夫っすよ。こんな場所じゃなにもできないっすから』と竜也が囁く。
それもそうかと、ちょっとほっとした。
「……なぜ佐倉さんがここに? 話が違うようですが?」
「申し訳ありません。相馬さんに直接会わせるまでは、なにも話さないと言い張っているんです。それで、こちらも困っていまして……」
弁護士同士の会話を聞くに、佐倉は盗作やセクハラ疑惑に関してなにも話していないらしい。
このままでは調査が進まないので、仕方なくここに連れてきたということだ。
が、これは嘘だ。
竜也のおともだちから情報を流して貰っている俺達にはそれがよくわかる。
さて、ではなぜ、こんな嘘をついてまで、佐倉をこの場に連れてきたのか?
『旗』らしく口を閉ざしたまま心の中で首を傾げていると、空いている席に勝手に座った佐倉にいきなり睨みつけられた。
「相馬さん、あなたには失望しました。私を貶めたいのなら私にだけ攻撃すればいいでしょう。ネット炎上を煽って、会社にまで迷惑をかける必要がどこにあったんですか?」
いやいや、ネット炎上を煽ってなんかないし。
否定したいところだが、今日の俺は『旗』なのでとりあえず黙っていると、甲坂さんが否定してくれた。
「なにか勘違いなさっているようですね。相馬さんがネット炎上を煽っているわけではありませんよ。騒動の責任を他人に転嫁しようとなさるのはいかがなものか……。そもそも、あなたが盗作などしなければこんな騒ぎは起きなかった。そこのところ、自覚してらっしゃいますか?」
「私が迂闊な真似をしたのは認めます。だが、相馬さんのやり口は汚すぎる。あんな方法で私を陥れて、それをネットで拡散させるなど、あまりにも悪質だ」
いやいや、だから俺なんにもしてないって。
佐倉がどこまで本気でこれを言っているのかはわからないが、なにがやりたいのかはなんとなくわかってきた。
たぶん、佐倉は俺を悪役にしたいのだ。
俺に騙され陥れられたのだということにできれば、今回の騒動の責任の一端を俺に押しつけることができるから。
京香と一戦交えたことで俺がなんにもしてないってことはわかってるだろうに、実に往生際が悪い。
いや、もしかしたら、まだ本気で俺が黒幕だと思ってるんだろうか?
まさかねと俺がひとりで考えているうちに、甲坂さんがまた反論してくれていた。
「今回の件を依頼されてから、私も独自に調査したんです。盗作の一件、ネット炎上を故意に煽っている人物がいるのは事実です。ですが、それは相馬さんではありません。ネット炎上を煽っているのは、かつてあなたの部下だった人物ですよ。それも複数人いるようです」
甲坂さんは、猫ストラップ盗作に関するまとめサイトなるものを作り、炎上を煽った人物をある程度特定することに成功していたようだ。さすが有能だ。
ただし、あまり表沙汰にできない手段を使ったようなので、はっきりと個人名を出すことはしなかったが、かつて佐倉によってその才能を利用されて会社を辞めていった若いデザイナー達だということだけははっきり告げた。
「……て、適当なことを言って誤魔化すつもりか」
「いえ、そんなわけないでしょう。信じられなければ、独自に調査してください。被害者であるあなたからプロバイダーに正式に依頼すれば、IPアドレスを入手して個人特定することもできるかもしれませんよ」
どうぞお好きなようにとわざとらしく微笑まれて、佐倉が言葉に詰まる。
「先程から、相馬さんがあなたに対して害意を持っているといったようなことをおっしゃっているようですが、それもあなたの勘違いですよ。相馬さんはあなたのことなど、なんとも思っていなかった。少なくとも、あなたが懇意にしている女性をつかって、ちょっかいをかけてくるまでは……ですが」
「小谷京香のことだな? あの女だって、そもそも相馬さんが俺にけしかけてきたんだろう」
全部わかってるんだぞと、佐倉が怒鳴る。
それを見て、俺はこっそり溜め息をついた。
たぶん、これは、本気でそうであったらいいと願っているんだろう。
このままだと破滅を待つだけだから、自分は盗作するように誘導されて陥れられただけなんだと思い込みたいのかもしれない。
とにかく、ほんの少しでもいいから、責任の一端を誰かに押しつけたがっている。
責任転嫁というか、藁にもすがる思いとでも言えば良いのか……。
崖っぷち佐倉が指一本で踏みとどまろうとあがいているのはわかった。
では、このやり取りを黙って見ている専務の思惑は?
考えてみたが、あまりいい答えは思いつけなかった。
たぶんだが、こちらも、なんとかして自分達――会社側の被害を少なくする術はないかと模索しているような気がするのだ。
竜也のおともだち情報を聞いた限りでは、会社側も佐倉がやったことを全て把握しているのは間違いない。
それなのに、こんな茶番劇を許しているのは、やっぱり責任転嫁する先を少しでも増やしたいからなんじゃないか?
ここで俺が迂闊なことを言って墓穴を掘るのを待っているのかも……。
こんなの、ただの被害妄想かもしれない。
もしも、これが当たっていたとしても別にかまいやしないのだ。
なにしろ俺は『旗』だから、口を開いて墓穴を掘ったりしないし。ふふん。
当事者である俺を置き去りに、佐倉と甲坂さんは戦い続けている。
優勢なのは当然甲坂さんで、自分の不利を悟ったらしい佐倉は、いきなりポケットから手紙を取り出してテーブルに置いた。
「相馬さん、この手紙に見覚えはないか?」
なんの手紙だろうとひょいっと伸ばした手を、ガシッと竜也につかんで止められた。
『先輩、指紋つけちゃ駄目っす』
こそっとたしなめられているうちに、甲坂さんが手紙を手に取り中を改めた。
「この手紙、脅迫状のように読めますね」
どれどれと、俺も横から覗き込む。
封筒の宛先は佐倉の妻であるさとみさんで、内容はネット炎上に関するもの。どちらもプリンター出力されていた。
夫に対する攻撃を止めて欲しかったら直接謝罪しに来い。来なければ、盗作に関する決定的な証拠と、お前の夫の今までの悪事をネットに晒す。とまあ、脅すような文面だ。
「これは間違いなく脅迫状ですよ。これを真に受けた妻は、臨月だというのにわざわざ東京から相馬さんの実家を訪ねて行ってしまった。そのせいで体調を崩し、現在は入院生活を送っているんです」
「なんと、それは本当ですか?」
今まで黙っていた専務が、ぐいっと身を乗り出してきた。
……俺が墓穴を掘ったとでも思ったのかな? ところがどっこいそうは問屋が卸さないんだよ。
「奥さまが入院とは、それはご心配でしょうね。ところで佐倉さん、奥さまがどちらの病院に入院なさっているかご存じですか?」
「こういう事態ですので駆けつけられないので、はっきりとは……。ですが、相馬さんのご実家がある街にひとつしかない産院だと聞いてます」
この答えに、甲坂さんがにっこり笑った。
「どうやら情報が古いようですね。確かに奥さまは、そちらの病院の診察を受けましたが入院はしていません。入院先は、奥さまのご実家の近くの病院ですよ」
「は?」
「ですから、奥さまはご実家に帰られているんです。あなたの元には二度と戻らないとおっしゃられていましたよ。――ちなみに、離婚調停は出産後になるようです」
「な、なにを……」
「長年、ゴーストライターとして、あなたに尽くしてこられた奥さまが、もはやあなたには愛想が尽きたとおっしゃってるんです。かねてから奥さまに愛人の存在も堂々と公言なさっておられるようですね。ここは素直に離婚を認めて差し上げてください」
そう、さとみさんはすでに実家に帰っているのだ。
透明猫になった大さんが側にいる間は体調も安定していたが、さすがに実家への移動がこたえたのか体調を崩してすぐに入院したそうだ。たぶん、このまま出産になるだろう。
さとみさんから佐倉への連絡は、体調を崩してこちらで一泊(どこに泊まるとは伝えていなかったらしい)して、医者に診てもらってから帰るとメールしたのが最後だった。
離婚を決意してからは一度も連絡を取っていないし、向こうからも連絡がないと言っていた。連絡が来ないことで、本当に心配もしてもらえていないのだと実感したようで、離婚の決意が強くなったとも聞いている。
今回の話し合いに際して、さとみさんの話題が出た場合は、事情を話してもいいとの許可ももらっていた。
「ここに来る前に電話で奥さまとお話しさせていただきましたが、そのような手紙がきたとはおっしゃっていませんでしたよ? あなたに頼まれて、相馬さんの元を訪ねたのだとおっしゃっていました。――この手紙、消印も差出人の名前もないようですが、どのようにして手に入れたものなのでしょうね。なんでしたら、このまま警察に提出しましょうか?」
指紋の有無とプリンターの機種を調べてもらえれば、犯人を特定する助けになるかもしれませんよと、甲坂さんに言われて、佐倉は慌てて手紙を取り返した。
「もしや、自作自演か?」
その姿を見た専務が口を開いた。
「君は、奥さんからもデザインを奪っていたのか」
「奪ったわけじゃありません。彼女は俺の個人的なアシスタントだったんです」
「学生時代から頼っていたようですね。奥さまからすべて伺っていますよ」
甲坂さんからわざとらしい笑みを向けられて、佐倉がぐぬぬっと言葉に詰まる。
それを脇から見ていた専務は、佐倉のその態度でそれが事実だと悟ったのだろう。
眉間に深い皺を刻んで、佐倉に冷たい視線を向けた。
「もういい。佐倉くん、君は退室しなさい」
「せ、専務、しかし……」
「これ以上の醜態を晒すつもりか?」
その厳しい口調に、佐倉はうなだれて立ち上がった。
部屋から出て行く間際、俺を睨んでいったところからして自分の非を認めたわけじゃなさそうだ。
うっかり刺されないように、本気で気をつけなきゃならないかも。
佐倉のこの先のことを考えると、悄然として立ち去るその後ろ姿に対して、ざまあと思うことはできなかった。
ただ、ああはなるまいと思う。
俺の場合、道を踏み外しかけたらあちこちから手が伸びてきて、引き止められ、はたかれ、どつかれて、ぼろぼろになりそうな気がするし……。
「学生時代からと言うのは、真実ですか?」
「はい。詳しいことが知りたければ、本人に直接どうぞ。佐倉の奥さまの弁護士を紹介しますよ?」
「是非」
専務と甲坂さんが話している間に、秘書がお茶を入れ替えてくれた。
緊張感からか、口を開かなくても、喉がからからだ。
有り難くお茶をいただいていると、またしてもドアが開き、またひとり新しい人物が姿を現した。
今度は誰だと向けた視線の先には、在職中はほとんど姿を見かけたことのなかった副社長が立っている。
なんかもう、嫌な予感しかしない。
俺は被害者のはずなのに、なんでこんな崖っぷちの気分を味わってるんだろうな。
――もう大さんの待つ家に帰りたい。
小心者の俺は、現実逃避して大さんのもっふもふのしましま尻尾を思い浮かべていた。