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どちらかが馬鹿 15


翌朝、御影はいつも通り、ではなかった。一応制服を着てリビングに現れたこちらに対し開口一番「重かったよね! ほんとごめんなさい!」と謝った。手首の湿布については何も触れない。が、まだ手首には湿布が貼られていた。

今日は自分も出かけるから、仮に何かされたとしても大丈夫だから行っておいでと言われ学校に送り出される。下駄箱に手紙はーーーなかった。もう決まりじゃないかと、胸中で呟く。

綾瀬は欠席していた。林場か不思議そうな顔で言う。

「お前らシフトでも組んでんの? 意味ないぞ」

当たり前だ。

欠席していた分と今回の分と、追い上げるようにして解いていく。シャー芯を使い切り、御影からもらった芯を取り出そうとして、思う。講習初日、綾瀬から芯をもらったことを。お返しに後日飴を渡したことを。

あれが我慢して対応した結果だとしたら、綾瀬は本当に大した女優だ。そうでなければきいのにと、小さく祈る。

講習が終わったあとも教師を捕まえ講習の補講のようなものを強引にやらせ、教師が腹減ったから帰らせてくれと嘆いたところで解放した。昼飯を食ってなかったらしい。

すっかり慣れた帰り道を歩き、辿り着いた家の玄関には靴が一足もなかった。外出しているらしい。

「…御影?」

返って来ることはない。分かっていたが、名前を呼んでみる。いつかのようにしんとしたリビング。自分の声がぽっかりと浮かんで、そして消えた。

「……」

視線を落とす。指先から薄く、ほんの薄く少しずつ何かが抜けていくかのような落ち着かない感情。誰もいない空気が嫌というほど強く体を満たして、そして漸く、人恋しいことに気付く。ーーーそうか。

いつもいたから。

ここは彼女の家だから。

いつの間にか、この生活に馴染んでいた自分。親しんでいた自分。

好き、ではない。けれど。寂しさは、感じた。

御影の後を追うように、彼女がそうしていたように同じ場所に横たわってみる。冷たいフローリングの感触が心地良い。じわじわと片側から沁み入るようにして温度が侵食していって、まるでこのしんとした空気とひとつになれたかのような。それはきっとすごいことで、そしてきっと、寂しい。

ふと。視界の片隅で何かが鈍く光った。横たわったまま視線を上げる。

落ちたままの、真鍮の、ホイッスル。なんとなくそれを見つめてーーー気付く。あの時彼女は、これを見ていたんじゃないのかと。

誰もいないと油断して。

誰も来ないと気を抜いて。

無防備に、無抵抗に、身体中に巡る力を手放して、

ただただ静かに、これだけを見つめていたんじゃないかと。

「……」

御影の目は、あの時ーーー赤くもなければ、腫れてもいなかった。驚きに縁取られてはいたけれど、決して泣いてはいなかった。

もう満足したのか。あの時既に納得いくくらい泣けていたのか。あるいはーーーこれ以上涙を流せないくらい、もう、辛くて耐え切れないのか。

唇を噛む。言いようのない嵐みたいな寂寥感に襲われて、胎児のように躰を丸めた。

ーーー寂しい。

がちゃん、と、音がした。ーーー玄関から、ドアの開く音。

同じように横たわっていたのを見られたくなくて体を起こした。ソファーに座り、体制を取り繕う。

がちゃりとすぐそこでドアが開く音がしたので、静かに振り返った。

「おかえり」

「ただいま。ともりくんの方が早かったね」

笑ってリビングに入ってきた女。泣けばいいのに。今からでも気が済むまで泣けばいいのに、それをしない女。

御影の格好がいつもと違うことに気付いた。いつもはジーンズや部屋着多いが、今日はスカートだった。オフホワイトのブラウスと刺繍が細かく入った深い色合いの緑のスカートにカーディガン。首元と耳元にはきらりと穏やかに光る飾りさえある。髪は一部ピンで留められていた。何だか眩しいものを見るような心地で目を細める。

「ともりくん、今から出れる?」

「え?」

一瞬だけ、心が惚けるようにして見惚れた。いつもと変わらない調子の御影の声にはっとし、あまり意味もなく聞き返す。

「え。…出れる、けど」

「じゃあちょっと出かけよう」

「いいけど…何しに?」

御影が笑う。ふわっとした、冬の中のあたたかさみたいな決して強くはないけれど確かな微笑み。

「解決編をしに、一緒に」


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