同志、ズッボロン・デカンチ
建物の陰で息をひそめて、目の前を傷の男が去ったところで大きく深呼吸した。
とりあえず逃れられたようだ。
「あぶないところだったな」
俺を手招きしていた声の主はそう言った。
左目に黒い眼帯をつけ無精ひげを蓄えた大男。腰に剣を携えているところさっき一本角に乗っていた騎士を思い出した。鎧こそまとってないものの彼もこの世界ではそういった武で生計を立てている男なのだろうか。
「とりあえず礼を言うが……どうして俺をかくまってくれたんだ?」
「ん? 簡単なことだ。同志のにおいがしたからさ。
後ろでまとめた長い髪を揺らしてそう微笑んだ。
* * *
彼に連れられてきたのは先ほどいた通りから少し離れた場所にある酒場だった。
王女が通り過ぎたあとで、それ目当てだったパレードの観客が一挙に押し寄せたためかかなり盛況している。
彼は「麦酒を二つ」とウェイトレスに注文していたがきっとビールのことだろう。
「それで、同志っていったいどういうことだ?」
「簡単なことさ」
運ばれてきた麦酒にいったん言葉を止めて、二人で乾杯する。
そして男は木のコップの麦酒を一気に飲み干して続けた。
「……あんた、ディッカーちゃんの尻を触ろうとしていただろう」
「ぶっ……!」
喉の奥の変なところに入ってしまい、俺は思わず口に含んでいた麦酒を吹き出してしまった。
「げほっ……見られてたのか……」
「ああ、それにしてもあの手つき、あんた相当な手練れだろ」
「……まあな」
痴漢暦十年だ。なんて説明はしなくてもいいだろう。それにこの身体ではきっと十年前なんてまだ毛の生えてない子どもに違いないから、言っても信じてもらえないだろう。
「いやいいんだ。でも手つきはプロのそれでもやたら必死だったからよ、獣人相手は慣れてないんじゃないかと思ってな」
鋭い。あの一分足らずで俺が痴漢の熟練者であることや、獣人に対する不慣れさも分析している。
そして同志という言葉。
「まさか、あんたも痴漢なのか?」
「そのとおり。おっと、自己紹介がまだだったな。俺はズッボロン・デカンチ。しがない傭兵さ」
「俺は……」
一瞬元の名前を言いそうになる。
「スーケ・ベスケベーだ」
「そうか、スーケだな。よろしく。おれのことは親しみを込めてズッさんとでも呼んでくれ……っと、おーい店員さんおかわり!」
とカウンターのほうに向かって声をかけた。
「ずいぶんと飲むんだな」
「ははっ、目的は酒じゃねえよ。まあ見てな」
しばらくして近づいてくる小柄な獣人の女ウェイトレス。
俺は先ほどの苦い思い出から少し目を背けた。
「お待たせしましたー!」
木のコップをテーブルに置いて身を翻す。スカートの腰のあたりから忌々しき尻尾が垂れ下がっており、歩みに合わせて左右に揺れる。
そして、次の瞬間だった。
俺は見逃さなった。というか誰が見てもわかるくらい大胆に
「きゃっ!」
ズッさんが、ウェイトレスの尻を撫でた。
その鮮やかな手つきはキャリアの長い俺からしても見事なものだった。掴む、触るではない。撫でる。空間をそっと切り取るかのごとく動く手は最早芸術といっても過言ではない。
しかもさらに驚くべきはその間合いの取り方。
俺が邪魔されたあの尻尾をいともたやすくかいくぐって、その向こう側にある尻に一瞬で辿り着いた。
あれは尻尾の動き方や揺れを熟知していないとできない技だ。
「ごめんごめん! ちょっといいところに綺麗な尻があったもんでよ!」
にこやかに無邪気そうに、自分がしたのはさも悪事ではないかのように微笑んだ。
「も~、全然誤魔化しになってませんよ!」
困り顔のウェイトレスだったが、それでもズッさんの行為を冗談と受け取ったのかそのまま何事もなかったかのように去っていった。
気まずさや犯罪性をうやむやにするアフターケアの会話力。
自分のことを手練れだとか言っていたのが恥ずかしくなってくる。
「……あんた、何者だ?」
「いっただろ? しがない傭兵だって」
先ほどまでウェイトレスに向けていた陽気な笑顔から一転、口角を吊り上げてどう性癖がねじ曲がったらそんな邪悪な顔ができるのだろという表情を作り上げる。
この顔を見て俺は確信した。
なるほど、こいつは本当の意味で俺の同志らしい。