どこまでも馬鹿な男 5
翌朝、廊下の隅で蹲っていたまま目を覚ました。部屋に辛うじてあった布団はなくなっていた。いつの間にかに。どうせ光が処分したのだろう。部屋の中も物置状態で最早足の踏み場もなかった。
母親は何も与えないだけで、何も奪おうとはしない。光は傷を与えて、めぼしいものを奪う。父親は言葉を与えて、何も奪わない。
冷えたフローリングの床の上、それでも眠れてしまうのは皮肉なことに自分が一番慣れた環境だったからだ。金を払って使うホテルのベッドよりも、金を払って使う満喫のソファーよりも、金も払わない単なる床が落ち着けるなんて馬鹿みたいな話だ。本当に。
ぎしぎしと軋む体を起こして、ぶるりと震えた。昨晩の父親の言葉を無碍にすることに抵抗があり、あれから風呂に入ったが、結局布団もない廊下でそのあと眠ったので逆に体が冷えてしまっていた。酷く寒気がする。
(さむ……)
震えが止まらない。かちかちと奥歯が微かに音を立てていた。ゆっくりと立ち上がり、全財産の入った鞄を肩にかける。光に会う前に出て行かないと、流石に今昨日みたいなことをされたら体に響きそうだ。音を立てないように素早く階段を下り、鈍く眩しい外の世界に繰り出した。
春期講習初日、人数が少ないという話は聞いていたがそれでも生徒は10人程いた。もう少し少なくてもよかったのに、と思いながらも席に着く。朝からの寒気は弱まることがなかったので、我慢出来ずジャージを羽織った。シャーペンと教科書類を取りだし、ノートの端に日付を書こうとしたがノックしたシャーペンから芯は出てこなかった。
「……」
瞬時した。けれど背に腹は代えられず、ぐるりと後ろを振り返る。
「あのさ。シャー芯もらえる?」
「え? ……は、い。どうぞ」
いきなり声をかけられて驚いたのか、眼鏡をかけた女子生徒はペンケースから芯のケースを取り出した。受け取り、一本引き抜いてケースを返す。
「ありがとう」
「……いえ」
無愛想だが、受け答えは丁寧だった。ちらりと視線が合い、逸らされる。こちらも体を前に戻した。
買わないといけないもの。
必要なもの。―――生きていく上で。どう考えても金が必要だった。
(ほとんど貯金に回した……から。下ろしたくないけど……それでもあの女が今月当てにならないなら……)
あの女がもっと早く言えばもう少し手元に残しておいたのに。下ろすしかない。貴重な金、入学資金を。
無意識の内に息を吐きそうになって押し留めた。―――こんなのは、不幸に入らない。入っては、いけない。