触るだけが痴漢じゃない
俺が手を出そうとした獣人の少女の名前はディッカー・シリウスというらしい。
垂れ耳が可愛らしい花も恥じらう17歳。ここから真反対の街の花屋で働いているらしい。
「まあ、あんたくらいの痴漢ともなればディッカーちゃんの尻に反応するのは正しい。だが彼女を攻略するのには苦労するぞ? なんせ俺も彼女相手には何もできたことがないんだからな」
「驚いた。あの技術をもってしても駄目だとは」
「ああ、見ただろう? 彼女の身体を」
確かに、少女のものとは思えないフェロモンというか計り知れないオーラをまとった身体つきだった。
「彼女があそこで働きはじめてからというもの、どの男も彼女を口説こうと必死だったさ。魚屋の息子も、野菜売りの若造も、駆け出しの商人も、俺らみたいないい歳こいたオヤジだってな」
先ほどまでとは打って変わって酒をちびちびと飲みはじめる。顔が赤くなってきたし本来、酒にはあまり強くないのか?
「あー、つまりは街の男全員、お互いがお互いを監視して不埒者には鉄槌が下る。そういう仕組みがいつの間にかでき上がっちまったんだよ。あんたもさっき男に追いかけられてただろう? あいつだってきっとディッカーちゃんとは直接知り合いじゃあないと思うぜ? ただあんたがディッカーちゃんに手を出そうとしてたからとっちめてやろうとしたんだよ」
「そいつはやっかいだな」
「ま、彼女はやめとけこの街はほかにもいい女がたくさんいるさ」
「……それはできない」
「んあ?」
酔いが回ってきたのか半目のズッさんだが、かろうじて反応はしている。
「俺は欲望のままに生きると決めたんだ……彼女程度で止まっちゃあ俺は自分の性欲に申し訳が立たない」
「おいおい、ディッカーちゃんに程度をつけるとは……あんたがどんな痴漢自慢かまだよく知らんがそりゃ傲慢ってもんだぜ」
ひっひっひと、肩をすくめて力無く笑うズッさん。
酒場の喧騒も耳に入らなくなったのか、大口を開けて椅子に寄りかかったまま後ろに顔を倒した。
「……俺の目標はこの国の王女だ」
俺が一呼吸おいてそう告げると、顔をあげて口角から垂れていた涎を拭って真剣な表情へと変わる。
「……本気でいってんのか?」
「もちろん」
「あんたそれが何を言ってるかわかってるのか?」
「この国を敵に回すかもしれないんだよな。承知の上だ」
「何があんたにそうも痴漢させようとさせるのか知らんが、やめとけ。自殺行為だ」
「だが、俺の欲望は底知らずなもんでね。あの高潔なお顔を恥辱に染めるまでは死ねそうにないんだよ」
俺は思い出す。王女を見たときの昂ぶりとあの喉奥から湧き出るような黒い塊のような欲を。
「…………」
ズッさんは黙って何かを考えているように見える。
しばらくの沈黙が続いたのちに口を開いた。
「同志なんて言って悪かったな……あんたは俺より上を見ているようだ」
「別に、男の夢に終わりなんてないさ」
「はっはっは! わかった。その夢にどれだけ近づけるか知らないが俺も手を貸そう!」
ズッさんが手を差し伸べる。握手、ということだろうか。
その手にはきっと剣じゃできないような”撫でダコ”ができていた。どれほど尻を撫でればこんなタコができるのだろうか。
俺はその手を握り返した。
「改めて、俺はズッボロン・デカンチ。九十九のパーティで傭兵として加わり、九十九のパーティで女の子に手を出して追い出された男だ」
なんだ、ただのクズか。
だがそのクズの知識でも今の俺には欲しい。
どんなクズでゲスで変態テクでも習得しなければ俺の目標までたどり着くことは到底できないだろう。
「改めて、俺はスーケ・ベスケベー……」
俺はスーケとしての人生をまだ半日も歩んでいない。だからどう自己紹介しようか迷ったが、俺の人生を説明とすればこの一言しかない。
「痴漢で一度は死んだ男だ」
純粋で、熱い、漢の握手を二人で交わした。
* * *
痴漢とは、異性に対して不安感や羞恥心を抱かせる行為を公共の場で行う輩、もしくはその行為のことをいう。
「触るだけが痴漢じゃない、と俺は思うね」
「それにはおおむね同意だ。だが彼女に近づくことすら危ういんだろう?」
それに俺は彼女にこそはっきり顔を見られていないものの、一人には顔が知られている。あの男が彼女の知り合いじゃないとズッさんは仮定したが、それが誤りだったときは彼女に近づけるチャンスはぐっと減る
「そうだ。そして俺は一つ問題を見つけてしまった」
「問題?」
水を注文して復活しつつあるズッさんは、眉を寄せて俺の顔を凝視する。
「そのツラだよ」
「は?」
「あんたはきっと街の女十人に聞けば九人がイケメンって答える顔をしてんだよ。そんなイイ男が彼女に近づいて他の男が黙ってるか」
酔いが覚めたからか、改めて俺の顔をイケメンと認識したからか少し荒い口ぶりでそういった。
顔、確かに今の自分の顔をはじめてみたときは同性ながらになかなかのイケメンだと思った。だが、今まで自信のない生涯を送ってきたためそんなこと微塵も問題と思っていなかった。
「そんなこといわれたってなあ……」
「だから男たちの監視の目を逃れりゃいいのさ」
「じゃあなんだ。夜道で襲えとでもいうのかい? それは俺のポリシーから反する」
「違うさ。俺だってそんなのは痴漢じゃねえと思う」
人々の目が付かない公共の場とはいったい何があるというのか。
それは矛盾というものだ。
そして、ズッさんが俺を指差した。
「今回はその顔を逆に利用してやればいいんだよ」
「?」
彼のたくらみを理解するのは、このあと俺がとんでもない格好をさせられてからのことだった。