◆9
金色の蛇口を捻ると高い音が響き、熱いお湯があたしの全身を叩き流す。あたしを通ったお湯は錆色に染まり、排水口へ。
その流れを黙り見つめていると、胸の奥が少し震えた。
「マユキちゃんはもういないデス。あたしが喰べちゃったデスし」
震えた心へ言うように、言葉をクチにする。
真祖の王女【エリザベート】の部屋でシャワーを浴びた時に、あたしはあたしと会話した。そして、あたしを呑み込んだ。人間のマユキはあの瞬間消え、吸血鬼のあたしが残った。しかし完全に消えたワケではなく、今胸の奥で震えているのは人間のマユキ。
「喰べたはずデスが.....喰べ残しデスか?」
クチではそう言うも、心の奥に人間の自分を残したのはあたしだ。
自分で自分を───人間の自分を完全に消していいものなのか迷い、半端に残してしまっていた。しかしそれに救われたのは事実だ。半端に残していたとはいえ、残っている。
アリストリアスがあたしに与えた痛み。あの瞬間に残っていた人間部分が危険を察知し、あたしの意識を遮断してくれた。もしそれがなかったならば.....あたしはどんな姿になっていたのか想像もつかない。
───あなたのおかげで、あたしは今もこうやって残っていられる。ありがとう。
「お礼を言うために出てきたデスか?」
───うん。
「そうデスか.....言葉のお礼はいらないので、ひとついいデスか?」
───.....あたしに出来る事なんて、あるのかな?
「あるデスよ。あたしは少し疲れたデス。少しだけ変わってくれませんか?」
───変わる? あたしが外に出るって事?
「そうデス。地界はあなたの方が詳しいデスし、きっと出来るデス」
───......。
「お母さんやお父さんにも会いたいデスよね? 少しの間だけ休ませてくれると嬉しいデス」
───......わかりました。
「ありがとうデス。それじゃ───」
───あたしは少し休むデス。
「......はい」
◆
空気に匂いがあって、肌は温かい。シャワーの音が大きく聞こえて、少し眩しい。
「....本当に、変わった」
不思議なんて言葉では片付けられない体験をあたしは今まさに体験した。自分が自分と入れ替わる、なんて馬鹿げた事が実際に起こった。
全てが夢だったら。と心のどこかで願っていたが、今こうして自分の意思で身体を動かせてしまっている以上、今のこれが現実なのだろう。
不思議と簡単にそれを受け入れてしまった。
「.....身体はどうなんだろう」
あたしはカミソリを手に取り、親指を少し切った。ピリッとした痛みの後に血玉が浮かび、すぐに傷口はとじる。
意識、感覚は人間そのもの。吸血鬼のあたしのように痛みに疎いワケではなく、小さな切り傷でも痛みはあった。
しかし身体は吸血鬼。
「......出よう」
自分が何者なのか、なんて考えても意味はない。あたしはシャワーを済ませ部屋へ戻った。ほかほかと温まる身体の感覚に懐かしさを感じつつ、着替えを探すも......、
「.....着替えなんて持ってない」
あたしはタオル一枚で固まった。吸血鬼のあたしはまさか、この血が渇いたボロボロの服を着るつもりだったの!? せっかくシャワーで綺麗にしたのに着替えがないなんてあり得ない。吸血鬼のあたしはそういう所が妙にズレている。自分とは思いたくないほどにズレている。
などと考えてしまった事に少々驚いた。感覚は人間なのに身体は吸血鬼.....あたしは何者なんだろう。などと思っていても、人間は吸血鬼を受け入れているではないか。
こんな状態にも関わらず、あたしは少し笑ってしまった。
「とにかく着替えをどうにかしなきゃ.....宿屋ならナイトウェアくらいどこかに.....」
ナイトウェアを探すため、ボロボロの服をイスへかけた瞬間、コツン、とイスに何かがぶつかる音が聞こえた。
音は服のポケット部分から聞こえたが、手を入れるのが少々怖い。吸血鬼のあたしの事だ.....骨でも拾ってきているのでは!? と嫌な考えが過るも、骨を拾った所で何の意味もないし.....と考え直し、自分を信じて──と言っても9割別人だが──ポケットへ手を入れてみた。
「!?───これは騎士が持ってる......フォン?」
何やら特種な素材で作られたフラットな端末。騎士や旅商人が必ずと言っていいほど持っている【フォン】と呼ばれるモノ。あたし自身、フォンを見たことはあるものの所有した事はない。数年後にはこのフォンが流通、日常化すると誰もが言っているが、今はやはり一般人には少々高値なうえ、必要とは言えない代物。
「あたしのじゃないのに、なんで吸血鬼が?」
錆び付いた記憶の糸を必死に手繰り寄せるも、ぼんやりとした記憶の断片では何も掴めない。おそらく吸血鬼の自分がどこかで拾ったモノだと思う.....けど、一体なぜこんなモノを?
おそるおそるフラットな画面撫でてみるも、何も起こらない。薄型のサイドにボタンのようなモノがあり、あたしはそれを押してみた。すると画面が光り───時間が表示されている。
時刻は15時を過ぎた所。遠くの空から夕闇のカーテンが延び始める時間。
「.....少し触っても、いい.....よね?」
誰に言うワケでもなく、あたしは呟きフォンを触ってみる事にした。この存在を吸血鬼が言わなかった事から、多分だが吸血鬼も使い方を知らない───いや、存在さえ忘れている確率が物凄く高い。
何かの本で読んだ通りならば、サイドにあるのがロックボタンで画面を指で触れる事で操作可能となるハズ。
あたしは自分の記憶のページをめくり、指を走らせた。
すると【マップ】【アイテム】【メッセージ】などの本の目次にも似た項目が表示される。
「.....今何より重要なのは服だ」
と、呟き服がありそうな項目【アイテム】を指先で優しく叩く。すると文字や数字が画面に並んだ。画面下で文字の頭が見えている事から、まだ続きがあると踏んだあたしは指を下から上へとゆっくり滑らせると下の文字が上へと流れる。
「......───!?」
流れる文字の中に、あたしの知る文字───名前が現れ、あたしの指は無意識に停止した。
表示された名前───この場合はアイテム名となるのだろうそれは.....あたしの胸の奥を締め付ける───名前だった。




