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愚か者共の終焉


〈 愚か者共の終焉 〉


白い大きな筐体がホームに滑り込んで来る。反対側のホームにそれが停車するのを眺めていたら、あいさつを終えた彼女が隣に戻って来てくれた。

「いいひとだね、おばさん。先に新幹線座ってるって」

「分かった。さっき聞いたんだけどおじさんは会社休めなくて悲嘆してたって言ってたよ」

「悲嘆してもらえるほど大した人間じゃないから大丈夫ですって伝えておいて」

「やだ」

「あのね…」

 困った顔がかわいい。元々ころころと表情をよく変える彼女だったが、前よりももっと遠慮なくそういう面を見せてくれるようになった。

 あれから師匠がどう働いてくれたのかはよく知らない。彼女は全部知っているのだろうが、何も教えてはくれなかった。ただ親権が叔父夫婦に移り、高校を卒業するまで彼らの家から高校に通うこと、と言われた。家はここから遠く甲信越地方になる。高校も転校だった。林場と綾瀬は都内のどこかの大学に絶対に進むから地元は離れないと明言していたので来年の春にはまた会えるだろう。特に不安はない。転校が決まった時綾瀬は人目が集まるのも構わずに泣いた。泣きながらそれはそれはうれしそう自分に向けて笑いかけた。初めて見る、彼女の大きな笑顔だった。

林場は悲嘆するかと思ったが逆に諸手を挙げてよろこんだ。よろこんでーーー笑った。よかった、これでようやくはじまる、と。

「あのさみーさん」

「なあに?」

「なんで俺を助けてくれたの?」

「ともりがもう無理だって言ってたから」

「え? いつ言った?」

「最初に出会った時。もう無理だって、呟いてたよ。そんなひとを放っておけないでしょ」

覚えていない。無意識にそう言って助けを求めたのがーーー彼女だった。例え呆れられてもそこに運命を感じるのは仕方がないだろう。

「でもね、それから先はともりを見てたからだよ。ともりは自分が誰なのかは忘れかけてしまっていたけれど、自分が何なのかは絶対に忘れなかった。だからだよ」

彼女らしい言葉だった。どこまでも彼女らしく、ひとが聞いたら笑ってしまうようなくらい他愛のない理由だった。その小さなことひとつひとつを後生大事に抱え込む彼女を見て、微笑む。

「あっち行ったら毎日連絡ちょうだいね、みーさん」

「いや勉強しなよ…」

「もちろんするよ。絶対に合格して春には帰って来るから」

大学に入学したらまた彼女の家で一緒に暮らすという約束を既にしていた。今度は期限なんかなく(彼女はともりが出て行くまでと言っていたがそれはあり得ないので事実上の無期限だ)。真野はぎゃあぎゃあ大騒ぎしてうるさかったがさくっと無視して、三木はにんまりと笑っていたので多分許してもらえていて、もちろん彼女はそれを心待ちにしている。はずだ。

「ご褒美吊るされたみたいだよ。みーさんとの同棲生活が待ってるならなんだって出来る」

「同居ね、同居。日本語特有の微妙なニュアンスの違いをきちんと使おうね」

「愛する二人が一緒に暮らすならそれはもう同棲でしょ」

「愛する?」

「みーさん俺のこと好き?」

「好きだよ」

「俺もみーさんのこと好きだよだから同棲だ」

「そうなのかなあ…」

非常に納得のいかない顔で首を傾げてる彼女に続けた。

「みーさんにお返しがしたいんだけどさ」

「お返し?」

「うん。何でもするから。何かしてほしいことある?」

そういうのはいいから勉強しなさい、という言葉が返って来るかと思った。が、意外にも彼女は少し思案気な顔をして、こちらの顔を見つめた。

「…じゃあ、ひとつある」

「なに?」

「ともりの髪の色が見てみたい」

小さく息を吞んだ。アッシュブラウンに染まったままの髪。風でなびくそれを見て、彼女が言う。

「ともりの髪の色が見てみたい。今もいいけど、きっともっとともりらしくてきれいな色なんだと思う。それが見てみたい」

「…一年あれば十分だね」

「うん。いい?」

「もちろん。何でもするって言ったでしょ」

くすぐったくなって、ふは、と笑った。

「そろそろ、行きな。出発しちゃうよ」

「うん」

まっすぐ見つめ合う。お互いの真正面で眼を見て立ち尽くし、それから両腕をのばす。ふわりと抱き込んだ彼女も、きゅ、と抱きしめ返してくれた。

「絶対春には帰ってくる」

「うん」

「だからそれまで彼氏作らないで」

「そんな簡単に作れるもんじゃないでしょ」

「三木さんによろしく」

「ひろ先輩は?」

「みーさん、大好き」

「うん、知ってる。ーーーありがと」

笑った吐息が耳元を掠めて、

身を離した彼女は、花がほころぶように笑った。




ーーーそんな四月のことを、自分は今思い出す。

季節が一周巡り三月になった今。自分と彼女が出会った月。

ホームに新幹線が滑り込み、徐々にゆっくりになった筐体はすうっと力を抜いたようになめらかに停車した。鞄を手に取り、列に混ざってホームに降り立つ。

ざわざわとひとのあふれるホームの上、そこに、彼女がいた。

少しだけのびたあの儚い色の髪。相変わらずの華奢な体躯。ふと、何かに導かれたかのように視線を巡らしーーー黒目がちな大きな眼が自分を見付け、ふは、と微笑んだ。


「ともり」


大好きなあのやわらかい声。

何度でも、何度でも、あなたが俺を呼ぶ。


「みーさん!」

だから自分は走らざるを得ない。だって仕方ない。心が勝手に呼応する。早く、早くと叫び出す。彼女の心に少しでも近付きたくて。漆黒になった自分の色の髪を揺らし、形振り構わず、見苦しいくらい必死になって。

それでも彼女は笑うから。

冬の日差しのあたたかさを持って、笑うから。

のばした手が彼女に触れる。そのまま引き寄せて強く強く抱きしめた。おかえりなさい、と、腕の中で彼女がささやく。

顔を見合わせる。彼女の大きな眼に自分の姿が映っている。きっと彼女も自分の眼に彼女の姿を見ただろう。

「きれいな色だね。これが一番好き」

「じゃあもう絶対に染めない。…みーさん」

「なあに?」

「大好き」

「うん。ずっと知ってる」

いたずらに成功したように彼女が笑う。

腕の中の存在があたたかい。

触れる感触が愛おしい。

ただいま、と微笑むと、同じように腕の中で彼女も笑った。



〈 愚か者共の終焉 愚か者共の、続き 〉



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