◇2
「...落ち着いた?」
優しい瞳が、優しい声が、私の中に溶ける。
見知らぬ森で出会った見知らぬ女性が月明かりを背に。
「うん...ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
独特な形をしたフードを外し、茶色の長髪が綺麗に揺れる。
私の記憶にはない、綺麗で凛々しい姿の人間。
自分と同じ格好をした人や、似合わない服を無理に着た人しか見た事ない私は、しばし女性に見惚れてしまう。
「どうぞ」
「えっ...」
見惚れ黙っていた私へ女性は竹の水筒を差し出す。
中には透明な...キラキラ光る綺麗な水。
海の水は見たことある。雨も。でも飲める水は濁った水しか知らない。
サクラ採掘はヴァンズの変わりにホコリっぽいパンと飲み放題の濁った水。お金を持っていない私は水筒を見て頭を揺らす。
「私、お金持ってない」
「お金?どうして?」
「お金の変わりにパンを貰ってるから...」
初めて、他人に自分の事を話した。そして初めて...話すのが恥ずかしいと思った。
お金もない。パンもきっとこの人が想像しているモノとは違うだろう。
私は笑われるんだ。偉い人達が私達を見て笑う様に...この人も笑うんだろう。
「...そういう事じゃなくて、どうしてお金の話を?」
「えっ、ごめんなさい。でもだって、お金を持ってない人はモノに触っちゃイケナイって...村に行った時それで、、」
酷く殴られた事がある。
それは言えなかった。
綺麗な林檎に指先が触れただけで私は村の人達から酷く殴られ蹴られ、私を連れていた偉い人は笑って助けてくれなかった。
お金を持ってない人は許可なく他人のモノに触ってはイケナイ。
身体で教えられた事。
「...私はあなたを叩いたりしない。この水はあなたにあげる。飲んでいいんだよ?私が許可する」
自分の手とは思えない、思いたくもないほど醜くて変わってしまった私の右手に、女性の手が触れる。
優しい温度を持った優しい手。
「...本当にいいの?」
私はもう一度確認した。
許可すると言われても、やはり怖い。
飲んでしまえば返せないし、飲んでしまったらあの時以上に殴られてしまうかもしれない。
「どうぞ」
戸惑い疑う私へ女性は優しく笑い、水筒を。
キラキラと揺れ光る、綺麗な水。
「ごめんなさい」
私はそう言って綺麗な水を飲んだ。
初めて飲んだと思う。
パサつきホコリっぽいパンの味。
濁り汚れた水の味。
血の味と土の味。
その4つしか知らない私にとって、綺麗な水は想像を越える味で。
美味しい。
それと同時に、悲しい。
今もドクドクと痛む右半身。
こんなに美味しい水の味も右側では感じられない。
侵食する様に広がる黒と、石の様に固まる身体。
涙が出た。
「どうしたの?泣くほど美味しいとは思えないけど...」
「ごめんなさい、...凄く美味しい」
女性が隣にいる事を忘れていた私は急いで涙を拭き取った。
「何か言えば謝る...そういう環境にいたんだね」
そう言われ、私は嫌な気持ちになった。
言われた事に対してではなく、謝る癖がついてしまっている自分に...奴隷の様な癖を持っている自分に。
世間知らずではない。
寝る前はいつもゴミ捨て場から拾ってきた本で勉強もしてる。
それでも自分はサクラ採掘の世界しか知らない。
「そうだ、あなた名前は?」
「名前?そんなのないよ?」
「...名前がない?」
女性は眉を寄せ呟いた。
どうしてそんな表情をしているのか理解できない私は女性へ質問する事に。
「名前は幸せと自由を持ってる人が持っていいモノでしょ?私は自由を知らないから名前を持っちゃイケナイ。だからない....お姉さんは?」
「....あなた変だよ?幸せっていうのは自分でそう思える瞬間の事。自由っていうのは自分で決めて自分で行動する事。誰が持ってるとか持ってないとか、そんな話じゃないと思う」
幸せっていうのはお金を沢山持ってる事。
自由っていうのは自分で好きに生きられる事。
この2つを持ってる人が名前を持てる。
そう思っていたし、今もそう思う。
でも...違うの?
「あなたは何をしたいの?どう生きていきたいの?」
「私は...綺麗なパンを食べてみたい。クツを履いて歩きたい」
「それが今あたなが求めてる幸せと自由だよ?」
「え?」
「それが叶ったら次の幸せ、次の自由を求めてもいいんだ。あなたが名前を持っても幸せを求め自由を追ってもいいんだよ。間違えなければ誰も怒らない」
幸せも自由も1つじゃない?
名前を持ってもいい?
誰も怒られない?
「私の名前は茜。ビーストハンターをしてる冒険者。仕事でこの島に来た」
「茜...、ッ!?」
女性の名前を何度か呟き、覚えようとしていると突然右半身の痛みが強くなる。
脈打つ様に痛み、骨が溶かされる様に熱くなる身体。
右腕を左腕で強く握ると、ドロリと溶ける。
「...や、熱い、助けて、死にたくない!痛い助けて、助けて!」
溶け落ちる右手の皮膚と。触れてしまった左腕は火傷する様に熱く、地面は煙を上げる。
「...アテられた!?」
茜は手のひらサイズの見た事もない薄いモノを取り出し、そこから魔法の様にビンが現れる。
青緑の液体が入るビン。
栓を抜き、私の腕へその液体をかけた。
「我慢して!」
「ッ!!~~...」
右腕が勝手に動く。苦しむ様にのたうち、茜の首を掴むも突然感覚を失いダラリと離れた。
痛みも身体の奥へ戻る様に薄れ消え、落ち着きを取り戻す。
「病気だと思っていたけど、それは災厄にアテられた者の症状と似いてる...あなたラマパズズに会ったの?」
茜は持っていた薄いモノを撫で、私が森で出会った化け物の写真を見てる。
獣と鳥、人が混ざった様な化け物...。
コイツに会ってから私の身体はおかしくなった。
「この森の奥で...。私はどうなるの?死にたくない、私は死にたくないよ!助けて、助けてよ...怖いよ」
左眼から涙が溢れ、右眼は涙を忘れてしまっている。
私の身体はどうなってしまうの?
私はこの先どうなってしまうの?
もう戻れないの?
幸せも自由も、名前も、未来も、全部私は手に入らないの?
そんなの、嫌だよ。
ラマパズズと呼ばれるモンスターの黒い風は災厄と言われているらしい。
浴びた生き物は身体が痛み、病み膿む。
私が浴びた風がその災厄。
肉を溶かして骨を溶かして、全身に回り、私は死ぬ。
死ぬ直前は化け物...モンスターの様な姿になり、災厄を撒き散らす様に暴れ、そして死ぬ。
最初に風を浴びたのが右半身。右腕や片足なら侵食までの時間は長い。でも私は既に半身侵食状態。
茜の話では...あと数日で私は終わってしまう。
あんなモンスターも名前を持っているのに、私は名前を持たないまま死んでしまう。
「あなたはどうしたいの?」
茜は私に問い掛けた。
何をどうしたいのかハッキリわからないが、答える。
「私は...綺麗なパンをひと欠片でもいいから食べてみたい」
「....、生きたいって事だね?」
「うん」
「生きたあとは...サクラを掘るの?」
「掘りたくない」
「それじゃあ、何をするの?」
何を...私は何をしたいのだろうか?
綺麗なパンを食べたい。
名前がほしい?ほしい。
幸せも自由もほしい。
それを手に入れ、感じる事が出来たあとは...。
───茜みたいになりたい。会ったばかりだけど、強くて優しくて、自由で。そんな茜が見てきた世界を、私も見たい。
言葉に出来なかった想いを視線に乗せ送った。
同じ世界を見たい。
そんな事、こんな醜い私に言われても困るだけだろう。
視線を捨てる様にそらし、私は落ち葉を見詰め黙り続けた。
雨の後はキラキラと森が輝く。サラサラ揺れる木々の葉音に乗り、茜の声が優しく届く。
「...わたしも昔アテられてたんだ。あなたよりは酷くないけどね」
「...茜も?」
「うん。別のモンスターにだけどアテられて、家族や友人...街の人からも避けられてね。その時わたしを助けてくれた人がビーストハンターだったんだ」
茜の強く綺麗な瞳が遠くを見詰め、思い出す様にうっすら潤う。
「同じ思いをする子を、人を増やさない為に...わたしもビーストハンターになったんだけど、ごめんね。わたしがちゃんとしていたら、あなたも痛い思いをしなかったのに」
「違う、茜は...私に優しくしてくれた!私を見てくれてる!茜のせいじゃないよ!」
どうしてだろう。この人には悲しい顔をしてほしくない。
こんな事を思ったのも初めてで、これがどんな気持ちなのかも、私は知らない。
「ありがとう、あなたは優しい子だね」
優しい?私が?
そんな事初めて言われた。
相手を心配する事や相手を思う事が優しい気持ち?
私には優しい気持ちがあったんだ...。
茜。私はもうサクラを掘りたくない。
私は...ビーストハンターになりたい。1人より2人の方がいいでしょう?
「この身体を治す方法を教えて」
うじうじ、ぐちぐちしてられない。
同じ思いをする人を増やさない。茜はそう言った。
私は...同じ思い思いをする人をこれ以上生まない様に、そして助けたい。
私みたいな人を。
そのためには私が助からなきゃならない。
「...アテられた人はそのモンスターの血を飲む事で治る。ラマパズズはA+のモンスター...わたしでも勝てる確率は限りなくゼロに近い。そしてあなたには時間がない...。さっきも言ったけど、半身侵食されているあなたは...あと数日で死んでしまう」
「でも、でも茜はそのモンスターを倒しに来たんでしょ!?」
「わたしがここへ来た理由は別...魅狐を倒す為に力を貸してほしいと言われて、ここへ来た。魅狐族の数の倍以上で挑んで生き残ったのは30人もいなかった...」
魅狐を...倒す?
魅狐を怒らせていたのは茜達?魅狐はお狐様で、この和國の事を思ってるいい狐って聞いていたのに...茜達は魅狐を殺したの?
なんで...
「なんでって思ったでしょ?わたしは魅狐に怨みもないし、和國の人間でもない。それでもビーストハンターのわたしへ魅狐討伐の依頼が入って、それを承諾した以上はやらなきゃならない。それもビーストハンターの仕事だから」
「仕事...自由って自分で決めて行動する事って茜言ったじゃん!仕事だから自由を捨てて魅狐を殺したの!?」
「承諾するしないも自由、わたしは承諾する自由を選んだのよ」
「嘘だ!」
「本当だよ」
「嘘だ!だって茜今、凄く悲しい顔してるもん!自由なら...そんな顔にならないよ!」
自由を知らない私が、自由を持つ茜へ、自由を謳った。
私は自由を知らない...でも、悲しい顔になる、ツライ気持ちになる。
それが自由なら、私は自由になる事が少しだけ...怖い。




