表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/62

暴走し続ける後輩と同行者 下


 何ヶ月か前までは毎日通っていた会社に久しぶりに足を踏み入れた。


「おー、すでに懐かしいな」

「なに呑気なこと言ってるんすか。ここは敵陣っすよ。気を引き締めるっす」

「そうですよ、相馬さん。背筋を伸ばして、もっとキリッとした顔をしてください。それと、さっきも言ったように、なるべく口は開かないでくださいね」

「……了解しました」


――話し合いはすべてこちらで引き受けるので、相馬さんはなにも言わないように。うかつなことを口走って言質を取られると厄介なので。


 専務との話し合いに当たっての、俺に対する注意事項がこれだった。


 もうこれ、俺がわざわざ上京してくる必要なかったんじゃないのか?


 そんな疑問を抱きつつ向かった専務の応接室で、俺はやっぱり同じ疑問を心の中で繰り返していた。


 部屋にいるのは俺達三人と専務とその秘書だ。専務は、会社の弁護士を入れるほどの案件だとは思っていなかったようだ。

 会話は、完全に俺を空気扱いして進んだ。

 話の主導権を握っているのは弁護士の甲坂さん、そして竜也がそれに注釈を加えている。

 まず彼らは、俺が会社を辞めるに至った事情を説明した。


 彼らの話の中の俺は、なんと、最初から京香のことを怪しい女だと気づいていたらしい。凄い。

 その上で接触して彼女を泳がせ、その裏にいる人物を特定していった。だが向こうもその動きに気づいたのか、慌ててセクハラ疑惑をねつ造して俺を追い出すことにした。人事部長までグルだと察した俺は、この会社に残っても汚名を着せられるだけだと判断し、いずれ自らの無実と真実を明かす決意をして会社を辞めることにしたらしい。


 う~ん、これが本当だったらまだ少しは格好いいところもあるが、実際は最初から騙されていて、最後にはぐぬぬっと抵抗もできずに辞めざるを得なかっただけだもんな。

 真実の姿があまりにも情けなさすぎて、脚色なしには話せなかったのか? ……くそう。


 女子会での京香の音声データを聞いて、裏にいるその人物が佐倉だと確信した専務が軽く眉間に皺をよせた。


「相馬さんは独立する為に辞職したと聞いていたのだが……。私の知らないところでそんなことはあったとは」


 どうやら、俺のセクハラ疑惑は人事部長のところで止められて、上までは報告されてなかったらしい。

 そりゃそうか。大問題になって調査が入ったら、自分達のやったことがばれる危険があるもんな。

 

「わかりました。こちらでも人事部と佐倉には内部調査を入れます。その結果次第では、相馬さんの復職を認めましょう」


 あれ? いやいや、俺、別に復職したいとか思ってないんだけど。


「いえ、相馬さんは復職を求めているわけではありません。今日、ここにお伺いした本当の理由は、これから話す内容になります」


 戸惑う俺が口を挟む前に、甲坂さんが本題に入ってくれた。


「こちらの会社で請け負ったキャンペーン商品の件で、現在ネット炎上が起きているのは把握していますか?」

「もちろん、把握していますが……」


 なぜ今その話をと戸惑う専務に、甲坂さんは俺のデータファイルの猫達をプリントアウトしておいたものと旅行のしおりのコピーとを見せながら説明していく。

 専務の戸惑ったような表情が固まり、驚愕して青くなっていくのを、口を開くなと言われていた俺はただ黙って見ていた。




     ◇   ◆   ◇





 う~ん、なんか最初に思ってたのとはまったく違う。


 俺としては、セクハラなんてしていないこととストラップの猫達が俺が描いたものであることを認めさせて、佐倉に『ぐぬぬっ』と言わせて、その姿を『ざまぁ』と笑ってやれたらそれでよかった。


 まさか佐倉と直接会わずに話し合いが進むとは思ってなかったし、ここまで大袈裟な話になるとも思っていなかったのだが……。


 話し合いが終わった後、休憩しようと寄った珈琲ショップでそんなことを言ったら、竜也に苦笑されてしまった。


「これからもなるべく佐倉とは顔を合わせない方向で話を進めるっすよ。先輩がうっかり刺されても困るっすから」

「え、俺、刺されるのか?」

「逆恨みされるのは間違いないでしょうね。ああいった人物は自分の非は決して認めない。あなたに謝罪することは無いと思いますよ。全て周りの人間が悪いという方向にしか思考が向かないでしょう」

「それと、話が大袈裟になったのは、佐倉の自業自得っすよ。大企業相手の仕事で、盗作したデザインを使うなんて危機感がなさ過ぎっす。先輩は被害者なんすから気にすることないっすよ」

「そういうもんかな」

「そういうもんっす」

「ここから先は企業同士の話になります。佐倉はいち社員として今回の仕事を受けたんです。佐倉本人への処分も、相馬さんや相手側企業への対応や補償も、すべて会社側が考えることです。最初から個人同士でどうこうできるようなレベルの問題じゃなかったんですよ」


 言われてみれば確かにそうなのかもしれない。

 となると、俺がいる必要って本当になかったんじゃないだろうか?

 

「そんなことないっす。先輩は旗頭なんすから」


 旗頭……旗か。パタパタ風に煽られているだけの旗ね。

 なるほど、旗だから、口を開かなくても良かったんだな。

 俺は年甲斐もなくちょっとだけ拗ねた。


「佐倉に拘ってるみたいっすけど、本当に会いたいっすか?」


 ふて腐れている俺がまだ納得していないと思ったのか、不意に竜也が真顔になってそう聞いた。


「あの男はもう社会的にお終いっす。会社はクビ決定だし賠償金も取られることになるっす。これから転落していくだけの佐倉と会って、ざまあみろと笑えるっすか? 笑えるぐらいの気持ちがなければ会わない方がいいっすよ。きっと逆ギレされて罵られて後味の悪い思いをするだけっすから」


 竜也の指摘に、俺はぐぬぬっとなった。


 残念だが、たぶん俺には笑えない。

 謝罪はして欲しい。

 やったことに対する罰だってそれなりに受けて欲しい。

 だが惨めに転がり落ちていく姿は見たくない。



 俺は自分がやったことで誰かの人生が大きく変わるのが、やっぱりまだ怖い。



 過去から引きずっている後遺症が、止めておけと俺の耳元で囁いていた。


「……もういいよ。佐倉からの直接の謝罪は諦める」

「それがいいっすよ。ちなみに、俺はあいつに会ったら高笑いしてやるっすけどね」


 竜也は、にっこりと胡散臭く笑った。

 こいつは強いんだな。


 俺もナッチが側にいたときは強かった。

 ナッチの自称支援者がストーカーになったときは、相手が諦めるまで矢面に立って戦った。ナッチに引きずられるようにして連れて行かれた温泉地でチンピラに絡まれたときは、何発か殴られたけどちゃんとナッチを守り抜いた。

 守るものがあると強くなれるのだ。


 だが、ひとりになった途端にこうして腐抜けてるんだから、あれは本当の強さじゃないんだろう。

 ナッチの存在があってこその強さだ。

 俺は自分でも知らぬ間に、色々とナッチに依存していたようだ。


 次々に身内を無くしたことで、ひとりになるのを極端に恐れていた俺は、できる限りナッチと一緒にいた。

 休日なんて、朝から晩までずっと一緒だった。

 それも周りからバカップルとからかわれた理由のひとつだったが、ナッチはそれで平気だったんだろうか?


――なあ、ナッチ。俺は重くなかったか?

――大丈夫だよ、カッチ。だって愛があるもん。


 なんとも都合良く、記憶の中から、かつてナッチが言った言葉が浮かび上がってくる。

 俺はけっきょくどこまでも甘ちゃんなんだ。

 これじゃあ、坊ちゃん呼ばわりを否定できないな。……とか言いつつ、するけどさ。




「そういえば、京香のほうはどうなってるんですか?」

「小谷京香なら、すでに警察に被害届を出しています。そろそろ逮捕されてるんじゃないですか」

「えっ! いきなり逮捕ですか!?」

「はい」


 慌てる俺に、甲坂さんは胡散臭い笑みを浮かべて頷いた。


「話を聞いた限り、小谷京香はかなり面倒なタイプに思われました。こちらから示談の話を持ちかけたりしたら、被害者ぶって、逆に脅迫されたと嘘泣きしそうな女性ですよね?」


 ああ、うん。若い女だってだけで誰よりも優遇されて守られるべきだと本気で思ってる節はあったな。


「そういうのは面倒なので、手っ取り早く警察に説得していただこうと思いまして」


 甲坂さんが言うには、詐欺罪の場合、初犯でも執行猶予なしで即実刑なのだそうだ。厳しいな。

 なので実刑から逃れるには、被害者側との示談に持ち込むしかないわけで、警察のほうでも京香に示談の為の弁護士を雇うことを薦めるだろうとのこと。


「弁護士同士の話し合いに持ち込めれば、後はもう簡単ですから。たっぷり示談金を支払わせて痛い目を見てもらいます。詐欺に関しては、それでいいんですよね?」


 改めてそう聞かれて、俺はそれでいいと頷いた。

 刑務所に入れるより、高い示談金を支払わせるほうが、お高いレストランとショッピング好きの京香をぐぬぬっと言わせられるだろう。

 それぐらいの罰でちょうどいいと思う。


「被害届を出したのは、偽の借用書を作った件ですよね? 俺のパソコンからデータを抜き出して佐倉と笠原に売った件はどうなりますか?」

「そちらは私達が手を出すべき案件ではないので手出しはしません」


 手を出すべき案件じゃない?


「先輩、その話、まだ俺達に直接話してないっすよ」


 どういうことだと首を傾げる俺に、竜也が突っ込みを入れた。 

 そういえば、そうだった。

 この情報は、俺じゃなく、堅司から竜也に伝わったんだった。


「じゃあ、俺が依頼すればいいんですか?」

「いえ、その必要はないです」

「そもそも、京香が佐倉にデータを売ったって話、確たる証拠も証言も無いし、ただの先輩達の推測っすよね? わざわざこっちで事件化して、手間暇掛けて調査することなんてないっすよ」

「こちらとしては、佐倉が盗作した事実を会社側に提示しただけでもう終わりです。佐倉がどういうルートでその盗作したデータを手に入れたのかを調査するのは、会社側の仕事ですよ」

「……京香なら、俺がデータを売りつけてきたんだとか言い出しそうじゃないか?」

「まあ確かに言いそうですが、証拠がなければ無意味ですよ」

「そうそう。大丈夫っす。なにか言われて反撃されても、全部倍返しで打ち返していけばいいんすから」


 いや、別に倍にしなくてもいいと思うんだが……。


「会社側の調査が始まったら、きっと面白いことになるっすよ。佐倉や京香達、みんな自分の罪を軽くしようとして、お互いに罪をなすりつけあうんじゃないっすか」

「どういう調査結果を向こうが持ってくるか楽しみだね」

「佐倉の腰巾着の笠原当たりが、全部の罪をなすりつけられそうな気がするっすよ」

「え、それはちょっと」

「わかってます。その場合は、きっちり調査のやり直しをさせますから。あがけばあがくだけ、結果的に彼らはみっともない姿を晒すことになりますよ」

「楽しみっす」


 竜也と甲坂さんがにっこりと胡散臭く笑いあう。

 

 どうやら会社とのやり取りは、この先もまだまだ続くらしい。

 ここから先は、楽しそうな甲坂さんと竜也がいればもう大丈夫だろう。

 俺の出番はもう終わったよな。


 一刻も早く家に帰って、大さんに癒されたい。

 出掛けるときは透明猫になっていたから、挨拶もできなかったし……。


 なんだかもうすっかり終わった気分になった俺は、大さんのふっさふさのしましま尻尾や毛並みの手触りをただひたすらに思い浮かべていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ