馬鹿は笑う 4
春休みもあと残り数日。見えて来た終わりと、日に増しせり上がってきた痛みにも似た苦しさ。
最初からはじまっていたカウントダウンを今さらながらに意識してーーーどうしたらいいのか、分からなくなる。
「ともりくん。少し大事な話をしていい?」
「なに」
顔を上げる。ちょうど時間制限のアラームが鳴り、一度ペンを置いたところだった。いつものコーヒーを差し出しながら御影が真正面にぺたんと座る。手には同じくマグカップを持っていたが、テーブルに置いて口には付けなかった。
「もうすぐ、春休みも終わりだよね」
「…うん」
弱々しく聞こえたかもしれない。そう思って言い直した。
「そう」
「これから高校三年生で、大学進学を希望してるんだよね」
今まで踏み込んで来なかった御影が、それを選んだみたいに今、確実な力を持って一歩一歩踏み出してくる。
「そう」
「一度、家に戻りなさい」
静かに御影が言った。呼吸を殺されーーー何も、返せなくなる。
指先が、震えた。
「それで話し合って、きちんと援助をしてもらいなさい。蕪木くんがそれを受けてるなら、それはともりくんも受けて当然の権利だ」
「でも」
口がようやく意味のある言葉を発した。渇いた口内が湿り気を求める。みっともなく細かく震える声で、僅かに首を横に振る。
「あの家はーーー違う」
「うん」
「言葉とか、そんなの、通じない」
「うん」
「昔からそうだ。昔からそうだった。だから、俺はーーー」
かわいそうだと思って。
はじまって、終わった。
「それでも、だよ。ともりくん。正当法で最初は攻めないとーーーあとからどんな手段も、取れなくなる」
そこで気付いた。怒っている。あの時綾瀬に向けた怒りとは別の、けれど同じところから生じる怒りが、酷く薄い微笑みの薄皮一枚下で蠢く。
「汚い言い方をするとね。最初から最後まで被害者ならば、逆に強かったりするんだ。ーーー相手が突っぱねるのなら、こっちだって強引な手を取れる」
「強引、て」
「いろいろ」
口の端を少しだけやわらげて御影が言った。
「打てる手はまだある。賢いとは言えない手段かもしれないけど。でも、まずは正当法。ともりくん自身がきちんと話して来なさい。それで相手が聞く耳すら持たないならーーーその時は、こっちにも考えがある」
ーーーせせら笑うように。
「邪魔しやがってーーーふざけるなよ」
吐き棄てるように。
未だ会ったことのない人物に対してーーー怒りを吐く。
ようやく気付いた。一度家に戻りなさい。ーーー帰りなさいとは、決して彼女は言わなかった。
自由になりなさい、と。
言葉の裏で、彼女が言う。自分で選んでーーー帰りたい場所に、帰りなさいと。
「その時はーーー…」
感情に急かされるように口を開いた。いやーーー違う、まだだ。まだ言えない。まだーーー力がない。
戦ってもいないのに。
まだ何もしていないのに。
彼女の隣に立つ、資格がない。
「…分かった。…そうする」
「うん」
御影が微笑んだ。ふわりとした、冬の日差しのようなあたたかいーーー自分にいつも、向けてくれる笑顔。
「うん、うん」
御影が両手をのばした。頰に触れ、色の変わった髪を撫で、そっと、頭を抱きしめた。
ふは、と、耳元で彼女が笑った。
「うん。ーーーよく言った」




