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我「弾丸」かく語りき  作者: 阿蘇像是
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狙撃2

スモールフローは任務の最も危険な時間帯を脱したのを悟った。一階に入るとNテューバが頷き返してきた。彼もびっしょり汗をかいていた。これから長い間沈黙を貫き通す必要がある、敵対するテロリスト共はおれたちがホテルラージマウスに入ったのを確認しただろうか? だがやることをやるまでだ、何とかこれから四十八時間切り抜けてみせると決意を新たにした。

「Nテューバ、スポッターをお願いできるかな?」

「了解、軍曹」

 Nテューバは背嚢からミルスケール付きのスポッティングスコープを取り出しはじめた。それまでのしばしの間、銃弾の跡が生々しく残る壁と砂とほこりまみれのフロアを眺めた。このホテルラージマウスはネスチャジャイ市街内部へテロリストの捜索に出かける際の米軍側の最後の要所となっている場所である。テロリストに占拠されないようあたりには常に歩兵部隊が駐留し、睨みを利かせているのだ。まあ歩兵部隊は少し離れたより安全な場所に位置しているのだが……。しかしチームの単独作戦と表現するまでもない、何かがあれば友軍が助けに来てくれる。狙撃にはうってつけの場所でもあるし、分厚いコンクリートの壁は隊員の身を敵の攻撃から守ってくれる。スモールフローは前任者たちが使用したであろう、木製の机と椅子を狙撃されないよう少し窓から離れた場所に移動させた。M24 SWSの伸縮性のパイポッドを机の上に据え付け椅子に座り、適切なアイリリーフに設定されたリューポルド社製のスコープを覗き込んだ。横にはスポッティングスコープを覗き込むNテューバが控える。二階、三階も同様の光景が広がっていることだろう。一帯は思いのほか静寂に包まれていた。まるで熱気で発生した逃げ水から音が聞こえそうなぐらいだった。祖父に駆り出されて行った猟が思い出された、枝葉を頭から被り銃身に保護色の古いバーラップ布を巻き付け、じっと風景に馴染むように呼吸を整える。心拍数が自然と落ち込むのわかった。心なしかすっと暑気が霧散したかのようだった。


――アッラーフ アクバル アッラーフ アクバル アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラーッラー アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラーッラー――

 それはその日最初の拡声器からのアザーンの声であった。アザーンとは一日五回の礼拝の時間が来ることを伝え、周辺に住むムスリムにモスクに集まるよう呼びかけるために、モスク、あるいはモスクのミナレットから呼びかけられるものである。ずいぶん遠くからの様子だった、かすかに音が聞こえる程度だった。これならスモールフローたちも慣れっこになっていた。

 無言のまま十分間が過ぎようとしていた……。

「静かですね、スモールフロー。まるで夕暮れ間近みたいだ。敵も諦めたか、それともおれたちがここに潜入したのをまるで知らないみたいだ」

 首の筋肉が強張り、スコープのアイリリーフから目線をはずした。まだまだ長丁場だ、必要以上に神経を摩耗させては駄目だ。

「ああ、拡声器が近くにあって耳を聾さんばかりの大音響のアザーンを聞いたこともあるが、あれは恐怖心を植え付けられるからな。こっちが捕虜の尋問の最中にメタリカやガンス&ローゼズを掛けるようなもんだ」

 Nテューバはクククと笑いを漏らし、

「一体どっちが野蛮人なんでしょうね? 随分ひどいことをしている捕虜収容所もあるって聞きますよ。原隊にいた時の仲間の一人が捕虜を収容所に連行していった時なんですがね、悲鳴やら嗚咽やらでとてもその場に居られなくなったらしくて逃げ帰るように基地に戻ったって……」

「そんなこともうすぐに終わるさ。でなくちゃやってられない。よし二階、三階の様子も無線でチェックしておこう」

 スモールフローは頭をできるだけ上げないようにしながらいったん椅子から身体の位置をずらした。ケブラー繊維で包まれている防弾ヘルメットでも狙撃銃や小銃に使用される長い薬莢に収められている発射薬の威力の前では直撃を喰らえば脳が木っ端微塵に吹き飛ばされる。特にここいらに最も多く出回っている旧式のAK―47の7.62×39弾は銃弾重量が重く対人殺傷能力が非常に強い。これは西側諸国が現在導入している小径高速弾5.56mmNATO弾と比較して発射速度は劣るが大口径にものを言わせて高い破壊力を誇る。しかし高いストッピングパワーを持つものの、連射時の反動が強く着弾点が安定しないという欠点がベトナム戦争で露呈し、そこで旧ソ連は5.45×39mmの小口径団を開発した。しかし今現在も世界中の第三国で最も流通しているのは7.62×39弾を使用するAK―47の模造品で、スモールフローはその銃弾の大口径のパワーに警戒の色を解こうとしない。

 彼はヘッドセットのマイクに向かって囁いた。

「こちらスモールフロー、ジャジースピンとラッシュハット問題なしか?」

 ジャーと短い空電音が続く。

「はい、軍曹問題なしです。まるで大海原みたいに静かです。人っ子ひとり見つけられません」

「ぐ、ぐんそ」

 スモールフローは舌打ちした。ヘッドセットが不調のようだ。ちっ、どこかで回線が切れそうになってやがる、これならもっと事前に任務に出る前に調べておくべきだった。ついてない、幸先が悪い、そう感じた。彼は防弾ヘルメットに邪魔されながらヘッドセットの位置をずらしたり、マイクの端子を指の腹でこすった。

「軍曹どうかしたんですか?」

 ラッシュハットがチラリと視線を送りながら訊ねてきた。

「ヘッドセットが馬鹿になってやがる。どっかのバカが乱暴に扱ったんだろう」

 彼はため息をつきながら諦め顔になった。自然と小声の罵声が出る。

「まあ、いいさ。切羽詰まったパトロール任務じゃない。お前のヘッドセットが正常に機能していれば問題ない」

「軍曹」

 今度はやや明瞭に聞こえた。しかしスモールフローは何のことだか、そして誰に応答を求められているのかわからなった。

「誰だ? ギンガム―Gか? こちらスモールフロー。ギンガム―G、どうぞ」

 乾いた空電音が響く、スモールフローは本能的に異常を感じ取った。さっきよりは少し語気を荒げて、

「ギンガム―Gとビッグキャップ! どうした? 応答せよ。三階何かあったのか?」

「軍曹、何かあったんですか?」

 二階にいるジャジースピンが訊ねてきた。どうやらヘッドセットは不調ではなかったらしい。

「わからない、ジャジースピン。警戒して三階の様子を見てきてくれないか?」

「了解」

 ヘッドセットのやりとりを聞いていたNテューバが信じられないといった顔でスモールフローの動向を見守っている。彼も現在進行形で何が起きているのかさっぱりわからない様子だった。

「聞こえていたな、Nテューバ、おれも今すぐ三階に向かう。お前はここに残っておれの代わりに狙撃手を務めて警戒してくれ」

「ここで待機してます」

 Nテューバは自分専用のM24 SWSをペリカン製大型ハードケースから急いで取り出しに掛かった。

「おいちょっと待て。ここぞとばかりに賊が侵入を試みる可能性がある。このホテルの入口にも注意を向けるんだぞ。少しばかり一階が手薄になるがしばらく何とか持ちこたえてくれ」

 スモールフローはNテューバに一瞥をくれた後、ベレッタ92をヒップホルスターから取り出し階段へと向かった。

「いったい何があったてんだ? まだ到着してから三十分と経たないってのに……。チクショウ悪い予感がする」

 二階の部屋にいたラッシュハットの様子をちらと伺うとこちらも混乱しきりの様子だった。

「ラッシュハット、落ち着け。もし一階から銃声や怒鳴り声が聞こえたらNテューバを援護しろ。一階が敵に制圧されたら非常時の撤退すら困難になる。そうなったらおれたち全員ゲームオーバーだ」

 さらに三階へと進む。手前の部屋には誰もいなかった。しかし部屋の窓から睥睨できる景色は三階とあって一階よりも数段視野が開けている。ここは異常なし、乾いた埃と砂……。では、奥の部屋か……。銃口を素早くドア付近の死角に向ける。そこから死神が羽をバサバサやって窓から飛び去っていく光景が脳裏に浮かんだ。

「あああ、なんってこった、神様」

 ビッグキャップが胸の上部を狙撃され防弾ベストを貫通していて、そこから黒い鮮血が垂れていた。机の上で横たわる彼の表情は何物も物語っていなかった。その光景にスモールフローは一瞬忘我の境地に陥り身動きが取れなくなった。具体的な事は何一つ考えられなかった。そしてようやく指揮官の責務を思い出し、彼に声を掛けた。

「おい、ギンガム―G、大丈夫か? 何があったか報告できるか?」

 ギンガム―Gは部屋の中央でうつ伏せになって横たわりまるでメッカの方向へ祈りを捧げているかのようだった。先に到着していたジャジースピンが彼の肩を掴んで揺すった。そして半ば無理やり仰向けの体勢にさせた。ギンガム―Gは蒼白な顔を歪めて虚ろな目でこちらを見つめ返してきた。

「おい、どうした! お前は無傷なんだな?」

 まず彼の安全を確認したかった。しかし何かを言いたげだが言葉にならず、口を歪めただけだった。それを見かねたジャジースピンが彼の身体を押さえつける。しばらくして、

「えっ、ええ、自分は大丈夫です。問題なしです。それから何と言うか……。そう、そうなんだ、狙撃は一発でした。うん、うん。ビッグキャップに被弾しました。彼は動かなくなりました。おれはなんでか、なんでこうなったのか、チクショウめ! 何もできませんでした。申し訳なく……」

 スモールフローはまだ事態を十分把握できていなかった。目の前の光景が非現実的に思われて仕方なかった。

 ギンガム―Gは腹筋に力を加えつつ、緩慢な動作で膝で体重を支え、いかにも頼りなく立ち上がりまったく無防備の体勢を取ってしまった。この切迫した事態下では野球のトリプルアウト紛いの致命的ミスだった。

「このバカ野郎、何考えてやがる。また狙撃が来るかもしれんじゃないか。頭を下げろ! 早く!」

 ギンガム―Gはよろよろと窓の方へと進み、机に片手をついたかと思うとくるりと反転して窓に背を向けた状態で突っ立った。まるで背後から狙撃してくれと言わんばかりの行動だった。危なかしくって仕方ないのでスモールフローは彼の肩を無理やり引き下げ、窓から遠くの場所に引きずり動かした。その時彼の表情を覗うと、視点が一定せず眼球震盪をおこしていた。ジャジースピンもどうしていいかわからない様子だった。とりあえずスモールフローは、

「Nテューバ、一階に異常はないか?」

 短い空電音の後、

「ええ、軍曹至って静かなもんです。そっちは何があったんです?」

「ラッシュハット、二階から様子を伺っておかしな動向は?」

「いいえ、異常なしです」

 少し目を離した隙にギンガム―Gは再び虚ろな面持ちで立ち上がろうとした。またもスモールフローが引きずり倒した。神経が正常に戻っていないらしい、見当識が狂っている。

よく見ると彼のカーキ色の迷彩の防弾ベストに少し血糊が滲んでいた。ビッグキャップに弾丸が直撃した時、血の一部が飛び散ったのだろう。

「何度言ったらわかる、相手のスナイパーは一撃で監視任務に当たっていたおれたちの一人を狙撃したんだぞ。並みの腕じゃない、ネスチャジャイに似つかわしくない程の凄腕だ。頼むから頭を下げていてくれ。少し水でも飲んだらどうだ?」

 ようやく、

「ありがとうございます、軍曹。水分補給に取り掛かります」

 スモールフローは頷き返し、ジャジースピン伍長を見てみた。彼はこの隊のナンバー2、スモールフローが戦闘続行不能に陥ったら彼が隊の指揮を取ることになる。その彼に聞くまでもないことを問うより他なかった。

「ビッグキャップはどんな様子だ? 何かおれたちにできることはあるか?」

 ジャジースピンはふうと息を吐きながら、狙撃銃をいったん脇に置いた。

「脈なし、彼は死亡していますな。まさに予測不可能なシナリオ、戦場でのワイルドカードが出てしまった。作戦中にチームからKIA(作戦中に死亡)が出てしまった。手の施しようがない。詳しくは基地に帰投してから検視官に見てもらわないとわかりませんが、たぶん即死でしょう。痛みを感じなかったのがせめてもの幸いだな」

 スモールフローはビッグキャップの狙撃銃とヒップホルスターのサイドアームを取り上げてやった、彼にはもう撃つ必要はなくなったのだから……。

「ジゃジースピン、済まないがビッグキャップの胸を机から少し持ち上げてくれんか?」

 おもむろにジャージスピンはすでに骸となったビッグキャップの巨躯を机から持ち上げた。彼の巨躯の下の机にはどす黒い血が溜まっていた。そしてその横にはギンガム―Gが長時間楽な体勢でスポッティングスコープを覗くための分厚い布がまだ置かれていた。スモールフローはビッグキャップの背中を触った。そして手袋から突き出た第二関節までの指で血の感触を確かめてみた。

「背中からの出血は見当たらない、つまり射出口はないわけだ」

 ジャージースピンはビッグキャップを元の姿勢に戻した。

「と言うことは彼の防弾ベストを突き破った強烈な弾丸がまだ彼の中にあるということになる」

 ジャージースピンは床の砂の感触を突き出た指先で弄びながら、

「このあたりだとどうでしょうか、AK―47の7.62×39弾か、それとも有効射程距離と命中精度を考慮に入れるとモシン・ナガンかドラグノフの7.62mm×54Rでしょうかね……」

「そのあたりが妥当だろうな。とにかく防弾ベストを貫いた一発だ。強烈なライフル弾に違いない。まさかまさかの最新式のSV―98とかな、いや狙撃の精密性なら有りうるぞ。考えに入れておかないと」

「まさか、ネスチャジャイですよ。確かに一撃必殺でしたよ、でも連中はただの烏合の衆のテロリスト共ですよ。想像が逞しすぎると思うな」

「うん、検証次第だな。ここであれやこれや言っても仕方ないか」

 ビッグキャップのまわりには血の海が出来はじめていた。その時様子を見に来たラッシュハットが血相を変えて階段を上がってきた。

「奴は死んだんですか?」

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