馬鹿共の行進 1
「やあおはようそしてはじめまして少年よ。僕はディアム・スコット。国際弁護士をしている。君が蕪木灯くんだね」
明るい砂色の髪に鮮やかな緑の目。やさしそうな笑顔に少しだけアクセントの違う日本語。
いろいろあった日の翌朝、二十代と思わしき外国人の青年は玄関でそう言うと靴を脱いで上がってきた。御影がスリッパを出したが使わない。輝く笑顔で「日本のこの靴下で家の中を歩き回れる開放感が好きなんだ!」と言い切られていた。
そして、気になるのが。
「…あのさ、みーさん」
「なあに?」
「このひとの…この声って」
「ああ、留守電のひとだよ」
ですよね。頭の中が固まってーーー上手く、呼吸が出来なくなる。
このひと、が。このひとが、彼女のーーー
「早速だけどね。君に対して言わなければいけないことが山ほどある」
テーブルにつき、ほうじ茶を出されたディアムはそう言った。使いものにならない意識を精一杯そちらに向ける。彼女が隣の席に座ってくれていることだけが心の支えだった。そちらの隣に座られていたらもういろいろと耐えられない。
「ディーにお願いしていろんなツテを使って探っていってたの。まあともりが帰ってくるか分からなかったしそこはともりの自由だからあんまり何も出来なかったんだけど」
だからあの女に辿り着いたというわけか。
「あ」
思い出す。一度部屋に行きポケットからそれを抜き出しリビングに戻った。
「ごめんみーさん、これ」
「…あのひとから?」
「…そう」
彼女がUSBを受け取った。じっとそれを見つめる。
「今ここで確認しようか」
ディアムが鞄からノートパソコンを取り出した。彼女がうなずく。
「ともり。ちょっとだけ部屋に、」
「見ないから。…ここにいさせてほしい」
「……」
あまり見たことのなかった顔をされた。困ったような、決めあぐねているような。
「見せたくないなら見せなければいい。見ないと言ってるんだから。それとも彼が信じられない?」
「…そんなことないよ」
首を横に振って。彼女がディアム側に回り、USBをスロットに挿す。ディスプレイの青白い光が二人の顔を照らした。
かち、かち、と中身を確認していくマウスの音。
ぴくりとディアムの眉が動いた。対して彼女はーーー何も変わらない。ただ真っ直ぐにディスプレイを見つめ、それからそっと目を逸らす。
「君はこれ以上見るな」
「うん。ごめんなさい」
「怒ってはいない。謝ることでもない。でもこれ以上は許さない」
「うん。はい」
呟いて、彼女がこちらの隣に戻る。ノートパソコンを閉じたディアムがUSBを彼女に返した。
「残念だけどコピーは取った。こっちは君が持っていなさい。脅しには使えるだろう」
「うん、ありがとう」
「…誰を?」
誰を脅すのかーーー彼女が真っ直ぐにこちらを見据える。
「佐野 一真」
ーーーどこかで予想は、していた。そこまで辿り着いていたのか。
「これさえあれば確実にそいつを潰せるよ。君に任せよう。僕は後ろに控えているから」
「うん、ありがとう」
「俺も、」
「駄目」
ゆるりと首を横に振った。
「これだけは駄目。絶対に」
「でもーーー」
「ともりのために言ってるんじゃないの」
じゃあ誰のため? ーーー佐野、だ。
「悪いようにはしないだろうさ。ミユキなら。ただまあーーー君の掴む未来がどんなものであれ、その先にこいつは要らないだろう。君の前に姿さえ現さなきゃいいんだ。手荒なことにはならない」
宥めるようにディアムが言った。その心強さは決して自分の持っていないもので、自信がなくなり軽く俯く。ーーー敵わない。
ぽん、と彼女が背中を軽く叩いた。
「大丈夫だよ。ちゃんとしてくるから」
「…そういう意味じゃないよ」
「そうなの?」
「うん」
「ん…?」
じゃあなあに、というように彼女が目を瞬かせた。
「話を戻すがいいかい? これでとりあえず君の周囲は片付いたと言ってもいい」
「…ありがとうごさいます」
「お礼を言うならばミユキに言って欲しい。この子は本当にあちこち走り回り回っていたよ。先輩の撮影手伝いも休まずに」
「それを休まないのが、ディーに助けてもらう条件だったんだよ」
視線に気付いたのか彼女が言った。
「ミユキのためならば条件なんか無しに惜しみなく力を貸すけれどね。今回は少し違ったから」
ディアムがそう言ったが、その条件は今となっては有り難かった。自分のせいであんなに準備していた撮影に、真野が秘書だと言った彼女が参加しないのは絶対に嫌だった。




