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馬鹿共の行進 2

「残りは君の家族だ。進学問題だ」

無意識の内に、背筋がのびた。

結局あんなことになったから家には戻っていない。

「君の居場所はあの家にはないんだろう」

嫌味でも同情でもない、ただ確認のために問われ逆に心の弱い部分がほっとした。

「ない。…金も…話してはみるけど、多分無理だ」

「けれどずっとここに君を置いておくわけにもいかない。君はまだあと一年高校生活がある。大学生同士ならともかく、世間一般的にこの状況を続けるのは難しい」

「…はい」

唇を噛んだ。

「君には親族がいるね。叔父夫婦が」

「父親の弟…が、いるけど。地方に住んでる。子供がいないから本当の子供みたいにかわいがってもらってたし昔はよく遊んでもらったけど、ここ何年も会ってない」

会わせないようにしたのだ。母親と光が。

「一年間彼らに君を引き取ってもらう。君がうなずくなら僕が頼みに行こう」

「は…?」

目を見開いた。

「驚く話でもないよ。君の親が君にとって適切でないのなら代わりが必要だ」

「でも金がかかる。いきなりそんなこと頼んだってあっちだって困るだろ」

「金銭に関しては問題ない」

そこでディアムは大きくため息を吐いた。気遣うように彼女を見やる。かたんと彼女が立ち上がり、別室に消えて行った。

その後ろ姿を、なんとも言えない表情でディアムが見送る。

「…僕の幼馴染みでありミユキのことを心から愛している人間が、僕にろくでもないものを遺していった」

「え…」

電話の主。そう彼女も言っていた。僕も君を愛している。その意味は彼女とこの青年ではなくてーーー

「僕の幼馴染みがミユキを愛している。心の、底から。恐らくミユキもね」

「…泣いてたよ、みーさんは」

姿を消した彼女ーーー今どんな貌をしているんだろうかと思いながら、伝える。

「一番最初に会った時、多分、大泣きしたあとだった。目が真っ赤だった。…お互い想い合ってるなら、何で迎えに来ないんだよ」

「一生迎えに来ないよ。少なくてもあいつからは絶対に来ない」

「なんでーーー」

「もう何処にもいないんだよ。彼女がいつか眠る時、ようやく会うことが叶うんだろうな」

何にも知らない癖に

あの雨の日、押し倒した自分の下で、激痛みたいな叫び声を上げていた彼女が蘇った。

何もあげられない。心を全部くれたのに、わたしはもう何も返せない

もう、何処にも居ない。

どんな気持ちでーーーあの時、叫んでいたのか。

「僕もミユキを愛してる。…最期あいつが救われたのは、あの子の存在が在ったからだ。…いくら感謝してもしきれない。僕らにとって、かけがえのない大事な女の子だ」

あの留守番電話に吹き込まれたメッセージは、どこまでも彼女を想うもので。

一緒にいたら辛いけれど、離れるべきではないと言っていたのはーーー想い出を語り哀しみを分け合おうという意味で。

本当に本当に、彼女を愛して慈しんでいたものだった。

ぼたりと涙が溢れた。

「俺、馬鹿だっ…勝手に勘違いして、酷いこと言って、酷いことして…何も、なにも知らないくせにっ…」

黙って。お願いだからもう黙って

嫉妬に駆られ、傷を抉るだけ抉って、泣きたくても泣けない彼女を組み敷いて奪って。

どうしてやめなかった。どうしてほんの少しでも彼女のことを考えなかった。

何にも言わずにひとばっか構って、踏み込んで来た癖に自分は何も云わないで

違う。だってあんなに叫んでいた。自分の下で叫んでいた。

うるさい

何も知らない癖に

黙って

お願いだからもう黙って


な に も い わ な い で


隠して、隠して、隠して。

自分が壊れるまで隠していたかった、彼女の気持ち。

自分がどうしようもなく傷付いて苦しんでいる時にろくでもない馬鹿を拾って、ろくでもない目に遭いながらも馬鹿に構って、必死になってくれてーーー呼吸をしていることすら、やっとだっただろうに。

「ーーーあいつの死を報せたのは、僕だ」

泣き続ける自分に向かって、静かにディアムは言った。

「きっと君とミユキが出会った直前だろうね。僕が報せた。ーーー僕とはまだ、あの子は会いたくなかったはずだ。連絡をずっと無視して、見なかったことにして僕を避け続けていた。ーーーでもこの前あの子から僕に連絡して来た。君のためだ」

うつむいていた顔を上げる。ディアムは笑っていた。微笑みの下に、行き場のない怒りを蠢かせて。

「僕はあの子に会いたかった。無事が知りたかった。ーーーでもあの子は絶対に会いたくなかったはずだ。傷が深まるから。自分を制御出来なくなるくらい血を流してしまうから。…でも、あの子は僕に助けを求めた。僕のツテを使って君を助けるためいろんな情報を掻き集めた。形振り構わず、手段を選ばず、見苦しいくらい必死になって、自分が泣くのも後回しにしてーーー君を助けようとした。全部、君だけのためだ」

こんな愛を自分は知らない。他人のためにここまで自分を犠牲にして手をのばしてくれる形を、自分は知らない。

「だから君は僕に借りがある。ーーーあの子になにかあったら、絶対に俺を呼べ。

あの子は絶対に自分から言わない。自分に降りかかる災厄には無頓着に流そうとすらしてしまう。ーーーそんなの絶対に許さない。だから呼べ。借りを、返せ」

何度も何度もうなずく。泣きながら、みっともなく、それでも自分が本気だと分かってほしくて、何度も何度も。

少しだけ、ディアムが笑った。

「…それから。君との付き合いは長く続くだろうけど、僕のことはディーと呼ばないでほしい。…この名前はもう、今じゃあの子しか呼ばない名前なんだ」

滅茶苦茶なあだ名だよ、ディーなんて。

本当にあいつは馬鹿なんだから。

そう言って、ディアムは笑う。

「…みーさんも、同じこと言ってた」

「え?」

「名前で呼ばないでくれ、って」

「ああ…あいつがそう呼んでるから僕もそう呼んでいるし、あの子がそう言ったのもあいつが原因なんだろうけど…でもその前からそう呼ばれるのを極力避けているようだったよ。あいつはパスポートの名前をそのまま呼んでいたから、もう止めるに止められなかったみたいだ。両親もユキと呼んでいると言っていたし」

「え…」

幸。幸福たる者。

いい名前だ。何が嫌なのだろうか。何かーーー何が、あったのだろうか。

がちゃりと音がして、彼女が戻って来た。

「…え。なんでともりが泣いてるの」

ぎょっとしたように足早に近付かれ隠すようにぐいと強く目を擦った。

「わ、駄目、目が傷付く」

「へいき」

「駄目だって…なんで泣いてるの? ディーが泣かせたの?」

「勝手に泣き出したんだよ」

「そんな子供みたいなこと言ってないで…」

「もう泣き止むよ。ミユキも座って。…それで、お金のことだけど」

「まだその話してなかったの?」

何の話をしていたんだとばかりに眉を顰めた。

「男同士いろいろあるんだよ。ねえともり」

「うん師匠」

「私がいない間何がどうした」

「僕は世にも珍しい価値のある切手をこないだ手に入れた。そもそもが希少価値の高い昔の切手なんだけど、その内の何枚かにミスプリントがあったんだ。今はそのミスプリントの切手の方にそこそこの値段が付いている」

「…へえ」

自分とは無関係な話だったがなかなか興味深かった。ミスプリントの方が価値が出たなんて当時は考えもしなかっただろう。

「条件を飲むなら君に譲渡しよう。その金があれば大学進学くらい出来る」

咳き込んだ。あわてたように彼女が背中をさすってくれる。やわらかい感触が心地よい。じゃなくて。

「なんっ…で、そんな急に」

「後日談にしても意味がないだろう」

「いやそういう意味じゃなくて」

「あいつが相続して適当に物置に放り込んでただけのものだ。処分に困ったからこっちに押し付けてきただけだ。あいつが肌身離さず持ってた形見とかじゃない。そんなものはなにひとつとして残ってないんだ」

隣で彼女ががぎゅっと胸元のシャツを握りしめるのが見えた。真鍮のホイッスルは今彼女のシャツの下にある。

「それに条件付きだ。…僕の知り合いに、コレクターがいる。教養のあるひとで立派な方だ。歴史に造詣が深く博物館も経営している」

話の流れが分からなかったがうなずく。

「その切手を彼に渡すんだ。…そうしたら、それなりの価値が返って来る」

「でもそうなったら切手は、」

「博物館に展示される。たくさんのひとが観に来るだろう。奇跡が生み出した美しさに溜息を吐いて知的好奇心を満たすだろう。…悪い話じゃない。どうせ僕が持っていてもしまい込むだけだ。所有権がなくなるだけで、観たくなったら博物館に行けばいい。博物館永久不滅無料パスポートを発行するとも言っていたよ。歴史的価値がきちんとした環境で保存されるんだ。喜ばしい」

「だけどーーー」

「僕はいらない。本当にいらないんだ。だったら、君が使え。君が生かせ。死ぬ気で」

「…みーさん」

「なあに?」

「大学って自由?」

「自由、かなー。どうだろう。私あんまり普通の大学生ではないかも」

「大学って楽しい?」

「楽しいよ」

しっかりと彼女はうなずいた。

「自分の興味のあること、学びたいこと、将来職にしたいこと。どれだけ追求してもいいんだ。そのための材料や資料やきっかけや一緒にやるひとや聞けるひとがたくさん同じ場所に会してる。…それが大学だよ」

「…そっか」

目を閉じる。想像してーーーふは、と、笑った。

「ーーーありがとうございます。よろしくお願いします」

笑顔を消して立ち上がる。頭を深く深く下げた。

「…もし君の両親が出すと言うならこれは保留にしておこう。でももし必要になるならいつだって使える。覚えておくんだよ。間違えず、生かせ」

「はい。ありがとうございます。本当にありがとうございます」

再び涙が滲んだ。拭わずに顔を上げると、その涙は跡をなぞって頰を滑り落ちていった。…あとは。

あとは、戻るだけだ。


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