痴漢の苦悩
今、俺はただひたすらに小汚い布を洗濯板にこすりつけていた。
「でね、旦那がさ~」
「そりゃ大変だねえ」
なんてしわくちゃで、あと三十歳若かったら俺の餌食になっていたであろう妙齢の女性たちが世間話を繰り広げている。
俺のもといた世界からすればなんて原始的な洗い方だろうと思うが、こうして自分の手で洗濯をすると案外心まで洗われるような気がする。
──まあ俺の心の奥についたシミは取れそうにないが。
周りの女たちの世間話を小耳に入れつつ、俺の意識は全て右斜め前方のディッカーに向けられていた。
丸い噴水の周りに洗濯物を持った女たちが並び、俺は少し体をずらせば彼女から顔が隠れる位置を選んだ。
ズッさんの話通りここは男子禁制の女の園であり、周りに男の姿は一切ない。ここならば監視の目をかいくぐって彼女に手を出すことは可能だろう。
だが一つ誤算があったとすればそれは広場の大きさと人の密集度である。
俺だっていつも大胆な犯行に及んでいるがそれでもこの広場はあまりにも人と人との間隔が広すぎる。
これではうかつに手を出せない。
そしてもう一つ問題があった。
「ね? そこの別嬪さんもそう思うでしょ?」
と隣の女が俺に話を振る。考え事をしていてうろ覚えだが、なんだか夫がいつも仕事の後に飲んだくれて帰ってくるうえに威張っている。そんなに威張りたいならもっと稼げ。みたいな内容だった気がする。
こういったときの対処法はズッさんと相談して決めた。
そもそも女はお喋りな生き物だ。声までは変えられなかった俺にはこの方法で逃れるしかない。
俺は少し困り顔を作ってトントンと喉を指さした。そして普段よりもちょっと喉に力を入れて声を出す。
「あ゛、あ゛」
「あら、ひどい声ね。風邪?」
うなづくと女は「お大事に」と一声だけかけて、また隣にいた女とのおしゃべりを開始する。
結局はこの女も自分の話の共感役が欲しいだけであってたいしてこちらの事情には踏み込んでこない。
だが、こちらからのアプローチとなると非常に難しくなる。
潜入したまではいいが、ここから先は俺の長年のカンと知恵と経験が必要となってくる。
考えるんだ俺、どうすればこの状況を打開できる?
もう尻はすぐそこなんだ。
気付けばズッさんとチックから借りていた(この機会にと渡された大量の洗濯もの)も、もうあと数枚となっていた。経験上、ここではあまりにもリスキーだと判断した俺は、仕方なく残りの洗濯物をさっさと洗って切り上げ作戦を練りなおそうと思った。
手元のスピードを上げて洗濯物を雑に板にこすりつける。
そのとき、普段とは違う長さで目測を誤り、カツラの毛先をこする手に巻き込んでしまった。
──しまっ……
「ん?」
横にいた女が怪訝そうにこちらを覗く。
「かぜっぴきのアンタ、大丈夫かい?」
「っ……!」
ひとまずはバレていないようだが、うなじに風が通るのを感じ、もう長髪のカツラは半分くらいずり落ちているんじゃないかと思う。
「ん? どうしたんだ?」
──このままではまずい。
俺は板と、たった今洗っていたズッさんの子汚いインナーを放り出してその場から逃げ出した。
「あ! ……ちょっと! 洗濯物は!? ……なんだいあの子は……」
* * *
「クソっ!」
人気の少ない路地に入って、誰もいないことを確認すると乱暴に邪魔なカツラをはぎ取った。
「いったいどうすりゃいいってんだ!」
またしても失敗。
失敗だらけの俺の人生だったが、痴漢だけは俺が死ぬ直前の一度以外本当に上手くやってきた。
どんな女だって俺にかかれば全員辱められた。
なのに、この世界に来てからの俺は何だってんだ。
失敗に失敗を重ねて、ただ逃げることしかしていない。かつて堂々と電車に君臨していた俺はどこへ行ったのか。
手をついた石造りの家のゴツゴツとした表面の突起を思い切り握る。
鋭くなった石の先で手に血がにじむ。
こんなんじゃない、早く暖かく豊満な肉の感触が欲しい。
滾った己の欲で、一層掴む石の冷たい感触が手に広まるのを感じた。