どこまでも馬鹿な男 4
どこにでもあるような住宅地。同じような家が並ぶ、その群れの中のひとつ。
どちらかというと高級住宅にジャンル分けされるのかもしれない。けれどその家は鈍く、沈んで見えた。
「……」
ばれないように深く深く息を吐き、唇を舐める。がさがさにひび割れていた。
鍵を開け、ドアノブを握る―――拒絶されているかの如く酷く鋭い冷たさが掌を焼く。
ゆっくり、ゆっくりと開けると、そこに、
「……」
廊下にひとりの女が立っていた。無表情。いや、違う。酷く嫌悪感の滲む顔。
「……どうも」
他人のようにあいさつする。返事はない。気持ちが悪くなるくらい長く女は、母親は自分を睨み付け、それから視線を逸らさないままリビングに入っていった。―――気持ちが悪い。不気味で、歪。
無意識の内に止めていた息をゆっくりと音もなく吐き、靴を脱いだ。ワックスがかけてあるぴかぴかのフローリング。清潔なはずなのに、足首までずくずくと沈んでいってしまうような感覚。
二階にあるはずの、自分の部屋に行こうと階段をニ、三段上がった時、ふと自分に影がさした。ゆっくりと顔を上げる。―――自分が、目の前にいた。瞬間。
強く肩口を蹴飛ばされそのまま倒れ込むように落下した。幸いほとんど上っていなかったので、廊下の壁に後頭部と背中を強く打ち付けるだけで終わる。おかしな音が体の中からした。
「んでここにいんだよ、灯」
自分と全く同じ声。軋む首を微かに上げると、こきりと小首を傾げながら―――自分がよくやる仕草だ―――全く同じ顔の少年が、不機嫌とは別の次元の嫌悪を強く色にしてそこに立っていた。
「……金がなくて」
「じゃあ働けよ。手前のケツくらい手前で拭け、それくらい出来るだろ、あ? ああ?」
だんっと胸を足で蹴られ、そのまま壁に磔にされるようにぐりぐりと体重をかけて踏みにじられる。乾いた呻き声をまるで他人事のように聞いた。
「謝れよ。俺は誰だ? 誰に不愉快な思いさせてんだ? お前は?」
ぐり、ぐり、ぐり。薄い肉越しに骨を削るように潰される。呼吸が漏れた。
「わかっ……た、あさには出てく……から。ひかり……」
「お願いしますは?」
「は……」
「光さま朝まで居させてくださいお願いします、は?」
ぐ、と胸を踏む足に乗る体重が増えた。
「おね……がいしま……す、ひかり、さま……あさまでいさせてくだ、ぐっ、」
ぐええ、と、蛙を轢き潰したような音が喉から漏れた。足で頭を蹴られ横倒れになる。
「気持ちわりいんだよ、俺と同じ面でんなこと言われて。さっさと消えろよ」
興味が失せたように歩き去る足音。歩き方まで自分と一緒でもう何とも言えなくなる。倒れたまま、床を這う視線のままその背中をぼんやり見送った。……自分と全く同じ
なのであろう背中を。
きぃ……と音がしてらリビングとは反対方向のドアが開いた。ゆっくりと歩み寄る軋み音がして、こちらの顔を覗き込むようにして止まる。
「……帰って来たのか」
小さな声だった。あたたかさはないが、冷たさもない男の声。
「……うん」
「……風呂に、入って来なさい。まだ温かいから……。それから、少しは仲良くしなさい」
男は。父親は、そう小声で言いながら上体を起こした。
「お前たちは双子だろう」
声も同じ。
色も同じ。
顔も同じ。
違うのは―――一体、どこなのだろう。
あいつは。血肉を分けた、俺の双子は。
蕪木 光が兄で、蕪木 灯が弟。
産まれる時に、灯の方で臍の緒が絡まり、そのせいで光は産道でつかえ、危うく死産となるところだったらしい。
産まれる前から片割れを死の危険に晒し、母体にでさえ負担をかけた。元々、母親は双子など育てられる気がしていなかったらしい―――子供は一人で十分だったようだ。それなのに二人産み落とされてしまったばかりに、そして格好の理由が出来てしまったばかりに、灯の方は幼い頃から光と扱いが違った。
いないように扱われ。かと思えば飽きるまで暴力を振るわれ。
兄の横暴、母親の憎しみの篭った目、もう慣れたものだった。その二人の目がないところでかけられる父親の決定打に欠けた言葉も。何もかも。
あの女に会う前は金もなく、補導されずに済む可能性も低かったので家にいるしかなかったが、今は違う。……いや、今だって金がない時はここにいなければならないけれど。
警察に世話になっている暇はない。レッテルを貼られて挽回するための余分な労力も。
こんな生活に一生身を浸しているつもりはなかった。奨学金制度を使って大学に進学して、卒業する。出来るだけいい大学に入りたい。就職率に有利そうな……そして自由になる。……出来るだけ。