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引っ越しはまだ終わらない 上


 思い返すに、俺の人生ついてない。



 ケチのつきはじめは、小学校入学直後の両親の事故死。

 いや、あれは確かに不幸だったが、その後は田舎の祖父母に引き取られて、それなりに楽しく成長できたからノーカンってことにしといてやろう。

 でないとひとり息子を残して逝った両親だって、死んでも死にきれないだろうしな。


 となると、ケチのつきはじめはナッチってことになるか。

 ナッチ、こと、崎谷夏美。

 はじめて俺が相手から告白されてつき合った彼女、そしてはじめて俺をすっぱり捨てた女。


 ナッチは、上京して入学した大学で出会った一歳年上の同級生だった。

 規則だらけの高校に嫌気が差したと親兄弟の反対を押し切って中退し、高卒認定資格をとって大学進学を果たした自由人。

 俺のなにが気に入ったのか、はじめて目が合った瞬間からぐいぐいとパーソナルスペースに侵入してきて、「まずは友達からね」と唐突に宣言して無理矢理握手。その三日後にはなぜか彼氏彼女になっていて、一週間経ったときには俺のアパートに転がり込んできていた。

 後々聞いた話だと、そのときナッチは、親からの仕送りで高額な専門書を買い漁り、家賃まで使い込んで滞納しまくり、アパートを追い出されそうになっていたのだとか。

 ナッチが持ち込んだ大量の書籍類に部屋の床がミシミシッとヤバイ音を立てたせいで大家に睨まれ、しっかりした作りのマンションに引っ越しせざるを得なかった俺は、遅ればせながら知ったその事実に涙目だ。


「妙にぐいぐい来るからおかしいと思ったんだ。金目当てかよ」

「違う違う。あたしの目当てはカッチだよ。ひとめ見て、この人しかいないって、ピンときたんだから。引っ越しが決まるまでカッチが小金持ちだってことも知らなかったしね」

「ほんとかよ」

「信じなさい。あたしは小金目当てに小細工できるほど呑気じゃないよ」

「確かに……。おまえ、短気だもんなぁ」


 ナッチは、いつでも即断即決即実行。

 はじめて目が合った時だって、実は講義中だったのだ。

 にもかかわらず、彼女は教授の声だけが響く静かな教室でガタッと立ち上がると、俺の隣に座ってぐいぐい迫ってきた。


「Girl Meets Boy ってところか? できれば講義中は遠慮して欲しいんだけどね」


 なんて、教授にからかわれつつ叱られたのは、今となっては楽しい思い出だ。


 そう、ナッチと過ごした日々は楽しかった。

 即断即決即実行、人生急ブレーキ急ハンドルが当たり前のナッチに振り回され、フォローしまくってばかりだったけど。

 デートの最中、山手線に乗って映画を見に行くはずが、駅で見かけた集客ポスターに興味を惹かれたナッチから新幹線に押し込まれ、気がつくと東北のひなびた温泉地でちゃぽんと温泉に浸かってたり、学園祭でナッチの作品展示の手伝いだけするはずだったのが、なぜか展示会場の片隅で喫茶コーナーまでやることになっていて、なぜか俺が責任者扱いされてあちこちに許可取ったり道具を準備したりスイーツを大量に作らせられたりウエイターやらされたり……。


「なんで俺がお前の作品展示の為にここまで働かなきゃならないんだ!」

「だって、カッチのスイーツ、綺麗で美味しいんだもん。あたしの作品と一緒にこれも自慢したかったんだよ。実際、スカウトもあったんでしょ?」

「……パティシエからな。俺はデザイン科だぞ。将来はそっちの道に進みたいの。料理はあくまで趣味だ」

「そっか。じゃ、カッチはあたし専属の料理人ね」


 一生あたしに美味しいもの食べさせてね? と笑うナッチはえらく可愛かった。

 ナッチはいつも、なにか面白いものはないかと、きょろきょろしている。

 その表情は真顔で真剣で、目力が強くてけっこう整った顔をしているもんだから迫力があって怖い。

 だからこそ、ふとした拍子に見せる無邪気な笑顔には負ける。全面降伏だ。


「ねえねえ、カッチ。鯖の味噌煮が食べたい」

「……あー、じゃあ、明日……じゃないか、今日の夜に作ってやるよ」

「夜まで待てない。今すぐ食べたい。甘さ強めで刻んだ生姜をたっぷり乗せたカッチの鯖の味噌煮!」

「……あー……もう、しょうがないなぁ。わかったよ」

「やったあ。ありがとう、カッチ」


 ぐっすり眠っていたところを唐突に揺さぶり起こされ無茶な要求をされても、笑顔が可愛いもんだから怒れやしない。

 五キロ先にある二十四時間営業のスーパーに深夜ふたり、汗だくになって自転車をかっ飛ばして食材をゲットし、料理を作り終えたときにはすでに朝日が眩しい時間帯だった。

 ちなみに壊滅的に料理が苦手なナッチは、俺が料理を作っている間いつも近くに居て、キラキラした目で俺の手元を覗き込んでいる。自分にはできないことを軽々とこなすのを眺めているのが楽しいらしい。

 器用だね、なんでそんなに細く早く切れるの? と誉められたり感心されたりする俺もまんざらじゃない。

 リクエストされた鯖の味噌煮に炊きたてつやつやの白米、ナッチが好きな油揚げ入りの味噌汁とほうれん草のゴマ和えと常備菜の漬け物ときんぴら。

 ぜんぶ綺麗にテーブルへセッティングして、さあ食えと、どや顔でナッチを促す。


「わあ、美味しそう!! 盛りつけも綺麗だし、カッチの料理は芸術品だよ!」


 ナッチは料理を写メで撮ってから、鯖の味噌煮の皿を両手で持って、ありがとねと嬉しそうにくるくる回った。


「わかったから、大人しく座って食えよ。今日のは絶対美味しいぞ」

「自信作?」

「まあな。完璧ナッチ好みの味付けだ」

「嬉しい! 愛だね」

「だな」


 いただきます、とふたり同時に手をあわせ、箸を手に取る。


「ん~、最高!」


 鯖の味噌煮を一口食べたナッチが、それはもう幸せそうな顔になる。

 その幸せそうな顔が俺にとっては最高の調味料。

 ふたりで囲む食卓は、どんな高級レストランにだって負けないぐらい美味しかった。




 大学を卒業した後、俺は希望通りデザイン関係の仕事についた。

 学生時代からコンテスト類でぼちぼち賞を取り、彫刻家として評価されていたナッチは、相変わらず俺と同居したまま作業場だけ外に借りて活動していた。

 何度か小さな個展を開き、作品も爆発的な人気はないものの、固定ファンがしっかりついていてそれなりに売れていたようだ。

 社会人になって三年目、同居してからすでに六年以上。

 俺達ふたりの関係は、すっかり安定していた。

 出会って一年ほどの恋愛に特化したきゃっきゃうふふとお互いしか見えていないようなべったりした距離感はなりをひそめ、ちゃんと周囲を見渡しながら肩を並べ落ち着いて歩けるようになっていた。

 ちなみに、並んで歩くときの手はしっかり恋人繋ぎだったけどな。


 俺にとってナッチは、恋人であり友人、そして手間のかかる姉のような存在だった。

 掛け替えのない唯一無二。

 これから先もパートナーとして、一緒に生きていく相手だと思っていた。

 だから、ナッチの誕生日にナッチ好みの料理とケーキ、そしてナッチ好みのシンプルな指輪を用意した。


「ナッチ、これからもずっとこうしてふたり一緒に誕生日を祝おうな。結婚してくれ」


 断られるなんて、これっぽっちも思っていなかった。

 喜んでもらえると思っていた俺は、意気揚々とナッチにプロポーズした。


 ナッチの返事は簡潔だった。



「無理」



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