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馬鹿共の行進 5


ーーー水が迫った。

「っ…!」

一気に覚醒する。聴覚を叩く勢いよく水が流れる音。把握した瞬間強く頭を掴まれ顔面が水面に叩き付けられた。

「ーーーッ!」

がぼ、と空気が口の中から漏れる。水を吸い込んでしまい一気に呼吸困難に陥る。必死に脚をばたつかせ背後で自分を拘束する人物の脚を蹴ったがそれは小さな子供の力の抵抗くらいにしかならず酸素が身体から急激に失われていく。

「! っ! ーーーーーーッ!」

髪が引き千切れるんじゃないかというくらい強く引っ張られ顔を上げさせられる。酸素を求めて口を開けたら大量の水が出て来てそれを吐き切る前にまた水の中に沈められる。苦しい。苦しい。苦しい。

何度そうしたかは分からない。完全に抵抗する力を失ったところで放り出された。地面に崩れ落ちて激しく咳き込む。涙が滲んでぼろぼろと流れた。

「目え醒めたか?」

蹴り上げられ強引に仰向けにされた。胸のところをつよく踏まれ水と共におかしな声が上がる。

「起こしてやったんだから感謝しろよ。ついでに洗ってやったんだから。部屋でげろげろ吐きやがってほんとふざけんなよてめえ」

嘔吐していたのか、気絶している間にーーー下手したら詰まらせて窒息死していたと思い血の気が失せる。

「女が来るぜ。お前の女が」

酷く楽しそうに光が言ってーーーもがく力もなかった指先がぴくりと動いた。みーさん。

「昨日お前が帰ってこなかったからって電話してきたよ。お前女のところに上がり込んでたんだな。金持っててイイ女か? お前が髪染めた理由って女の命令?」

頭の横に光がしゃがみ込む。逆光で薄暗くなった顔が、酷い顔で笑った。

「もうヤった?」

自分の荒い呼吸音だけが、洗面所を満たす。

「ーーー来いよ、ほら」

両腕を掴まれ引き摺られる。昨日帰ってこなかったーーーあれから一日経ったのか。

廊下を通り、リビングを通り抜け、隣の部屋に押し込まれる。外から鍵のかかる部屋。

「今からその女が来る。ーーー大人しくしとけよ。今日からお前も家にちゃんと置いてやるよ」

意味が分からなかった。整わない呼吸のまま視線で問うとーーー今気付いた。光の髪の色が変わっている。地毛からアッシュブラウンーーー自分と同じ色へ。

「その女がお前のものなら、それは俺のものでもいいってことだろ。なら俺がもらう。家に乗り込んで来るくらいお前のことを想ってるなら、その気持ち丸ごと俺がもらう。もう俺のものだ。だって俺とお前は同じなんだから。そうだったろ?」

「ひかーーー」

「そうだ、俺は光だ。この家では光、その女の前では灯。どうせ気付かないよ。俺とお前が入れ替わろうが、誰だって顔しか見ていない。一緒なんだから分かるはずがない。…なあ、その女の名前は?」

「……」

「名前はッ!」

腹を踏み抜かれた。獣のような悲鳴が上がる。

「…かげ…みかげ、ゆき…」

「ふうん。お前はなんて呼んでるの」

「ゆ…き…」

「嘘だな」

ぐりっと腹を抉られる。嘔吐感が喉元を焦がしてゆく。

「まあいいや。最初に本人が名乗るだろうし。呼び方は適当に言いくるめりゃいいだろ。いつもどんな風に抱いてる?」

「……」

「こ、た、え、ろ、よ」

みしっとーーーいやな音が、した。

「灯。もうすぐいらっしゃるぞ」

ドアの向こうから父親の声。ちっと光が小さく舌打ちして、

「わか…った」

それは君が悪いほどに「自分」だった。いや、違う。

俺が光で光が俺、光が俺で俺が灯ーーーあ、れ

「ーーーなあ」

ざらざらと掠れた自分の声。

仰向けに倒れたままぼんやりと光を視界に入れる。

「どうして…綾香を捨てた?」

何故知っているのか、とは訊かれなかった。

はっ、と光が笑う。

「俺だけのものじゃなくなるならそれはもう価値はない。いらない」

言い置いて。

蕪木 灯になった誰かは、出て行った。

がちゃりと、外から鍵のかかる音。

…馬鹿だな

彼女が一途に灯を想っていると思っているのか。

違うよ。彼女にはとても好きで好きでたまらないひとがもう既にいて、

もう泣くことすら簡単に出来なくなってしまったほど大切なひとがいて、

そのひとは彼女に心を全部をくれたそうだ。

ねえ、みーさん

そのひとまるごと、あなたがほしい。

鍵の開く音。ドアがゆっくりと開き、明るい部屋からこの薄暗い部屋へ誰かが入ってくる。

「……」

父だった。

「とうさ…」

手を貸して。行かなきゃ。分かっているよというように、父が微笑む。

手にしていたガムテープを引っ張り出し、後ろ手に両手を拘束した。

「光はツメが甘いな。こうして動けないようにしておかないと、今のお前はどこまでも逃げてしまうだろうに」

「とうさ…?」

両手がきつく固定される。淀みなく父は動き続けた。

どうして

味方ではなかったけれどーーー敵では、なかったはずなのに。

「お前には本当に悪いと思ってるよ。でもな、もう十五年以上もサンドバックがあった家庭からそれが消えちゃあ、残った家族でババの押し付け合いになるだけだろ? お前は必要な存在なんだよ、灯。母さんも光もまるで分かってないよな」

父さんは分かってるから。お前の価値がどれだけ高いかを。

いつものような一本調子で言ってーーー自由を、奪う。

心が停止した。

「金がなければすぐに戻ってくると思ってたが、今回は長く消えられて焦ったよ。あんな大金どうやって稼いだんだ?」

戻って来た時に消えた通帳とカード。

光が盗ったのだと、思っていた。

「どうして…」

「どうして?」

父が笑う。まるで小さい子供に微笑みかけるように、やさしく。

お前が  不幸だと  家族が安定する

ひっ、とか細く喉の奥が鳴った。

「う…うあああああああ!」

叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。みーさん。みーさん。みーさん。テープで口を塞がれた。必死でもがく。

「ああ、困ったなあ。こんなにも蕪木家はお前を必要としているのに。こんなにもお前のことを想っているのに。困ったなあ。ああ、困ったなあーーー」

襟首を鷲掴みにされる。目を細めて笑う父親の顔が近付く。怖い。このひとが一番、怖い。

「一言も騒ぐな。…父さん、お前が好きになったひとをよーく見て来るよ」

痛みを感じるほど背筋が冷たくなって暴れるのをやめた。父がうれしそうに微笑を大きくする。

「いい子だな」

床に下ろし、頭を撫で、ドアを開けーーー鍵を閉める。

虫けらのように転がり、壊れるほど強く速く打つ鼓動を感じる。動けない。動いたら殺される。ーーーあのひとを。

遠くでチャイムが鳴った。可能な限り顔を上げる。玄関で少し会話があって、…足音が三つ、隣の部屋で止まった。

「いきなりですが本題に入ります。ともりくんの進学問題についてです」

一日ぶりに聞く彼女の声。ドア一枚隔てたところで、彼女が自分のために戦う。

「これにお金を出す気はありません」

母親は既に隣にいたらしい。憎々しげな言い方で吐き捨てて、「これ」と今そこにいる「蕪木 灯」を言葉で指す。ぞっとした。髪の色を揃えただけで、今まで猫かわいがりしていた人間と今まで虐げていた人間を見誤る。自分の子供を。

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