猫との新しい生活とギフト 上
大さんは変な猫だった。
まず、食事は普通にぺろっと一人前たいらげる。人間と同じものをだ。
さすがに箸やスプーンは使えないから、食べやすいよう一口大に切ったものを大さん専用の深めの平皿に盛りつけ、味噌汁などの汁物も同じようにして食べさせていた。
俺が祖父母に引き取られる前から、大さんは家族の一員として同じ食卓を囲んでいたらしい。もしかしたら祖父母が躾けたのかもしれないが、食べ散らかしたりはせず食事跡はとても綺麗だ。
後になって、猫好きの後輩からタマネギやイカ、チョコレート等は猫には厳禁で、食べて死ぬこともあるのだと聞かされたときは、大さんが変わった猫でよかったと、心底ほっとしたものだ。
次いでトイレだが、これも普通にトイレでする。そう、人間用のトイレでだ。
家のトイレのドアには、猫用のドア(といっても、犬用のサイズだが)がついていて、そこから出入りしていた。中でどうやって用を足しているのか確認したことはないが、一度も粗相をしたことはないし、使用後はちゃんと水を流してトイレの蓋もきちんと閉めている。猫用のドアには鍵なんてついてないから、人が入っているときにうっかり入ってきそうなものだが、そういうことは一度もなかった。用を足して外に出たとき、ドアの脇できちんと前足を揃えて座って待っている大さんと出くわしたことなら何度かある。礼儀正しい猫なのだ。
普通の猫なら風呂は大っ嫌いだろうが、大さんは風呂が大好きだった。毎日、祖父か俺と一緒に入っていたものだ。猫用シャンプーで全身綺麗に洗ってから、一緒に湯船に浸かる。湯船に抜け毛がふよふよ浮かびそうだと思われるかもしれないが、一本たりとも浮いていたことはなかった。長毛種だから、毛玉にならないようブラッシングもするのだが、それでも一本も抜けない。……毛根が異常に強いのか? ちょっと羨ましい話だ。あやかりたい。
風呂上がり、濡れた身体を乾かすのも大さんがひとりでやっていた。普通だったら、タオルドライしてからドライヤーでせっせと乾かさなきゃならないはずなのに、大さんの場合は、犬のようにぶるぶるっと身体を震わせて水分を飛ばすと、あら不思議、ふわっと全身が乾いてしまっていた。あれはいまだに不思議だ。生まれつき、撥水加工されていたんだろうか?
大さんの変なところを数え上げるときりがない。本当に変な猫なのだ。
猫好きの後輩に、こういう猫種を知らないかと、大さんの大きさだけはぼかして、他のことをあれこれ話したことがある。聞いた後輩曰く、『それは猫じゃないっすよ』だそうだ。『背中にチャックついてなかったっすか?』とも聞かれたな。人間が入れる大きさじゃないぞと答えたら、『小型の宇宙人かもしれないっす』と真顔で言われた。猫だけじゃなく、宇宙人グレイも彼の大好物なのだそうだ。
正直言って、俺は大さんと暮らしはじめて何年かは、ただの大きい猫だと思っていた。猫と暮らすのははじめてだったし、普通の猫がどういう生き物なのかよくわかっていなかったから、特に不思議だとは思わなかったのだ。
だが、学校で友達が増えるにつれ、世間の常識も徐々に増えはじめ、大さんの変わりっぷりにも思い至るようになった。不安になって祖母に何度か聞いてみたが、『家は家、余所は余所。大さんは大さんだよ』とよく分からない言葉で丸め込まれた。
小心者の俺はそれではどうしても納得できず、夜中にこっそり大さんの尻尾の本数を確認するようになったのだった。
◇ ◆ ◇
そして今、俺の目の前には、大さんそっくりの茶トラの大きな猫がいて、当たり前のように卓袱台から朝ご飯を食べている。
ちなみに今日の朝ご飯は、明日の朝に食べてね、と美代さんと克江さんが置いていってくれたお稲荷さんと茄子の揚げびたしに野菜の煮物、それにオクラとトマトの和風サラダをつけ加えたものだ。
茶トラの猫はそれらを美味しそうにぺろっとたいらげた後で、深めの平皿に注いだほうじ茶を美味しそうにぺろぺろとなめている。
「美味かったか?」
「な-」
「そうか、よかったな」
勝手に猫の鳴き声を解釈してから、さてこの茶トラの猫をどうしようかと考える。
昨日の夕方突然現れた(多分、源爺達が手引きしたのだろう)茶トラの猫は、当たり前のような態度でこうして俺と食卓を囲んでいる。
昨夜などは、止める間もなく風呂に入ってきたし、寝るときは一緒の布団に入ってきた。さすがに大人になった俺と大きな猫とがひとつの布団に寝ると、どっちかがはみ出しそうだったので、仕方なく客用の布団を隣りにしいてやった。茶トラの猫は、「うなー」と、ちょっと不満そうに鳴いてからそっちで寝たが、朝になったら、俺にぴったりくっついて寝ていた。それも、大さんがそうしていたように、俺の左側でだ。
「おまえ、大さんのなんなんだろうな?」
俺が祖父母に引き取られ、大さんが姿を消してから、すでに二十年は経っている。猫の寿命から考えて、いくらそっくりでも目の前の茶トラの猫が大さんのはずがない。
「大さんの子供か、それとも孫か……」
大さんと同じ種類の猫が他にもいるなんて知らなかった。
一晩一緒に寝て、すっかり情が移ってしまったので、このまま飼うのは決定事項だ。で、次は名前だが……。
「大さん……って、そのまま名づけるのはまずいか」
死んでしまった相棒の面影を、この新人――新猫に押しつけることになってしまう。
それでは可哀想だ。
――カッチ、それじゃ大さんが可哀想だよ。
大さんに対する後悔をナッチに打ち明けたとき、そう言われた。
一緒にご飯を食べてお風呂に入って同じ布団で寝て、楽しかった思い出だっていっぱいあるだろうに、大さんを思い浮かべるときはいつも重苦しい後悔ばかりだなんてあんまりだと悲しまれて、そしてちょっと怒られた。
それでも俺はどうしてもこの後悔から逃れられなかったが、せめてこの新しい相棒には暗い感情を背負わせないようにしなきゃと思う。
だがしかし、困ったことにこの茶トラの猫は、自分のことを『大さん』だと思っているらしい。最初に会ったとき、大さんと呼びかけてしまったのが悪かったのか、それとも源爺達があらかじめ教え込んでおいたのかもしれない。無理に名前を変えようとすればきっと混乱してしまうだろう。
ならば、大さんという名前になにかつけ加えるしかないか。
大さんの子供……だとしたら、大さんジュニアか。だが、孫かひ孫かもしれない。その場合はどうなるんだ? 大さんサード? 大さんフォース? う~ん、どっちにしろ血縁関係がはっきりしないからこれは却下か。
となると、そうか。二世ってことにすればいいのか。二世……二世だ。
「よし決めた! ――今日からおまえの名前は、『大さん二世』だ!」
「……うなー」
ビシッと指を指して命名したら、大さん二世は不満そうに鳴いて、ふっさふさのしましま尻尾で畳をバシッと叩いた。
朝食の後、俺は車で国道沿いにある大きなショッピングモールに向かった。その中にあるペットショップで猫用グッズを購入するためだ。
大さん二世の場合、キャットフードや猫トイレは必要ない。必要なのは猫用シャンプーだ。昨夜は代用として人間用のシャンプーを使ったが、大さん二世が毛繕いするときに舐めちゃいけない成分が入ってる可能性もあるのでできればもう使いたくない。
無香料でなるべく猫の身体に負担のかからないものをと、猫用シャンプーの棚で物色した。その他にも必要になるかもしれないものをあれこれ買い込んで家に戻る。
「ただいまー」
「なー」
エンジンの音で帰宅に気づいたのか、大さん二世は玄関先で行儀よく前足を揃え座って俺を待っていた。
「大さん二世のグッズ、いろいろ買ってきたぞー」
車から二往復して買い込んできたものを玄関先に入れる。
「まずは猫用シャンプー。選びきれなくて色々買ってきたから、試してみて一番気に入ったやつ教えてくれよな。ブラシも何個か買ったから好きなの選ぼうな。後は、大さん二世は大丈夫だろうけど、念のために爪研ぎも。爪研ぎしたくなったら、これにばりばりっとやってくれ。それから、これが大さん二世専用キャリーだ」
猫用では重さ的に無理なので、犬用の大きなキャリーを買ってきた。カートにもなるし、背負うこともできるし、シートベルトを利用して車のシートにも固定できるという優れものだ。万が一、動物病院に連れていかなきゃならなくなったときに慌てたり、もたもたして手遅れになったりしないよう用心するにこしたことはない。
大さん二世は興味深そうに大きなキャリーの匂いをくんくんと嗅いでいる。
「それとこれ……。これも万が一の為の用心なんだけどさ」
俺は犬用の水色の首輪と、それにつけるリードをガサガサと袋から出した。
「普段からつけてなくてもいいんだ。ただ、大地震とか、天災があってこの家から避難しなきゃならなくなったときに、必要かと思って……。これにリードをつければ、俺と一緒なら自由に外を歩けるからさ。ずっとキャリーの中じゃ苦しいだろ?」
嫌がるかなと思って、しどろもどろに説明してみたのだが、大さん二世はむしろ乗り気みたいだった。っていうか、ちゃんと理解しているようだ。本当に変わった猫だ。
「なー」
大さん二世が、俺が手に持った首輪に、ぐいぐいと頭を押しつけてくる。
「なに? この首輪、してみたいのか?」
「なー」
「マジか。こんなん、窮屈なだけだと思うんだけどなぁ」
本猫が嵌めてみたいというなら仕方ない。窮屈にならないよう、余裕を持って首輪をつけてみた。
「おっ、俺ってセンスいい」
雄だから青っぽい色だろうなと適当に選んだ水色の首輪だったが、爽やかで大さん二世の優しい茶トラ模様によく似合っていた。ふっさふさの毛に半分以上隠れているけどな。
問題ないみたいだなと思って首輪を外そうとしたのだが、大さん二世にふいっと逃げられた。
「なんだよ。その首輪、気に入ったのか?」
「なー」
「そっか。それならいいけど……。苦しくなったらすぐに言えよ。外してやるからな」
よしよしと撫でごたえのある大きな頭を撫でると、大さん二世は気持ちよさそうに目を細めて、ふっさふさのしましま尻尾をばっさばっさと振った。