不意打ちと惑う女と守る猫 1
「もしかしたらの話で、無駄になるかもしれないしれないけど」
そう前置きして竜也に頼んだのは、佐倉が現在手がけている仕事の内容を調べることだ。
例のノートパソコンに入れていたアイデアフォルダの中で、他にもパクられているデザインがあるかもしれないから。
よりによって俺のデザインを丸々全部パクルなんて、そんな危険を犯すなど普通だったら信じられない話だ。
デザイナーとしてのプライドを捨てるも同然の行為だけに、アイデアが枯渇して追い詰められているとか、なにか本人にとってどうしようもない事情があるとしか思えない。
だからこそ、パクったのがこれ一件だけとは限らないんじゃないかと考えてしまった。
俺と違って、竜也は人当たりがよく要領もいい。退職したとはいえ、社内に調査を手伝ってくれる人間のひとりやふたりや三人ぐらいは確保しているだろう。
「これを参考にしてくれ」
「了解っす。――家宝にするっす」
他のパソコンに保存していた同じ内容のアイデアフォルダをコピーしたメモリスティックを渡すと、竜也は嬉々として押し戴いた。
だからなんでそんなにありがたがるんだよ。キモイって。あと、家宝にせず返せ。
とりあえずその調査の結果を待ってから、竜也と共に会社に乗り込むことに話は決まった。
「大丈夫なんでしょうね? 土壇場になって、やっぱりもうちょっと待つとか言い出したら承知しないわよ」
真希が偉そうに威張り、堅司は無言でぶっとい腕を組んだまま圧力をくわえてくる。
「……善処します」
小心者の俺は、へへーっとひれ伏した。
◇ ◆ ◇
『先輩の読み、当たったっす』
数日後、竜也からやたらと浮き浮きした調子で電話が入った。
「やっぱりパクってたか」
『はい。佐倉だけじゃなく笠原もパクってるっす』
「笠原って、佐倉の腰巾着か?」
『そうっす。佐倉がいま進行してる時計の国際展示会のポスターとパンフのデザインが先輩の学生時代の習作で、笠原が手がけてる企業のロゴマークが先輩が高校時代に描いたイラストのパクリっす』
「……プライドはどこにやったんだろうなぁ」
『罪悪感なさすぎっすよね。――どっちもまだ企画段階なんで、協力してくれてる奴に足ひっぱって引き延ばすように頼んどいたっす』
「そっか」
パクった作品がこれ以上世間に出たら、さすがに企業としてまずいことになる。
現社員達にとっては死活問題だろうから、そりゃ協力もするか。
『で、いつ東京に来るっすか?』
「……あー、来週とか?」
『はあっ!? ちょっと音が遠いみたいで聞こえないっす』
電話の向こうの気配が怖い。
「じゃあ、明後日の金曜でどうだ?」
『それならいいっす。先方にアポ取っとくんで、逃げちゃ駄目っすよ』
「はいはい。わかったよ。泊まりになるだろうなぁ」
『家に泊まるっすか?』
「やめとく。香耶ちゃん、いま妊婦さんだろ? 疲れさせたくないし」
『でも、うちの奥さんも先輩に会いたがってるっす』
「じゃあ、一緒に飯でも食いに行こう。おまえん家の近くで、香耶ちゃんの好きな店な」
『どもっす』
その他諸々、細かなことを打ち合わせて電話を切る。
「……なんか変なんだよなぁ」
佐倉と笠原は、あまりにも俺を舐めすぎてる。
あのセクハラ疑惑で俺が社内での立場を無くし、会社をクビになったのは事実だが、取引先への影響を考えて、この件は秘密にしてあるし、刑事事件にもしていない。
つまり、俺の社会的立場にはまだ傷がついてないのだ。
俺がデザインをパクられたことを公表したら、一気に向こうの立場が悪くなる可能性のほうが高い。
それに、こちらから会社を辞めさせられた際の事情を公表し、弁護士を雇って、濡れ衣を着せられたと正々堂々反撃する可能性が残されていると考えたりはしなかったのだろうか?
こんなにぽんぽんパクルなんて、まるで俺が絶対に反撃してきたりしないと確信しているみたいだ。
まさか、俺を脅迫できるネタを持ってるとか?
「俺、なんか後ろ暗い真似とかしたことあったっけ?」
「……うなー」
「うおっ」
う~んと真剣に悩んでいたら、大さんが、なにを馬鹿なことを言ってるんだとばかりに、全力で膝カックンしてきて転ばされた。
……痛いよ、大さん。
悩んでいても埒があかないので、とりあえず明後日持っていく予定の資料を納戸に取りに行こうとしたとき、表で車の音がした。
「また真希かな」
俺はまっすぐ縁側に向かったのに、玄関のほうから呼び鈴の音が聞こえてくる。
くっ、フェイントに(勝手に)引っかかったぜ。
玄関の引き戸を開けると、そこにはタクシーの運転手らしき中年の男が立っていた。
「こちら、相馬勝矢さんのお宅ですかね?」
「はい、そうですよ」
「ああ、よかった。お宅のお客さんが車に乗ってるんですけどね。具合が悪いみたいで、どうしたらいいもんか……」
困っている運転手に促されてタクシーまで行くと、後部座席で女性が横になっていた。
顔が白い。脂汗もかいていて、酷く具合が悪そうだ。
そして驚くほどやせ細っているのに、お腹だけがぽっこりと大きかった。
「妊婦さん!?」
「そうなんですよ。病院にお連れするって何度も言ったんですが、相馬さんのお宅に行くの一点張りで困ってるんです」
困ってると言われても、俺だって困る。具合の悪い妊婦さんなんて、どう扱っていいかわからないぞ。
「お知り合いじゃないんですか?」
「いえ、会ったことのない人だとは思うんですけど……」
具合が悪そうだから老けて見えている可能性もあるが、見えている横顔からして三十代後半ぐらいだろうか?
セミロングのゆるふわ髪を可愛いシュシュで片側に結び、ゆったりとした品の良いマタニティ用のワンピースを着ている。その顔に見覚えはなかった。
こそこそ運転手と話している声が耳に届いたのか、女性は目を開けてのろのろと身体を起こした。
「ちょっと奥さん、大丈夫なんですか?」
「ええ。ご迷惑を掛けて、すみません。――あの……相馬さん、相馬勝矢さんでしょうか?」
「はあ、そうですが」
女性が、心配して声をかけた運転手の後ろにいる俺に目を向ける。
やつれたせいでよけいに大きく見える綺麗な二重の目が開いた顔を見て、やっと俺は彼女が誰なのかに気づいた。
佐倉の妊娠中の妻だ。
「私、佐倉道重の家内で、さとみと申します。あの……今日はどうしてもお願いしたいことがあって参りました」
以前、佐倉の周辺を調査したときに見た彼女は、もっと若く見えたし、ふっくらした頬をして、不妊治療の末の妊娠に幸せそうに微笑んでいた。
あの頃の彼女と、今のやつれた姿ではまるで別人だ。
「わかりました。お話を伺います。ですが、その前に一度医者に診てもらいましょう。東京からいらっしゃったんでしょう? 長距離移動の赤ちゃんへの影響が心配ですし、顔色も悪いし……」
「そうですよ、奥さん。無理しちゃいけません」
「いえ、大丈夫です。……ちょっとお腹が張っているだけなんです。それも……さっきまでより、なんだか急に楽になってきましたし」
運転手とふたりで説得したが、彼女は聞いちゃくれない。
妊婦を気遣って強引に引き止めることができずにいるうちに、自力でタクシーから降りてしまう。
ここで無理矢理タクシーに戻すような真似をして、彼女の身体におかしな力を加えるのも怖かった。
「あー、もう、しょうがない。――運転手さん、少し手伝ってください。お願いします」
俺はタクシーの運転手とふたり、両側から彼女を支えて家の中に引き入れた。
玄関先に座らせ、運転手に見てもらっている間に、急いで茶の間に布団を敷く。茶の間にしたのは、万が一のことがあったとき、すこしでも玄関に近いほうがいいだろうと思ったからだ。
「お話をする前に少しだけ横になって休んでください。でないと、話を聞きませんよ」
軽く脅すようなことを言って、タクシーの運転手とふたりで彼女を布団に横にならせた。
その後、タクシーの運転手と玄関先まで戻る。
「すみません。念のため、もうちょっとだけ待っててください」
「はいはい。乗りかかった船だ。心配だし、つき合いますよ」
運転手があきらめ顔で見ている前で、俺はスマホを取り出した。
妊婦さんをどう扱っていいのかさっぱりわからなかったので、助太刀を求めることにしたのだ。
っていうか、妊婦さんが言うところの、お腹が張ってるって、どういう状態なんだ?
ガスが貯まってお腹がぱんぱんになるのとは、きっと根本的に違うよな?
そんなこんながわからないから、対応のしようがないし、妊婦とはいえ家の中で女性と長時間ふたりきりになるような真似は避けたかった。
これが真希なら、余計な気を回さなくて済むんだけどなぁ。
まずは、最近妊婦体験をしたばかりの真希に電話を入れたが、出てくれない。呼んでないときに勝手に来るくせに、呼びたいときはいないとか、役に立たないな。……なんて、本人には怖くて言えないけど。
次は、美代さんにかけたら、今度はすぐに出た。
『勝矢くん? あなたから電話なんて珍しいわね。どうかした?』
「した! 美代さん、助けて!」
電話で妊婦が押しかけてきたことを軽く説明すると、すぐに来てくれるとのこと。さすが頼りになる。
「神社の元宮司の美代さん、知ってます?」
「ああ、知ってますよ」
「社務所まで迎えに行ってくれませんか?」
タクシーの運転手に頼むと、任せろと引き受けてくれた。
さとみさんもまだタクシー代金を払っていないみたいだったし、おつりはお礼だと万札を渡した。これ、一回やってみたかったんだ。
「足りなかったら言ってくださいね」
「わかりました。急いでお連れしますよ」
「あ、でも安全運転でお願いします」
「わかってますって」
タクシーが神社に向けて走り去った後、茶の間に戻ると彼女は横になったまま目を閉じていた。
大さんの姿は見えない。
部外者が来たことで、謎猫の本領を発揮して、透明猫になっているんだろう。
とりあえず、お客にはお茶だろうなと台所に向かう。
だが、妊婦にカフェインは厳禁だと言うのを思いだして、なにを出したらいいんだと悩む。
お茶にほうじ茶、紅茶に珈琲も駄目。牛乳は切らしているし、ジュースの類いも置いてない。白湯……をお客さんに出してもいいものか?
悩んだ挙げ句、うっすいほうじ茶を淹れた。その上で氷を一個入れてぬるくしてから湯飲みにストローを刺す。
そうっと枕元に置いたら、さとみさんが目を開けた。
「ほうじ茶です。あ、でも薄く、本当に薄く入れてますからカフェインは極少量だと思います。喉かわいてたら、ストロー使って寝たままでどうぞ。――具合はどうですか?」
起きようとするさとみさんを止めて聞くと、彼女はぱちぱちと驚いたように瞬きをした。
やつれたせいで余計に目が大きく見えるから、瞬きさえも大ぶりなアクションに感じる。
「……ありがとうございます。随分と楽になりました」
「そうですか。よかった。――俺、妊婦さんの面倒を見たことがないんで、いま知り合いのお婆さんを呼んでるんです。こんな状態のあなたと話をして万が一のことがあったら怖いですし、体調を見て助言をしてくれるお婆さんがくるまでもう少しだけ横になって待っててください」
「わかりました。ご迷惑をおかけして……。あの……」
「はい?」
「あなたが、相馬勝矢さんで間違いないんですよね?」
「はい。俺が相馬勝矢ですよ」
さとみさんは、なんだか不思議そうな顔をしている。
なにが不思議なんだろう?
どうかしましたかと聞いてみたが、なんでもないと首をふる。
さとみさんは、喉が渇いていたんですと恥ずかしそうに言って、ストローでお茶を少し飲んだ後で、また目を閉じた。




