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空気を振動させる不協和音と肌をビリビリ揺らす音圧に身体が震える。寒さのせいで震えているワケではなく、ワタシ達の前で氷の様に冷たい微笑を浮かべる姿に恐怖の色を感じたからだ。
ワタシはこの孤島に詳しいワケでも、モンスターに詳しいワケでもない。
それでも、このモンスターは危険すぎると文字通り肌で感じる。
S2ランクのモンスター フェンリルを一瞬で消し去った実力と全身から溢れる嫌な雰囲気。
氷結の女帝 ウィカルム。
「私がタゲをとる。その隙に皆 船まで走り本部まで急いでくれ」
レイラ隊長の細く力のない声はワタシ達に届き、風に扇がれ消えた。
隊長を置いて、逃げる。
隊長の出した答えはそうだった。
1人で討伐できるモンスターのレベルではない。そんな事レイラ隊長も理解している。しかし今レイラ隊長が出した答えは部下と騎士団の事を考えて出した、騎士の答え。
逃げろ。ではなく、本部まで急いでくれ。全滅する確率が高い相手と遭遇した場合、本部に情報を届ける事を優先に...後に犠牲者が続かない様に情報を届ける為の決断と、犠牲。
ワタシはこんな所では死ねない。氷結の女帝 ウィカルムと本格的な戦闘になれば間違えでも勝てない。
レイラ隊長の言う通りに行動すれば孤島から生きて出られる確率はあがる。でも、それはレイラ隊長を見捨てる行為。
ワタシは何を迷っているの?
ワタシの目的は何だ?
ここでみんなと一緒に生き残る事じゃない。
わかっている。こんな所で終わるワケにはいかない。でも、わかっていても、
「ヒロ小隊長、隊長命令だ。今すぐ全員を連れてこの場を...この孤島を離れて本部へ報告しなさい!」
レイラ隊長の声には余裕も、迷っている時間も無いと言う様な声色。
「小隊長、行ってください!他の者はレイラ隊長をサポートする為、ここに残ります!みんなの為にも小隊長...お願いします」
この状況で笑顔を浮かべワタシへ言う騎士達。レイラ隊長は騎士達の行動を許さないと言うも、騎士達はもう決意を固めた表情で1歩も動かない。
なんでそこまで他人の為に、なんでそんか簡単に自分の命捨てれるの?
なんで...ワタシは迷っているの?
「ヒロ、ここは私達で食い止める。だから...他の騎士達の未来を繋ぐ為に行きなさい」
未来を繋ぐ。
ワタシがここで残り全滅すれば本部はレイラ隊に何かあったと気付き動く。次に送り込まれる騎士達の未来はワタシ達の全滅で途切れるルートを辿る。
その途切れそうなルートをワタシに繋げと...ワタシから全部を奪った騎士の為に、
「あなたに何があったのかは解らない。でもヒロ、あなたは急ぎすぎてる。生き物は自分のメモリを越えた量の何かを抱えたままでは進めない。1つ1つ、1歩1歩確実に進みなさい。......」
レイラ隊長の最後の言葉は不協和音の咆哮が塗り潰し、拾えなかった。唯一拾えたのはレイラ隊長を含めた全員が笑顔でワタシを見て、頷いたシーンだけだった。
捨てる様に、逃げる様に、ワタシはレイラ隊を置いて走った。
海の中にいる様に、歪む世界を走った。
ワタシは...大切だと思えるモノを捨てて、自分を選んだ。
足跡がない道をワタシは走り続けた。
何が騎士だ。何が小隊長だ。
何が復讐だ。何が...平和だ。
ワタシは何を今までやってきたんだ。
大切なモノを失って、大切だと思えるモノを...今度は捨てた。
「...っ」
どうして自分ばっかり、どうしてワタシの大切なモノばかり無くなるの?
ワタシが何をした?
どうして...。
自分の強さを知りたくてこの隊に、この任務についた。
そして自分の弱さを知った。
何1つ守れない。誰1人助けられない。
今も昔も、何も変わってない。
小さくて、弱くて、安定しない自分。
「....!?」
真っ白な道を、視界を歪め、下だけを見て走っていたワタシへ何かが横からぶつかった。
冷たい雪がワタシの頭を冷やす様に、触れて溶ける。
「なに...?」
身体を起こし何かがぶつかった方向へ意識と眼を向ける。
空気を溢れさせる様な呼吸音と小さな影。
白銀の毛と青い瞳を持つ牙獣型モンスターがワタシを睨み立っていた。
「、、フェンリル」
サイズも小さく、攻撃力も低いが今ワタシを睨んでいるのはフェンリルだ。
ワタシ達が戦ったフェンリルは人1人余裕で乗せる事が出来る大きさの小型だった。しかしこのフェンリルは人1人を乗せれるかも危ういサイズ。
それでもフェンリルだ。S2のDNAを持ったモンスターだ。
ワタシは剣へ手を伸ばそうとしたが、フェンリルの表情...瞳からモンスター以外の何かを感じ、抜刀を躊躇した。
その躊躇、迷いを見逃さずフェンリルが襲い来る。
雪がクッションになりワタシはダメージ無く倒される。フェンリルは泣く様に鳴き、ワタシの右腕を噛む。
しかし、ダメージと言えるダメージは無い。
何度も何度も牙でワタシの腕を噛むも、小さく浅い傷が増えるだけでそれ以上のダメージは無い。
ポツポツとワタシの頬に落ちる水滴。
雨や溶けた雪にしては温度がある。
この温度はついさっきまでワタシが溢し落としていた温度と同じ。涙。
フェンリルの...モンスターの涙?
「...泣いてるの?」
ワタシの声でフェンリルは牙をしまった。
この表情と毛並み...フェンリル達の上に立っていたあの大型に似ている。
「あなたは...あのフェンリルの子供?」
そう言うとフェンリルはモンスターとは思えない声で小さく弱く「...クゥ」と鳴いた。
眼には怒り、瞳には悲しみ、表情には自分の力の無さへの...呆れや悲しみ。
ワタシと同じだ。
このフェンリルはワタシと同じ...大切なモノを奪われて、失って、守れなくて、救えなかったんだ。
「ごめんね...ワタシはあなたの親を、仲間を奪おうとした。そしてあなたの親と仲間を守れなかった。手の届く範囲にワタシは居たのに...何1つも守れなかった。救えなかった。ごめんね」
初めて自分の中に生まれた気持ちを言葉にして吐き出した。
言葉と一緒に涙が溢れ出る。
赤い空と分厚く重い雲を見て、溢れ出る涙を止めようと、自分を立たせようとした。
でも涙は止まらず溢れ出る。
降り落ちる雪と流れる雲を歪めて、溢れ落ちた。
出る言葉は、フェンリルに対してなのか、自分の失ったモノに対してなのか、ごめんね の文字だけだった。
ふわり、ふわり と揺れる様に軽く落ちる雪。
離れた場所に落ちたその雪はパキッと音を立てて崩れる花。
直後、 高く耳障りな音と砕ける様な音が混ざる不協和音と暴風がワタシとフェンリルを突き抜ける。
ふわふわと浮かぶ大きな氷の花。その上に氷のイス。
青い肌と紫の瞳を持つ人間型モンスターが腰掛け、こちらを見て微笑む。
氷結の女帝 ウィカルム。
コイツがここにポップしたと言う事は...、
「隊長達は...」
ワタシの声を聞き、理解したのか氷結の女帝は青い唇を紫色の舌で舐め、笑い、ゆっくり腕を振り降ろす。
すると青色の魔方陣が氷結の女帝の前に展開され、魔方陣から氷の槍が放出される。
数は多いが範囲は狭い。
その気になれば回避も出来た。
でも、もういいかな。
充分頑張ったんだ。もう...いいんだ。
氷の槍がワタシを突き刺し貫くのを待った。しかし氷の槍は業炎とも言える炎に溶かされ消える。
フェンリルが炎を吐き出し、氷を消した。
ターゲットも範囲もワタシだった。氷結の女帝の攻撃は現時点ではフェンリルに何の被害も無い。しかし、フェンリルは炎を吐き出し氷を溶かし、ワタシを1度見た。
ついさっきまで泣いていた瞳は光を宿し、表情はこれから先の未来を求める様な...諦めの表情はそこに無かった。
行動1つ1つは必ず何かに繋がる。
ワタシとこのフェンリルを繋げてくれたのはレイラ隊。そしてワタシの今を繋げてくれたのはフェンリル。
ワタシは何をしているんだ。
理由を探して理由を添えて、諦めを綺麗なモノにしようとした。
どうして自分ばっかり と、嘆き、また捨てようとした。
ワタシだけじゃない。少なくとも、このフェンリルも同じ様に奪われ、失っている。
でも諦めず今度こそ何かを守ろうと、救おうとした。
繋いでもらって、捨てるなんて許されない。
それは甘えだ。
繋ぐんだ。今度はワタシが次へ。
「助かった。今度はワタシが助けるよ」
「クゥ」
ワタシの中で何かが今、小さくても、確実に変化した。
ワタシとフェンリルは氷結の女帝へ無謀にも挑んだ。
剣を振り、炎を吐き出し、助け合い、戦った。
氷の様に冷たくなる自分の身体。
遠くなる意識、薄れ消える感覚。
ごめんなさい。レイラ隊長。
ごめんなさい。みんな。
繋いでもらったのに、次へ繋げる事が出来ませんでした。
不協和音が響く孤島で、ワタシはゆっくり眼を閉じた。




