猫はネット上を駆けまわる 上
家に帰ってすぐ、俺は祖母の遺品を収納してある納戸に向かった。
「確か、ここら辺だったよな」
几帳面で記録魔だった祖母は、子供の頃の俺の作品を全て綺麗にファイリングしてくれていた。
納戸の棚には、作品を折りたたんで傷めないよう、大小様々なファイルが整然と並んでいる。その中の、中学時代のものを何冊か引っ張り出して、中を確かめる。
「なー?」
「俺が昔描いた絵を探してるんだ。確か、中学三年生だったと思うんだけど……」
挨拶もそこそこに納戸に籠もった俺を不審に思ったのか、大さんが、どうしたの? と足に頭をこすりつけてくる。
軽く膝カックンになりながらもなんとか耐えて、俺はファイルを持っていない方の手で大さんの頭を撫でた。
「ああ、あった。これこれ。中学三年の修学旅行のしおり」
B6サイズで十二ページ程度の薄い小冊子。
作ったのは学校の先生だったが、俺はそのしおりの空きスペースになんでもいいから可愛いイラストを描いてくれと頼まれた。
俺はそこに猫を描いた。
旅行のタイムテーブルのページには様々なポーズで観光している猫を、持ち物のページには荷造りする猫を、いろんな猫をあちこちに描き入れた。
表紙には猫バスならぬ猫新幹線の窓から猫達が手を振っている絵を、裏表紙には当時の校長先生を真似て、丸めがねに蝶ネクタイ、そしてステッキ(校長は杖だったが)を持った茶トラ猫(モデルは大さんだ)を描いた。
中学時代の絵だから、荒削りでつたないものだが、評判はよかったと思う。
「あー、やっぱりこれだ」
しおりをぺらぺらめくって開いたのは、禁止事項のページだ。
危険物(ナイフなどの刃物、竹刀、警棒等)の持ち込みを禁止する旨をわざわざ箇条書きにしてあり(ここまでしなきゃ、中学生男子の馬鹿さと愚かさは押さえきれないのだ)、その空きスペースに危険物である釘バッドを持っている猫が描き込んである。
ジャケットのポケットからさっき手に入れたばかりの猫のストラップを出して見比べてみたが、身体のバランスや目の形、バットの釘の本数までそのままだ。
「あーってことは、やっぱこれ、パクリだよなぁ」
中学時代の旅行のしおりを大事に取っていた誰かが、俺のイラストをそのままパクって商業化したってことか。
面倒なことしてくれやがって……。
「なー?」
「ああ、大さん。ほら、このイラスト、モデルは大さんだぞ」
パクっただのパクられただの、こすっからい話を大さんにはしたくない。
俺はしおりの裏表紙を大さんに見せてやってから、しおりを手に納戸を出た。
◇ ◆ ◇
幼稚園ではつまむ程度だったので、とりあえず夕食にした。
さすがにちょっと疲れているので、メニューは簡単に残りご飯のチャーハンと野菜のスープだ。
ちゃっちゃと作ってちゃっちゃと食べてから、缶ビール片手に卓袱台の上でノートパソコンを開いた。
ビールが苦手な大さんには、日本酒とつまみがわりの最中を切って小分けにしてから出してやった。
「あー、これか……なるほど。けっこう長期間のキャンペーンなんだ」
パソコンでお茶のメーカーのサイトを見て、キャンペーン内容を確認する。
この猫のストラップのキャンペーンは前後半に分かれていて、はじまったばかりのようだ。
前半のキャンペーンでは、俺がゲットした釘バッド猫や煙草を吸っている猫など、ちょっと悪い感じの五種類の猫ストラップがついていて、後半は眼鏡をかけて本を手に持っている猫や双眼鏡を手にした冒険家のような猫など、普通に可愛い猫ストラップがやっぱり五種類ついている。
どれもこれも、しおりに描かれた猫達にそっくりだ。
そして最後に、ストラップが入っている袋に付いているマークを十枚集めて応募すると、丸めがねに蝶ネクタイ、そしてステッキを持った茶トラ猫のぬいぐるみが抽選で当たるのだとか。
これは、写真を見る限りではかなり良い出来だ。
っていうか、再現率ハンパない。大さんそのものだ。
俺も欲しいかも。大さんと並べたら絶対に可愛い。……応募しようかな。
「見事に全部パクリか……」
中学時代の同級生が犯人なのだとしたら、あまり騒ぎにならないように事態を収めたい。なんて、甘いことを考えながら、パソコンの画面をスクロールしていた俺は、最後の最後に嫌なものを見つけた。
佐倉道重。
俺が会社を辞める原因を作った男の名前が、キャラクターデザイナーとして堂々と書かれてあったのだ。
「パクったの佐倉かよ。……なんであいつが……?」
竜也じゃあるまいし、佐倉が俺の昔の作品を収集したがるとも思えない。
どういうことだ? としばし悩んで、すぐに答えを見つけた。
「そっか。ノートパソコンか」
佐倉と京香が俺を陥れる為の証拠となったノートパソコン。
いつの間にか京香によって俺の部屋から持ち出されて、エロ画像を勝手にインストールされてしまったそれは、最終的に俺の手に戻って来なかった。
データを復活されたら怖いと京香が言っているから処分したと言われて泣き寝入りしたのだが、事実は違っていたってことなんだろう。
そのノートパソコンは、買ったばかりの最新版だった。
そのせいで、処分するのが勿体なくなったのかもしれない。
本格的に使いはじめる前にとりあえず環境を整えようと、ソフト類をインストールしたところだったのだが、なにかのアイデアの足しになればと、社会人になる前の俺の作品をまとめたフォルダもインストールしておいたのだ。
中学の時に描いた猫のイラストは先生に頼まれてデータ化してあったから、そのままそのフォルダに入っていた。
それを使われてしまったのだろう。
「あーったく、もう、なんでこんな馬鹿なことを……。こんなん、取り返しがつかねぇぞ」
他人のデザインをパクったことが知られたら、デザイナーとしては致命的だ。
まさか、佐倉がここまで馬鹿だとは思わなかった。
自分のデザインを使われたことに気づいた俺に、反撃されるとは思わなかったのか?
それがただのアイデアフォルダじゃなく、実際に使われたものかもしれないと考えてみなかったのか?
「……データの更新日時で判断したか」
十五年以上前なら、まだ子供だろうからたいしたものに使っていないと判断したのかもしれない。
「っていうか、商品化されるの早すぎるよなぁ。これって、けっこう前にパクられてたんだな」
デザインから商品化まで、急いだところでそれなりに時間がかかる。
どう逆算しても、俺の在職中に企画が進行していたことになる。
となると、京香が俺のパソコンからデータを盗んで佐倉に流していたってことになるんだろうか?
もしかしたら、この猫以外にもパクられたアイデアがあったりして……。
「なー?」
さっきからひとりでぶつぶつ独り言を言っている俺を心配したのか、大さんが俺の顔を見あげている。
俺は大さんの撫でごたえのある大きな頭を撫でてから、空になっていた皿に日本酒を注いだ。
「大丈夫。やられっぱなしで終わらせないから」
たぶん佐倉は、セクハラの汚名を着せて、俺を社会的に完全に抹殺できると確信していたんだろう。
会社を追われた俺がなにを言おうと、誰も信じてはくれない。逆恨みして佐倉に言いがかりをつけているだけだと、そんな風に言い逃れができると考えたのかもしれない。
俺の手の中には、佐倉と京香が俺を貶める為にやったことの証拠となる音声データが握られていることも知らないで……。
「……あー、でも、どうすっかなあ」
このまま泣き寝入りするつもりはない。
音声データと旅行のしおりを持って会社に乗り込めば、俺のセクハラ容疑を晴らすことができるし、猫のデザインも俺のものだと証明することができる。
だが、いつそれをするかで俺は迷った。
ざっと調べてみたが、猫のストラップはけっこう人気があるようだ。
全種類揃えたいとか、欲しいのが手に入らないとか、ネット上で派手な話題になっている。
まだキャンペーン中の今、実はその猫のデザインはパクリだったと明かせば、下手をすると大騒ぎになる可能性がある。
キャンペーンが途中で中止になって回収になれば、その損害賠償だって確実に発生する。
佐倉に騙されたとはいえ、このキャンペーンに関わった人々だってただではすまない。
なによりも、この騒動がネットニュースに乗ることは避けたい。
パクられたデザイナーとして悪目立ちしたくないし、俺が会社を追われた経緯やその裏事情まで書き立てられても困る。
そんな騒動になったら、確実に佐倉の妻子も巻き込まれてしまう。
「今すぐはまずいか……」
幸いなことに中学時代の旅行のしおりのイラストなんて誰も覚えていないから、俺が自分から告発しない限りこの問題が表沙汰になることはない。
キャンペーンが終了した後、みんなに忘れられはじめた頃に、こっそり事実を明かして、あまり騒ぎにならないように事態を収めてもらうのがいいような気がする。
その頃には、佐倉の奥さんだって出産を終えて落ち着いているだろうし……。
――カッチは優しいね。いつも自分のことより、人のことを考えてくれる。
そんなことを考えていたら、ふとナッチの声が耳に甦った。
ナッチ、違う。
そうじゃない。
惚れた欲目か、よくナッチはそんな風に言ってくれたけど、違うんだ。
俺は、ただ怖いだけだ。
俺の言動で、誰かの人生を大きく狂わせてしまうことが恐ろしいだけなんだよ。
人生には取り返しのつかないこともあるって、誰よりもよく知ってるから……。
そろそろ、ざまぁパートに突入です。