狙撃4
いや戦場であったればこそだ。少なくともわたしの隊では許さない。いや誤解しないでくれたまえ、わたしが言いたのは極端な話ではなく、彼がどうやって殺されたのか真相を暴くのが必然と言う当たり前の話だ」
スモールフローは中佐の熱弁を聞いてふと疑念が沸いた。
「中佐、それではわたしの部下は誰かに殺されたというのですか? そんなまさかありえませんよ。わたしのチームは編成されて間もないのです。怨恨を抱く時間すらありませんよ。みな互いに信頼していた、でないと戦場で自分の背中を安心して預けられません」
「待て軍曹、誤解するな。そんな事を言いたいわけじゃない。わたしの話し方が悪かったのかな。あくまで例えの話だ。常にわたしは部下をなくした人間をすぐさまここへ呼び出し同じ話をしているだけだよ。わたしが考えるにおそらく君のところの伍長はテロリストの凶弾に倒れたのだろう。しかしその殺され方がいまいちよく判明してない。わたしはね、上官たる者、部下が死んでも嘆き悲しむだけでは不足だと思っている。上官は部下の死因を必ず把握すべきだ。そしてより上位の部隊にそれを報告して隊全体に反映させる。そこでようやく明日死ぬ運命だったかもしれない軍人の命が救われるんだ」
「それならよく理解できます」
「そう、特に今回の伍長の死はまったくもって不明だ。だからこそ君にも覚悟を持ってもらいたいんだ。いったい何が起こったのか、それを究明してもらいたい。もう奴らの自由にはさせない、報いはきっと受けさせると……」
スモールフローはようやく得心がいった。何だ、通常の手順を踏めと言う事だけじゃないか。
「わかりました。わたし自身彼の死を無駄にしないためには真相の究明が必要不可欠だと考えていました。それがゆくゆくは彼を狙撃した敵を追い詰める行為に繋がっていると信じています。奴をこの手で追い詰めたい、わたしに任せてください」
中佐は深く頷いた。
「そうだ、第二の伍長を生み出してはならん。だがいいか、軍曹。今回の奴は高度に洗練されているぞ。注意深く、一歩ずつ考えを巡らせながら進めてくれ。期待してるぞ、スモールフロー軍曹」
スモールフローは敬礼して回れ右をして中佐のオフィスを出た。中佐も返礼でその後ろ姿を見送った。
スモールフローは中佐に言われた事を一つずつ精査しながらぐるぐると基地内を歩きまわった。中佐の言葉は言葉通りなのか、それとも裏を読んで行動しないといけないのか? 知り合いの兵士に声を二、三掛けられ慰めの言葉を貰ったがまったく上の空だった。慰めなど今はいらない。気がつくと食堂の前に立っていた。仕方なく下士官用の食堂に入り、紙カップに炭酸ジュースを注ぎそれを持って食堂の隅に座った。前線基地の食堂はなぜか必要以上に冷房が効いている。長袖でも寒いくらいだ。日中うだる様な酷暑の中全身戦闘服に身を包んで任務に従事している下士官に対する配慮だろうか? もっともスモールフローには将校用の食堂に入った経験がないので実際のところはわからなかったが。紙コップの底から炭酸の泡が表面に上昇してくる。次から次へと……。頭の中をぐるぐると無為な考えが巡った。憤りとも不満とも言い表せない、まるで険しい山道で雨の日に行われた新兵を鍛え上げる強行軍の訓練のような行き場のない感情だった。まったくここは砂漠のど真ん中だってのに、頭の中は疑惑の念で土砂降り状態だ。彼は悶々と鬱屈していた。気がつくと時計の長針が百八十度回転していた。ここで座っていても仕方ないと思い直し、
「行くか」
とひとりごちてから紙コップを捨ててから基地の目立たない場所にある遺体安置所に向かった。特に戦場では誰もが行きたがらない場所だ、いやそうではない皆今度は自分が入るのではと恐れているのだ。彼は入口で署名し、ホールを抜け両開きのドアを開けた。薄暗く、そして隅から隅まで冷房が効いていた。確かに煌々と照明をつけておく必要もないかなどとぼんやりと頭の片隅で考えた。中には生きた人間はいなかった。金属製の台の上に遺体袋が一つあった。遺体袋の端にプラスチック製のタグが付いていた。読んでみる。ウェイン・サマーズ伍長、ビッグキャップだ。短い付き合いだったが、遺体袋のジッパーを下ろすのに数分の躊躇があった、今朝は暑いと愚痴ばかりこぼしていた男である。奴の屈託のない笑顔が蘇る。意を決してジッパーを静かに下ろしてみた。ビッグキャップの首元があらわになり、冷却用の氷がぽろぽろとリノリウムの床に落ちた。血の気は失せていたが、それ以外は普段と変わるところはなかった。悲しみや不条理さよりも不可思議な感じがした。空調の低い唸るような音だけが耳朶を打った。感覚が鈍麻していき何も考えられなかった。いつの間にか音もなく検死官が近づいてきていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、彼の直属の上官です。スモールフローです」
「アダム・フロストです」
優しげな声色だった。
「そう言えばついさっきも同じ隊の方が二人で来られてました」
二人は言葉もなく頷きあった。この手のやり取りはフロストにとっては手馴れたものなのだろう。その落ち着きぶりと包容力と説得力はまるで牧師か神父の感すらあった。まずはスモールフローの方から切り出した。なぜかそれが礼儀であると思われたからだ。
「で、やはり胸部への被弾が直接の死因ですか?」
「はいそうです。左胸上部から弾丸が入り込み、背中へと抜けることはなく体内で留まりました。いわゆる盲管射創です。見えますか、これが射入口です」
フロストは氷を少し払い除けた。
「ええ、しかしこれはどういった具合のものなんでしょうか? 少し説明していただけませんか?」
「体内に入る前に防弾ベストを貫通しています。よって弾丸はある程度変形してから体内に入ったと予測できます。ですから、射入口の形はきれいとは言い難いです、乱雑に周りの皮膚を切り取っています。体内に残った弾丸をご覧になりますか?」
「ええ是非ともお願いします」
フロストは奥の部屋に消えしばらくしてから戻ってきた。
「これです」
弾丸はガラス製のペトリ皿に入れられていた。
「なるほど、確かにかなり変形していますね。弾丸の頭部付近がいびつだ」
「ええ、でも弾丸は砕けて破片にはなっていませんでした。それは幸運だったと言ってもいいでしょう」
「では彼の体内からはこれだけ?」
「そうです、これだけです」
スモールフローはビッグキャップ命を奪い去った小さな粒状の物を見つめた。こんな矮小な物体で奴は死んでしまったのかと言うのが正直な感想だった。
「口径はいくつですか?」
フロストは小さく首を横に振った。
「いいえ、それはわたしの仕事ではありません。今日中に最寄りの駐屯地の分析官に送り届けるだけです。そこで詳しい情報が得られるはずです」
「個人的な質問になってしまいますが、彼は即死だったんですか?」
「そうだと思われます。自分の身に何が起こったのか、確認できるかできないか、意識があったのは長くて十秒程度だったでしょう。まず弾丸は防弾ベストをかなりの抵抗を受けながら貫通しました。その時に弾丸が変形したものと考えられます。今ご覧の様にです。変形した弾丸が肉体を貫く時、変形していないそれよりも抵抗が大きくなります。だから体内に侵入する際にできる射入口が乱暴にえぐり取られるようになったわけです。その後侵入した体内で弾丸の持つ重量と速度の二乗を掛け合わせた運動エネルギーが消費されるわけです。その時射創管の周囲の組織が挫滅されるわけです」
「ええそれは知っています。だから場合によっては体内に弾丸が残るよりきれいに貫通して体外に排出された方が体へのダメージが少ないということが起こるわけですね」
ペトリ皿の中の弾丸がコトリと音を立てた。
「ええ、それはまあ第一義的には手術によって弾丸を取り除く必要がないというからですがね。特に体内で粉々に砕け散った弾丸を除去するのは外科的に大変な作業です。雑菌や鉛毒の心配もありますが、今回の件では残念ながら亡くなられているので関係ないですね」
「ビッグキャップはほぼ即死だと断定されました。なぜですか?」
「簡単なことです。彼の心臓が破裂して部分的に原型を止めない程になっていたからですよ。さきほど説明したように弾丸が体内で運動エネルギーを発散するために細かく右に左に方向を変えながら進んだわけです。彼の場合心臓破裂という事態に至ったわけです。もちろん身体や脳には酸素を含んだ血液は残っていた、しかし気づいた時にはあの世に行っていたでしょう」
「なるほど」
「ちなみに弾丸は肩甲骨に当たる前に止まりました。運動エネルギーを消費し尽くしたということです」
「いずれにせよビッグキャップの命運はすでに尽きていたのですね?」
「ええ、心臓の機能を奪われた時点でどんな救命措置も役には立ちません。頑張っても二十数秒だったでしょう。だからあまり気落ちなさらないでください」
コトリとまた氷が床に落ちた。
「見た目はそれほどひどくは見えないのですが……」
「そうですね。わたしは筆舌に尽くしがたい程ひどい損壊を受けた遺体もたくさん見てきました。遺体とすら呼べないようなものもでした。わたしは一度だけそんな遺体の遺族に面会したことがあります。どうだったと思います? 我が身を恨むほど後悔しましたよ。あれは決して忘れられるものではありません。この遺体も、失礼、彼も早晩には遺族の元へ帰るはずです。だがわたしには掛ける言葉は永遠に見つからない。ただひたすら耐え続けるのです」
フロストの言葉には真実味があった。だからこそそれにスモールフローは職業的ポーズ、そして自己防衛の趣を感じざるを得なかった。それもわかる、毎日のように死者は止むことなくここに運び込まれるのだから。
「ありがとう、世話になりました。ビッグキャップを家族の元へ尊厳を持って返してやてください。彼にはその権利と資格が十分あるのですから」
フロストは了解したしるしに丁重に頭を垂れた。
「それと分析官の結果はいつ頃報告が上がって来るのでしょうか?」
「明日の午後遅くには届くでしょう」
「わかりました、では」
スモールフローはビッグキャップの遺体から離れた。
「ああ、大切な事を伝え忘れました。衝撃波による圧排はあまり威力を持たず組織の損壊はそれほど見られませんでした。そして射創管付近に未燃焼火薬も検出されませんでした」
スモールフローは足を止めた。
「どういうことでしょうか?」
「いえ、当然の結果が出たまでですよ。近距離から銃で撃たれた場合、射入口付近や人体に薬莢の中の火薬が残るものです。それが検出されなかった、つまりは遠方から狙撃されたことになりますね」
「そうなんですか、大変世話になりました。」
「なにかありましたら、いつでも来てください」
フロストは手馴れた手つきでジッパーを上げた。
ギンガム―Gはデブリーフィングを終えるとそのまま基地内を歩きはじめた。彼は人一倍臆病な性格なのだ、兵舎のベッドで一人になるのが怖かったのだ。もちろん遺体安置所に向かう事が頭にもたげたが、自責の念に駆られてとてもビッグキャップの遺体と面会する気になれなかった。彼は彼なりに思案を巡らしてビッグキャップの死に得心がいきたかったのだ。しかし戦友の死は到底受け入れ難かった。でないともし自分が彼の立場に立たされた時……。しかしそれに関する思索はいつまでも終わることはなかった。彼は兵士の平均的水準から照らし合わせても死の存在を恐れていた、それはいつか軍属の精神科医に言われた事だ。そしてそれを克服できずにいた。死とは何か? 生とは? 次に彼は哲学的な思索に耽り出した。彼はテキサスの根っからの南部人で幼い頃からトイガンと親しみながら育った。十代前半にはロデオの年少大会にも参加した。しかしロデオは彼の恐怖心も変質させ巨大なものに育て上げてしまった。馬の行動のように突然意表をつく制御できないものに対する畏怖心を抱かせるようになったのだ。だが彼は克己心を奮い立たせやり遂げた。十五歳ですでにアメリカのりっぱな南部人だと自認できるようになった。しかしその後彼はカウボーイとは無縁の生活を送るようになる。地元のカレッジでは神学か哲学かどちらを選択しようか迷ったが哲学を選択した。だが彼は次第に麻薬にはまるようになり結局退学して、このままでは生活の立て直しが効かないとの理由で軍人だった叔父の勧めでなかば強引に陸軍に入隊させられた。だがそれは正しい選択だったとギンガム―Gは思う。
ふと気づくとゲーム場の入り口に到着していた。毒々しいネオンがほんのわずか灯っており、彼の故郷の南部を少しだけ思い出させてくれた。まず彼はエントランスの古びた合成皮の椅子にドカリと腰をおろし、エナジードリンクを飲んだ。味のないミネラルウォーターにすればよかったと少しばかり後悔した。呆然とゲーム場内を見回しているとビリヤード台が目に入った。そこで彼はキューを持ち出し一人で遊びだした。かなり長い時間一人遊びをしていた。
「おい、あんた。ずいぶん一人で長くやっているな。そろそろおれたちと交代してくれよ。いいだろ? こっちはさっきからずっとあんたを待ってんだよ。また明日にでもしてくれよ。時間ならたっぷりある、お互い祖国に帰るのは当分先じゃないか」
ギンガム―Gはそれでも無視して一人で遊んでいた。しばらくすると声を掛けてきた男は呆れてどこかに消えていた。キューがボールを突く音だけが空しく響いた。
「なあ、おい、あんた。おれさっきからあんたを見続けているんだがずっと一人だね。そんなに楽しいかい? 故郷に帰っても何の相手をしてくれる女もいないって雰囲気だね」
とさっきとは異なる男が声を掛けてきた。下衆野郎だ。かれはニヤニヤと笑っていた。どこかで基地内では許されていない安いラムか何かの類のアルコールでも引っ掛けてきたのかもしれない。
「ああ、楽しいね。放っておいてくれないか? まだまだ夜ははじまったばかりさ」
「そうだね、だがあんた一人だけがやっていいという道理もない。そろそろ他の連中に代わってやったらどうだい?